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スピンオフ レネ編「木陰の君」
15
しおりを挟む初夏。短い雨期が終わり、少し日射しが強くなり始める頃、研修期間は三ヶ月目の頭に差し掛かった。
早いもので、もう二ヶ月が過ぎた。
慣れない仕事に必死になっているうちに、期間が残り三分の一になり、レネは時間が過ぎる速さに驚いている。
警備団に大麦を収穫したという知らせが入ったので、今日はロベルトの率いる護衛隊に従い、レネはシゼルとダイアン、ウォルターを連れて、新人達の初任務に参加している。
警備団には制服が無いので、懸章以外は自前だ。レネは皮鎧に身を包み、他の三人もそれぞれ皮鎧や上半身だけのプレートメイルなどで装備している。剣や槍を持ち、左腕に小さな盾も持って、それぞれ馬に乗っていた。
メリーハドソンから馬で二時間ほどの場所にある村なので、日帰りするために、今回は乗馬での付き添いだ。
ほろのついた荷馬車を馬が牽き、ゆっくりと進む。ゲイクが先頭を行き、次に荷馬車、ロベルトやアビィが荷馬車の両脇を固め、後ろから二列に並んだレネ班がついていく。村からメリーハドソンへ向かうので、野盗が出るとしたら先頭のほうだ。
レネは一番後ろにいる。先頭と最後尾は経験者でないと不備が出る。
シゼルら三人には、もし戦闘になったら無理をしないで下がるようにと、出発前に約束させている。
あと少しで森の間を通る街道を出るため、レネは三人に注意を促す。
「そろそろ危険ポイントだ。気を付けろ」
「はいっ」
返事に頷いて、レネは馬の速度を落として、最後尾に一人になる。慎重に周りを見回す。矢避けの木盾を左腕につけてはいるものの、油断はできない。
その時、ゲイクの馬がいなないて前脚を上げた。
「野郎ども、かかれ!」
野盗が三人、街道の左側、森の中から棍棒を手に襲いかかってくる。荷馬車の御者台にいた村人が、「ひいっ」と悲鳴を上げて地面に飛び降りた。荷馬車の陰に隠れる。
「うわっ、わわ!?」
ドスッと地面に矢が突き刺さり、ダイアンの馬が驚いて暴れる。隣のウォルターが手伝い、手綱を引いてすぐになだめた。
そこへ野盗が飛びかかり、ダイアンの足を掴んで地面に引きずり下ろす。だが、棍棒を振り下ろす前に、シゼルが飛び出して逆に野盗を蹴り飛ばした。思い切り顔面を蹴られた野盗は、「ぶべら!?」と悲鳴を上げて転がる。そのまま地面に倒れて、顔を押さえて丸くなった。
「助かった!」
「お前達、油断するな!」
シゼルに礼を言うダイアンをレネは怒鳴りつけ、街道に右側から出てきた野盗二人と対峙する。挟み撃ちにする心積もりらしい。
さっと村人に目を向けると、気付いた彼は慌てて荷馬車の下に隠れた。そのほうが安全だ。
しかし、襲撃してきた残り二人はゲイクとアビィが倒してしまい、更にアビィはクロスボウを構えて、木の上にいる野盗を射落とした。
残り二人はロベルトがあっという間に倒した。
周囲を見回し、他に野盗がいないことに安堵した瞬間、ダイアンの馬が勝手に走り出した。いや、正しくは横にしがみつくような危うい姿勢から、男がその背に身を起こすのが見えた。先ほど、シゼルが蹴り飛ばした野盗が、乗り手のいない馬を奪ったようだ。
「待て!」
レネは頭で考えるより先に、馬を走らせる。
野盗は前方、森の外、メリーハドソンの街との間にある牧草地へと向かっていく。
「レネ、深入りはするな!」
ロベルトが後ろから叫んだが、レネにとって、警備団の馬も大事な仲間だ。
「リーダー!」
「あっ、こら! 新人! 待たんか!」
シゼルとゲイクの声が聞こえたが、構っていられない。
どうやら野盗は乗馬の心得があるらしく、牧草地を囲う柵を馬で飛び越えた。レネも負けじと柵を飛び越え、野盗を追う。
「待てー! 馬泥棒!」
「しつけえ女だな!」
鼻血で汚れた顔をした男が、うんざり声で言って、また速度を上げる。
レネは焦った。この先には窪地があるのだが、牧草地からは見えにくいのだ。逃走で視野が狭くなっている野盗が突っ込んでしまう。
こうなったら本気で走るしかない。
足を鐙へと踏み込み、馬上で中腰になって速度を上げる。
そしてレネは野盗の前に回り込んだ。野盗は慌てたようだが、覚悟を決めたのか、目つきを変えて棍棒を構える。レネも剣を抜いて応戦した。
「アダムから降りろ、この野郎!」
怒りで口汚くなったのはご愛嬌。
細身の剣先が男の右腕を切り裂き、男は悲鳴を上げて棍棒を取り落す。腕を押さえて前にかがむ男に接近し、レネは剣の柄で殴りつけた。
それで男は後ろへと転がり落ちる。
「ふん! おい、大丈夫か。アダム……うおっ!?」
馬のアダムに声をかけようとして動いた拍子に、自分の乗る馬マーガレットの後ろ脚が沈んだ。
本当に窪地ぎりぎりに立っていたようで、うっかり柔らかい土を踏み込んだようだ。マーガレットが慌てて踏みしめたせいで、逆に地面がえぐられて落ちる。
「ちょっ、待て。頑張れ、マーガレット! 前だ!」
レネはマーガレットの横腹を蹴り、前進するように促す。だがズリズリと後ろに下がっていく。
ここの窪地は結構深いので、一緒に落ちたら怪我は避けられない。最悪、馬の下敷きになって死ぬ。
暗い未来を想像して、背筋を凍りつかせた時だった。
「先輩、手を!」
ギリギリの位置に馬を止めたシゼルが、こちらへと右手を伸ばす。レネがその手を掴むと、シゼルはレネの手首を掴んだ。レネはいちかばちか、鞍を蹴ってそちらに跳ぶ。
シゼルはそのままレネを捕まえると、しっかり腰を抱き寄せた。不安定な体勢のまま、安全なほうへ馬を動かす。
レネはシゼルの腰にしがみつくようにしているものの、足は宙ぶらりんだ。
「ヒイインッ」
マーガレットの悲しげないななきが響き渡った。
「もう大丈夫です」
「あ……」
シゼルに声をかけられ、ようやく危機を脱したことに気付いたレネは、閉じていた目を開けた。
そしてシゼルの腹に抱きつく格好になっていると気付いたが、すぐに離れるわけにもいかない。何せ、足が宙に浮いている。足元を見て、慎重に地面へと降りた。
何故かどぎまぎした。
さっきまで、ただの後輩の少年でしかなかった。しかし先ほど、レネを支えた腕は意外にたくましかった。どうしても相手が男だと意識せざるをえない。
(いやいや、私はサマーじゃないからな!)
誰かに心の中で言い訳して、緊張もあってドキドキと高鳴る胸を無視する。
そしてちょっと世知辛い気分になった。モテなさすぎて、新人にまでときめくようになったのなら、かなり重症だ。
警備団の男と付き合いたいと思っていたが、そろそろ真面目に、親に見合いを頼むべきなのかもしれない。
そんな横にそれたことを考えているレネに対し、シゼルは深々と安堵のため息をついてから、キッと眉を吊り上げた。
「先輩、危ないですよ!」
「う。すまん……。ありがとう、助かった」
「怪我は?」
シゼルは馬から飛び下りて、レネをまじまじと観察する。レネも自分の体を確認した。
「特に無い」
「良かったです」
「いや、良くない!」
レネは言い返し、窪地を振り返る。窪地の底にマーガレットが倒れている。
「マーガレット! 無事か!?」
「えっ、ちょっと先輩!」
驚きの声を背に、レネは斜面を滑り降りて、マーガレットのもとに駆けつける。レネが声をかけると、マーガレットは起き上がった。少しよたよたしていて、どうやら左の後ろ脚を痛めたようだが、重傷ではなさそうだ。
レネはマーガレットの首を軽く叩く。
「ごめんな。良かった、たいしたことなくて……」
だが警備団に帰ったら、馬医に診せたほうが良さそうだ。
「無事か、レネ!」
ロベルトの声に上を見ると、窪地の上からロベルトがこちらを見ている。シゼルも心配そうだ。
「私は平気です。でも、マーガレットが脚を痛めたみたいです」
「歩けそうか?」
レネはマーガレットの様子を見てみた。マーガレットはひょこひょこと動いている。ゆっくりした速度なら歩けるようだ。
「ええ、ゆっくりなら」
「分かった。ここを北に進んで、東から大回りすると、上につながる地点がある。そこで合流しよう」
「はい!」
レネは返事をすると、マーガレットを気遣いながら、ロベルトの言う通りの順路で上を目指した。
回り込んで上へ着くと、レネを見つけたシゼルが飛ぶように馬を走らせてきた。
まるで飼い主へ駆け寄る犬みたいだ。
「リーダー! 大丈夫なんですか?」
「いや」
「大丈夫じゃない!?」
「マーガレットを早く厩舎に入れてあげないと」
「えっ、そっち!? なんだ、良かった。どこか気付かない怪我が痛み始めたのかと!」
右往左往しているシゼルと、マーガレットのことで頭がいっぱいなレネの噛みあわない会話に、シゼルの後からついてきたゲイクが噴き出した。
「レネは馬のことになると、いつもそうだよな。野盗を捕まえたのはお手柄だけど、命令違反で反省文十枚だぞ」
「ええーっ、だって、あいつがアダムをさらうから!」
「馬鹿。深入りして、お前が死ぬほうが問題だろ」
「アダムだって仲間だ!」
「分かってるよ。でも、馬と人間だとな」
ゲイクの言いたいことは分かるが、レネはぶんぶんと大きく頭を振る。
「いや、助けられるなら、馬も助けるに決まってるだろ!」
「……ったく、分かったから。面倒くせぇ。だが、久しぶりにお前の本気を見たぜ。それで窪地から落ちかけてりゃあ、どうしようもねえが」
ゲイクの言葉がチクチクと刺してくる。
「副団長からの説教は覚悟しておけよ。ほら、荷馬車に戻るぞ。もう安全圏だが、街に入らないと安心できない」
「ああ、そうだな」
レネは頷き、マーガレットの手綱を引いて、徒歩で向かう。シゼルも馬を降り、隣に並んだ。
ちらちらと伺う視線を感じる。
大袈裟ではないかとそちらを見ると、顔が青ざめていた。思った以上に心配をかけたようだ。ここまで後輩に案じられると、ちょっと胸がくすぐったい。
前を行くゲイクが馬の足を止め、にやりと笑った。
「いやあ、それにしても、今年の新人はすごいな。まさか柵を跳び越えて、お前を追いかけていくとは」
「え!? いや、シゼルは乗馬を始めてまだ二ヶ月だぞ」
「無我夢中だったので……。俺じゃなくて、馬がすごいんですよ」
シゼルは気まずげに肩をすくめる。だが、ゲイクは真面目に褒めた。
「馬から放り出されなかっただけで、評価に値するよ。しっかし、血相変えて飛び出すんだから驚いた」
シゼルは口元をへの字にして、鋭い青の目で、挑戦的に言う。
「俺のリーダーなんで」
「……うん?」
ゲイクは意外そうに目をパチクリさせている。
その眼差しの強さに、レネもたじろいだ。
(なんでこいつ、ゲイクに喧嘩を売ってるんだ……?)
会話の流れを聞いていたのに、さっぱり分からない。
「ううん? んー……、んむ。そうか、なるほどな」
ゲイクは何やら考えこんで、納得した様子で頷き、レネににやりと笑いかける。
「レネ、良かったな」
「……は?」
突拍子もない言葉に、レネは唖然となった。
結局、意味の分からないまま荷馬車に到着し、レネ達はメリーハドソンに戻った。
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