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第二幕 嘆きの乙女
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しおりを挟む工房ハウスを出て、本邸に戻ったエリックは、メイドに声をかけられた。
「若旦那様、警部補のジョナサン・マクレガーさんがお越しです」
「警察の方? 分かった。君、片付けは食べ物だけどうにかしたら、あとは明日に回してくれ。もう夜が遅いからね」
「畏まりました、皆に伝えます」
お辞儀をして、メイドが去ると、エリックはちらりとダリアンを見やる。
「駄目ですよ」
「何も言ってないが」
「代わりに対応をとおっしゃりたいのでしょう? 警察のお相手は私ではいけません。早く対応して頂ければ、すぐにお休みになれます」
「……分かった」
エリックが面倒だから休みたいと考えているのは、ダリアンにはお見通しのようである。エリックは渋々頷いて、客室に顔を出した。
紅茶を飲んでいた三十代くらいの男が、エリックに気付いてさっと椅子を立ち会釈をする。茶色の髪と鋭い茶色の目を持った、鷲鼻が印象的な男だ。灰色のフロックコートとスラックスを身に着けている。
「ミスター・リッドフォード、夜分遅くに申し訳ありませんね」
口では殊勝なことを言っているが、全く申し訳ないと思っていなさそうな態度で、男は挨拶した。
「私は王立警察署警部補のジョナサン・マクレガーと申します。怪盗〈青薔薇〉の捜査を担当しております」
ジョナサンが差し出した名刺を受け取ると、エリックはそのままダリアンに渡した。ダリアンがすかさずエリックの名刺をジョナサンに渡す。
「そうですか、あのこそどろの担当ですか。ああ、どうぞ、お掛け下さい」
エリックはジョナサンの前の席に座った。ダリアンはお辞儀をして、扉の脇に移動する。
ジョナサンは気遣うように言う。
「まったく大変でしたな、あの怪盗に美術品を盗まれてしまったそうで……。私どもに警備をお任せ頂ければ、阻止出来たかもしれませんのに。残念ですなあ」
「ええ、そうかもしれませんね。しかしすぐに奴の手に気付いて、追いかけたんですよ。時計塔で会いました」
ジョナサンの嫌味を、エリックは聞き流して返す。
「その件で参りました。通報を受けましたのに、現場に着いた時には、『医者に行くので先に帰る』と……。あの気球は拝見しましたがね、中には痕跡はありませんでしたよ。床に落ちていた青い薔薇以外。よく出来た造花でしたね」
「ミスター、単刀直入にお尋ねします。何を知りたいんですか? 私はあのこそどろのせいで苛立ってましてね、風呂に入って、早く寝床に入りたいんですよ」
エリックは内心うんざりしながら、ジョナサンに率直に問う。彼が、エリックが警察の警備を断ったことを根に持っているらしいのは分かるが、今はその嫌味に付きあう気分ではない。
ジョナサンは肩をすくめ、「それでは遠慮なく」と返す。
「あの怪盗が人を連れ去ったのは初めてです。どうか会わせて頂けませんかね? 妹御の替え玉とやらに」
「おや、ご存知でしたか?」
「時計塔を出る時、あなたが妹御を『レニー』と呼んだので。病弱な妹を危険なパーティーに出した理由が分かりました」
「ふうん、そうか。気付かなかったな」
エリックは僅かに首を傾げた。レニーを医者に診せようと少し焦っていたとはいえ、随分自分らしくない態度をとったものだ。
それから、ジョナサンに続きを促す。
「それで?」
「ですから、替え玉に会いたいのです」
「それは駄目だ。あのこそどろのせいで、彼女は頭痛と吐き気があるようで、もう休ませました。会いたいのなら、明日の午後に来て下さい」
「そうですか、体調不良なら仕方ありませんな。――しかし、彼女が怪盗と繋がっているという線はありませんか?」
「共犯? 馬鹿にしないで下さい、妹の替え玉を、信用のない者に任せるわけがないでしょう」
エリックはジョナサンを見て、冷たい笑みを浮かべる。
「安心して下さい、警部補殿。あの怪盗、晴れて我が家のブラックリスト入りですよ。捕まえたら容赦しません」
きっぱりと宣言すると、ジョナサンが口端をひくりと引きつらせた。
「そ、そうですか……。リッドフォード家を本気で怒らせましたか、あの怪盗」
「ええ。せっかくですので、我が家の家訓を教えて差し上げましょうか、警部補殿」
「なんですか?」
恐る恐る尋ねるジョナサンに、エリックは答える。
「売られた喧嘩は百倍にして返せ。報復は忘れるな」
ジョナサンはなんとも言えない顔をして、笑いを零す。
「そうですか、それは恐ろしいですな。はははは。……噂通りなら、かなり厄介ですな」
ぼそりと小声で呟くジョナサンに、エリックは聞き返す。
「何かおっしゃいましたか?」
「いえいえ、なんでもございません! では明日、また参ります」
「ええ、そうして下さい」
ジョナサンがそそくさと退室すると、エリックは疲労を覚えて、長椅子にもたれかかった。
タイを緩めて溜息を吐く。
「共犯ね……。そうだな、普通はそう思うか。面倒だな」
「カジム・エドワースやレインズバード時計店など、明日、早急に調べて参ります。こちらはお任せになって、本日はお休み下さいませ」
「ああ、頼んだよ、ダリアン」
「畏まりました」
エリックはダリアンに促されるまま自室に戻った。
◆
「あら、エリック。今日も“まとも”なの?」
朝起きるとすっきりしていたレニーは、朝食後、暖炉の前で靴下を編む手を止めて、客を振り返った。
パーティーでもないのに、男の格好のままのエリックに思わずそんな質問をぶつけてしまう。
「おはよう、レニー。ひどいなあ、僕はいつでもまともだよ」
「嘘言わないで、普通の人は美少女に化けたりしません」
レニーは編みかけの靴下を椅子の上に置くと、食事用のテーブルに移動する。エリックにも座るように促した。
「もう起きて大丈夫なの?」
「心配して様子見に来てくれたの? ありがとう。起きたら頭痛と吐き気は消えてたわ、あのお医者の先生の言う通りね」
「だからって、そんな細かい作業をしなくてもいいんじゃない? ゆっくり過ごせばいいのに」
「これは気晴らしだから、細かくないわ」
レニーの中の細かい作業というのは、刺繍や細工のことである。毛糸での編み物は細かい方には入らない。
「ちょうど良かった、あなたの足のサイズってこれくらいで合ってた?」
「えっ、まさかそれ、僕のなの? その、ええと、質素な? いや……素朴な靴下」
「貧乏くさくて悪かったわね。これ、暖かいのに」
レニーはエリックをにらみつける。
「面倒かけてばっかりだから、たまにはお礼をしようかと思って。嫌なら別に良いわよ。ダリアンさんにあげるから」
ムカついてそう言うと、エリックはすぐに降参した。
「分かった、分かりましたよ、レディー。僕が丁寧にもらってあげるから、ダリアンにはあげないで。いいね?」
「なんなの、その上から目線。そもそも私をレディーと呼ぶだなんて、あなた、大丈夫? ああ、駄目だわ。まともなエリックって不思議すぎて変な感じ! 落ち着かないから女装してよ」
エリックは怪訝な顔をした。
「女装してと言われたのは初めてだよ。――いや、女装の方がマシとならエレインには言われたけど」
「そ、そう……」
マシという言葉の意味合いがよく分からなくて、レニーは首をひねる。
(うーん、マシかどうかなら、まともな方が良いと思うけど……。この人のお友達のエレインさんって、いったいどんな人なのかしら)
エリックを受け入れている感じでは変人の気配がする。
そこへ、ミラベルがお茶を運んできて、素早く並べて下がった。エリックはカップを手に取って香りを楽しんでから、口に運ぶ。
「元気そうで良かったよ。――そうそう、今日の午後、警部補が来るから会ってくれる?」
「え!? まさか責任とって牢屋に入れというの!?」
驚いて椅子の上で身を引くと、エリックが呆れ顔になる。
「レニー、このやりとり、これで二回目になるよね。友達を警察に売る真似はしないって言ってるのに、信用ないなあ。そもそも君みたいな分かりやすい人間が、僕を騙せる訳がないだろ? 絶対に無理だね」
「何故かしら。良いことを言われてるはずなのに、なんだか馬鹿にされてる気がする」
釈然としない気分で、レニーは呟く。
「まあ、違うのなら良いけど……。私に何を聞きたいのかしら? 言っておくけど、話せることは全部話したわ」
「同じことを言ってくれればいい。―― 先にダリアンが何か情報を掴んでくるかもしれないけど」
「分かった」
レニーは頷いた。そこで、ふと思い出して、席を立つ。
「あ、そうだわ。エリック、サイズの確認をしたかったの。ちょっと待ってて」
一言断ってから、工房に入り、首飾りのチェーンを持ってくる。
「これ、チェーンだけ先に作ったのよ。ちょっと確認させてもらっていいかしら?」
「構わないよ」
銀で作ったチェーンは繊細な作業なので、一人分を作るだけで結構時間がかかる。これが大丈夫なら留め具をつけて、それから台座を作ろうと考えながら、レニーは椅子に座るエリックの前にしゃがんで腕を伸ばす。ちょうど留め具のところにそれぞれ紐をつけているので、合わせてみる。
「うん、台座がちょうど良い辺りに来るわね。苦しくはない?」
「大丈夫、余裕だよ」
「良かった」
レニーはほっとして、笑みを口に浮かべて顔を上げる。思いの外、近くにある顔を思わずまじまじと観察する。
「……エリック、あなたって本当に綺麗よね!」
こんなに綺麗な顔立ちの男っているんだなとレニーは感動した。
「ねえ、マデリーンの時の化粧は、もう少し薄くても良いんじゃない? 目の色も翡翠みたいよね。やっぱりアクセサリーの石は翡翠が良いかしら。ダイアにするつもりだったけど。確か良い石があったのよね」
「……レニー、近い」
うめくような苦情に、レニーはネックレスのチェーンを合わせる手を止めて、後ろに下がった。
「あ、ごめんごめん。あなたの目の色って宝石みたいだから、つい……」
確かにぶしつけだったとレニーは反省したものの、エリックの顔が赤いのに気付いてぎょっとする。
「エリック、顔が赤いわよ。大丈夫?」
「なんだか昨日からちょっとおかしいんだよね……。いや、なんでもないよ」
「え!? 昨日からって、もしかして風邪かしら。寒いのに、私に上着を貸してくれたから、そのせいかもしれないわ。熱があるんじゃないの?」
レニーはエリックの前髪を右手でよけると、自分の額をエリックの額と合わせた。
「ちょ、ちょっと、レニー?」
「待って、今、熱を測ってるのよ。うーん、どうかしら」
その時、ノックの音がして、ダリアンが工房に顔を出した。
「レニー嬢、あなたのお兄さんとそこで会いましたので、連れてきましたよ。……おや」
「……なあ!?」
面白そうな顔でこちらを見るダリアンと、愕然としているイクスを、レニーとエリックはそろって目だけ向けた。
「何してるんだ、お前達! 朝っぱらから!」
何やらイクスが騒ぐので、レニーはエリックから離れて、眉を寄せる。
「朝っぱらから熱を測っちゃいけないの?」
「ね、熱!?」
「ああ、そういうことですか……」
たじろぐイクスの前では、ダリアンが納得した様子を見せる。すかさずエリックが口を挟む。
「そうだよ、それでレニー、僕は熱がありそうかい?」
「ごめんなさい、エリック。よく分からなかったわ。そういえば私、あなたの平熱を知らないのよね」
「そう、それじゃ仕方ないね」
肩をすくめてエリックが返すと、ダリアンが真面目な顔で言う。
「後程、体温計をお持ちします。昨晩は冷えましたから、お体に障りがあったのかもしれません」
「ああ、そうする」
エリックは頷くと、紅茶を一口飲んだ。
「もうお部屋に戻った方が良いわ、エリック。あとこれも、サイズを測らせてくれてありがとう。石はどちらがいい? ダイアか翡翠か」
「それなら翡翠にしようかな。せっかく褒めてくれたしね」
「何言ってるのよ、褒められ慣れてるでしょ? でも、ええ、分かったわ。翡翠にする」
レニーはアクセサリー作成の仕事が進んだことを喜びながら、エリックを見送る。
「じゃあね、エリック。――それで、イクス? あなた、なんでここにいるの?」
「心配して様子見に来た兄に失礼だな……」
「はいはい、どうぞ、そっちに座ったら? 仕方ないから説明してあげるわよ」
エリックとダリアンが退室するのを横目に、イクスを工房ハウスに入れ、レニーは扉を閉めた。
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