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第二幕 嘆きの乙女
一章 3
しおりを挟むカフェテリアに入ったレニーは、どうしてエリックの屋敷で働いているかなど、イクスに根掘り葉掘り聞かれるはめになった。
せっかく紅茶をご馳走してもらえているのに、全然おいしくない。
レニーの機嫌は下降の一途をたどっている。
「もう、何なのよ。しつこいわね! あたしはニーネさんの所で働いてるんだから、あんたには関係ないじゃない。とっととクラインズヒルに帰りなさいよ!」
「きゃんきゃん吠えんな、馬鹿。周りを見てみろ」
耐え切れずに怒ったレニーに、イクスは小声で冷たく言った。
言われた通りに周りを見たレニーは、カフェテリアでのんびりと過ごしている客達から迷惑という眼差しを向けられていると気付き、口を閉じた。イクスに視線を戻すと、傍からは行儀よく茶を飲んでいるように見え、鉄壁の外面作りぶりに感心すら覚える。見た目は丁寧なのに、言ってることは乱暴だなんて早々出来ることではない。
「私だけお子様みたいじゃない」
頬を膨らませるレニーの前に、店員が運んできたクッキーをすすめるイクス。
「お子様だろうが。金持ちの道楽に付き合うなんて、お前、そんなに痛い目をみてえのかよ。ほら、食えよ。俺は甘いものは嫌いだ」
この野郎。給仕の女性がおまけしてくれた焼き菓子に対し、なんてぞんざいな扱いを!
イクスの外見にぽーっとなっていた給仕の女性に同情しながら、レニーはクッキーに手を伸ばす。ナッツ入りのクッキーは、香ばしいにおいがしておいしそうだ。
クッキーを遠慮なく食べながら、レニーはぼそぼそと言い返す。
「エリックは変な人だけど、良い人だって言ったでしょ。ディアナ様に間違われて誘拐された時だって、助けに来てくれたし……」
「……は?」
イクスの声が一段低くなった。
「何それ、どういうこと」
「とにかく!」
問うてくるイクスの言葉を遮り、レニーは強く言い放つ。
「私はこの依頼をちゃんとこなすんだから、邪魔しないでよね。それじゃあ、ご馳走様」
「あ、おい。待てよ」
もう話も終わっただろう。そう思って勝手に話を切り上げたレニーは、イクスを置いてカフェテリアを出て行く。
イクスは勘定を払うと、急いで追いかけてくる。ドアのカウベルが鳴る甲高い音が後ろから聞こえた。
「待てって、まだ話は終わってない!」
「全部話したでしょ?」
うんざりした気分でレニーは振り返る。
「やっぱりろくな目にあってないんじゃないか! 駄目だ。クラインズヒルに帰るぞ」
左腕を強く掴まれた。痛みに眉を寄せてイクスを見上げたレニーは、イクスが無表情に近い顔でレニーを見下ろしているのに気付いた。反応に困ったレニーは、とりあえずへらりと笑ってみる。
「やだなあ、イクスってば。なに本気で怒ってんのよ」
冗談めかして言ってみたが、イクスの表情は変わらない。だからレニーも真面目な顔になる。
「だいたい、帰るって……。追い出しておいてよく言えるわね」
「俺は、追い出してない!」
イクスははっきりと断言した。
その真剣な空気と勢いに、息を飲むレニー。
(ちょっ、本気で何なのよ……)
たじろぐレニーの肩に手を置き、イクスは言い含めるように言葉にする。
「あれは、母さんが余計な気を回してしたことだ。信じてくれ。俺は、お前を追い出してないし、するつもりもない。家にずっといていいって、前に言ったはずだ」
そんなことを言われただろうか?
レニーは過去を振り返り、ふと、似たようなことを言われたことを思い出した。
確か、レニーに嫁の貰い手なんかないだろうから、その時は家にいることを許してやるという、果てしなく上から目線の腹が立つ言い方だった気がする。
(あれ、喧嘩を売ってたんじゃなかったの……?)
てっきり、いつもの売り言葉に買い言葉の一部かと思っていた。
レニーが覚えているのは、何でそんなことを言われなくてはいけないのかと、心の底から腹が立ったからだ。部屋で枕相手に暴れた程度には。
イクスは青い目をすがめ、迷いを振り切るように口を開く。
「俺は、お前のことが……」
イクスが何か言いかけた時、レニーはイクスの向こうにいる人に気付いて、そちらに注意が向いた。レニーが世話になっている仕立屋の主人であるニーネが、ひらひらと手を振っている。
「レニー、外で会うなんて奇遇ねえ。あれ、そっちはもしかしてイクス君? 久しぶり~。でっかくなっちゃってえ」
その声を聞いた瞬間、イクスは手を離して後ろに飛びのいた。レニーはその大袈裟な動作を不思議に思いつつ、朗らかに笑いながら早足でやって来るニーネを見る。ニーネはこちらまで来ると、きょとんと首を傾げた。
「あれ? どうかした?」
「……何でもありませんよ、ニーネおばさん」
何故かがっくりと肩を落としているイクスは、すねたような口調で言った。たちまちニーネの眉が吊り上る。
「こら、私のことはお姉さんと呼びなさいって言ってるでしょ! もう!」
「ニーネさん、何か御用があったんですか?」
ぷりぷりと怒るニーネに、レニーは問いかける。
「商工ギルドの会合に行ってたのよ。春の会合にはレニーも連れて行くわね? 新人紹介の場でもあるから」
「あ、はい。それは是非、よろしくお願いします」
商工ギルドの会合への立ち入りは、成人していることが条件だ。レニーのような職人だと、徒弟制度の為、普通は親方が後見人になって紹介されるが、今はニーネの店の助手なので、ニーネが後見人として紹介する形になるらしい。
一人前の細工師としては、気合が必要な場だ。それに一人前になった証拠でもあるので、嬉しく思う。
「駄目ですよ、ニーネお姉さん。レニーはクラインズヒルに連れて帰ります」
「あら、それこそ駄目よ、イクス君。レニーは大事な仕事をしているの。それに私の助手なんだから、そんな勝手な真似は許さないわ」
ニーネは温和な空気を消し、厳しい態度でイクスに言い返す。
「ジゼルから聞いてはいたけど、イクス君がレニーに過保護って本当だったのね。でも、今回ばかりは駄目よ。出直していらっしゃい」
ニーネはにこりと微笑んでイクスの反論を封じると、レニーを見る。
「レニー、用がないなら、一緒に帰りましょう?」
「はい。じゃあね、イクス」
「おばさんが出てきちゃ仕方ない。俺はしばらくダルフィンズ通りの宿にいるから、何か問題あったら来いよ」
分が悪いと分かっているイクスは、一瞬だけ素顔で呟いたものの、渋々引き下がった。
「行かないから安心してよ。じゃーねー」
清々しい気分でレニーは笑って手を振る。すでに外面の仮面を被り終えていたイクスは、綺麗な笑顔で答えた。
「ああ、またな。気を付けて」
それは完全に妹を案じる兄の顔だったので、レニーは見慣れないその笑みにぞっと鳥肌が立った。
そのまま見なかったことにしてイクスと別れ、リッドフォード家への道程を歩きだすと、ニーネが我慢できない様子でくすくすと笑いを零し始めた。
「ふふ、イクス君、良い男に育ったじゃない。血がつながってないんだし、レニー、ちょっとはぐらっときたりしないの?」
「義理とはいえ兄ですよ? どこにぐらっとくるんですか」
だいたい、レニーはイクスの本性を知っているのだ。何とも思わない。
「あらそ。つまんない。今、義理の兄妹の恋愛ネタが熱いのよね」
「また小説ですか? そんなの流行ってるんですね」
義理の兄妹で恋愛なんて、あの兄と起きるわけがない。
(ないない、絶対にそれだけはないわ)
レニーはしきりと頷きつつ、ふと首を傾げる。
(そういや、さっき、イクスの奴、何を言いかけてたんだろ)
あの雰囲気だと大事なことを言おうとしていたようにも思えるが、ニーネに注意が向いていたレニーは何を言いかけていたのか聞いていなかった。
(ま、大事なことならまた言うわよね。とりあえず帰ろっと)
考えをあっさり放棄したレニーは、ニーネが小説の話を楽しげに語るのを聞きながら、清々しくも綺麗にイクスのことを頭の中から締め出したのだった。
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