暁の細工師レニー

草野瀬津璃

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第一幕 取り違えにご用心!

二章 依頼

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 植物園での出会いから三日後。
 仕立屋〈月明かり〉へとやって来た客の前に、レニーは引きつりそうになる顔を必死に押しとどめながら、がちゃんと音を立ててカップをテーブルに置いた。

「それでどうして、ここにいらっしゃるのかしら? マデリーン、いえ、エリック?」

 マデリーンの姿をしているエリックは、まるでお茶を出されるのが当然だといわんばかりに自然な動作でカップを取る。安物の陶器のカップが、エリックの優雅な指先に引っかけられると、まるで一流品のように見えてくるから不思議だ。
 エリックは流ちょうな女言葉で返す。

「この姿の時はマデリーンと呼んで欲しいわ。ねえ、お砂糖とミルクはあるかしら?」
「お客じゃない人に出すお砂糖やミルクはありません! ここは喫茶店じゃないのよ、仕立屋なの、仕立屋!」

 レニーが言い返すと、エリックはつんと顎を上げ、ピンク色の紅を塗った唇を尖らせる。

「いやあね、ピリピリしちゃって。余裕がないみたいで格好悪くってよ? あら、渋い」

 庶民のお茶が口に合わなくて悪かったわね! と、レニーは心の中で悪態を吐いて眉を吊り上げた。怒りでぷるぷる震える。
 貴族や富豪の客も多いニーネの店には、そういう客層の為に、高級茶葉も勿論置いてある。だが、自ら訪ねてくる客は、噂を聞きつけて買い物のついでに寄ってみたという客がほとんどで、たいていの場合は貴族や富豪の屋敷に出向いて、そこで仕事を請け負う。ニーネと助手のレニーで運営している小規模の仕立屋は、あちこちに出向くだけで大変なのだ。
 そんな風に忙しいので、暇潰しとばかりに訪ねてきたエリックにレニーが腹を立てるのも当然というものである。

「でも私、一応、客のつもりで来たのですけど」

 一口飲んだだけで飲むのをやめたエリックの手元から、元のカップが取り去られ、かぐわしい香気が漂う新しい茶の入ったカップが置かれた。

「どうぞ」

 女主人であるニーネは、にっこりと人好きのする笑みを浮かべる。

(客と分かった途端、これだなんて……。流石はニーネさん、恐るべし)

 ニーネの守銭奴ぶりに恐れおののくレニーの前で、エリックは上機嫌に微笑んで紅茶を手に取る。香りを楽しむと、ゆったりと口に運んだ。
 どこからどう見ても男に見えない優美さがある。詐欺としか思えない。

「レニー、あなたの細工品の見本ってあるかしら?」

 エリックは小首を傾げた。今日は緑色の薔薇飾りのついたカチューシャと、同じ飾りのついたドレスで揃えている。胸元のあいた流行りの作りだが、肌の露出させすぎで下品にならないよう、灰色の薄い生地に黒の紋様が入った布で首元までをぴったり包むようにし、首には銀の首飾りをつけてアクセントにしている。大人しめでいて、エレガントな一品だ。細やかなセンスに目が惹かれる。

「私の細工品? ええ、あるけれど……」

 ここには置いていない。困って自室のある天井を見上げると、ニーネがそっと二階への階段がある奥への入口を示す。

「良いわよ、取ってらっしゃい」
「ありがとう、ニーネさん」

 レニーはすぐに二階の自室に行き、見本品の入った箱とスケッチブックを手にして戻ってきた。スケッチブックをテーブルに置き、その上に箱を置いて蓋を開ける。

「これがそうよ。私が得意なのはビーズ細工だけれど、銀細工と鉄細工、天然石や宝石も扱えるわ。でも、カットした宝石を扱うだけで、宝石のカットは出来ないわよ。ガラスでのビーズ作りなら工房さえあれば出来るわ」

 花をモチーフにした女性らしい造りのアクセサリーを、エリックは真剣な目で手にとって眺める。

「その年齢でこれだけのものが作れるなんて、すごいわね。師匠はどなたなの? そちらのご婦人?」
「ニーネさんは、仕立屋の雇い主よ。私の継母の従姉妹なの。細工の師匠は、実の父親だけど、二ヶ月前に亡くなったわ」
「えっ」

 思いもよらない言葉だったのか、エリックが唖然とした顔になってレニーを見た。

「何を驚いているの。これくらいのこと、下町ではよくあることだわ」

 その後、義理の母とその息子に店を乗っ取られた上で、追い出されるとなるとそうないだろうけどと、レニーは心の中でそっと呟く。

「それでも、亡くなって二月だなんて、辛かったでしょう? ぶしつけなことを聞いてごめんなさい」

 しゅんと肩を落とすエリック。
 うっかり絆されそうになるが、幾ら美人でドレスが似合おうと男なのだと自分に言い聞かせる。ときどき、本気で女性だと錯覚しかけるので怖い。

「気遣ってくれてありがとう」

 ほんのり苦笑し、レニーはごまかすように革張りの箱の中から、薔薇をモチーフにしたピアスを取り出す。

「私はこういう、花のモチーフが得意なの。あとは幻獣かしら。イクスは植物をモチーフにした繊細な図柄が得意なんだけどね」

 イクスの銀細工の腕には、レニーはどうあがいても届かない。

「イクス?」

 誰のことだときょとんとするエリックに、ニーネが口を挟む。

「レニーの義理の兄よ。私の従姉妹の息子。今はクラインズヒルにあるレニーのお父さんの店を継いでいるの」
「そうなの。イクスの方が細工の腕は良いから……仕方ない結果よね」

 レニーは手の中でピアスを転がしながら、小さな溜息を吐く。本当に、イクスに勝てないのが悔しい。精進して、いつかきっと追い抜いてみせる。
 エリックは、レニーの義理の兄の細工の腕より気になったことがあるらしい。

「兄を呼び捨てにしているの? 同い歳なのかしら?」

 礼儀作法に厳しい上流階級では驚くことなのかもしれない。レニーはそう思いながら、首を振る。

「二つ上の十八歳よ」
「あら、私と一緒なのね。でもそれで呼び捨てだなんて、ご両親に怒られなかった?」

 エリックも十八歳なのか。その年齢で女装が似合うだなんて驚きだ。少年の時分ならともかく、この年齢はがたいも良くなるから、普通はドレスなんて似合わないだろうに。マデリーンの時は、意識的に声色も高めにしているようだ。演技派というか、妙なところで凝り性というか……。

「両親は嫌そうにしてたけど、仕方なかったのよ。イクスが兄って呼ばれるのをすごく嫌がるんだもの。幾ら血が繋がってないからって、あそこまで嫌がらなくてもいいのにね……。って、こんなこと、あなたに愚痴っても仕方ないわね。それで? お嬢様は私に見本品を持ってこさせて、何をしたかったの?」

 腰に手を当て、レニーが話を変えると、エリックもそれ以上は追及せず、箱の中の見本品を手に取る。

「これを見て決心がついたわ。レニー、あなたに頼みがあるの」

 青か緑か分からない、神秘的な目が真剣な光を称えてレニーを見つめた。

「私と妹に似合うアクセサリーを作ってちょうだい」

 レニーは肩をすくめる。

「“私”って、エリック? マデリーン? どっちのこと?」
「マデリーンのことに決まっているでしょっ」

 エリックはぴしゃっと返す。

(ほーお。本来の姿のことじゃなくて、女装の姿の方がもちろんなわけ? はあ、この人の価値基準がさっぱり分からないわ……)

 つくづく、どうしてこんな人と友人になってしまったのだろう。同性扱いすべきなのか男性扱いすべきなのか、いまいち立ち位置を測りかねているレニーである。

(これでいて、そっちの人じゃないっていうのが……ああ、謎だわ)

 オカマだというのなら、まだ対応のしようがある。しかし、女装が趣味なだけの男性という場合はどうすればいいのだろう。
 王都に出てきて一ヶ月ぽっちでこんな難題にぶつかるとは思いもしなかった。
 細工物や仕立屋の仕事でならともかく、内容がぶっとびすぎていて、他に例が見当たらないので本当に困る。
 エリックは続ける。

「妹は胸を患っていてね。それで最近までずっとハスゴーンで療養していたの。だから、あなたの一つ下の十五歳だけれど、まだ社交界もデビューしていなくて。来年の春にデビューする予定なのよ」

 男爵位を金で買うか、もしくは貴族の娘と結婚することで爵位を手に入れたような新興貴族を除けば、貴族や富豪の子息はたいてい春――五月前半に開かれる、王城での社交界でデビューする。デビューする貴族の子息子女は、一人一人女王陛下から名前を呼ばれ、デビュー入りの紹介をされるらしい。だが、爵位を持たない富豪は名を呼ばれることはないそうだ。それでも、末席でとはいえ、社交界に出るだけの財力があると示すこと自体が、富豪にとってのステータスになるのだとか。
 聞きかじった話を思い返しながら、レニーはふんふんと頷き、ぎょっと目を丸くする。

「そ、そんな大事な社交界で、私みたいな一人前なりたてみたいな人間の細工品を使おうっていうの!? あなた、専属で契約している細工師がいるでしょう? そちらを頼るべきよ。プライドの高い職人にとっては、恥もいいところだわ」
「それがいないのよ。専属契約をしていた細工師は、随分ご高齢で、王都に越してくる少し前にお亡くなりになって……。それでこちらに来たでしょう? 伝手がないから、あなたに頼みたいと思ったの」

 エリックは同情を誘うかのようなうるっとした目でレニーを見る。これが男にされていると思うと気持ち悪いのだが、どう見ても女性にしか見えないので、むしろ美しい光景だ。

「私が子どもだから知らないだろうって、堂々と嘘をつくのはやめてちょうだい。リッドフォード家って、香辛料の取引と珍しい植物の売買で稼いでいる貿易商でしょう? 王都に伝手がないわけがないわ」
「それは残念。レニーって思ったより頭良かったのね。いえ、情報通というべきかしら?」

 優雅に肩をすくめ、いけしゃあしゃあとのたまうエリックに、レニーのこめかみがぴくりとする。が、レニーが何か言う前に、ニーネがトルソーにかけているドレスを縫いながら、おっとりと口を挟んだ。

「あら、ご存知ありませんの? 仕立屋はメイドの次に情報通でしてよ。もちろん、お客様の情報は誰にも漏らしませんわ。信用に関わる話ですからね」
「それはそれは、メイドが怖くなりますから聞きたくありませんでしたわ」

 まあ怖いとばかりに怯えた仕草をするエリックを、レニーは嘘ばっかりとにらむ。どう見たって、この聡そうな人間が気付かないはずがない。
 たった二日の付き合いだが、レニーにはなんとなくエリックの性格が掴めてきた。かなりのマイペース人間で、独自の価値観を持っていて、更には自分が大好き。あと、嘘つき。外見からして嘘の固まりなのだから、間違いない。生まれた場所が場所なら、天性の詐欺師だったのではないだろうか。

「そうね、お仕事の話は半分本気で、半分が建前。あなたのスケッチを見て、一度、頼もうと思ったのも事実。この見本品を見て、是非、作って欲しいとも思ったわ。でも残り半分の方が私にとっては重要ね。妹に会って欲しいの」
「妹さんに?」

 何で私が?
 レニーが眉を寄せると、エリックはお茶を一口飲んで、ゆっくりと言う。

「あなたの顔、妹にそっくりなの。髪色は違うけれど、目の色も似た感じのはしばみ色ね。妹の方が若干暗いけれど、屋内なら分からないわ。まあ、ちょっと、そこの豊かさは足りてないけれど、詰めれば変わらないわね」
「そこ……?」

 エリックの視線を追って、レニーは自分の胸元を見た。遅れて意味に気付き、顔を赤くする。

「豊かさが足りなくて悪かったわね! 詰めるとか失礼よ! ほんっとあなたって失礼よね!!」
「怒鳴らないでよ、耳が痛いわ。私、常々思うのだけど、胸の豊かさと性格のおっとりさって比例すると思うのよね。ほら、あなた、かりかりしてるじゃない?」
「なんなの、マデリーン。あなた、そんなに私を怒らせたいの?」

 手にしていた薔薇のピアスを箱に放り込むと、レニーは箱とスケッチブックを取り上げた。

「そんな失礼な人の頼み、誰が聞くもんですか。他を当たりなさいよ!」

 怒って、足音も荒く自室の方へ歩く途中、エリックの残念そうな声が背中にかかる。

「それは残念。せっかく、材料費と報酬十万カロンを出そうと思ったのに」

 ぴたっ。レニーは足を止めた。
 更にエリックは追撃する。

「同じ顔をしたレニーを見て、妹の体調が少しでも良くなったら、ボーナスも考えたのに、ほんと、残念ですわぁ」

 く……っ、なんて汚い手を……!
 報酬だけで十万カロンは破格だ。レニーの一ヶ月の給料が五千カロンに届くかどうかなのだから、お分かり頂けるだろう。年収と八カ月分の給料と同じ額である。それだけ貰えたら、古くなっている工具を新調してもお釣りが出る。
 レニーはぷるぷる震えて立ち、結局、報酬に負けて振り返った。
 引きつり気味の笑顔で頷く。

「分かりました。マデリーン、あなたの依頼、受けましょう! マデリーンと妹さんに似合うアクセサリー作りと、妹さんに会う。それでいいのよね?」

 エリックはにっこりと微笑んだ。

「ええ。物分かりが良くて助かりますわ」

 この人、貧乏人が何に弱いかよく分かっている。だがお金に負けた自分が情けない。

「レニー、報酬入ったら、ご飯ご馳走してね」

 ニーネがちゃっかりそんな要望を口にするのに、レニーは力無く肩を落とし、頷き返すのだった。
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