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第一幕 取り違えにご用心!
一章 2
しおりを挟む「ねえ、マデリーン。やっぱり悪いわ。入園料を出してもらうだなんて……」
申し訳なくて首をすくめるレニーに、ガラス張り建物の中、赤い薔薇の植えられた一画で、薔薇に微笑みかけて通りがかった貴公子の視線をかっさらっていたマデリーンは、あらと目を丸くして振り返った。
「さっき、あなた、私の分まで馬車代を払ってくれたでしょう? だから代わりに入園料を出すのは当然じゃないかしら」
「いや、でもね、こっちの値段の方が高いから悪いわ」
「もう、気にしないで。これくらいのはした金、問答するのもおかしくてよ」
「……そう、それならいいんだけど」
はした金で悪かったわねと、レニーは心の中で呟く。むくれそうになるのをかろうじてこらえた。レニーの一ヶ月分の給料から少なくない料を出したのだが、マデリーンには雀の涙のようなお金なんだろう。切ない。
「それにね、こうやってデートに付き合ってもらっているお礼よ」
「デート? やだわ、私達、女同士じゃない。それともお金持ちの間では女の子同士でもそう言うの?」
「そうかもしれないわね」
マデリーンは曖昧に答えて、薄らと微笑んだ。
「ねえ、それよりレニー。あなた、スケッチしなくていいの? その為にここに来たのでしょう?」
「でも、マデリーンを放っておくのも悪いし……」
「あなた、悪い悪いってそればっかりね。生きているのが疲れそう。もっと自分の好きなようにしたら? 私のことは放っておいて構わなくてよ。少し散策して参りますわ」
「分かった。気を付けてね」
「ふふっ、こんな場所で何を気を付けるっていうのかしら。おかしな子」
マデリーンはふわりと白いファーを揺らして背を向けると、ゆったりした足取りで奥の方へ歩いて行く。
マデリーンは言うことはときどき棘が混じるが、基本的には良い子なような気がした。路地裏を闊歩する猫の女王様みたいな、尊大で自由な雰囲気がある。美人だから、そんな高飛車なところも可愛く見えた。
レニーは小さく笑うと、スケッチブックを片手に、先程目を付けた薔薇の方へ歩いて行く。
それから、思う存分スケッチに明け暮れた。
「……ニー、レニー!」
「んもぅ、なによ。邪魔しないで……」
肩をゆすられて、レニーは眉を寄せて振り返る。
「あれ?」
王立植物園内には西日が差しこみ、ガラスにオレンジの光が反射して煌めいている。西日を背にしたマデリーンの茶色の髪が赤に染まり、赤銅色に輝いて、創世神話に出てくる始まりを告げる夜明けの女神はこんな感じだろうかと思わせた。
マデリーンは腰に手を当てて、いかにも怒ってますという態度でたしなめる。
「私、確かに放っておいていいとは言いましたけど、ここまで放っておくなんてどうかと思いましてよ? それに閉園時間が近いですから、園員がイライラしてますわ」
マデリーンがそっと目配せする方を見ると、確かに植物園員の男性が、こちらと螺子巻き式の懐中時計を見比べている。
「わあ、本当だ。ごめんなさい!」
レニーは立ちあがり、鉛筆と砂消しを鞄に放り込み、スケッチブックを閉じる。
「呆れる程の集中力ね、あなた」
たっぷり呆れをこめた声でマデリーンは言う。
「本当にごめんなさい。私、何かに集中するといつもこうで……。退屈だったでしょう?」
「いいえ、そうでもなかったわ。見ていて面白かったもの」
くすっと微笑むマデリーン。レニーは周りを見回す。
「そう、そんなに面白い植物があったのね。今度来た時、探してみるよ」
「違うわよ、あなたよ、あなた。スケッチブックを見て、七面相をしてるんですもの、愉快でしたわ」
「そんなに笑える顔してた……?」
レニーは情けない気分で頬を撫でて訊いたが、マデリーンはドレスの裾をふわりとなびかせて出口へ向かう。
「あなたの顔のことはどうでもいいから、帰りましょう。あまり遅くなると物騒ですもの」
「あ、うん」
歩きだすマデリーンの横に並ぶと、レニーは、同年代の女性にしては背が高いマデリーンの顔を見上げる。こうして並んでみて初めて気付いた。レニーが小さめな方にしても高い。ヒールが高いからだろうか。
「ねえ、マデリーンの家はどこなの? もう暗いし、送っていくよ」
「必要なくってよ。むしろ、私がお送りするわ」
「え? 何で?」
ここは下町に住むレニーがお嬢様を送るところではないだろうか。どう見ても、美人でお金を持っていそうなマデリーンの方が危ない。
マデリーンは秘密話をするみたいに、口元に手を当てて、くすっと微笑んだ。
「私の散策に付き合ってくれたんですもの、当然ですわ」
「散策……?」
「そう。私、最近までハスゴーンにいましたの。でも妹の容態が落ち着いたので、王都に戻ってきたのですわ。久しぶりで懐かしくて、出歩いていたらうちの執事に止められて……」
ハスゴーンといえば、東の方にある有名な避暑地だ。田舎町で、緑と空気の綺麗さが売りの高原にある。
「は? え? しつじ?」
レニーの頭の中に、ふとスケッチブックで殴り倒してきたダリアン青年の顔が浮かんだ。さーっと顔から血の気が引く。
植物園の出口を抜け、門番に会釈される前を通り過ぎ、ややあってようやく立ち止まる。
「じゃ、じゃあ、私、何の罪もない人を、人さらい呼ばわりして叩いてきちゃったの!?」
「そういうことになるわね」
しれっと頷くマデリーン。レニーはマデリーンに詰め寄る。
「そういうことになるわねって。何させるのよ! もう、一緒に謝ってあげるから、ちゃんと戻りましょ!」
「勿論戻るわ。でも、謝らなくていいのよ。あれが彼の仕事なんだもの」
「ちょっと、マデリーン!」
なんてお嬢様だ。
ちょっと高飛車だけど可愛いなあと思っていたが、やっぱり高飛車は高飛車だった。
マデリーンはファーのついた耳当ての上から耳を手で押さえ、ひらひらと左手を振る。
「耳元で怒鳴らないで下さる? 耳が痛いわ」
「あのねぇ……っ」
反省の無い態度に青筋を立てるレニーだったが、そこでパパーッとクラクションを鳴らされて、ぎょっと飛び上がる。
「え? 何?」
見れば、植物園前の道路脇に駐車していた黒塗りの自動車があった。そこから黒い燕尾服の青年が降りてくる。ダリアンだった。不機嫌を絵に描いたような顔をしている。
「……マデリーンお嬢様、どうぞこちらへ」
「ご苦労様、ダリアン。よくここが分かったわね?」
ダリアンはくっと口元を歪めて、笑みのような顔を作る。
「何をいけしゃあしゃあと。追いついた私を、邪魔をするなと追い払ったのはどこのどなたですか。お陰で、こんな所で四時間も待ちぼうけです」
レニーは震えあがった。
(こここ怖いです。細縁眼鏡の奥の目が異様な光を放ってますよ)
恐怖に負けたレニーは、がばっと頭を下げた。
「ごめんなさい! すみません! さっき叩いて……。勘違いしてたみたいで」
顔を上げ、えへっとごまかし笑いを浮かべてみた。ダリアンは眼鏡のブリッジを、白い手袋のはまった指先でくいと押し上げながらそっけない声で返す。
「気にしなくていいですよ、田舎娘」
やたらと田舎娘を強調するダリアン。
(気にするわよ! これは相当根にもってるわね……)
レニーは頭痛がしてくる思いだ。そこへマデリーンが追いうちをかける。
「そうよ、気にしなくていいの、レニー。彼は嫌味を言うのだけが取り柄なんだから」
「ちょっとやめてよ、マデリーン! 睨んでる、すっごく睨んでるから!」
レニーはマデリーンの腕を軽く揺する。
マデリーンはうふふと楽しげに笑う。
そんなマデリーンを、ダリアンは冷たい目で見る。
「それで、いつまでその気持ち悪い話し方をされるんです? マデリーンお嬢様、――いえ、エリックお坊ちゃま」
マデリーンの笑顔が強張る。レニーも動きを止めた。
(エリックお坊ちゃま?)
ぎこちなく顔を上げると、嘘臭い笑みを浮かべたマデリーンがいた。
「その方は、れっきとした正真正銘の男性ですよ。ちょっとばかり女装するご趣味があるだけで」
しれっと付け足すダリアンを、マデリーンは余計なことを言うなというようにぎろりと睨む。
レニーはそっとマデリーンから離れ、一歩、二歩と後ろに下がる。
「おぼ、おぼ、おぼ……」
マデリーン改めエリックは、女性のレニーから見てもどう見ても女性にしか見えない美麗な顔で、くすっと笑う。
「わあ、隣国のアマゾンにいるボエボエ猿の鳴き声そっくり」
その一言で、レニーはぶっちんと切れた。
「誰が猿にそっくりよ! 失礼ね!」
「違うよ、鳴き声とそっくりって言ったんだ」
「そんなことはどうでもいいのよ! あなた、男だったの!? 嘘! 騙したのね、ひどい!」
エリックはへらっとした笑みを浮かべる。
「“だった”じゃなくて、生まれた時からずっと男だよ。ごめんね。結果的には騙したみたいだけど、騙すつもりはなくて……」
「じゃあ何でそんな格好をしてるのよ!」
びしっとドレスを指差してレニーが怒鳴ると、エリックはひらりとドレスの裾を揺らしてみせる。
「え? 似合わない?」
「似合うけど……って、違うでしょ!」
のらりくらりとかわすエリックを前にしていると、だんだん怒っている自分が馬鹿らしくなってきた。
ここは怒っていいところのはずよ。そのはずよね、レニー・ソルエン?
「ううん、違わないよ。分かってる。似合ってしまう僕の美しさが罪だということは……」
「はい?」
何かナルシストなことを言い出しましたよ、この女装男。
うっとりと自身の胸に手を当てたまま、エリックは語りだす。
「僕の本当の名前はエリック・リッドフォード。リッドフォード家の後継ぎでね、堅苦しいものだから、変装して街に出て気晴らしするのが日課だったんだ。それで、ふと思ったんだ。どうせなら、全く分からないように女に化けてしまえと」
「へ、へえ……」
「それで、女に化けた時は、マデリーン・カクスターって名乗るようにしてるんだよ。それから、さっき君に言った、避暑地にいたからここに戻るのは久しぶりで散策してたっていうのは本当。せっかくだから、女の子と町を歩いた方が楽しいじゃない?」
「いや、それは賛同出来ないわよ?」
流されてたまるか。レニーはじっとりとエリックをねめつける。エリックは大袈裟に肩をすくめてみせる。
「まあ、とにかく。そうしているうちに、徹底的にしてやろうと作り込んだらはまってしまって。分かってる、似合ってしまう僕が悪いってことは……」
「つまり自分大好き人間ってことね! 分かったわ!」
エリックは、やはり女の子にしか見えない顔でにっこり微笑んだ。
「そういうこと」
レニーは疲労を覚えてがっくりと肩を落とす。
「何だか頭がガンガンしてきたわ……」
「それはごめん。それでなんだけど、レニー」
「馴れ馴れしく名前を呼ばないで下さる?」
ぎろっとエリックを睨むと、エリックは吹けば飛ばされそうな弱った顔をした。
(くっ、男だと分かっても、女の子にしか見えないのが腹が立つ……!)
良心が痛む自分の胸にも腹が立つ。
「どうして? だって僕達、もう友達だろ?」
「私が友達になったのは、マデリーン・カクスターっていう女の子であって、エリック・リッドフォードなんて男の子じゃないの!」
「僕のことじゃないか」
「そうだけど、そうじゃないの!」
こんがらがってきた。
「ははあ、つまり、女の時の僕だったら友達なんだね。――分かったわ、レニー」
女言葉でやんわり微笑むエリックを前に、レニーは頭をぐしゃぐしゃ掻き回し、空に向かって怒鳴った。
「ああもう、訳わかんない―――っ!!」
その取り乱しようを見て、エリックが更に面白がって笑いだし、レニーは再び怒る。それは、見かねたダリアンが間に割って入るまで続いた。
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