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本編
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しおりを挟む夕方まで休むと、体調は良くなった。
身だしなみを整えてから、屋敷のメイドに帰ることを告げる。ルシアンナが廊下に出てくると、ラドヴィックが奥のほうから歩み寄ってきた。
「ルーシー、帰る前に庭を散歩しないか? 門限まで、まだ時間はあるだろ」
「構わないけど……」
「大丈夫、今日は客はいないから、誰にも見られないさ」
エスコートしたいとばかりに、ラドヴィックは左腕をずいっと寄せる。
「しかたない人ね」
やんわりと苦笑して、ルシアンナはラドヴィックの左腕に右手をかけた。
「俺、君にそう言われるとうれしくなるんだ」
「変な方」
ちょっと呆れるが、こうもまっすぐに思っていることを告げられると、ルシアンナは微笑ましい気持ちになる。社交界には腹の内が読めない人が多いし、エドウィンはこんなふうに好意を口にしない。家族は冷たいばかりだから、なんでも言い合えるのはメイベルだけだ。
「そうだわ、宰相様にお詫びとごあいさつをしなくては」
「父さんは王宮に戻ったよ。仕事もあるけど、エドウィン殿下と話し合いたいって」
「では、後で手紙を書きますわ」
「気にしなくていいって言ってたから、何もしなくていいよ。って言っても君は気にするだろうから付け足すと、君が手紙を出すと、父さんは返事を書かないといけなくなるから手間が増えるんで、逆に困るんだ」
そういうことなら、言葉に甘えて何もしないでおこう。
「分かったわ。宰相様の貴重な時間は、国事に使って欲しいもの」
そんな話をしているうちに、玄関ホールに出た。
アーヘン家の屋敷は、実用を重視しているようで、壁にかかっている絵や家具は立派だがあまり飾り気がない。
「あそこに花瓶を置いたらいいのに」
玄関ホールには緑が少なく、どことなく味気なく感じられた。ぽつりとこぼした独り言に、ラドヴィックが反応する。
「え? 花瓶?」
「あ、ごめんなさい。なんでもないの」
「いやいや、ぜひとも意見を聞かせてくれ。庭のほうは庭師ががんばっているんだが、邸内はこの通りでね。親戚は叔母だけなんだが、彼女は隣国にいるから、アドバイスをしてくれる人もいなくてさ。ほら、宰相に『家の中が味気ないですね』なんて言えないだろ」
どうやらラドヴィック自身も、家が寂しいと思っているようだ。
「家政婦に頼んでみては?」
家政婦とは、女使用人のトップだ。ルシアンナは良いアイデアだと思ったが、ラドヴィックは首を振った。
「そうしたけど、そのうち女主人ぶり始めて、父さんの後妻におさまろうとしたから、父さんがクビにしたんだよ」
「まあ……」
玉の輿狙いの女性は少なくない。女主人の代理を任されて、その使用人がもしかしてと夢を見るのもしかたない気がした。
「言うだけ、言ってみてよ。俺は君の話を聞きたいんだ」
「わたくしの……?」
王太子の婚約者や淑女として求められるのは、文学的な会話だ。本の話題や詩、音楽、流行に精通していなければならない。
ルシアンナ個人について聞きたいなんて、不思議に思える。
「そうだよ。ルーシーが何を好きで、嫌いなのか。趣味でもなんでも知りたい」
「言っていいのかしら」
好き嫌いをするな。自分のことを語るなど、はしたない。母親の教育が頭をぐるぐると回り、ルシアンナは気おくれする。
今まで、いかにルシアンナという「もの」扱いされていたのか、彼とのやりとりで嫌でも気づかされた。前世の記憶があるから、ルシアンナは今の状況がつらいことだと分かっているが、いつの間にか慣れてしまっていたようだ。
「好きな人のことを知りたいって思うのは、変かな?」
あっけらかんと問うラドヴィックの横顔を、ルシアンナは静かに見上げる。
何故だかまぶたが熱くなってしまい、さっとうつむいた。
「分からないわ。そんなこと、初めて訊かれたもの」
玄関から外に出て、庭に回る。ふわりと風が吹き、花の甘い香りが漂った。
幾何学模様をえがくように植えられた花々は、どれも薔薇だ。小ぶりの淡いピンクと白の薔薇がバランス良く配置され、中央に近づくほど薔薇が大きくなっていく。
「ラド、ありがとう。あなたと話していると、わたくし、ほっとするわ。あなたはわたくしのことを、ちゃんとルシアンナ個人として見てくれるものね。わたくしもラドのことを知りたいわ」
ルシアンナのことだけを教えて、ラドヴィックのことを知らないのでは公平ではない。友人として、対等でありたかった。
すると、ラドヴィックの顔がみるみるうちに朱に染まり、左腕で顔を隠す。
「そんなふうに告白されると、さすがに照れるよ」
「……え?」
ルシアンナは自分の言葉がどれだけきわどいものか気づいて、今更になってあたふたし始める。
「ち、違うわ! お友達としての『好き』よ。わたくし、ラドのこと、ほとんど何も知らないんですもの! せいぜい分かっているのは、良い人みたいだってことくらい」
「それは誤解だ。俺は誰にとっても『良い人』じゃないよ。『その他』はアーヘン家の利益になるかどうかでしか見てない」
「……そうなの?」
わざわざラドヴィックが自分を悪く言うのを聞くと、ルシアンナは少し悲しい気持ちがした。眉を下げて見上げたのが良くなかったのか、ラドヴィックは突然頭を抱える。
「ルーシー、そんなふうに訊かれると、格好をつけて良い人ぶりたくなるからやめてくれっ」
「そうよね、時には冷酷にならなきゃいけない時もあるわよね。貴族だもの、分かっているわ。美化しては不愉快よね、ごめんなさい」
「君が謝ることはないんだ。ただ、俺は欲張りだから」
苦笑を浮かべ、ラドヴィックは後ろ頭をかく。
「良い面だけじゃなくて、悪い面も知って、それでも俺を受け入れて欲しいと思ってしまうんだ。でも、男としては良い顔をしたくなる!」
「良い人だと思われたいのは、誰でもそうだと思うわ。わたくしは弱いから、病気のことを知られて、誰かに噂されるのが耐えられなかったの。それで隠すのにむきになって、結局、追い込まれてるんだもの。どうしようもないわよね」
自嘲気味につぶやき、ルシアンナは薔薇のほうに目を向ける。
「環境のせいだから、しかたないだろう。君はよくやってるよ」
「それなら、ラドもがんばってると思うわ。わたくし、あなたが優秀なのを隠す気持ち、少しだけ分かる気がするの。――見ていて」
固く閉ざされた蕾に、指先で触れる。魔法を使うと、蕾はあっという間に花へと育った。
「すごい。これが君の魔法か」
ラドヴィックは食い入るように花を眺め、目を輝かせる。
「ほとんどの人は、こんな難しい魔法をよく使えるねって褒めるの。でも、わたくしにとってはとても簡単なのよ。だから、少しだけ複雑な気持ちになるわ。周りはあんなに努力しているのに、わたくしはなんの努力もなく才能でできてしまうから、ずるをしているみたいでしょ」
でも、とルシアンナは続ける。
「そんなことを言ったら、神様から与えられた才能を使わないなんて馬鹿みたいだとか、自慢しているのかって不機嫌にさせてしまうのよ」
「……まさかと思うけど、それを言ったのは殿下?」
「それこそ、まさかよ。お兄様がおっしゃるの」
天賦の才をさずかったルシアンナを、兄は憎んでいるのだ。
「だからわたくし、あなたが隠していた才能を使うのは、申し訳なく思ってるわ。でも、誰かに助けて欲しくて。弱くて、ごめんなさい」
「そんなふうに謝る君だから、俺は好きになったんだ」
ふいに、ラドヴィックにぎゅっと右手をつかまれた。ルシアンナがびっくりして固まると、ラドヴィックはそのままの姿勢でぶるぶると震え、大きなため息をついてしゃがみこむ。
「どうなさったの?」
「殿下の婚約者である君に手出しするわけにいかないから、めちゃくちゃ我慢しただけだよ」
「て、手出しって」
何をするつもりだったのか。ルシアンナは顔を真っ赤にして、後ろに下がる。
「お嬢様、どうぞこちらに」
「メイベル!」
そういえばメイベルもひっそりとついてきていたのだ。ルシアンナがそっとメイベルの後ろに隠れると、ラドヴィックはメイベルをにらみつける。
「くそーっ、邪魔なのにありがたくて腹が立つよ!」
「ご安心を。お嬢様に手出しする輩に、わたくしも怒りを覚えますので」
お互い様だと言いたげな会話が繰り広げられ、二人はバチバチと火花を散らす。
「ええと、ラド。またゆっくり話しましょう。そろそろ帰らなくては、門限に遅れてしまいます」
「ああ、そうだね。俺も寮に戻らないと。父さんが動いたから、すぐに次の策に移ると思う。心しておいてくれ」
「分かったわ。今日はお世話になりました。宰相様にもよろしくとお伝えくださいませ」
ルシアンナは淑女の礼をして、メイベルとともにきびすを返す。胸が騒がしく、馬車に乗っている間も、しばらく落ち着かなかった。
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