悪役令嬢と黒猫男子

草野瀬津璃

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 翌日、メイベルの手配のおかげで、スムーズに外出できた。
 普段使う馬車よりも座り心地の悪い辻馬車で、ルシアンナはそわそわと落ち着かずに帽子の角度を整える。

 王太子の婚約者なので、行事の時に宰相とは会うことがある。毎回、とても緊張するから、準備は念入りにしなければならない。適当にのぞむと、緊張がはねあがるせいだ。

「ねえ、メイベル。変じゃないかしら?」
「お嬢様はいつも完璧です。あんまりいじると、髪形も崩れてしまいますよ」
「そうね。落ち着くわ」
「アーヘン様もいらっしゃるのですから、そこまで固くならなくても」

「無理よ。ご子息の手を借りるくせに、後で振るかもしれないのよ。そんな女に、父親は良い顔をするわけないわ」
「まあ……そうでございますね」

 王都の中を走る間、どんな敵意が待ち受けているのかと、ルシアンナは溜息をつく。それでも、このまま愛のない婚約を続けるよりずっといい。

 やがて、アーヘン家の私邸に着いた。
 宰相の私邸だけあって、重厚的な雰囲気だ。門を抜けると、池と噴水があり、黒い屋根と深緑色に塗られた壁をもつ屋敷に到着する。玄関にはバルコニーが張り出していて、馬車のロータリーになっていた。

 御者が扉を開けると、玄関前には宰相であるヴァルド・アーヘンとラドヴィック、使用人が並んで待っていた。

「ルーシー、よく来てくれたね」

 ラドヴィックが輝くような笑みを浮かべて、歩み寄ってきた。
 彼の軽い笑みはよく見るが、うれしさが前に出た満面の笑みには、美形を見慣れているルシアンナですら、くらっときた。それから、こんな好意を向けてくれていることに、罪悪感も湧く。
 馬車の入り口で固まってしまったルシアンナを、ラドヴィックは不思議そうに見上げた。

「どうしたんだ?」
「いえ、なんでもないの。ありがとう」

 彼が差し出す左手につかまり、ルシアンナは馬車を降りる。

(落ち着きなさい、ルシアンナ。彼が手を差し出すのは、女性へのただのマナーよ)

 自分に言い聞かせるが、どうしてもラドヴィックの態度がもったいなく感じられた。
 その美麗な笑顔を他の女性に向ければ、たちまちファンが増えるだろうに。

 学園では、相変わらず女生徒には塩対応なのだ。こんなに分かりやすく特別扱いされると、ルシアンナはうれしいよりも、こんな自分のどこが良いのだろうかと、後ろ向きな心配をしてしまう。
 内心では戸惑いながらも、ルシアンナは王太子の婚約者として厳しくしつけられた礼儀作法により、勝手に体が動く。

「宰相様、お会いできて光栄ですわ」

 お辞儀をすると、あぜんとしているヴァルドと目が合った。ハッと我に返り、ヴァルドもあいさつを返す。

「失礼、息子のこんな顔は初めて目にしまして。ご無沙汰しております、カサンドラ伯爵令嬢。無理を言って、当家に足をお運びいただきありがとうございます。仕事がおしておりましてね、なんとか時間を作りましたが、屋敷から動けなかったのです」

「大事なお役目のためですもの、動ける者が動けばいいのですわ」
「それはありがたい。立ち話もなんですし、中へお入りください」

 そして通されたサロンは、樫材のどっしりした家具と、黒い革張りの椅子が並んでいる部屋だ。いかにも男の社交場といった雰囲気だ。

「申し訳ありませんな。妻は息子が三歳の頃に病で亡くなりまして。女性の手がないせいか、こんな無骨なサロンになってしまいました」
「いえ、素晴らしいお部屋だと思いますわ」

 できれば観葉植物を置きたいところだと思いながら、社交辞令を返す。
 テーブルに向かうと、ラドヴィックが自然と椅子を引いてくれた。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 そして隣に落ち着いたラドヴィックを、ヴァルドはけげんそうに見る。

「ラド、どうしてそちらに座るのだ? お前はこちらだろう」
「父さんにとっては残念なことに、俺はルーシーの味方としてここにいるんでね」
「減らず口は、相変わらずだな」

 ヴァルドは悪態をついたが、怒ったわけではなく、呆れただけのようだ。
 メイドがお茶と菓子を並べてから退室すると、ヴァルドはさっそく話を切り出す。

「回りくどいのはやめにしましょう。まず」

 ラドヴィックのことで叱責がくるかと身構えたルシアンナだが、ヴァルドは意外にも頭を下げた。

「ご病気のこと、初めておうかがいしました。そんなことも知らなかったこと、宰相として恥ずかしく思っております。申し訳ありませんでした、カサンドラ様」

 びっくりして固まるルシアンナに、苦笑を浮かべたヴァルドは続ける。

「実は、王太子殿下の婚約者にはあなたを推挙したのは、私でして」
「そうだったのですか?」

「ええ。あなたの母君は才媛と名高く、子ども達は厳しくしつけられているのが分かりました。同年代の女性の中では、あなたが群を抜いていましてね。魔法のことはもちろんですが、血筋や身分、容姿や勤勉さといい、あなたが王妃になれば、少なくとも国庫を無駄遣いはしないだろうと思ってのことです」

 その説明を聞いて、ルシアンナには思い当たることがあった。

「エドウィン殿下のおばあさまのことですか?」
「その通り」

 デイジア王国は豊かだが、王家と議会が対立していて、国がまとまっているわけではない。
 その原因となったのが、エドウィンの祖母だ。浪費家の彼女は国の財産を無駄遣いして、亡き後も悪女と呼ばれている。文化が発展した立役者でもあるが、税金を上げたせいで割をくったのは民衆だった。

「現陛下の御世みよでだいぶ立て直しましたが、議会の厳しい目はエドウィン殿下の代も続くでしょう。当然、殿下の妃となる女性も、彼らの敵意にさらされる。カサンドラ様の状況を聞いて、あなたではもたないだろうと思いました」

「では……!」

 ルシアンナは期待をこめて、ヴァルドを見つめる。ヴァルドはあごをなでながらつぶやく。

「庶民育ちのメアリ・スプリングが、貴婦人として問題なく育てば……彼らにとって期待の星となるでしょう。殿下と相思相愛なら、国としても喜ばしいことでしょうな」

 ヴァルドはそこで言葉を切り、眉をしかめた。

「しかし、そのために息子の気持ちをもてあそばれたのでは、親としては許せない。協力するからには、きちんと約束していただかねば」

 ラドヴィックが身を乗り出して言い返す。

「父さん、俺は構わないとあんなに話しただろ! なんでそう頑固なんだ!」
「それはこっちの台詞だ。どうしてお前が泥をかぶる必要があるんだ?」
「俺がそうしたいからだよ!」
「彼女がお前を振ったら、お前は浮気者のクズ男呼ばわりされるんだぞ。許せるか!」

 目の前で親子喧嘩が始まり、ルシアンナは椅子の上で縮こまる。ヴァルドの怒りはもっともだ。ラドヴィックが変わり者で、ルシアンナはそこにつけこんでいる。

「……申し訳ありません」

 駄目だ。息苦しくなってきた。
 こんな時に発作だなんて、病気を盾にしてわがままを言っているみたいで、良いこととは思えない。

「失礼ですが、わたくし、少しお化粧室のほうに……」

 急いで退室しなくてはと焦るあまりぶしつけに椅子を立ち、そのせいでくらりとめまいに襲われる。
 一瞬、目の前が真っ暗になり、気づいたら床にへたりこんでいた。

「ルーシー! 父さんのせいだぞ、ストレスをかけるから! だいたい、俺は大人しく振られるのを待つとは言ってないだろ!」
「!」

 体が宙を浮いて、ルシアンナは驚いた。

(え? 大人しく……なんですって?)

 とんでもないことが聞こえた気がするが、それよりも今の状況が気まずい。以前のように、ラドヴィックがルシアンナを抱え上げているのだ。

「ルーシー、暴れないで。俺の首に手を回してくれないか」
「……っ」

 ルシアンナは考えるのをやめた。発作のせいで息苦しくて、そのことが恐ろしさを倍増させる。ラドヴィックの首に腕を回してすがりつくと、ラドヴィックはぎくりとする。

「うっ、ちょ、ちょっとこの体勢は……。いやいや、それより医者だ、医者! サルート、大至急、侍医を呼んでくれ!」

 メイベルが扉を開け、ラドヴィックはルシアンナを抱えたまま廊下に出て、使用人の名を呼んで言いつける。
 連れていかれたのは、手近な客室だ。メイベルが掛け布を急いでめくり、そこにラドヴィックがルシアンナを下ろす。

「お嬢様、お薬をどうぞ」

 すぐにメイベルが薬と水を差し出し、ルシアンナはなんとかそれを飲み込んだ。水でむせてしまったが、ラドヴィックが傍にいて、辛抱強く背中をさすってくれた。
 ようやく体調が落ち着くと、ルシアンナはラドヴィックに謝る。

「すみません、ラド」
「え? 病気のせいだから、しかたないよ。父さんも分かってくれる」

「そうではなくて。わたくしがいけなかったんです。安易なほうに逃げようとして、結果、あなたを傷つけるなんておかしいことです。わたくし、決めました。王妃様に嘆願して、病気のことを話します。それでお母様の怒りにふれて、修道院に……」

 情けないし、未来が黒に塗りつぶされていく感じが苦しい。でも、これはルシアンナの問題だ。
 ボロボロと涙をこぼして顔を手で覆うルシアンナを、ラドヴィックがなだめる。

「落ち着いてくれ、ルーシー。君が追いつめられていっぱいいっぱいなのは、俺はよく分かってるよ。自暴自棄にならないでくれ。最初、君を助けたのは遊びだったけど、今は違うんだ。好きな人に幸せになってもらいたいって、そんなにおかしなことか? 俺は君を助けて、君を笑顔にしたいんだ」

「なんですか、それ。変だわ。それであなたになんの得があるの?」

「自己満足だよ。きっと君には馬鹿げて聞こえるかもしれないけど、ここで君を助けなかったら、俺は一生、自分のことを腰抜け野郎だとさげすむはめになると思う。俺だってちゃんと考えてるんだぞ。たとえ君に振られたとしても、行動しなかったことで後悔するのは嫌だ」

 あくまでラドヴィックの心の問題らしいと聞いて、ルシアンナは沈黙する。

「それに、君は思い違いをしているぞ。俺は、君を口説かないとは言ってない」
「……はい?」

 驚きすぎて、涙が止まった。ルシアンナが隣を見ると、ラドヴィックは真剣な目をしていた。

「俺だって、義理で俺を選ばれるのは嫌だ。君にとっては『恋人ごっこ』でも、俺は本気だ、大人しく答えを待つつもりはない。それでも振るなら、俺もあきらめるよ。だけどな、ルーシー。その時が来たら、君が選ぶんだ。そのことは変わらない」

 ラドヴィックの説明を聞いて、ルシアンナが理解しようとがんばっていると、メイベルがぼそりと言った。

「なんだか詐欺さぎみたいですね」
「将来の外交官をなめないで欲しいな」

 特に否定せず、ラドヴィックはにやりと笑い返す。

「無理いはしないし、義理だとさとしたりもしないよ。ほら、約束通りだ」

 あっけらかんと言うものだから、ルシアンナは噴き出した。

「ラドったら。まったくもう……しかたないわね」
「君にそう言われると、なんだかうれしくなっちゃうな。アンコールをお願いしていい?」
「なんなの、それ」

 ルシアンナが呆れて言い返した時、ゴホンとせき払いが聞こえ、あいたままの扉がノックされた。
 婚約者でもない未婚の男女なので、ラドヴィックがきちんと気遣って扉を開けておいてくれたようだ。こういったところはそつがない。

「あー、お話中にすみませんな、カサンドラ様」

 ヴァルドがなんとも言えない顔をして、こちらを眺めている。それから、眉間を指先でもんで、溜息をついた。

「ラド、そこまで言うなら、しかたがない。許そう」
「父さん、やっと分かってくれたんだ。ありがとう!」
「可愛い息子に、一生、後悔するはめになどなって欲しくないだけだ。まったく、その頑固ぶりは誰に似たんだ」
「いやあ、どう考えても父さんだよね」

 ラドヴィックの軽口には答えず、ヴァルドは戸口からルシアンナに話しかける。

「カサンドラ様、私が追いつめたようで申し訳ありませんでした。息子の計画で進めましょう。私は王妃様を味方につけてまいります。その後、まずはあなたにご病気になってもらいますからね」
「ええ、分かりました。ありがとうございます、宰相様」

 ルシアンナが立とうとするのを、ヴァルドは押しとどめる仕草をする。

「無理しないでください。侍医に診ていただいて、夕方まで屋敷でゆっくりしていってください。さすがにお泊めするわけにはまいりませんが……」
「ええ、分かっております。お気遣いに感謝いたします」

 座ったままで深々と頭を下げ、顔を上げると、ヴァルドは苦笑していた。

「息子が暴走した時は、私に言ってください。注意しますからね」
「え? は、はい……」

 暴走? 馬で突っ走るとか?
 ルシアンナは小首を傾げ、ヴァルドが立ち去るのを見送る。

「ラド、遠乗りが好きなの?」
「馬は嫌いじゃないけど、そういう意味ではないよ。まあ、いいけど」

 ラドヴィックはいったん退室し、入れ替わりに医者が入ってきた。
 ルシアンナの体調で、よくがんばっていると言ってくれて、ルシアンナは少しほろりときた。ルシアンナが主治医から出してもらっている薬と同じものを処方し、すぐに届けると言って、医者は部屋を出て行った。
 その後、泣いたせいで化粧がくずれているのに気付いて、ルシアンナは顔を赤くする。

「わたくし、ラドに駄目なところを見られてばっかりね」

 恥ずかしさにうつむくルシアンナに、メイベルは冷笑を浮かべる。

「大丈夫ですよ、あの方、お嬢様のお顔を見ている余裕なんてなさそうでしたから。……あの、むっつりめ」
「え?」

 憎々しげに扉のほうをにらみつけてから、メイベルはルシアンナの化粧を整えてくれた。
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