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本編
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しおりを挟むエドウィンとメアリの微妙な距離感をはらはらと見守るうち、夏季休暇になった。
生徒達が楽しそうに、実家へ向かう馬車に次々と乗り込むのを、ルシアンナはうらやましく眺める。
ルシアンナにとって、実家は息がつまる場所だ。
カサンドラ伯爵家は、王都から馬車で三日、北へ行った所にある。穀倉地帯と草地が多く、農業と牧畜のどちらも盛んだ。飛びぬけて豊かというわけでもないが、貧しくもない。
それでも伯爵家は、平民に比べれば、ずっと裕福だ。
赤レンガの大きな屋敷が見え、門から敷地に入ると、屋敷の前には池と庭園が姿を見せる。幼い頃にルシアンナがおぼれかけた池だ。父方の祖母は庭造りが好きで、異国から取り寄せた蓮の花を植えたのだ。
ルシアンナをめぐって、祖母と母が対立していたので、ルシアンナが不在の間に池がつぶされていないか心配していたが、無事のようだとほっとした。
池の花が見事だと、客が褒めるからかもしれない。母は外聞にうるさいのだ。
玄関の前に馬車が着くと、使用人が並んで待っていた。ルシアンナが馬車を降りると、金髪を結い上げた、厳粛な雰囲気の女性が出てきた。母・リリーだ。夏なので領地に帰ってきているはずだが、父の姿はない。財務省の長官で忙しいため、執務室にこもりきりなのだろう。
代わりに、兄のレオンが赤毛の女性を連れて立っていた。
金髪に真紅の目を持ったレオンはハンサムだが、ルシアンナを見る目は冷たいので、ルシアンナにはただ怖いだけの存在だ。
「ただいま戻りました」
ルシアンナがあいさつをすると、リリーが頷いた。
「お帰りなさい、ルシアンナ。こちらは兄の婚約者となりました、サンドラ・レイブンよ。レイブン子爵家の長女です」
寝耳に水だった。六歳年上の兄は、今年で二十二歳。結婚にちょうどいい年齢だが、農務省での仕事が忙しいせいで、浮いた話がなかったのだ。
「見合いをしてな。一週間前に婚約した。手紙を出しても入れ違いになるだろうから、送らなかったが」
「サンドラと申します、よろしくお願いします」
にこりと微笑んだサンドラは、なぜだか毒花を思わせた。顔が引きつりそうになるのを我慢して、ルシアンナは丁寧に返す。
「よろしくお願いいたします、サンドラ様」
「どうか、姉と呼んでくださいませ」
「はい、お義姉様」
聞き分けのいい妹の顔をして、ルシアンナはそう呼ぶ。ちらとリリーをうかがうと、リリーは満足げに頷いていた。どうやらこの対応で合っているようだ。
「レイブン子爵家は、織物業の流通で裕福でらっしゃるのよ。品が良いでしょう? レオンにぴったりだわ」
「ええ、そうですわね。ところでお母様、お父様はどちらかしら。ごあいさつしたいわ」
リリーは眉を寄せ、不機嫌に返す。
「パーシェルは執務室よ。いつも通りね」
どうやら帰宅早々、母の地雷を踏んだみたいだ。
「そうそう、ルシアンナ。王妃様からお茶会に招待されているの。二週間後よ。しっかり準備しておきなさい」
他にも夜会や茶会があると予定を話しながら屋敷に入り、リリーは居間へと去っていった。
「学園ではさぞかし学んだんだろうね、ルシアンナ。期待しているよ」
レオンは皮肉っぽくプレッシャーをかけ、サンドラを連れてリリーの後を追う。
これだけでルシアンナは疲れたが、父にあいさつに行かなければならない。それで執務室を訪ねたが、書類をさばく手も止めずにちらと一瞥しただけで、追い払われてしまった。
(学園に帰りたいわ……)
無意識にそんなことを考えて、とっくにルシアンナにとって、実家が「帰る場所」でないことに気づいてしまった。
そして、憂鬱な夏季休暇が始まった。
一か月の夏季休暇を終え、ルシアンナは学園に戻ってきた。
自分の部屋に入るなり、荷物からいくつかの手袋を取り出して見比べる。
まだ残暑が続いているが、肌を透かさない手袋が必要だ。
王妃とのお茶会には、ルシアンナと母だけでなく、兄とサンドラも招かれた。
ルシアンナは完璧なマナーを披露したが、サンドラに足を引っかけられて、無様な座り方をしてしまったのだ。
これに怒った母が、帰宅するなり、ルシアンナを鞭で叩いたのである。
その痛みで、ようやくルシアンナは本に出てきたサンドラについて思い出した。なぜかサンドラを毒花のように感じられたのは、小説の中で、ルシアンナが「あの毒花女!」と悪態をついていたせいだ。
『デイジア王国 春姫と太陽の王子』は、主人公のメアリ視点で書かれている。悪役令嬢のルシアンナに視点が移ることもあるが、主人公やヒーローほど多くはないし、さらっと書かれているだけだ。
ルシアンナの兄嫁なんて、ルシアンナと仲が悪いという描写がある程度だから、記憶になかった。
(こんな真似をされていたら、そりゃあ兄嫁と険悪になるわよ)
本来のルシアンナは負けん気が強いから、サンドラにやり返していたので、ここまで一方的ではない。
「ああ、おいたわしいですわ、お嬢様」
左腕に残るみみずばれを見ては、メイベルが大きく嘆く。そして、せっせと傷薬を塗った。
「レオン様は、あの方にお似合いの性悪女と婚約したようですね」
「良い人だったら、味方になってもらえたのに……。お兄様のお嫁さんも嫌な人だなんて、ついてないわ。王家に嫁入りしたくないけど、あちらのほうが安全かもしれない」
少なくとも、あの立派な王家の人々は、嫁を鞭で叩くとは思えない。
こうして弱気で悲観的になってしまうくらいには、嫌な出来事だった。ただでさえ孤立無援なのに、やっかいな敵が一人、増えたのだ。それが将来の兄嫁なんて、最悪だ。
リリーに話を聞いてもらおうと努力したが、娘に恥をかかされたことに頭がいっぱいで、癇癪を起してキーキー声でわめくだけだった。
子どもの前では、本当に才女なのかと疑うような有様の母を見て、ルシアンナは対話をあきらめている。
「せめてお父様が味方になってくださったらいいのに」
無駄な願望をつぶやいて、ルシアンナは溜息をつく。
夏季休暇は勉強と課題、何かと呼び出すサンドラのせいであまり時間もとれず――ルシアンナが断ったら、将来の義妹がなついてくれないとサンドラがレオンに泣きつき、リリーとレオンから叱られるせいだ――エドウィンとメアリのことを考える暇もなかった。
エドウィンとは王妃のお茶会で会っただけだ。あとは近況の手紙を二回ほどかわした。
予定を少し切り上げて寮に帰ってきたが、この一か月でまた痩せた気がする。
「お嬢様、コルセットが前よりも紐が余るので、もう少し太ったほうがいいですわよ」
「できるものなら、そうしているわ……」
あの環境では料理は喉を通らない。寮ならメイベルが軽食を用意してくれるが、実家では使用人の目があるので、軽食は頼めない。なぜ食事の時間に済ませないのかと、説教されるのが目に見えている。
「ラドはもう戻ってきているかしら? 賭けはどうなったか知りたいわ」
「今日はお休みくださいませ。手紙を書いてくださったら、わたくしが渡してまいりますよ」
「メイベルが動いたら、人目につくわ」
「下働きで仲良くしてる子がいるので、おこづかいをあげてお願いしてみます」
こんな時のために、学園勤めの下働きとも親しくしているのだと、メイベルは胸を張る。
ルシアンナが手紙をしたためると、メイベルはすぐに部屋を出て行った。しばらくして、料理を盆にのせて戻ってくる。
「お加減がすぐれないと話して、お夕食もお持ちしました」
「手紙は?」
「もし寮にいるなら、返事を持ち帰ってもらうように頼んでおきました」
そつのない仕事ぶりに感心しつつ、卵粥とスープを食べる。一時間ほどかけてゆっくり食べたところで、コンコンと部屋の扉がノックされた。メイベルが扉を開けると、十歳くらいの男の子が帽子を脱いでぺこっと頭を下げ、手紙を差し出した。
「メイベル、そこのお菓子をあげて」
「かしこまりました、お嬢様。いいですか、ロビン。このことは秘密ですからね。そうしたら、またおこづかいとお菓子をあげるわ」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
男の子が帰ると、メイベルは扉を閉めて鍵をかける。
それを合図に、ルシアンナは手紙を見下ろした。封蝋には、アーヘン家の紋章が刻まれている。ペーパーナイフで手紙の封を開け、内容に目を通す。
「『明日の夕方、いつもの場所に』ですって」
「お茶を多めにご用意しなければなりませんね」
ラドヴィックがメイベルの淹れたお茶を気に入っているので、メイベルは面倒くさそうに言った。これでいてお茶を淹れる腕を認められて満更でもないのは、ルシアンナにはよく分かっている。
ルシアンナはくすりと笑い、手紙をろうそくの火で燃やして証拠隠滅するのだった。
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