悪役令嬢と黒猫男子

草野瀬津璃

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本編

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 ルシアンナがたまにくつろいでいる東屋は、学園の裏庭、迷路庭園の奥にある。
 裏庭の向こうには小さな森があり、学園で使う食材を育てる農園と牧場とをさえぎっていた。
 ここまで足を運ぶ生徒がほとんどいないのは、校舎や寮から遠い上、庭園が迷路になっているせいだ。

 だがその中央部には、見事な薔薇園があるため、ルシアンナはここを通るのを楽しみにしている。いつものように、寄り道して帰るつもりだったが、今日は先客がいた。

(メイベル、ストップ。静かに)
(どうされたんですか、お嬢様)

 聞きなれた声だったので、ルシアンナはすかさずメイベルを止めて、植込みの陰に隠れる。それから気づかれないように向こうを見ると、男子生徒と女生徒が話し合っているところだった。
 エドウィンとメアリだ。

(エドウィン様とメアリだわ)
(口論なさってるみたいですね)

 ひそひそと話すルシアンナに、メイベルが不安をにじませてささやく。
 エドウィンがメアリを抱き寄せようとして、メアリがエドウィンを押して離れる。

「どうかしています、エドウィン様」

 メアリはエドウィンを責めたが、声にはつらそうな響きがある。
 恋愛の修羅場だと、ルシアンナはピンときた。ルシアンナの知らないところで、二人の距離はいつの間にか縮まっていたようだ。

 この時期、いったい何があっただろうかと、前世で読んだ小説を必死に思い出してみようとしたが、細かいところまでは、さすがに覚えていない。

「私も分かっている」

 おっと、エドウィンが話し始めた。

「この結婚は、私の両親が――国王夫妻が決めたことで、親にも国にも不義理になるのだ、と。でも、どうしても心がいうことをきかないんだ。メアリ、君と出会った時に、恋に落ちてしまった。こんな気持ち、ルシアンナにも感じたことはない」

 ルシアンナは叫びそうになるのを、必死に我慢する。勝利の宣言をしたくなったが、無言でガッツポーズをするのでとどめた。

(よくぞ言いましたわ、エドウィン様! 男らしい!)

 婚約者としてはショックを受けるべきだろうが、ルシアンナは作戦が成功したことを大喜びしている。許されるなら、今すぐスキップで庭園を駆けまわりたいくらいだ。

(お嬢様に何も感じないなんて、おかしいです、あの方! 私なんて毎秒のようにときめいてますのに! 一度、医者に診てもらうべきです!)

 後ろで、メイベルが憤慨してぼそぼそと悪態をついている。

(メイベル、しーっ)

 ルシアンナはメイベルに注意する。
 『お嬢様、命!』のメイベルからすれば、エドウィンの言葉は許しがたいのだろう。

 だが、しかたがない。お互い、まったく好みではないのだから。ルシアンナは自分の容姿が良いほうだと自覚しているし、エドウィンが格好いいのも認めている。だが、美男と美女が一緒にいたところで、恋愛になるとは限らない。ルシアンナ達が良い例だ。

「好きなんだ、メアリ。方法は考えるから、私の思いを受け入れて欲しい」
「無理です、殿下」
「エドウィンと呼んでくれ」

 エドウィンに強気にゆすられ、メアリは分かりやすくたじろぐ。

「……エドウィン様。でも、私にはできません!」

 メアリの目に涙が浮かび、ぽろぽろと零れ落ちていく。

「私、この学園に来て、ひとりぼっちになったんです。実父は優しくしてくれますが、継母も腹違いの兄弟も怖いです。学園では、貴族の皆さんに敵視されています。でも、ルシアンナ様だけは、最初から助けてくれたんです!」

 メアリはじりじりと後ろに下がる。

「しかも、こんな私と友達になってくださったんですよ。私もエドウィン様のことはお慕いしていますが、これは胸に秘めておきます。忘れます。友人を裏切るクズになんてなりたくないので、どうか殿下も忘れてください!」

「メアリ……」
「きっと、一時的なものですよ。私みたいなのが珍しくて、ちょっと気になっただけ。学園を卒業したら、あんな奴がいたなって忘れると思うんです。そんなことで、人生を無駄にしないでください」

 メアリはものすごく冷静に諭すと、身をひるがえして寮の方向へ駆け去った。
 残されたエドウィンは、石のテーブルにこぶしを打ち付ける。

「くそっ」

 エドウィンらしくなく口汚い乱暴な態度に、ルシアンナのほうがビクッとおびえる。こういう暴力的な様子は苦手だ。

「分かってる。王の決定にそむくなんて、王子でも無事ではいられない。それならせめて、側室としてでも……」

 ――いやいや、それはぜひとも、メアリを正妃でお願いします!

 ルシアンナは叫びそうになるのを、必死に我慢した。
 それからエドウィンがいなくなるまで、石のように固まって待つ。ようやく行ってしまうと、ルシアンナはほっと息をついた。
 その瞬間。

「『恋愛の障害』にはなってるみたいだね」

「ぴぎゃあっ」 

 変な声を上げてしまい、ルシアンナは口を両手で押さえる。ラドヴィックが噴き出した。

「ぴぎゃあって、なんだよ。初めて聞いた、そんな悲鳴。可愛いなあ。もう一回、鳴いてみてよ、ルーシー」

「もうっ、ふざけないでくださいませっ」

 ルシアンナは恥ずかしさで顔を赤らめて言い返す。

「いえ、お嬢様、大変可愛らしゅうございました。ぜひ、アンコールを」
「メイベルまで何を言ってるの?」

 鼻を押さえて、何やら興奮しているメイベルに、ルシアンナは素直に身を引いた。ちょっと怖い。
 もちろんもう一度くりかえす真似はせず、ルシアンナはラドヴィックをにらむ。

「どうしてここにいるんですか?」
「時間差で帰ろうと思ったのに、君達がまだここにいたんじゃないか。盗み聞きなんてやるなあ。さすが、淑女しゅくじょはすることが違う」

 褒めるふりをして、ラドヴィックはルシアンナ達をからかっている。

「それより、どうしましょう、ラド。メアリの好感度を上げすぎてしまいましたわ! まさかメアリが殿下を振るなんて! ……というか、そもそもあの二人は陰で愛をはぐくんでいましたの? この学園ではひそかに会うのも大変ですのに、すごいわ」

「まあ、そこはなんとかなるんじゃない? 俺と君も隠れて会ってるじゃないか」
「言われてみれば! でも、特に示し合わせていませんけど……?」

 連絡は手紙でと言われているが、ルシアンナとラドヴィックは手紙をかわしたこともない。

「もしかして、俺がただ昼寝に来ていると思ってるのか? 一応、君の行動は観察してるんだけどね」
「それじゃあ、わたくしがいると知って、わざわざ東屋へ?」
「いいや、昼寝」
「もうっ、どっちですか!」

 のらりくらりとした返事に、ルシアンナは頭痛がしてきた。

「お嬢様、それよりもスプリング様のほうが問題では?」
「そうだったわ」

 メイベルが口を挟み、会話を軌道修正する。

「まさか友達になったことで、『友達を裏切れない』という障害になってしまうだなんて……。メアリみたいな良い人には、倫理りんり問題を乗り越えるのはかなりハードですわ」

「だから友達になってどうするんだって言ったじゃないか」
「うう、そうですけど。ううう。どうしましょう、ラド」

 予想外のことが起きると、すぐにいっぱいいっぱいになって、ルシアンナはおろおろしてしまう。言われたことをこなすのはなんとかできるが、想定外に弱いのだ。
 ラドヴィックはしばし考えて、にまっと楽しげに提案する。

「裏切る罪悪感を軽くしてあげればいいんじゃない?」
「たとえば?」
「君が他に好きな人がいると、メアリに相談する……とか」

「なるほど! わたくしとメアリの恋がそれぞれ叶って、一石二鳥というわけですわね。え? でも、わたくし、そんな方はいませんけど」
「そこはほら、適当に嘘をつけばいいんじゃないかな」
「嘘……ですか」

 ルシアンナが深刻な顔で黙り込むので、ラドヴィックは溜息をつく。

「君って本当に堅物かたぶつだよな。なんで『悪役令嬢』なんだ?」

「本来とはキャラが違いますもの。前世を思い出さなかったら、おそらく母の厳しさでフラストレーションがたまっていたわたくしは、母と同じことをするのにちょうどいい獲物を見つけて、いびっていたんじゃないかしら」

「それならたしかに、悪役っぽいな」

 納得だとつぶやき、ラドヴィックは肩をすくめた。

「もう、夏季休暇だ。とりあえずいったん保留にして、休みの間に作戦を考えてこよう。皆、帰省するから、メアリと殿下の接点もなくなるからな。離れている間に、殿下の恋心がさらに燃え盛ることを祈るしかないね」

「頭が冷えたらどうするのですか」
「その小説で、ヒーローはどんな人物で書かれてたんだ?」
「一途で誠実ですわ」

「それなら間違いなく、時間は逆効果だな。賭けてもいい。殿下は恋しさのあまり、休み中にこっそりメアリに会いに行くね」
「殿下はお忙しいから、無理じゃないかしら」

 ルシアンナはまっとうなことを言ったつもりだったが、ラドヴィックは呆れ顔をするだけだ。

「君は男心をまったく分かってないな」
「あら、そちらも女心を分かってるとは思えないわ」

「殿下よりは分かってるつもりだよ。人間観察が趣味なんでね。ああいうプライドの高い人間は、なかなか手に入らないほうが燃えるんだよ。その点、君は良い仕事をしてるんじゃないか」
「いいわよ、賭けましょう。殿下はメアリに会いに行かないに、そうね、高価な薬草を束で!」

 あいにくとルシアンナには賭けられるものがない。

「それじゃあ、俺は一つだけなんでも言うことを聞いてもらおうかな」
「ええっ、それじゃあ、わたくしのほうが安いじゃないの」
「君が勝ったら、なんでも言うことを聞いてあげるよ」

 こ憎たらしく笑うと、ラドヴィックは「それじゃあ、休暇明けに」と言って、猫みたいな気まぐれじみた足取りで迷路庭園から立ち去った。

「残念ですが、私にはお嬢様の負けしか見えませんわ」
「メイベルまでそう言うの? だって、あの真面目な殿下よ?」

 納得がいなかくて、ルシアンナはむぅと眉間にしわを刻んだ。
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