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本編
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しおりを挟むルシアンナは、風邪で三日寝込んだ。
四日目、ようやく授業に復帰すると、教室の空気がおかしなことになっている。
ぎこちないといえばいいのだろうか。
(そういえば、わたくしったら、ラドにお姫様抱っこで運ばれたのだわ!)
すっかり忘れていたが、はたから見たら問題だろう。メイドが傍にいたとはいえ、婚約者以外の男に抱えられるのはまずかったのかもしれない。
「おはよう、ルシアンナ」
「え、え、エドウィン様!」
当の婚約者に声をかけられ、ルシアンナはどもった。
「どうしたの、まだ体調が悪い? この間は悪かったね、気づかずにあちこち連れ回してしまった」
「わたくしが言い出したことですから、どうかお気になさらないでください。体調管理もできず、申し訳ありません。それと、あの、誤解ですから!」
「え?」
「ですから……アーヘン様をお叱りにならないでください」
ルシアンナが青ざめておろおろしているのを見て、エドウィンは目を丸くした。
「叱るわけがないだろう。むしろ、倒れた君を医務室まで運んでくれた恩人だ」
これとは違うのか?
予想と違う答えに、ルシアンナは戸惑った。
「では、この教室の空気はいったい……?」
「それは……」
エドウィンの表情が曇る。ルシアンナがきょろきょろすると、目が合ったラドヴィックが会釈をして、戸口のほうを指で示した。
メアリがとぼとぼと教室に入ってくる。彼女はルシアンナに目をとめると、ハッと表情を引き締めた。
「あの、カサンドラ様。先日は……きゃあっ」
こちらにやってこようとしたが、誰かが足を引っかけたようで、メアリは派手に倒れこんだ。大きな物音が苦手なルシアンナは、演技ではなくビクッと肩を震わせる。何が起きたか悟ると、あわてて駆け寄った。
「まあ、大丈夫ですか、スプリング様。そちらのあなた、どうしてこんな意地悪をなさるの?」
「彼女が悪いんですわ、ルシアンナ様」
「そうです! お加減の悪いルシアンナ様を連れ回したのですよ。ちょっとは痛い目を見たほうがいいのですわ」
過激なことを言って、令嬢達がルシアンナに反論した。
メアリは床に座り込んだまま、うつむいて泣いている。
ルシアンナが風邪で寝込んでいる間、彼女はこんな目にあっていたのか。胸がぎゅっと引き絞られる気持ちがした。
「わたくしが体調管理をできていなかったのが悪いのです。スプリング様を責めるのは筋違いでしょう。弱い者いじめをする理由に、わたくしを使わないでくださいませ。はっきり言って、迷惑です」
毅然と言い返し、ルシアンナは静かに彼女達を見つめる。冷たくにらんでいるように見えるだろう。
「どうして彼女をかばうのですか、ルシアンナ様」
「わたくし、暴力は大嫌いです。たとえ彼女が魔法で傷を治せても、心の傷は簡単には癒せません。あなた達に平気なことでも、スプリング様には耐えられないかも。恥を知りなさい!」
正直、言い返すのは怖かった。
声と膝はみっともなく震えていたが、ルシアンナは必死だった。これを放置して助長させたら、ルシアンナがいじめの主犯にされて、断頭台が近づいてしまう。
それに、泣いているメアリが純粋にかわいそうだったのだ。
ふと、エドウィンがじれったそうに口を開こうとしていることに気づいた。
(ダメよ! ここで彼が口を出したら、泥沼になるわ)
影でいびりがひどくなるだけである。
ルシアンナはメアリも叱りつける。
「いつまでそこにうずくまっているの、メアリ・スプリング。あなたはまったく悪くないのだから、堂々としていらっしゃい! さあ、立って」
ルシアンナはメアリに右手を差し出した。メアリは恐る恐るその手を取り、よろよろと立ち上がる。
彼女の手を引いて、いったん廊下に出る。メアリと向き直った。
「スプリング様、たしかにあなたにはこの学園は身の丈に合っていないわ。貴族の心構えがまったくできていない」
「……申し訳ありません」
落ち込んでうつむくメアリの顎を、ルシアンナは指先でくいっと持ち上げる。
「顔を上げなさい! いいこと、正しいのなら、胸を張るの。そして、笑顔で戦うのよ。それが社交界で生き抜くということなのです。あなた、叶えたい夢はないのですか?」
「夢……? わかりません。突然、貴族の娘だと連れてこられて、何も分からぬまま放り込まれて。勉強は楽しいけど、何をどうしていいのか、私には分からないんです!」
「その魔法の力を役立てたいとも思わないの? あなたが育った孤児院の方達を助けたいとも思わないというの?」
メアリは目を真ん丸にして、またうつむきそうになる。
「貴族は、国のために、何より民のために生きるのです。誰かを守りたいと思ったこともないのですか?」
そうでないのなら、がっかりだ。
小説でのメアリは前向きで、周りのために身を張り、努力する少女だったから。彼女のまっすぐさが、ルシアンナはとても好きだった。
メアリの体がぶるぶると震え、しぼりだすように口にする。
「……たいです」
「え?」
「守りたいです! 孤児院のみんなを! 親切にしてくれたおばさんやおじさん、町の人達、皆! 国とか民とか言われても全然分からないけど、あの人達のことを大事にしたい!」
顔を上げたメアリは、その目に強い光を浮かべている。
「私がここに来たのが、みんなのためになるなら、私、いくらでもがんばります! あんな意地悪な人達にも負けない!」
叫ぶように宣言するメアリ。
ルシアンナはほっとして、微笑を向ける。
「そう。では、ここでその方法を学ぶといいわ。きっと、あなたならできる。がんばりなさい」
「はい! ありがとうございます、カサンドラ様」
胸を張り、堂々と立つメアリを見て、もう大丈夫だとルシアンナは感じ取った。身の回りのことががらりと変わり、メアリは嵐の中でもがいていたのだ。嵐を抜けたから、落ち着いて自分の道を踏み出せるだろう。
「でも……どうして私にこんなに優しくしてくださるのですか?」
「言ったでしょう。弱い者いじめは嫌いなの」
ルシアンナはメアリの右手に、そっと手を重ねる。
「これからも大変なことは多いでしょう。でも、どうか負けないでね」
メアリにしか聞こえないだろう声で、エールを送る。
そして立派な淑女となって、エドウィンを奪って欲しい。
(断頭台、回避できたかしら?)
ちょっとやりすぎた気もするが、ルシアンナを巻き込む流れに焦って、こんなことになってしまった。胸がドキドキと騒がしい。数字を数えて、がんばって落ち着こうと努力する。
教室に戻ると、皆の視線が集中してギクリとした。胸を張り、無視をして自分の席につく。
「さすがは、『氷の薔薇姫』。誇り高くていらっしゃる」
「素敵だわ」
褒め言葉の中に、トゲも混じる。
「お高くとまって、嫌な人」
「あんな女を助けて、良い人ぶってるんだわ」
悪意には胸がひやりとするけれど、聞き流す。
メアリを味方につけつつ、エドウィンとくっつければいいのだ。敵対しなければ、きっと身の安全は保たれるはず。
(代わりに、クラスメイトを敵に回したかも……)
胃がキリキリと痛むのを、ルシアンナは気づかないふりをした。
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