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本編
4 そして三ヶ月後
しおりを挟む三ヶ月後。
学園の裏庭には、ひとけのない東屋がある。放課後、ルシアンナはそこでお茶をしながら、浮かない顔をして、何度も溜息をついていた。
「こんにちは、カサンドラ伯爵令嬢」
「……あ。アーヘン様、こんにちは」
ひょっこりと顔を出したラドヴィックに驚いて、ルシアンナはカップをひっくり返しそうになった。
「思った通り、死にそうな顔をしているな」
少しだけおかしそうに、ラドヴィックは口端を吊り上げる。
彼とはクラスメイトだが、この三ヶ月、ほとんどしゃべらなかった。だからついルシアンナは「久しぶりです」と言いそうになり、それはおかしいと思ってやめる。言葉に迷うルシアンナを見て何を思ったのか、ラドヴィックは謝った。
「驚かせて申し訳ない。実は、君が一人になるのを待っていたんだ。ここ、いいよね。よく眠れるんだ」
「さぼり場所ですか」
メイベルがちくりと嫌味を言った。
ラドヴィックはメイベルをちらりと見たが、気にしないことにしたようで、ルシアンナに視線を戻す。
「君の言う通り、三ヶ月きっかりに現れたな、メアリ・スプリング。編入の直前まで、アーヘン家の情報網にも引っかからなかった。彼女、当主がメイドに手をつけて生まれた庶子だそうだね。正妻がずっと存在を隠していたらしい」
ぺらぺらとしゃべりながら、ラドヴィックは向かいの席に勝手に落ち着いた。ルシアンナを、期待を込めて見つめる。
「メイベル、お茶を淹れてさしあげて」
「はい、お嬢様」
不満たっぷりに返事をして、メイベルはお茶を淹れ、菓子の小皿を置いた。ラドヴィックは遠慮なく茶を飲む。
「うん、うまい! そこのメイドは好きじゃないけど、お茶を淹れる腕は一流だな」
「……ありがとうございます」
メイベルは礼を言った。ラドヴィックが気に入らないが、褒められたことは満更でもなさそうだ。
「稀有な光の魔法の使い手だとか。彼女のいた孤児院で疫病がはやった。そこで彼らを助けたいという気持ちが爆発して、魔法が目覚めたそうだよ。めったといない、癒しの魔法だ。貴族の庶子とわかれば、そりゃあ、王族も学園も編入を許すだろう。たしかに『めったとない』ことだな」
以前、彼自身が言っていたことを口にして、ラドヴィックは皮肉っぽく笑った。
ルシアンナは笑う気にもなれない。
「一目ぼれって信じます?」
「いいや。と、言いたいところだが、俺も目撃したよ。殿下と彼女が恋に落ちる瞬間を」
「わたくし、一年以内に破滅するんだわ」
衝撃的な出会いを見た直後だったので、ルシアンナは落ち込んでいる。エドウィンの気持ちが動いたことではなく、前世で読んだ小説の通りに、ルシアンナが死亡ルートへ突き進んでいることに。
「君は毒殺しないのに?」
「でも、癒しの魔法を使う血筋を王家に入れたいなら、わたくしは邪魔でしょう? それに、母なら何か策をしかけるかもしれません」
「王家が君のせいにするか、君の母親が彼女を毒殺しようとして発覚、君のせいになるってことか。野心的な母君なら、やりかねないなあ、確かに。さて、これからどうゲームを進めようか。正直、メアリ・スプリングが現れて、俺の心は弾んだよ。こんな面白いこと、めったとない」
ラドヴィックの表情は、わくわくと明るく輝いている。
普段の無気力な様子とは段違いだ。
「ひどい。わたくしは困っているのに!」
ルシアンナはショックで怒りを感じ、目をうるませる。本気で怒ると、涙が出てくるのだ。泣いてしまって言葉にならず、最後には黙り込んで、後悔することが多い。
ラドヴィックの顔に焦りが浮かぶ。慌てて、手を前に突き出す。
「ちょっ、待った。泣くのはやめてくれよ。君に泣かれると、なんだかとても困るんだ。ほら、飴をあげるから」
「もうっ、子ども扱いしないでください。……いただきますけど」
「受け取るのか! ははっ」
ラドヴィックはたまらず笑い転げたが、ルシアンナは甘い物が好きなので遠慮しないことにした。目元に浮かんだ涙をハンカチでぬぐい、口に飴を放り込む。軽く眉を寄せたまま、舌の上でころころと転がす。レモン味で甘酸っぱくておいしい。
「小腹がすいたら食べようと思ってたんだ。今度から、もう少し多めに持ち歩こうかな。カサンドラ伯爵令嬢、君を馬鹿にしたんじゃないよ。ただ、俺は突拍子がなくて面白いことが好きなんだ」
「……はあ。しかたありませんね、分かりました」
ラドヴィックが不真面目な性格なのは、誰もが知るところだ。ルシアンナはあきらめて、話を進めることにした。
「ところで、君はどうしたいんだ?」
「破滅を回避したいのです」
「メアリ・スプリングと勝負して、エドウィン殿下の心を手に入れるって意味?」
「できれば、穏便に婚約解消をして、彼らから離れたいわ。王宮はわたくしには合いませんもの」
ラドヴィックは頷いた。
「そうだな。この三ヶ月、君を観察していたんだが、しんどそうだったよ。君はあの秘密を隠して、よくやってると思う」
思いがけず苦労を認められ、ルシアンナの涙腺を直撃した。
「……っ」
意図せず、目から涙が零れ落ち、ルシアンナは焦る。
「あ、ご、ごめんなさい。困らせるつもりはっ」
「いや、いいよ。理解者はそこのメイド一人ってところだろ? 君には協力者が必要なんだと思う。家族はどうなんだ? 伯爵は味方じゃないのか」
「お父様は仕事ばかりで、家のことはかえりみない方なのです。使用人のほとんどは母が掌握していますから、家でも気が抜けなくて。ここでは、まだ息ができますわ」
こうして一人の時間を持つこともできる。
「ふうん。俺には学園は退屈な鳥籠だけど、君にとっては避難所か」
「アーヘン様は」
なんとか涙を止めると、ルシアンナは切り出す。それをラドヴィックが止めた。
「ラドで構わないよ。もちろん、他に人がいない時だけだ。このゲームのパートナーってことで。友人だから、敬称もなし」
「まあ、お友達ですか。では、わたくしのこともルーシーと呼んでください。それで、ラド。卒業後はどうなさるの? ここが退屈なら、実家もわずらわしいんじゃないかしら」
「俺は外交官を目指してるんだ。駆け引きや旅、どれも楽しそうだろ」
にんまりと猫みたいに笑い、ラドヴィックは将来について語る。
確かに、ルシアンナの状況すら楽しんでいる彼には向いた仕事だろう。
「それから、これをゲームと呼ぶのはどうして?」
「ん? ああ、ゲームなら目的をクリアすれば終わりだ。こういうことは、ゴールを決めておかないとね。氷の薔薇姫という、一人の女性を救うんだ、なかなかやりがいがあるんじゃないかな。それで、君の希望を聞いてるというわけ」
確かに、ルシアンナの人生を左右するピンチだ。
「ありがとうございます。なんだか少しだけ、気が軽くなります」
無意識に微笑んでいたみたいで、ラドヴィックが目を丸くする。
「へえ、君ってそんなふうに笑うんだね。エドウィン殿下は良い方なのに、君の氷は溶かせないのか。不思議だな」
「殿下はずかずかと踏み込みませんもの」
「俺が図太いって? その通りだな。外交官は、それくらいでないとね」
まったく悪びれず、ラドヴィックは胸をそらす。
「それじゃあ、ゴールは『穏便な婚約破棄』だね。命がもっとも大事だが、そうなると君の母親は荒れるんじゃないか?」
軽い言い方のわりに、心配そうな目をしている。
「王家を敵に回すのは無理ですが、お母様なら……どうしようもなければ家を出るつもりです。わたくしの魔法なら、どこでも暮らせますもの」
「植物の魔法だったっけ? 望んだ植物を生やすことができて、周囲で植物が元気になるそうだね」
ルシアンナは軽く首を振り、修正する。
「正確には、わたくしが見たことのある植物で、望んだものを生やせる……ですわ。勉強のためと、王立植物園や王家の庭園を見ていますのよ。高価な薬草を売れば、暮らすのには困らないはずです」
「抜け目がないな。そこまで準備していて逃げられないのは、婚約者が王族だからか」
「ええ。父に迷惑がかかります。そうなれば、領地にも影響が出るでしょう。わたくしのせいで、領民を苦しめたくないのです」
領民はルシアンナを慕ってくれている。父方の祖母のもとで暮らしていた時、収穫祭に顔を出したこともあった。ルシアンナが乗る馬車が通ると、彼らは道の脇にたたずみ、尊敬をこめて頭を下げる。
収穫量が上がり、飢える心配がなくなったため、彼らにとってルシアンナは大きな存在なのだと祖母が教えてくれた。そして、領主の娘として、彼らを守っていくのだ、とも。
父が仕事にかまけるのはしかたがない。領主は領民の命を預かっているから、責任が重いのだ。遊んでいるわけではないのだから、許してあげなさい。そう言っていたから、ルシアンナは父のことはまだ許せる。
「俺の父さんが聞いたら、君の爪の垢を飲ませてもらえと言うだろうな」
ラドヴィックは苦笑してつぶやくと、パチンと指を鳴らす。
「オーケー。それじゃあ、ゴールは『穏便な婚約破棄』だ。それなら、君には有利じゃないか」
「どういうことです?」
「主役とヒーローをくっつけてやればいいんだよ。エドウィン殿下が浮気をしたんだから、君には非はないだろ。ついでに慰謝料もぶんどってやればいい」
ルシアンナはぽかんと口を開ける。
「そ、そんな大胆なこと、考えもしなかったわ」
「君はさりげなく二人を会わせるようにして、君と俺とで証拠をそろえるんだ。それからちょうどいいタイミングで、一部を流出させればいい。あとは勝手に噂好きが広めるさ。君は被害者の顔でさめざめ泣いて、ショックを受けて寝込む。簡単だろ?」
「でも、そう上手くいくかしら?」
「君が断頭台に上がりたいんなら、別にいいんだけどね」
「死ぬ気でがんばるわ!」
ルシアンナはきっぱりと宣言し、こぶしを握ってやる気を見せる。
目を細め、ラドヴィックは猫みたいに笑う。
「そうそう、その調子。『氷の薔薇姫』より、そういう活気に満ちた顔のほうがいいよ」
「そんなこと、初めて言われたわ。ありがとう」
つられて、微笑みを返す。
気のせいか、ラドヴィックの頬が赤くなった。
「あ、ああ。ええと、連絡を取り合う方法だけど、危険を避けなきゃいけないから、できるだけ手紙で頼む。読んだら、すぐに燃やしてくれ。俺に会いたい時は、ここか、庭師の小屋のほうに来てくれ」
「なるほど、そちらでもさぼってらっしゃるのね」
「メイドに似るのは良くないぞ」
ラドヴィックは軽口を返すと、椅子を立つ。
「恋は障害があるほうが燃えるらしい。君は二人を会わせつつ、その小説のように、障害としてふるまったほうがいい。俺も小細工をするよ。それじゃあ、お互い、がんばろう」
「ええ、よろしくお願いします」
未来に希望が見え、ルシアンナは深々とお辞儀をする。
久しぶりに、気持ちが軽くなった。
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