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本編
2 前世の記憶
しおりを挟む七歳の当時、ルシアンナら家族は、そろって領地の荘園で夏を過ごしていた。
屋敷には、美しく整えられた庭園と小さな池がある。祖母が異国から輸入した蓮の花が浮かんでいた。ちょうど白い蓮が咲き乱れている時期だった。
その見事な花にみせられたルシアンナは、花が欲しくて、乳母の目を盗んで手を伸ばし、誤って池に落ちてしまった。
乳母が気づいて助けようとしたが、泥水のせいで身動きがとれず、ルシアンナはおぼれかけた。
(誰か、助けて……!)
とうとう池に沈んだ時、胸に浮かんだのは、生きたいという強い願望だった。
(いやっ、死にたくない!)
それが鍵となり、体の奥底に眠る何かの蓋が開くのを感じた。
そして、何かに泥から引き上げられ、ルシアンナは大きな蓮の葉の上に寝転がっていた。
視界いっぱいに、青空がすこーんと広がっていた。
これが、ルシアンナの魔法の才能が――植物の魔法が目覚めた瞬間だった。
この世界リシェール=ラスでは、誰もが一つ、魔法の種を持って生まれてくる。
王侯貴族には、強い魔法の力を持つ者が多い。魔法の強さは血で受け継がれるため、才能のある者を王侯貴族が取り込んでいったせいだ。
ルシアンナの植物の魔法は、とても強力なものだった。
カサンドラ伯爵家が古くから続く名家であったことにも原因がある。
ルシアンナが望めばどんな植物でも生える。ルシアンナがいるだけで、周りでは植物が豊かに育つようになった。
どれほどかというと、たった一年で、カサンドラ領の収穫量が倍にまではね上がったほどだった。
周りの人々が喜ぶ中、ルシアンナは部屋に引きこもった。
魔法の才能が目覚めた時、同時に、前世の記憶がよみがえったのだ。ルシアンナは、前世では日本という国で暮らしていた。灰色のビル群や鉄の車、見たこともない生活、知らないはずなのになつかしい家族。断片的で全てがわかるわけではない。でも、今まで疑問にも思わなかったことが、ルシアンナに叩きつけられた。
それは、両親の子どもへの愛が薄い、ということだ。
仕事ばかりで家庭をかえりみない父親と、才女という評判のために、子どもを厳しく教育する母親。兄は両親の前では良い子ぶり、妹には意地悪をする。
前世の記憶で、温かい家庭がどんなものか知ってしまったルシアンナは、この現実とのギャップに苦しめられた。
今世の母は、ルシアンナに勉強したことを質問し、ルシアンナが答えを間違えると食事を抜きにしたり、鞭で足を叩いたりする。できるのは当たり前で、褒めることはめったとない。
魔法が目覚めた反動で熱を出して寝込んだのに、治るまで顔も出さなかった。
前世の母は優しかった。体調が悪ければ看病をしてくれ、テストの点数が悪くても、がんばっていると認めてくれた。彼女のほんの少しでいいから、こちらの母にも優しさを感じたかった。
その頃、新入りの見習いメイドとして、メイベルがルシアンナの遊び相手になったので、ずいぶん気持ちがなぐさめられたものだった。
ルシアンナのいる世界が、前世で読んでいた本とそっくりそのままだと気づいた後、悪役令嬢として断罪されると怖がって夜中に泣きだすルシアンナを、メイベルはかわいそうだと言って傍にいてくれた。『デイジア王国 春姫と太陽の王子』という本の中では、ルシアンナは主人公を毒殺しようとした罪で、断頭台に上ったのだ。
メイベルにだけは前世のことを話せたが、他の人は母に告げ口するに違いないので、ルシアンナはこの苦悩を相談できない。幼い子どもに、前世の記憶は手に余った。
周りは、池に落ちた事故がショックだったのだろうと、夜中に騒ぐルシアンナを持て余して遠巻きにしていた。
精神的に不安定になっているところに、ルシアンナの評判を聞きつけた王家が、ルシアンナを王太子の婚約者にと打診してきた。
母は有頂天になり、ルシアンナにより厳しい教育を始めたのだ。
屋敷でサロンを開き、客の前で、ルシアンナに勉強の成果を発表させる。礼儀作法や詩、魔法についてなど、母が質問するのだ。ルシアンナが答えを間違えたり、作法を失敗したりすると、客が帰った後に、母は癇癪を起こした。
カサンドラ家の恥だと怒り、ルシアンナから食事を取り上げ、足を鞭で叩く。
ルシアンナはすっかり萎縮してしまい、人前に立つとパニック障害の発作を起こすまで悪化した。
それを兄は弱いからだと笑ったが、ルシアンナの状況を聞いた父方の祖母が、ルシアンナを保護してくれた。医者を呼び、持病との付き合い方を学ばせてくれたのだ。
そんな優しい祖母は二年前に亡くなり、ルシアンナは再び母のもとで地獄のような日々を送っている。
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