悪役令嬢と黒猫男子

草野瀬津璃

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本編

1 悪役令嬢の秘密

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「……このような場をもうけていただき、皆様に感謝いたします。新入生代表、ルシアンナ・カサンドラ」

 ルシアンナは壇上であいさつをして、優雅にお辞儀をした。すると、会場いっぱいに温かい拍手が響き渡る。

 今晩、王立フローリア学園では、入学祝いのパーティーが開かれている。デイジア王国で最も格式のある学園なので、生徒は貴族の子息子女ばかりだ。

 その中で、ルシアンナは注目の的だった。
 ルシアンナが壇上からゆっくりと下りると、婚約者が手を差し出してエスコートしてくれた。デイジア王国の王太子エドウィンだ。

 まさに一国の王子にふさわしい優雅さをもつ彼は、背が高く、引きしまった体をしている。文武両道で、常に自信に満ちた笑みを浮かべていた。赤銅色の髪と金の目を持つため、国民からは太陽の王子と親しまれている。

「王太子様、今日も素敵」
「ごらんになって、本当にお似合いのカップルよね。うらやましいわ」

 あちらこちらで、称賛の溜息がこぼれる。ルシアンナはエドウィンとともに席に戻る。

「さすが、氷の薔薇姫ばらひめ。美しいですね」
「そうかな。にこりともしないから、僕は怖いよ」

 ひそひそ声が聞こえてきたのでそちらを見ると、彼らはぎくりとして強張った顔をした。
 豊かな金髪を結い上げて白薔薇の飾りをさし、紅茶色の怜悧れいりな眼差しをもつルシアンナは美しかったが、にこりともしない。それが冷たさを増すようで、いつの間にか社交界では「氷の薔薇姫」なんて呼ばれている。

 校長のあいさつが始まった。ルシアンナはそちらに視線を戻す。彼らがあからさまにほっと息をついた。それから校長の長く退屈な話が終わると、パーティーは生徒達の自由時間になる。
 ルシアンナはすぐに、かたわらのエドウィンに声をかけた。

「エドウィン様、わたくし、失礼してもよろしいかしら。少し気分が悪くて」
「休憩室まで送ろうか?」
「メイベルがいるので大丈夫ですわ。お気遣いだけで結構です」
「そうか」

 エドウィンの表情に、苦みが混じる。
 十二歳で婚約してから、今年で四年になる。だというのに、ルシアンナとエドウィンはほとんど打ち解けていない。
 ルシアンナはエドウィンが苦手で、彼も同じように感じているらしかった。
 声をかけてくる生徒達をかわし、ルシアンナは侍女のメイベルとともにパーティー会場を通り抜ける。

「お嬢様、こちらです」

 メイベルが予約済の休憩室の扉を開け、ルシアンナは中へと滑り込んだ。メイベルがすぐに扉を閉め、鍵をかけた。
 もう限界だった。
 ルシアンナはその場に座りこみ、口を手で覆う。

「はあ、はあっ」

 額には油汗がにじみ、苦しげに呼吸を繰り返す。体は小刻みに震えていた。

「お嬢様、お薬です。すぐに飲んでください」

 用意してあった水を差し出し、メイベルはルシアンナを支える。茶色い髪と目を持つ彼女には素朴な可愛らしさがあり、今は姉妹のような温かさでルシアンナを心配していた。
 ルシアンナは薬を飲み、発作がおさまるのを待った。

 パニック障害。
 ルシアンナの持病だ。

 大勢の人と視線が苦手なルシアンナは、人前に立つと、緊張のあまり笑いたくても笑えない。ひどい時は今日のように、動悸どうきと呼吸困難に見舞われる。

 王太子の婚約者に選ばれてしまったために、無様をさらすまいと、必死に隠し通してこられたのは、ルシアンナが信頼するメイベルのサポートのおかげだ。

 ルシアンナに持病があると、実はエドウィンも知らない。ルシアンナが最低限の社交を終えるなり退席するせいで、周りには社交で誰ともしゃべらないお高くとまった女と思われていた。そんな悪意が胸に突き刺さり、ルシアンナの緊張は増す。とんだ悪循環である。

 ようやく落ち着くと、ルシアンナはメイベルに泣きついた。

「もう、嫌! どうして私なんかが、王太子殿下の婚約者なの! 人前に立つのも、皆の視線を浴びるのも、全部、ストレスなのに。こんなにがんばったところで、どうせそのうち、悪役令嬢として破滅するのよ。意味がないじゃないっ」

「お嬢様、またそのお話ですか。大丈夫ですよ、どうか落ち着いてください」

 メイベルがルシアンナの背を優しくなでる。取り乱していたルシアンナの気持ちが、静かに落ち着いていく。

「ええ、ごめんなさい。あなたに言ってもしかたないのに」
「愚痴くらい、いくらでもお聞きします。大事なお友達のためですもの」

 メイベルの優しさに、また涙がこみ上げる。
 本当は何もかもぶちまけて台無しにしたいのに、ルシアンナには行動に移すだけの勇気がない。家の恥となる真似をしたら、母から恐ろしい罰を受けるだろう。
 メイベルが差し出した絹のハンカチで涙をぬぐっていると、声が一つ増えた。

「へえ。まさか、氷の薔薇姫が、パニック障害をお持ちだったとは。これは驚いた」

 ルシアンナはビクリと肩を震わせ、メイベルがさっとルシアンナの前に立つ。
 今まさに長椅子から起き上がった格好で、美貌の青年が愉快そうにこちらを見ている。黒い髪はつややかで、切れ長の目は黒曜石のようだ。彼にはいたずらをもくろむ黒猫みたいな雰囲気があった。
 メイベルは眉をつりあげて誰何すいかする。

「どなたですか!」
「メイベル、この方はラドヴィック・アーヘン様よ。宰相の一人息子でいらっしゃるわ」

 ルシアンナは今度こそ倒れそうな気分で、立ち上がることもできずにいる。

「それって、噂の放蕩ほうとう息子のことですか?」

 メイベルのまとう空気に、鋭さが増した。ラドヴィックを敵視したようだ。

 宰相の一人息子ラドヴィックは、家業の手伝いもせず、学びもおろそかにして遊び回っているらしく、宰相の頭痛の種になっているという噂だ。社交界には最低限だけ顔を出して、あっという間に雲隠れする。
 幻の貴公子と呼ばれているほどだが、エドウィンの学友候補として紹介されたので、ルシアンナはラドヴィックと面識があった。

「どうしてこの部屋にいるのですか? ここは予約済でした」

 メイベルは宰相子息と聞いてもひるまず、ラドヴィックを問いただす。

「それについては謝るよ。実は、適当にあいている部屋でパーティーをさぼっていたんだ。そこへ君達がやって来たというわけ」

 堂々とさぼりを打ち明けるラドヴィックに、ルシアンナとメイベルはあっけにとられる。ラドヴィックは面倒くさそうにため息をつく。

「まったく、寄宿学校なんてかったるい。父さんときたら、問答無用で放り込むんだから、勘弁してほしいよ」

 そこで、ラドヴィックはにやりと笑みを浮かべた。

「氷の薔薇姫の正体が、パニック障害を隠していただけなんて。これを社交界に流したら、どんな面白いことに……」

 楽しげに話していたラドヴィックは、急に声をつまらせた。顔が引きつる。
 ルシアンナが静かにポロポロと涙をこぼしていたせいだ。

「わたくしをおとしいれる気ですか。社交界で、笑いものにするのね。殿下との婚約破棄はうれしいですが、カサンドラ家の名に泥を塗ったとお母様がお怒りになって、きっとわたくしを修道院に入れるわ。結婚して、子どもをもうけて、温かい家庭を築くというささやかな夢もダメになってしまうのね……」

 暗い未来予想図をつぶやくルシアンナを、メイベルが抱きしめる。

「かわいそうなお嬢様! あの男、あんなお綺麗な顔をして、なんて悪党でしょうか」
「うっ。ちょ、ちょっと」

 ラドヴィックが会話に口を挟もうとするが、メイベルが太ももに装着していたナイフを取り出したことで、言葉を飲み込んだ。

「ご安心くださいませ、お嬢様。秘密を知る者は、その男、ただ一人。亡き者にしてお嬢様をお守りします!」
「それは駄目よ、メイベル。監獄に入れられて、どちらにしろお先真っ暗だわ。それにわたくし、メイベルが絞首刑になるところなんて見たくない」

「お嬢様……!」
「メイベル!」

 主従がひしっと抱きしめあって、友情を確かめあうので、ラドヴィックは両手を挙げて降参した。

「わかった、悪かった! 俺の負けだ。頼むから、俺を大悪党にするのは、やめてくれ。ちょっとからかっただけだろう?」
「最低な冗談ですね」

 メイベルが冷ややかに言った。

「しかたないな。こうなったら、乗りかかった船だ。君の事情を聞かせてもらおうか、ルシアンナ・カサンドラ嬢。その発作と、王太子との婚約破棄を望んでること、それから、悪役令嬢で破滅と言ってたが、あれはなんだ?」

 ラドヴィックは長椅子に座り直し、ルシアンナに向かいに座るようにうながす。
 ルシアンナはメイベルに支えられて移動すると、恐る恐る長椅子に座った。メイベルは椅子の斜め後ろに立ち、ラドヴィックの挙動に目を光らせる。

「お話しをする前に、アーヘン様。どうしてわたくしの話を聞こうとなさるのですか」
「ただの好奇心だ。学園生活なんて退屈だろうと思ってたところに、こんな面白い話題が降って湧いたら、とりあえず首を突っ込むだろう?」

 堂々と言い放つラドヴィック。メイベルがぼそりとつぶやく。

「なんて下世話な趣味ですか」
「カサンドラ伯爵令嬢、その無礼なメイドを黙らせてくれないか?」
「あの……メイベルはとても良い子なんです。怒らせてしまったならごめんなさい」

 ルシアンナが再び目をうるませたので、ラドヴィックは顔の前に両手を挙げて、落ち着くように示す。

「わかったよ、メイドのことは放っておくから泣かないでくれ。君が泣くと、なんだかとても困る」
「申し訳ありません」

 本来のルシアンナは小心者で泣き虫だ。母と兄には、その性格をうっとうしがられてきた。彼らの機嫌をそこねないようにふるまって、ルシアンナがおどおどとしてしまうのが、また彼らの鼻につく始末だった。

「ええと、そうですね。全てはわたくしが七歳の時、池に落ちた事故が原因でした」

 ルシアンナは迷いながら、当時のことを思い返した。
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