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第一部

 02

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 中の国エルドアの王都は、春めいていた。
 赤レンガの町並みに、色とりどりの花と新緑が風に揺れている。大通りを挟んで、三階建ての集合住宅がひしめき、あちこちに黄色いリボンが飾られていた。
 運の良いことに、祭りの最中のようだ。
 食べ物の屋台だけでなく、小物や衣類などの露店も出ている。
 陽気な笑い声や、楽器のリズムに合わせて踊る人々の手拍子が響く。

「すごーい、たくさんの人!」
「ニャア」

 ハルの肩の上で、ユヅルが返事をするように鳴いた。
 交通規制がかかっているので、送ってくれた馬車の御者とは門前で別れ、ハルはメロラインと徒歩で王都を歩いている。
 大通りを乗合馬車が進むのを横目に、歩道を進む。ぶつからないのが難しいくらいの人込みのせいで、ユヅルは何度か尻尾を踏まれた。それですっかり地面を歩くのが嫌になったらしく、ユヅルはちゃっかりとハルの肩を定位置にしてしまった。軽いので邪魔ではないが、ちょっと暑い。

「ハル様ーっ、は、ハル様っ、お待ち下さい。うえーん、待ってぇー!」

 後方から聞こえてきた情けない悲鳴に、ハルは呆れて振り返る。

「メロちゃんってば、またなの?」
「だ、だって私、こんなにたくさんの人は初めてで。うえっ、気持ち悪い」

 メロラインは、胸を押さえてぜいはあと息をついた。人酔いしたらしい。綺麗な顔は歪められ、琥珀色の目は死んだ魚みたいにうつろになっていた。
 メロラインはハルよりも背が高いのに、さっきから人波に流されてもみくちゃにされている。彼女が大振りのメイスを地面について立ち止まるのを、通行人は迷惑そうによけていく。

「ちょっと、こっち。大丈夫?」

 ハルはメロラインの手を引いて、壁際にずれた。

「だ、大丈夫ですが、しばしお待ちを……」

 メロラインは青い顔でうつむいてしまった。

「うん、駄目っぽいね」

 ハルは苦笑いする。
 メロラインは庶民の出らしいが、大神殿では図書室に住みついてる虫呼ばわりされている程の本好きと聞いている。十歳で神殿入りして以来、休みがあれば図書室に入り浸っているようで、あまり外に出たことがないそうだ。

「たまにしか外出はしませんが、買い出しは下っ端の務め。私でも案内くらい出来ます。ただ、今は春祭りの時期で……」
「それで人が多いのね」
「そうなんです。うえっぷ、目が回りますぅ」

 人込みに慣れないらしきメロラインは、青ざめてよれよれしている。

「とりあえずホテルを探そうよ」
「いえ、この様子ではあいていないかと。人の数が落ち着くまでは、神殿の宿舎を利用しましょう」

 なんとか落ち着いたらしいメロラインは、すくっと背筋を正して言った。

「よし、じゃあ行こう。あの尖塔のほうかな?」
「ええ、その通りです」

 目的地を決めたので、ハルは歩き出した。メロラインに左手を差し出すと、メロラインは泣きそうな顔でハルの左手に引かれて歩き出す。

「す、すごいです。どうしてそんなにすいすい歩けるんですか? まるで魚のようですね」
「慣れれば出来るよ」

 ハルは軽く請け合ったが、メロラインは首を横に振る。自信がないようだ。


 ****


「やっぱり写真といえば、お城や神殿だよね。朝日や夕日にかすむ尖塔とか良いかも」

 宿舎はメロラインと二人部屋だ。大通りに面した三階の部屋なので、ハルは窓から外を眺めて、どこで写真を撮ろうかと浮き浮きしている。
 フォトの魔法で、試しに一枚撮影してみた。
 絵のアングルを決めるみたいに、両手で窓の外の風景を切り取る。

「撮影」

 呪文を唱えると、カシャッとシャッター音が聞こえた。
 それから夢幻フォルダを見てみると、ハルにしか見えない電子画面に写真が一枚増えている。大神殿ダルトガでも何枚か撮ってみたが、ジンスタグラムでは全然反応がなかった。

「結構うまく撮れてると思うんだけどなあ。女神ちゃんのなんて、すっごい綺麗なのに」

 女神リスティアのジンスタグラムへとページを移動してみる。そこには建築物や、山や川などの風景写真が並んでいる。どれも美しいものだ。はっきり言って、プロのカメラマンと変わらない。

「神様がイイネしたくなる写真って、どんなものなのかな?」

 あいにくと他の神のページまでは閲覧できないので、ハルには想像もつかない。

「ハル様ぁー、お待ちくださーいぃぃ」
「え?」

 メロラインの呼びかけに、ハルは扉側のベッドを見た。すっかりダウンしているメロラインがうめいていた。
 夢の中でもハルを追いかけているらしい。ご苦労なことだ。

「いや、ごめん。待たないわ。また後でね!」

 ハルは女神のジンスタグラムの画面を閉じてしまうと、メロラインに声をかけ、ユヅルとともにこっそりと部屋を抜け出す。そして、王都観光へと繰り出した。



 網の上に置かれた肉から油が落ち、ジュッと炭が音を立てる。
 漂ってきた香りに、ハルは吸い寄せられるように、一軒の屋台を覗いた。

「おいしそ~っ。なんのお肉だろ」

 ふっくらした店主の男が、にかりと笑う。

「ハナブタの串焼きだよ、お一つどうだい、お嬢ちゃん。一本、十ティア。銅貨一枚。ワンコインだよ!」

 頭に赤い布を巻いた店主は、大きく切られた肉をひっくり返す。

「銅貨一枚かあ。うーん、また今度にするわ、ごめんね!」
「いいよ、祭り以外でも、いつもここで店を出してるから、気が向いたら来とくれ」
「はーい」

 朗らかで愛想の良い男だ。ハルも軽く返事をして、屋台から離れる。
 グレゴールから資金をもらってあるので、金はある。だが、小銭がない。
 銅貨千枚に相当する、千ティア銀貨しか持っていないので、屋台で出すには迷惑だろうと気が引けたのだ。
 それに加え、メロラインに金持ちと思われないほうが良いと忠告されている。

(千ティア銀貨一枚あれば、庶民は、一週間は余裕で暮らせるんだもんね。やっばいよねー)

 ハルは、日本の近隣の国なら遊びに行ったことがある。案外、国内旅行よりも安く済んだりするのだ。そこで金銭価値の違いというのを学んだ。

(最初にお金を崩しに行くべきかな。それとも、千ティア銀貨で買えそうなものを買うとか?)

 並ぶ店を横目に見ながら、ハルは考え込む。最初に王都に寄るためか、グレゴールには両替屋に行くのを前提に、大金を渡されたのである。
 王都は大神殿ダルトガから、馬車で一日の距離だったので、他に使うところも無いから、と。
 どうもグレゴールの予定では、ハルが両替屋の使い方を覚えるのも入っていたらしい。
 そんなことを考えながら、ハルは写真映りの良い場所を探して通りを歩く。軽い足取りで、人込みを器用によけながら、噴水の傍を通り抜ける。
 有角馬に水をあげているのが絵になるなあと考えながら、なにげなく路地裏を覗きこむ。
 光と陰のコントラストが美しいので、こういったところは写真に撮りやすい。

「うーん、ここも良いかも」

 両手で四角を作ってみたところで、ハルは眉を寄せた。

「ん?」

 路地裏の奥の方で、柄の悪そうな三人の男に詰め寄られ、気の弱そうな黒髪の男が謝っている。

「これは今日働いた分の賃金なんですっ、やめてください!」
「いいから出せよ。ちっ、しけてんなあ、たったの百ティアか」
「返してください!」
「うるせえよ。こっちは命がけで守ってやってるんだ、ちょっと酒をおごってくれるくらい、良いだろ。お前は良心が痛まないのか?」
「そんなことをおっしゃられても、祭りは稼ぎ時なんです。困りますっ」

 ほとほと困り果てた様子で、男はいかついほうの腕にしがみつく。
 彼らは見覚えのある服を着ていた。国を守る衛兵だ。臙脂えんじ色の上着に、黒いズボン。そして黒い革製のブーツ。

「ほら、しつこいぞ!」
「わあっ」

 男が蹴り飛ばされ、地面に転がった。それを期に、ハルは黙っていられず、声をかける。

「何してんの、あんた達」

 ぎくりとした兵士達は、ハルを見ると、あからさまに侮蔑の表情を向けた。

「なんだ、カモが増えたぜ。能無のうなしのくろ様だ」
「能無しの黒?」

 ハルはきょとんとした。初めて聞く言葉だ。兵士達は顔を見合わせ、急に笑い出した。

「まじかよ! とんだ世間知らずだなあ、お嬢さん」
「そりゃあまあ、そうね」

 世間知らずというか、この世界のことを知らないのだが、説明しても分からないだろう。

「よく分からないけど、人の物を盗むのは悪いことだわ。この国では、兵士は庶民からお金を巻き上げても構わない法律でもあるの?」
「ま、まさか! でも君、いいから逃げて!」

 黒髪の男が慌てたように否定して、手を振って追い払う仕草をする。

「え、でも、兵士さんを呼ぶくらいは出来るわよ? もう少し真っ当そうな人のほうだけど」
「なんだと、真っ当? 能無しに言われたくねえんだよ」
「いいから、行って!」

 怒る兵士の横で、黒髪の男が必死に言う。

「でも、これってカツアゲじゃ」

 兵士はともかく、黒髪の男にまで邪見にされるのは心外だ。おせっかいだったのかと困惑したハルは、自分では判断がつかず、くるりときびすを返す。

「うーん、とりあえず人を呼んでくるね!」
「こら、待て!」

 どうやらそれが正解だったらしい。焦った兵士の一人に腕を掴まれた。

「ちょっと、離してよ」

 腕を取り返そうとして、ハルは違和感に眉を寄せた。戦う訓練はしているのに、何故だか体が上手く動かない。岩でできた人形すら蹴り飛ばせたのに。
 ハルははっとした。

(これかー! 『人間を傷つけられない制限』!)

 グレゴールに気を付けろと言われていたのに、このざまだ。ハルが焦った時、肩からユヅルが飛び上がった。

「ニャアア!」

 兵士に飛びかかり、ユヅルは鋭い爪で、男達の顔をバリバリと引っかいた。

「うわあ、いてえっ」
「ぎゃああ!」

 悲鳴を上げ、兵士達はうずくまる。
 ユヅルはしつこく爪を立て、兵士はユヅルを掴んで引きはがした。
 その顔は赤い切り傷だらけで、痛々しい。

「猫の爪って地味に痛いよね」

 つい同情してしまうが、兵士達の目つきが怖い。

(よし、逃げよう)

 幸い、ユヅルのおかげで、兵士は離れた。きびすを返そうと足に力を込めた時、凛とした声が響いた。

「お前達、そこで何をしている」

 兵士達の向こう、路地裏の影に、青年が立っていた。
 白いマント姿で、鉄製の杖がにぶく光っている。命じ慣れた声に飲まれ、兵士達が姿勢を正した。ユヅルを手に持ったまま、兵士が問う。

「誰だ、貴様」
「質問したのは俺だ。そこで、何をしている」

 暗がりから、光が差し込む場所へと一歩出てきた青年の顔を見て、兵士達はあからさまに動揺した。
 まず目についたのは、右目を覆う白い仮面だった。
 次に、癖のある灰色の髪、そして意志の強そうな琥珀こはくの目。白い肌は、頬の辺りだけ日焼けしている。どこか異様な雰囲気がある、美貌の男だ。
 つい見とれてしまったハルは、兵士の呟きに我に返る。

「の……のろいの王子」
「しっ、黙れ。失礼だぞ」

 一人の呟きを、他の兵士が注意する。

「これはこれは、都にお戻りになっておられたとは」
御託ごたくは良い。俺は質問した。そこで何をしているか、と」

 青年はただ一瞥しただけだった。だが、見えない何かに押されたみたいに、兵士達がじりっと下がる。青年のひんやりとした怒気に、ハルの手には汗が浮かんでいた。

「お前達、自分の立場をよく分かっていないようだな。持つ者が、持たざる者を助ける。それがこの国の法だ。守るべき弱き者から金を奪おうなどと、お前達には兵士である誇りがないのか?」

 彼らより年下だろう相手を前に、兵士達はまるで親に叱られた子どもみたいに、しゅんとなっている。青年はひややかに告げる。

「次に見かけたら、罰を与える。――俺の呪いをうつす罰を、な」
「ひいい! 申し訳ございませんでした、殿下! 返します、失礼しました」

 兵士達は財布を黒髪の男に押し付けると、お辞儀をしてから一目散に逃げ出した。
 彼らが去ると、仮面の青年は鼻で笑った。

「呪いが他人にうつるかよ、バーカ」

 そんな風に悪態をつくと、急に子どもっぽく見えた。
 いつの間にか緊張していたようで、ハルはほっと息をつく。同じく、被害者も飲まれていた。財布を受け取ったまま凍りついている男に、青年が歩み寄る。

「大丈夫か? これに懲りたら、路地裏には出来るだけ近付くな」
「は、はいっ。ありがとうございますっ」

 まるで仮面の青年を避けるように飛びのいて、男はへこへこと頭を下げる。そして、先ほどの兵士達と同じように、逃げるように立ち去った。

「何あれ、助けてもらっといて、感じ悪いなあ」

 ハルはむっとして、去った男達の方をにらんでから、青年と向き直る。

「ありがとね、お兄さん。助かっちゃった」
「ニャア」

 去り際に地面に放り出されたのか、ユヅルがハルの足元で鳴いた。青年はどこか意外そうにハルを見て、ふいとそっぽを向く。

「お前も、これに懲りたら、弱い者らしくでしゃばるな」

 そして、チクリと嫌味を言ってから、大通りの方へと去っていった。
 ハルは絶句した。やがて、徐々に怒りが湧いてくる。

「なんなの! あいつら、皆、ムカつく!」

 悔し紛れに、あっかんべーと舌を出し、ハルもまた大通りに戻った。
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