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第一部
Photo1 エルドア王都の夕暮れ 01
しおりを挟む青い空に光の線が走った。
それは巨大な甲虫の目を貫き、緑色の血を周囲にまき散らす。
魔物が一撃で倒されるさまに、遠くから歓声が上がった。大神殿ダルトガ――女神神殿の総本山にあたる神殿都市、その城壁にいる神官達の声だ。ハルは都市から少し離れた森の入口にいるが、遮るものが何もない草地なせいか声がよく響く。
ふいに傍の木陰から、女の声がした。
「ハル様、メタリッカが一匹、そちらに行きました!」
「オッケー。行くよ、ユヅル」
金細工が美しい白い弓に声をかけ、ハルは弦を引く。
少し離れた先に、カブトムシに似た巨大な甲虫がいた。等級七、最下位の雑魚魔物メタリッカだ。それでも油断していると殺される。
手元に光の矢があらわれ、ハルの目には、矢が飛ぶだろう軌道が見えた。メタリッカの右目と焦点が合った瞬間、ハルは右手を放した。光の矢がまっすぐに飛び、メタリッカを貫く。
「よし、これで終わりね」
ハルは慎重に周りを確認してから、弓を下ろした。魔物がいればなんとなく分かるのだが、その感じが無い。弓から手を離すと、弓が白い猫へと姿を変えた。地面へ身軽に着地したユヅルは、ハルの足に体をすり寄せる。
「ニャア」
「お疲れ、ユヅル。ほらほら、離れて。解体するよ、くさいよ~」
ハルの脅しに、ユヅルは慌てて距離をとった。
その様子に笑いながら、ハルは夢幻鞄から分厚い皮の手袋とナイフを取り出し、メタリッカの胴体に切り込みを入れていく。乗用車くらいの大きさをしたメタリッカの腹には、幸いなことに、緑の液体は少ししか詰まっていなかった。
それでも立ち上るくさいにおいに、ハルは顔をしかめる。
このメタリッカという魔物、ニガミドリの葉を食べるためにくさいのだ。手に付いたら、一週間は悩まされる羽目になる。
だが、メタリッカの背中の殻は、防具や資材といった素材になるし、核は大事な資源だ。
「よいしょっと」
二枚の湾曲した殻を外して横に置くと、ハルは頭の付け根に手を伸ばす。魔物の命の源――核を引っ張り外す。金色に輝く丸い玉は、女神の力の欠片でもあった。
「取れた。相変わらず、綺麗だな」
玉を空にかざすと、淡い光がキラキラと瞬いている。
「お見事でした、ハル様。魔物退治も解体も、どちらも合格です」
パチパチと拍手の音がして、近くの木陰から女が一人、ゆっくりと出てきた。頭に被ったベールは、三つ編みに結った灰色の髪を覆い隠している。真っ白なワンピースは膝より少し下のラインで、ブーツを履いていた。丸眼鏡が真面目そうで、堅物な学級委員長といった雰囲気だ。だからだろうか、今年で二十一歳という彼女は、同年代のハルよりも大人びて見える。
「合格? 本当に? これで私、ダルトガの外に出ても大丈夫?」
「ええ、このメロラインのお墨付きです」
「やったー! 卒業だー!」
ハルはガッツポーズして、空を仰いだ。
メロラインはハルの侍女兼教師をしてくれている。背は高いが体つきは華奢なのに、人の頭くらいある大振りのメイスを振り回す、神殿の女神官ではエリートの一人だ。
ハルはここ、女神神殿の総本山でもある大神殿ダルトガで、旅をするための準備をしていた。野宿の仕方に、星から見る方角の確認、一般常識や食べられる野草や毒草に至るまで、メロラインにみっちりしごかれる日々だった。
これまでの一ヶ月を思うと、頑張りに涙が出てくる。
いくらハルが女神の使いで強かろうと、基礎知識が無ければ危険な世界だ。メロラインは教師として一切手抜きしなかった。お陰で、普通の女子大生だったのに、今では立派な戦士である。
感慨に浸るハルに、メロラインは声をかける。
「それでは帰りましょうか」
「うん、戻ろう。さっそく旅支度しなきゃっ」
殻と核を夢幻鞄に仕舞うと、ハルは意気揚々と大神殿ダルトガの門へと戻った。
ハルはメロラインとともに、門の前で証明書をかざす。
城門の上にいる神官が、その証明書にメダルを向けると、光が飛び出して証明書と合わさった。すると、今度は証明書から、幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。そして、大神殿ダルトガを覆う結界に小さな通路が出来た。
結界と門を通り抜けると、城壁の上から神官達が声をかけてくる。
「お疲れ様です、ハル様」
「お帰りなさい」
「ただいま」
顔なじみになった彼らに、ハルは右手を振る。
背後で門と結界が閉じられた。
大神殿ダルトガは、小さな町くらいの規模がある。石造りの家屋の間、メインストリートを奥へと歩き出した。広場で子ども達が勉強しているところに差し掛かる。
「この世界には今、国が三つあります。なんという名前でしょうか?」
「北のマジャント、南のナラバ、中のエルドア」
「正解! ってハル様、授業の邪魔をしないで下さいっ」
「あはは、ごめんなさーいっ」
青空教室での質問にハルがつい答えると、教師に怒られた。だが生徒達にはうけたようで、拍手と笑い声が響く。
ハルは足早に広場を横切る。
「では東西にある山脈の名前は?」
メロラインが質問してきた。
「盾の山脈。人間を魔物から守ってるんだよね?」
「その通りです。では、東にある山と西にある山の違いは?」
「東は魔の山で、ふもとの湖沼地帯は、蛇の巣になってる。西は竜の山で、等級一の最強の魔物達の巣」
「ええ、その通り。旅をするなら、西は後回しにして下さいね」
メロラインは心配そうに付け足した。
「うん、もちろんだよ」
女神のお陰か、精神面が強化されているようだから、魔物退治に罪悪感はない。だが、最初からラスボスの巣に行くほど、ハルは無謀ではない。
「まずは三国から回って、それからだね」
この異世界リスティアでは、魔物と人間は敵対している。魔物が人間を餌にする、弱肉強食の世界だ。
大陸の中央部に、縦に長い山脈が二つある。盾の山脈と呼ぶそれらの間の土地でだけ、人間は暮らしている。山脈の外は強い魔物の生息域だ。
大神殿ダルトガは、中の国エルドアの北部にある。すぐ北の山が国境になっていて、そこから先はマジャント国だ。
これから本格的に、女神のために、ジンスタグラムでイイネをとる旅に出る。
(はりきったところで、旅の理由がこれじゃあ、格好がつかないわね)
なんともいえない気分で、ハルは肩をすくめた。
「それじゃあ、グレゴールさん。お世話になりました」
あくる早朝、ハルは門の前で神官達の見送りを受けていた。
「さびしいですなあ。いつでも戻っていらしてください、ハル様」
女神神殿のトップ、神殿長グレゴールは残念そうにしている。銀髪と金目を持ったキラキラしい外見をした四十代の男で、目尻の皺がなんとも優しそうだ。
「もし黒い色のことでもめた時は、神殿の名を出して構いませんからな」
まるで姪にでも言うみたいに、グレゴールは心配している。メロラインが楚々と笑った。
「大丈夫ですわよ、グレゴール様。ハル様は黒の御使いですもの。実力を見せたら、皆、どん引きして道をゆずってくださいます」
「どん引きってひどいなあ」
ダルトガを南下した所にある、エルドアで一番大きな都――王都に、メロラインも同行することになっている。有角馬のひく馬車で一緒に行く予定だ。
――黒の御使い。
この言葉には特別な意味がある。この世界では、女神リスティアの容姿――白い髪と金の目に近付くほど、魔力が多く、優秀で戦闘能力に恵まれるという決まりごとがあった。
ダルトガは女神神殿の総本山だけあって、神官はエリート揃いだ。銀髪や灰色の髪や、琥珀色や金色に近い目の者がほとんどである。
目の前にいるグレゴールは、飛び抜けて優秀らしい。というのも彼は前王の弟で、王族の一人なせいだ。
能力が高い者が王になり、優秀な妃と結婚して、能力の高い子どもが生まれてくる。そのために王侯貴族には自然と強い者が多い。
反対に、女神と色が遠ざかるほどに、魔力は少なく戦闘能力も低くなる。対極といえる黒髪黒目は、最も能力が低いので、馬鹿にされがちなのだ。
しかし、他の世界から来た上に、女神の使いであるハルは、決まり事の外にいる。そのため、彼らは敬意をこめて、ハルを黒の御使いと呼んでいた。
「いくら強いとはいえ、女神様よりかけられた制限があることを忘れませんように。町での生活に慣れるまで、メロラインとお過ごしください」
少々過保護だが、グレゴールの心配になんだかくすぐったい気分になる。ハルは照れ笑いを浮かべた。
「ありがとうございます、グレゴールさん。気を付けます」
ハルはぺこっと頭を下げた。
グレゴールの神官としての能力は高く、女神からの言葉を、託宣という形で受け取れるほどだ。そのため、召喚後に、女神からの言葉をハルに教えてくれた。
ハルには、人間を攻撃できないという制限がある。
女神の身になって考えてみれば、妥当な心配だ。
ハルは聖なる武器と加護、上位世界の人間という理由で、この世界ではほぼ無敵。もしかしたら、国を征服することも出来るかもしれない。
そんな真似はしないが、もしかしたらを考えたら心配にもなるだろう。
だがハルとしては、旅をして写真を撮って、おいしいものを食べられたらそれでいい。それとおまけで、論文の題材について考える。
「それじゃあ、行ってきます!」
門の大きな扉が開き、都市を囲む結界に道が出来る。
皆のあいさつを背に、ハルとメロラインは馬車に乗り込み、ダルトガの町を後にした。
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