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1巻
1-3
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りあが返事をすると、ふくよかな中年女性が部屋に入ってきた。
茶色い髪をひっつめて束ね、三角巾でまとめている。赤色のエプロンをつけている姿は、面倒見のいい近所のおばさんといった雰囲気だ。
「ああ、やっと目が覚めたんだね! 昨日からずっと寝たままだったから心配してたんだよ。うん、顔色もずいぶんよくなったね」
「あの、あなたは……?」
顔を覗き込んでくる女性に、りあはおずおずと尋ねた。
「私はマリア・ガイス。この宿のおかみさ。昨日はびっくりしたよ。あの女嫌いの旦那が、あんたを腕に抱えて帰ってきたんだから。なんて堂々としたお持ち帰りだろうと思ったら、ただの人助けだっていうじゃないか。あの人らしいったらないねえ」
やれやれと大袈裟に溜息を吐くと、マリアは扉の方へ向かう。
「ちょいと待ってておくれ、旦那を呼んでくるから。あ、その寝間着は私のだよ。着替えさせたのも私だから、安心しなね!」
「はあ」
叫ぶように言いながら廊下へ消えたマリアに、りあは気の抜けた返事をする。いったい旦那とは誰のことだろうと首をひねっていると、すぐにマリアが戻ってきた。その後ろには、二十代半ばくらいの背の高い青年がいる。
マリアに背中を押された青年は、部屋へ入ってたたらを踏んだ。そして迷惑そうにマリアを睨んだ後、こちらにやってくる。
彼が傍に来ると、りあは少し威圧感を覚えた。背が高いので見上げなくてはいけないというのもあるが、それ以上に彼の持つ冷たい雰囲気のせいだ。
(格好いい人だけど、なんだか不良っぽくて怖いなあ)
灰色の服に身を包んだ青年は、短い茶色の髪をしていて、耳や首には銀製のアクセサリーをじゃらじゃらとつけている。赤茶色の目が、じろりとりあを見下ろしていた。
「やっと起きたか。俺はレクス、冒険者だ。今はこの町の冒険者ギルドで教官をしている。ついでに言うと、山から落っこちてきたあんたを拾った」
「はあ……」
淡々とした自己紹介に、寝起きで頭が回らないりあは、とりあえず頷いた。すると戸口から、青毛の猫が顔を覗かせる。
「レクス殿、体の具合くらい聞いてあげてくださいよっ。彼女、びっくりしてるじゃないですか……あ、申し遅れました。ボクはラピスといって、レクス殿の従者をしています」
「従者……」
りあはラピスの姿に目を奪われながら、呆然と口にした。手と足の先だけ白い青猫が、ゲームに出てくる精霊教という宗教の神官服である白いローブを着ている。その背中には、トンボに似た羽が一対生えていた。身長がレクスの胸くらいまでしかないので、まるで子どもが着ぐるみを着ているかのように見える。
りあはふと、ゲーム『4spells』の設定を思い出した。
ゲームの舞台であるアズルガイアという世界では、人間と妖精族が共生している。妖精族には猫・犬・木・魚の四種類があり、それぞれケット・シー、クー・シー、ドリアード、人魚と呼ばれていた。プレイヤーがアバターを作る際は、人間を含めた五つの種族から選ぶことができたのだ。
ラピスはその中の一つであるケット・シー、つまり猫の妖精だろう。
「すごい……。本物?」
好奇心に駆られたりあは、ラピスの耳を引っ張ってみる。すると、柔らかくてふわふわしていた。
「痛い! 触らないでくださいっ」
「あ、ごめんなさい!」
りあはすぐに手を離して謝った。ラピスはりあから少し距離を取り、ぶつぶつと文句を言う。
「まったくもう、失礼なお嬢さんですねっ。あなただって初対面の方に耳を触られたら、いい気はしないでしょう?」
「本当にごめんなさい! もうしませんからっ」
りあがぺこぺこと頭を下げて謝ると、ラピスはようやく怒りを静めた。その頃合いを見計らったようにレクスが尋ねてくる。
「で? あんたは?」
「私は夕野……いえ、ユーノリアといいます。助けてくださってありがとうございました」
りあはユーノリアと名乗った。発音が違うだけで文字の並びは本名と同じだし、ネットで使うハンドルネームのようなものだと思えば、特に抵抗はない。
丁寧に頭を下げてから体を起こすと、レクスが疑いを込めた目でこちらを見ていた。あまりにじろじろ見てくるので、りあは心持ちのけぞりながら問いかける。
「な、何か?」
「あんた、まさか魔人じゃないよな?」
「……は?」
一瞬、質問の意味が分からず、りあは目を点にする。
「ええと……魔人ってあれですよね? 人型の魔物のことですよね?」
魔人は頭に角が生えているか、もしくは顔に青い紋様があるから一目で分かる。それらの特徴を隠してただの人間に化けることもあるが、そんなことができる魔人はめったにいない上に、ダンジョンから出てくることも稀なはずだ。それともこの世界はゲームと違い、人間に化けた魔人がそこら中にいるのだろうか。
「あー、なんでもないです! 今の質問は忘れてください! すみませんね、お嬢さん。レクス殿、もう少し自重してくださいよっ」
ラピスが誤魔化すように笑いながら、レクスの腕を引っ張った。
レクスはむっとした様子で反論する。
「だがラピス。あんな雪山に、こんな女が一人でいるなんて怪しいだろ」
「山から落ちて死にかけてたんですよ? そんな間抜けな魔人がいますか!」
「それもそうだな」
ラピスの言葉に頷くと、レクスは再びりあに向き直った。
「あんた、あんなところで何してたんだ?」
「ええと……分かりません。気付いたらあそこにいて……」
ユーノリアと入れ替わったと思ったら、あそこに倒れていたのだ。それに、本物のユーノリアが禁じ手の魔法に手を出したなんて言えば、どんなことになるか分からない。
りあが困ってうつむくと、レクスは更に質問してきた。
「崖の上にもう一人いたようだが、あいつは誰だ?」
「崖の上にいた人……? 見たんですか?」
りあはヴィクターのことを思い出し、若干身を乗り出して尋ねた。小規模魔法とはいえ、あれほどの至近距離で爆発を起こしたのだ。ヴィクターも無事では済まなかっただろうが、念のため結果を確認しておきたかった。
「いや、顔までは見えなかった。すぐにいなくなったからな」
「そうですか」
りあは、ほっとした。ヴィクターが追いかけてこなかったということは、少なからずダメージがあったということだろう。そこで宝石精霊のエディが口を開く。
『あいつ、本当にしぶといで……むぐぐっ』
「エディ、ちょっと静かにしてなさい」
りあは慌ててエディの口を塞いだ。ヴィクターのことを誰かに話すのはよくない気がする。少なくとも、ゲームの中の彼は悪辣非道だった。ここで迂闊に話して、助けてくれた人を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「で? あいつは誰なんだ?」
「私自身もよく分かっていないことを誰かに話すのは、気が引けます」
「つまり、俺達には何も話せないと?」
「……すみません」
よく分かっていないのは本当だ。だから、りあは深々と頭を下げて、これ以上追及されないように祈る。
「ふーん……」
少し和らいでいたレクスの目が、怪しいものを見るような目に戻った。りあは首をすくめて縮こまる。そこで、マリアが耐え切れないとばかりに噴き出した。
「あはは、レクスの旦那、そうしてると虐めてるようにしか見えないよ。よく覚えてないんじゃ仕方ないだろう。倒れたショックのせいかもしれないし、しばらくゆっくりしてたら、そのうち思い出すよ」
「そうですよ、レクス殿。今のあなたは完全に、善良な市民を追い詰めるチンピラです。その辺でやめておいた方が無難ですよ」
「うるさいぞ、ラピス。お前はほんっとうに一言多いな!」
レクスがじろりとラピスを睨んだ。だが、ラピスの方はどこ吹く風といった感じである。これ以上言っても無駄だと思ったのか、レクスは再び険のある眼差しをりあに向けた。
「なんだか知らないが、あんたは怪しい。だから、しばらく俺の監視下にいてもらう。少しでも妙な真似をしたら衛兵に突き出してやるからな。しっかり覚えておけ」
「は、はいっ」
涙目でこくこくと頷くりあを、マリアとラピスが同情的な目で見ている。だが、それも気にすることなくレクスは平然と尋ねてきた。
「ところであんた、金は?」
「えっ? ……まさか、助けてやったんだから有り金を全部よこせとか、そういうことですか?」
だとしたら、なんて恐ろしい人だろう。親切なふりをして金銭を要求するだなんて、正真正銘のチンピラではないか。
りあが青ざめながらぶるぶる震えていると、またラピスが間に入ってきた。
「もう、レクス殿っ。なんでそういう聞き方しかできないんですか? どう考えたって悪者の台詞ですよ、それ」
「何言ってんだ。ただ金を持ってるのかどうか聞いただけだろ」
不機嫌そうに返すレクスに、ラピスは溜息を吐いた。そして、諦めた様子でりあに頭を下げる。
「申し訳ありません、お嬢さん。この方は、宿代を払えるのかどうかを聞いているだけなんです」
「あ……宿代」
現実的な問題にぶち当たり、りあは冷や汗をかいた。
(ゲームだと、画面の上の方にコインの枚数が表示されてたけど……ここにはそんなの見当たらない。だいたい、お金を持ってたとしても、どうやって使うんだろう)
ゲーム内の通貨はディル銀貨というものだったが、この世界の通貨もそれと同じなのだろうか。
りあが困っていると、エディが籠バッグを運んできた。
『ユーノリアしゃま、お財布はここですよ』
「あ、ありがとう、エディ」
りあはお礼を言って籠バッグを受け取る。
(なんだ、お金はバッグの中にあるのね。……あれ?)
籠バッグの中を覗いたが、完全に空だった。その代わり、内側に魔法陣らしきものが刺繍されている。りあが固まっていると、レクスが籠バッグを覗き込み、怪訝そうに聞いてきた。
「防犯魔法付きのバッグか。こんな高価なものを持ってるなんて……あんた、そこそこ名の知れた冒険者か? それとも貴族か?」
興味津々な様子でバッグに触れようとするレクスの腕に、ラピスが飛びついて止めた。
「レクス殿! いくら怪しいからって、他人のバッグに触っちゃ駄目ですよっ。マナー違反ですし、もし防犯魔法が発動したら怪我しちゃいますよっ」
「え、これって危ないんですか?」
りあはびっくりして、恐る恐る籠バッグを見下ろす。
すると、今度はラピスが怪訝な顔をした。
「持ち主は安全ですよ。防犯魔法っていうのは、あくまで盗難防止のためのものなので……。やっぱりこの方、ショックで記憶が飛んでるんじゃないですか? レクス殿」
その言葉を聞くに、防犯魔法というのは、この世界では一般常識のようだ。苦笑いを浮かべるりあに、ハナが丁寧に説明してくれる。
『ユーノリア様。籠バッグの中に手を入れて、アイテムの名前を口にするか、もしくは思い浮かべてください。そうすると、手を引き出した時にアイテムが出現します』
(つまり、この籠バッグって、インベントリみたいなものなのかしら?)
インベントリというのは、ゲーム内におけるアイテム入れのことだ。『4spells』の初期設定では五十個までしか入れられず、それ以上のアイテムを持ち運びたければ、課金して容量を増やすしかない。
「なるほど、分かったわ。えっと、お財布お財布……」
りあが籠バッグに手を入れると、水に浸かったような不思議な感じがした。次の瞬間、りあの前に四角いウインドウが浮かび上がり、アイテムリストが表示される。
白の書、財布、回復アイテム……それ以外にもモンスターがドロップしたと思しきものがいくつか入っているが、アイテムの数はそう多くはない。だが財布の他に、化粧品セットと着替えも入っているところがゲームと違っていた。
「このリストに書かれたものが入っているのよね?」
『リスト……ですか?』
「これよ、ここに浮いてるやつ」
『ハナには見えませんよ? うーん、もしかして本当に打ちどころが悪かったんでしょうか……』
ハナはおろおろしていたが、はっと気付いたように言う。
『お、お医者さんっ』
慌ててどこかに飛んでいこうとするハナを、りあは急いで止めた。
「待って! 大丈夫だから落ち着いて。……ごめんね。変なこと言っちゃって」
どうやらこのウインドウは、りあにしか見えていないらしい。その証拠に、りあ達の会話を聞いたレクスとラピスが、やばいなという顔で囁き合っている。
(理由は謎だけど、私には他の人達と違うことができるみたい。変に思われないよう、気を付けなきゃ……)
頭がおかしいと思われて、病院などに閉じ込められては困る。りあは平静を装いつつ、籠バッグから財布を取り出した。
財布は革製の巾着袋で、中に入っていたのは10ディル銀貨一枚だけだった。日本円に換算するなら、だいたい千円くらいだと思う。
固まるりあの様子を不審に思ったのか、ハナが財布を横から覗き込んでくる。
『……そういえばユーノリア様、この間、そちらの杖を買ったばかりでしたね』
ハナが目線で示した方向には、いかにも高そうな白い杖が置かれていた。
ゲームでは魔物を倒すと、魔虹石と呼ばれるアイテムをドロップするので、それを売ればお金が手に入る。だが、ここでも同じかどうかは分からないし、同じだったとしても、すぐにはどうこうできない。
「え……と」
りあが困惑していると、今度はラピスが財布の中を覗き込んだ。そして恐る恐る尋ねてくる。
「まさかとは思いますが、これが全財産ですか?」
りあは無言で頷いた。そのままうなだれるりあから視線を逸らし、ラピスはレクスに言う。
「10ディルしか持っておられないそうです」
「は? いったいどんな生活してるんだ、あんた……」
「……分かりません」
もうヤケだ。こうなったら全部分からないで通すしかない。
(ユーノリアの馬鹿ーっ。入れ替わるなら、私のこともちょっとは考えといてよ!)
心の中でユーノリアに向かって叫びながらも、実際には黙ってうつむくしかない。レクスの視線がチクチクと突き刺さってきて痛かった。
だが意外なことに、彼はりあを責めることなく、仕方ないなとばかりに肩をすくめる。
「じゃあ、一週間だけ面倒を見てやる。食費を含めて宿代は全部俺が出すから、その後のことは自分でどうにかしろ」
「ええっ!? いいんですか!? な、何か裏があるんじゃ……?」
「あんたを助けると決めたのは俺なんだから、ある程度は面倒を見るべきだろう」
至極当然だといわんばかりのレクスに驚き、りあはラピスの方を見る。するとラピスも頷いた。
「そうですねえ、自分で拾ってきたなら責任を持って面倒見ないと」
犬猫を拾うみたいな言い方が少し気になったものの、りあはその言葉に納得する。現金かもしれないが、レクスの印象も一気に変わった。
(なんだ。怖い人かと思ってたら、案外いい人じゃない……!)
当面の生活が保障されたことで、りあはほっと息を吐く。だが、それも束の間、レクスが怖い顔で凄んできた。
「面倒は見てやるが、もし勝手に逃げたりしたら……どうなるか分かってるな?」
「え、ええ、分かってます!」
りあはしゃきんと背筋を伸ばして返事をする。一瞬、大剣で斬り殺される幻覚が見えた。
(つまり、監視する代わりに宿代を払ってくれるってことなのね……)
レクスの視線から身を守るように、りあが縮こまっていると、ラピスがいい加減にしろとばかりに目を吊り上げた。
「レクス殿、どれだけ怖がらせたら気が済むんですか! やめてくださいよ、これじゃ従者のボクまで悪者扱いされるでしょ!」
主人に文句を言った後、ラピスは申し訳なさそうな顔でりあに忠告する。
「でも、お嬢さん、変な真似はしない方がいいです。この方はSランク冒険者ですから、逃げるなんて無理ですよ。下手なことをしたら、そのまま牢屋に放り込まれちゃいます」
「Sランク……冒険者!?」
レクスがSランクということではなく、冒険者という単語にりあは食いついた。
「そうだわ、冒険者よ!」
ゲームと同じなら、冒険者ギルドのクエストを達成することで報酬がもらえる。
ちなみに冒険者のランクは上からSS、S、A、B、C、Dと六段階ある。プレイヤーのレベルとは関係なく、クエストを達成することでしかランクは上げられないので、ゲームでは地道な努力が必要だった。すでにレベルがカンストしているりあでも、まだAランクだったのだ。
「私、冒険者になります! それで、ちゃんとお金は返しますからっ」
りあが勢い込んで言うと、マリアが口を挟んできた。
「ちょっとお待ちよ、お嬢さん。そんな細っこいあんたが冒険者になるって? 冒険には危険が付き物なんだ。あんたみたいなのは、すぐ魔物に殺されちまうよ」
その言葉に、りあはひるんだ。お金を稼ぐことで頭がいっぱいで、そこまでは考えていなかったのだ。
エディが聞き捨てならないとばかりにマリアに反論する。
『ユーノリアしゃまは、すっごく強い魔法使いなんですよっ。魔物なんて、バンバンドーン! って倒しちゃいますから大丈夫ですっ』
「そ、そうなのかい?」
エディの勢いに気圧された様子で、マリアが聞き返した。それにラピスが納得顔で答える。
「まあ、それくらいの戦闘能力がなければ、ホワイトローズ・マウンテンなんかに入らないでしょう」
「従者さんがそう言うなら安心だね。だったら私も止めないよ」
にかっと笑うマリアに、りあは会釈をした。
「心配してくださって、ありがとうございます」
「あはは。こんな丁寧な冒険者はめったにいないから、やっぱり変な感じだけどねえ」
苦笑するマリアにあいまいな笑いを返しながら、りあは密かに決意を固める。
(魔物は怖いけど、戦わなきゃお金が稼げないんだもの。背に腹は代えられないわっ)
今のりあがすべきなのは、当面の生活資金を稼ぐことだろう。何より、りあはこの世界のことが全く分からないのだ。情報を集めるためにも、しばらくカノンの町で生活する必要がある。
それに、再びユーノリアと入れ替わる方法を探すにしろ、魔人ヴィクターについての情報を手に入れるにしろ、冒険者ギルドに登録しておいた方がよさそうに思えた。
我ながらいい案だとりあが頷いていると、レクスがずいと身を乗り出してきた。彼は人差し指をりあの顔に突きつけて、きっぱりと言う。
「あんたが冒険者になろうがどうしようが勝手だが、俺の監視対象であることに変わりはない。それだけは肝に銘じておけ」
「は、はいっ」
りあが慌てて返事をすると、レクスは「よし」と頷いて、さっさと部屋を出ていった。ラピスも「ごめんにゃ」とりあに会釈してから、レクスの後を追う。
部屋に残ったのは、苦い顔をしたマリアだけだった。
「ごめんねえ、ユーノリアちゃん。ああ見えて結構いい人だから、恨まないでやってね」
「恨むなんてとんでもない! 助けてくださった上に、宿代まで出してくださるなんて、親切じゃないですか。……正直、ちょっと怖いですけど」
りあがうっかり本音を漏らすと、マリアは愉快そうに笑った。
「あっはっは。……そうだ、別の服を持ってくるから、それに着替えちゃいなよ。あんたの着てた服、ちょっとにおってたからさ、勝手に洗っちまったんだよ」
「におっ……は、はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
洞窟で一週間も寝ていたというから、におっていて当然なのかもしれない。マリアの厚意はありがたいが、女子として少し悲しくなってしまうりあだった。
◆
りあはマリアが若い頃に着ていたという服に着替えた。萌黄色のワンピースは、ヨーロッパのどこかの国の民族衣装に似ている。
「わあ、これもすごく似合う。ユーノリアって本当に美人だものね」
鏡を覗き込んだりあは、感心して呟いた。何を着ても似合うなんてうらやましい。
「あ、そうだ」
ふとあることを思いついたりあは、籠バッグを手に取ると、ベッドの端に座る。その傍らに、宝石精霊達が着地した。
『どうしたんですか?』
ハナの問いに、りあは籠バッグに手を差し入れながら答える。
「白の書って、どんなものなのかと思って」
アイテム名を呟きながら手を引き抜くと、膝の上に白い本が落ちた。両手で持ってみれば、結構ずっしりしている。独特の紋様がある革表紙には石が埋め込まれていて、淡く光っていた。
思い切って開いてみると、最初のページに誰かからのメッセージらしきものが書かれていた。かなり古めかしい言い回しなので、理解しやすくなるよう、りあは声に出して読む。
「我が意志を継ぎ、魔王の封印を守る者へ。
汝、本を手放すにあらず。
汝以外、本に触れることはできない。それができるとしたら、汝の死す時だけである。
もし他の者が本に触れれば、その者は雷に打たれるであろう。
汝、死する前に新たなる守護者を選ぶべし。
汝の意志に敬服し、強大なる魔法を授けん。されど、この書物なくば使うにあたわず。
汝の進む道に祝福と幸運があらんことを祈る」
気付けばハナが興味深そうに、鼻をひくひくさせていた。
『そんな言葉が記されているのですか?』
「あ、そっか。ハナは動物だから、さすがに文字は読めないよね」
『いえ、私は精霊ですし、文字を勉強したので読めますよ。ですが、その本には持ち主にしか読めない魔法がかかっているんです。私が読もうとしても、文字がぼやけてしまって……』
「そうなんだ」
本をぱらぱらとめくってみると、全てのページに呪文らしきものが書かれていた。
「これって誰からのメッセージなの?」
『魔王を封印した大魔法使い様に決まってますよっ』
ハナは目をキラキラさせて答えた後、えへんと胸を張って語り始める。
『もう千年も前になるでしょうか。突如誕生した魔王により、この世界――アズルガイアは危機に瀕していたのです』
りあの頭の中に、ゲームのオープニング映像が流れた。だが、そんなことをハナに言っても仕方がないので、大人しく続きを聞くことにする。
『最初は何もなかったこの場所に、神様が青い宝玉を入れたことで世界が生まれました。その宝玉の中に含まれていたとても小さな不純物が、年月とともに大きくなり、力を増して魔王となったのです。魔王は自分自身の欠片から、魔物や魔人を生み出しました。それだけでも充分脅威なのですが、最も危険なのは魔王そのものです』
「へえ……」
ハナの熱い語り口に惹き込まれて、りあは何度も頷く。
『魔王は自然の中にある魔力ラインから、魔力を根こそぎ奪ってしまうのです。魔力がなければ、我々精霊は存在できません。精霊の力を失くした土地は荒れ果てて、不毛の大地になるのです。どうですか、恐ろしいでしょう?』
「ごめん、よく分からないんだけど……魔力ラインって何? あと、精霊ってそもそもなんなの?」
『え!?』
なぜかハナが驚いて、のけぞった拍子にころんと転がった。遊んでいると勘違いしたのか、エディも真似して布団の上を転がる。
『一応、確認させていただきますが……ユーノリア様って天界人なんですよね?』
「前から思ってたんだけど、その天界人ってなんなの?」
『ええー!?』
更にびっくりしたのか、ハナは大きく飛び上がった。
『前のユーノリア様は、こうおっしゃってたんです。自分のことをうらやましいっていう天界人の声が聞こえたから、その人と入れ替わってもらうんだって。きっと同じ魂を共有してるはずだから、絶対に大丈夫だって』
「うーん……ということは、やっぱりここはゲームの中ってわけじゃないのかしら。ハナはここがゲームの世界だと思う?」
『ゲーム? なんのお話ですか?』
茶色い髪をひっつめて束ね、三角巾でまとめている。赤色のエプロンをつけている姿は、面倒見のいい近所のおばさんといった雰囲気だ。
「ああ、やっと目が覚めたんだね! 昨日からずっと寝たままだったから心配してたんだよ。うん、顔色もずいぶんよくなったね」
「あの、あなたは……?」
顔を覗き込んでくる女性に、りあはおずおずと尋ねた。
「私はマリア・ガイス。この宿のおかみさ。昨日はびっくりしたよ。あの女嫌いの旦那が、あんたを腕に抱えて帰ってきたんだから。なんて堂々としたお持ち帰りだろうと思ったら、ただの人助けだっていうじゃないか。あの人らしいったらないねえ」
やれやれと大袈裟に溜息を吐くと、マリアは扉の方へ向かう。
「ちょいと待ってておくれ、旦那を呼んでくるから。あ、その寝間着は私のだよ。着替えさせたのも私だから、安心しなね!」
「はあ」
叫ぶように言いながら廊下へ消えたマリアに、りあは気の抜けた返事をする。いったい旦那とは誰のことだろうと首をひねっていると、すぐにマリアが戻ってきた。その後ろには、二十代半ばくらいの背の高い青年がいる。
マリアに背中を押された青年は、部屋へ入ってたたらを踏んだ。そして迷惑そうにマリアを睨んだ後、こちらにやってくる。
彼が傍に来ると、りあは少し威圧感を覚えた。背が高いので見上げなくてはいけないというのもあるが、それ以上に彼の持つ冷たい雰囲気のせいだ。
(格好いい人だけど、なんだか不良っぽくて怖いなあ)
灰色の服に身を包んだ青年は、短い茶色の髪をしていて、耳や首には銀製のアクセサリーをじゃらじゃらとつけている。赤茶色の目が、じろりとりあを見下ろしていた。
「やっと起きたか。俺はレクス、冒険者だ。今はこの町の冒険者ギルドで教官をしている。ついでに言うと、山から落っこちてきたあんたを拾った」
「はあ……」
淡々とした自己紹介に、寝起きで頭が回らないりあは、とりあえず頷いた。すると戸口から、青毛の猫が顔を覗かせる。
「レクス殿、体の具合くらい聞いてあげてくださいよっ。彼女、びっくりしてるじゃないですか……あ、申し遅れました。ボクはラピスといって、レクス殿の従者をしています」
「従者……」
りあはラピスの姿に目を奪われながら、呆然と口にした。手と足の先だけ白い青猫が、ゲームに出てくる精霊教という宗教の神官服である白いローブを着ている。その背中には、トンボに似た羽が一対生えていた。身長がレクスの胸くらいまでしかないので、まるで子どもが着ぐるみを着ているかのように見える。
りあはふと、ゲーム『4spells』の設定を思い出した。
ゲームの舞台であるアズルガイアという世界では、人間と妖精族が共生している。妖精族には猫・犬・木・魚の四種類があり、それぞれケット・シー、クー・シー、ドリアード、人魚と呼ばれていた。プレイヤーがアバターを作る際は、人間を含めた五つの種族から選ぶことができたのだ。
ラピスはその中の一つであるケット・シー、つまり猫の妖精だろう。
「すごい……。本物?」
好奇心に駆られたりあは、ラピスの耳を引っ張ってみる。すると、柔らかくてふわふわしていた。
「痛い! 触らないでくださいっ」
「あ、ごめんなさい!」
りあはすぐに手を離して謝った。ラピスはりあから少し距離を取り、ぶつぶつと文句を言う。
「まったくもう、失礼なお嬢さんですねっ。あなただって初対面の方に耳を触られたら、いい気はしないでしょう?」
「本当にごめんなさい! もうしませんからっ」
りあがぺこぺこと頭を下げて謝ると、ラピスはようやく怒りを静めた。その頃合いを見計らったようにレクスが尋ねてくる。
「で? あんたは?」
「私は夕野……いえ、ユーノリアといいます。助けてくださってありがとうございました」
りあはユーノリアと名乗った。発音が違うだけで文字の並びは本名と同じだし、ネットで使うハンドルネームのようなものだと思えば、特に抵抗はない。
丁寧に頭を下げてから体を起こすと、レクスが疑いを込めた目でこちらを見ていた。あまりにじろじろ見てくるので、りあは心持ちのけぞりながら問いかける。
「な、何か?」
「あんた、まさか魔人じゃないよな?」
「……は?」
一瞬、質問の意味が分からず、りあは目を点にする。
「ええと……魔人ってあれですよね? 人型の魔物のことですよね?」
魔人は頭に角が生えているか、もしくは顔に青い紋様があるから一目で分かる。それらの特徴を隠してただの人間に化けることもあるが、そんなことができる魔人はめったにいない上に、ダンジョンから出てくることも稀なはずだ。それともこの世界はゲームと違い、人間に化けた魔人がそこら中にいるのだろうか。
「あー、なんでもないです! 今の質問は忘れてください! すみませんね、お嬢さん。レクス殿、もう少し自重してくださいよっ」
ラピスが誤魔化すように笑いながら、レクスの腕を引っ張った。
レクスはむっとした様子で反論する。
「だがラピス。あんな雪山に、こんな女が一人でいるなんて怪しいだろ」
「山から落ちて死にかけてたんですよ? そんな間抜けな魔人がいますか!」
「それもそうだな」
ラピスの言葉に頷くと、レクスは再びりあに向き直った。
「あんた、あんなところで何してたんだ?」
「ええと……分かりません。気付いたらあそこにいて……」
ユーノリアと入れ替わったと思ったら、あそこに倒れていたのだ。それに、本物のユーノリアが禁じ手の魔法に手を出したなんて言えば、どんなことになるか分からない。
りあが困ってうつむくと、レクスは更に質問してきた。
「崖の上にもう一人いたようだが、あいつは誰だ?」
「崖の上にいた人……? 見たんですか?」
りあはヴィクターのことを思い出し、若干身を乗り出して尋ねた。小規模魔法とはいえ、あれほどの至近距離で爆発を起こしたのだ。ヴィクターも無事では済まなかっただろうが、念のため結果を確認しておきたかった。
「いや、顔までは見えなかった。すぐにいなくなったからな」
「そうですか」
りあは、ほっとした。ヴィクターが追いかけてこなかったということは、少なからずダメージがあったということだろう。そこで宝石精霊のエディが口を開く。
『あいつ、本当にしぶといで……むぐぐっ』
「エディ、ちょっと静かにしてなさい」
りあは慌ててエディの口を塞いだ。ヴィクターのことを誰かに話すのはよくない気がする。少なくとも、ゲームの中の彼は悪辣非道だった。ここで迂闊に話して、助けてくれた人を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「で? あいつは誰なんだ?」
「私自身もよく分かっていないことを誰かに話すのは、気が引けます」
「つまり、俺達には何も話せないと?」
「……すみません」
よく分かっていないのは本当だ。だから、りあは深々と頭を下げて、これ以上追及されないように祈る。
「ふーん……」
少し和らいでいたレクスの目が、怪しいものを見るような目に戻った。りあは首をすくめて縮こまる。そこで、マリアが耐え切れないとばかりに噴き出した。
「あはは、レクスの旦那、そうしてると虐めてるようにしか見えないよ。よく覚えてないんじゃ仕方ないだろう。倒れたショックのせいかもしれないし、しばらくゆっくりしてたら、そのうち思い出すよ」
「そうですよ、レクス殿。今のあなたは完全に、善良な市民を追い詰めるチンピラです。その辺でやめておいた方が無難ですよ」
「うるさいぞ、ラピス。お前はほんっとうに一言多いな!」
レクスがじろりとラピスを睨んだ。だが、ラピスの方はどこ吹く風といった感じである。これ以上言っても無駄だと思ったのか、レクスは再び険のある眼差しをりあに向けた。
「なんだか知らないが、あんたは怪しい。だから、しばらく俺の監視下にいてもらう。少しでも妙な真似をしたら衛兵に突き出してやるからな。しっかり覚えておけ」
「は、はいっ」
涙目でこくこくと頷くりあを、マリアとラピスが同情的な目で見ている。だが、それも気にすることなくレクスは平然と尋ねてきた。
「ところであんた、金は?」
「えっ? ……まさか、助けてやったんだから有り金を全部よこせとか、そういうことですか?」
だとしたら、なんて恐ろしい人だろう。親切なふりをして金銭を要求するだなんて、正真正銘のチンピラではないか。
りあが青ざめながらぶるぶる震えていると、またラピスが間に入ってきた。
「もう、レクス殿っ。なんでそういう聞き方しかできないんですか? どう考えたって悪者の台詞ですよ、それ」
「何言ってんだ。ただ金を持ってるのかどうか聞いただけだろ」
不機嫌そうに返すレクスに、ラピスは溜息を吐いた。そして、諦めた様子でりあに頭を下げる。
「申し訳ありません、お嬢さん。この方は、宿代を払えるのかどうかを聞いているだけなんです」
「あ……宿代」
現実的な問題にぶち当たり、りあは冷や汗をかいた。
(ゲームだと、画面の上の方にコインの枚数が表示されてたけど……ここにはそんなの見当たらない。だいたい、お金を持ってたとしても、どうやって使うんだろう)
ゲーム内の通貨はディル銀貨というものだったが、この世界の通貨もそれと同じなのだろうか。
りあが困っていると、エディが籠バッグを運んできた。
『ユーノリアしゃま、お財布はここですよ』
「あ、ありがとう、エディ」
りあはお礼を言って籠バッグを受け取る。
(なんだ、お金はバッグの中にあるのね。……あれ?)
籠バッグの中を覗いたが、完全に空だった。その代わり、内側に魔法陣らしきものが刺繍されている。りあが固まっていると、レクスが籠バッグを覗き込み、怪訝そうに聞いてきた。
「防犯魔法付きのバッグか。こんな高価なものを持ってるなんて……あんた、そこそこ名の知れた冒険者か? それとも貴族か?」
興味津々な様子でバッグに触れようとするレクスの腕に、ラピスが飛びついて止めた。
「レクス殿! いくら怪しいからって、他人のバッグに触っちゃ駄目ですよっ。マナー違反ですし、もし防犯魔法が発動したら怪我しちゃいますよっ」
「え、これって危ないんですか?」
りあはびっくりして、恐る恐る籠バッグを見下ろす。
すると、今度はラピスが怪訝な顔をした。
「持ち主は安全ですよ。防犯魔法っていうのは、あくまで盗難防止のためのものなので……。やっぱりこの方、ショックで記憶が飛んでるんじゃないですか? レクス殿」
その言葉を聞くに、防犯魔法というのは、この世界では一般常識のようだ。苦笑いを浮かべるりあに、ハナが丁寧に説明してくれる。
『ユーノリア様。籠バッグの中に手を入れて、アイテムの名前を口にするか、もしくは思い浮かべてください。そうすると、手を引き出した時にアイテムが出現します』
(つまり、この籠バッグって、インベントリみたいなものなのかしら?)
インベントリというのは、ゲーム内におけるアイテム入れのことだ。『4spells』の初期設定では五十個までしか入れられず、それ以上のアイテムを持ち運びたければ、課金して容量を増やすしかない。
「なるほど、分かったわ。えっと、お財布お財布……」
りあが籠バッグに手を入れると、水に浸かったような不思議な感じがした。次の瞬間、りあの前に四角いウインドウが浮かび上がり、アイテムリストが表示される。
白の書、財布、回復アイテム……それ以外にもモンスターがドロップしたと思しきものがいくつか入っているが、アイテムの数はそう多くはない。だが財布の他に、化粧品セットと着替えも入っているところがゲームと違っていた。
「このリストに書かれたものが入っているのよね?」
『リスト……ですか?』
「これよ、ここに浮いてるやつ」
『ハナには見えませんよ? うーん、もしかして本当に打ちどころが悪かったんでしょうか……』
ハナはおろおろしていたが、はっと気付いたように言う。
『お、お医者さんっ』
慌ててどこかに飛んでいこうとするハナを、りあは急いで止めた。
「待って! 大丈夫だから落ち着いて。……ごめんね。変なこと言っちゃって」
どうやらこのウインドウは、りあにしか見えていないらしい。その証拠に、りあ達の会話を聞いたレクスとラピスが、やばいなという顔で囁き合っている。
(理由は謎だけど、私には他の人達と違うことができるみたい。変に思われないよう、気を付けなきゃ……)
頭がおかしいと思われて、病院などに閉じ込められては困る。りあは平静を装いつつ、籠バッグから財布を取り出した。
財布は革製の巾着袋で、中に入っていたのは10ディル銀貨一枚だけだった。日本円に換算するなら、だいたい千円くらいだと思う。
固まるりあの様子を不審に思ったのか、ハナが財布を横から覗き込んでくる。
『……そういえばユーノリア様、この間、そちらの杖を買ったばかりでしたね』
ハナが目線で示した方向には、いかにも高そうな白い杖が置かれていた。
ゲームでは魔物を倒すと、魔虹石と呼ばれるアイテムをドロップするので、それを売ればお金が手に入る。だが、ここでも同じかどうかは分からないし、同じだったとしても、すぐにはどうこうできない。
「え……と」
りあが困惑していると、今度はラピスが財布の中を覗き込んだ。そして恐る恐る尋ねてくる。
「まさかとは思いますが、これが全財産ですか?」
りあは無言で頷いた。そのままうなだれるりあから視線を逸らし、ラピスはレクスに言う。
「10ディルしか持っておられないそうです」
「は? いったいどんな生活してるんだ、あんた……」
「……分かりません」
もうヤケだ。こうなったら全部分からないで通すしかない。
(ユーノリアの馬鹿ーっ。入れ替わるなら、私のこともちょっとは考えといてよ!)
心の中でユーノリアに向かって叫びながらも、実際には黙ってうつむくしかない。レクスの視線がチクチクと突き刺さってきて痛かった。
だが意外なことに、彼はりあを責めることなく、仕方ないなとばかりに肩をすくめる。
「じゃあ、一週間だけ面倒を見てやる。食費を含めて宿代は全部俺が出すから、その後のことは自分でどうにかしろ」
「ええっ!? いいんですか!? な、何か裏があるんじゃ……?」
「あんたを助けると決めたのは俺なんだから、ある程度は面倒を見るべきだろう」
至極当然だといわんばかりのレクスに驚き、りあはラピスの方を見る。するとラピスも頷いた。
「そうですねえ、自分で拾ってきたなら責任を持って面倒見ないと」
犬猫を拾うみたいな言い方が少し気になったものの、りあはその言葉に納得する。現金かもしれないが、レクスの印象も一気に変わった。
(なんだ。怖い人かと思ってたら、案外いい人じゃない……!)
当面の生活が保障されたことで、りあはほっと息を吐く。だが、それも束の間、レクスが怖い顔で凄んできた。
「面倒は見てやるが、もし勝手に逃げたりしたら……どうなるか分かってるな?」
「え、ええ、分かってます!」
りあはしゃきんと背筋を伸ばして返事をする。一瞬、大剣で斬り殺される幻覚が見えた。
(つまり、監視する代わりに宿代を払ってくれるってことなのね……)
レクスの視線から身を守るように、りあが縮こまっていると、ラピスがいい加減にしろとばかりに目を吊り上げた。
「レクス殿、どれだけ怖がらせたら気が済むんですか! やめてくださいよ、これじゃ従者のボクまで悪者扱いされるでしょ!」
主人に文句を言った後、ラピスは申し訳なさそうな顔でりあに忠告する。
「でも、お嬢さん、変な真似はしない方がいいです。この方はSランク冒険者ですから、逃げるなんて無理ですよ。下手なことをしたら、そのまま牢屋に放り込まれちゃいます」
「Sランク……冒険者!?」
レクスがSランクということではなく、冒険者という単語にりあは食いついた。
「そうだわ、冒険者よ!」
ゲームと同じなら、冒険者ギルドのクエストを達成することで報酬がもらえる。
ちなみに冒険者のランクは上からSS、S、A、B、C、Dと六段階ある。プレイヤーのレベルとは関係なく、クエストを達成することでしかランクは上げられないので、ゲームでは地道な努力が必要だった。すでにレベルがカンストしているりあでも、まだAランクだったのだ。
「私、冒険者になります! それで、ちゃんとお金は返しますからっ」
りあが勢い込んで言うと、マリアが口を挟んできた。
「ちょっとお待ちよ、お嬢さん。そんな細っこいあんたが冒険者になるって? 冒険には危険が付き物なんだ。あんたみたいなのは、すぐ魔物に殺されちまうよ」
その言葉に、りあはひるんだ。お金を稼ぐことで頭がいっぱいで、そこまでは考えていなかったのだ。
エディが聞き捨てならないとばかりにマリアに反論する。
『ユーノリアしゃまは、すっごく強い魔法使いなんですよっ。魔物なんて、バンバンドーン! って倒しちゃいますから大丈夫ですっ』
「そ、そうなのかい?」
エディの勢いに気圧された様子で、マリアが聞き返した。それにラピスが納得顔で答える。
「まあ、それくらいの戦闘能力がなければ、ホワイトローズ・マウンテンなんかに入らないでしょう」
「従者さんがそう言うなら安心だね。だったら私も止めないよ」
にかっと笑うマリアに、りあは会釈をした。
「心配してくださって、ありがとうございます」
「あはは。こんな丁寧な冒険者はめったにいないから、やっぱり変な感じだけどねえ」
苦笑するマリアにあいまいな笑いを返しながら、りあは密かに決意を固める。
(魔物は怖いけど、戦わなきゃお金が稼げないんだもの。背に腹は代えられないわっ)
今のりあがすべきなのは、当面の生活資金を稼ぐことだろう。何より、りあはこの世界のことが全く分からないのだ。情報を集めるためにも、しばらくカノンの町で生活する必要がある。
それに、再びユーノリアと入れ替わる方法を探すにしろ、魔人ヴィクターについての情報を手に入れるにしろ、冒険者ギルドに登録しておいた方がよさそうに思えた。
我ながらいい案だとりあが頷いていると、レクスがずいと身を乗り出してきた。彼は人差し指をりあの顔に突きつけて、きっぱりと言う。
「あんたが冒険者になろうがどうしようが勝手だが、俺の監視対象であることに変わりはない。それだけは肝に銘じておけ」
「は、はいっ」
りあが慌てて返事をすると、レクスは「よし」と頷いて、さっさと部屋を出ていった。ラピスも「ごめんにゃ」とりあに会釈してから、レクスの後を追う。
部屋に残ったのは、苦い顔をしたマリアだけだった。
「ごめんねえ、ユーノリアちゃん。ああ見えて結構いい人だから、恨まないでやってね」
「恨むなんてとんでもない! 助けてくださった上に、宿代まで出してくださるなんて、親切じゃないですか。……正直、ちょっと怖いですけど」
りあがうっかり本音を漏らすと、マリアは愉快そうに笑った。
「あっはっは。……そうだ、別の服を持ってくるから、それに着替えちゃいなよ。あんたの着てた服、ちょっとにおってたからさ、勝手に洗っちまったんだよ」
「におっ……は、はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
洞窟で一週間も寝ていたというから、におっていて当然なのかもしれない。マリアの厚意はありがたいが、女子として少し悲しくなってしまうりあだった。
◆
りあはマリアが若い頃に着ていたという服に着替えた。萌黄色のワンピースは、ヨーロッパのどこかの国の民族衣装に似ている。
「わあ、これもすごく似合う。ユーノリアって本当に美人だものね」
鏡を覗き込んだりあは、感心して呟いた。何を着ても似合うなんてうらやましい。
「あ、そうだ」
ふとあることを思いついたりあは、籠バッグを手に取ると、ベッドの端に座る。その傍らに、宝石精霊達が着地した。
『どうしたんですか?』
ハナの問いに、りあは籠バッグに手を差し入れながら答える。
「白の書って、どんなものなのかと思って」
アイテム名を呟きながら手を引き抜くと、膝の上に白い本が落ちた。両手で持ってみれば、結構ずっしりしている。独特の紋様がある革表紙には石が埋め込まれていて、淡く光っていた。
思い切って開いてみると、最初のページに誰かからのメッセージらしきものが書かれていた。かなり古めかしい言い回しなので、理解しやすくなるよう、りあは声に出して読む。
「我が意志を継ぎ、魔王の封印を守る者へ。
汝、本を手放すにあらず。
汝以外、本に触れることはできない。それができるとしたら、汝の死す時だけである。
もし他の者が本に触れれば、その者は雷に打たれるであろう。
汝、死する前に新たなる守護者を選ぶべし。
汝の意志に敬服し、強大なる魔法を授けん。されど、この書物なくば使うにあたわず。
汝の進む道に祝福と幸運があらんことを祈る」
気付けばハナが興味深そうに、鼻をひくひくさせていた。
『そんな言葉が記されているのですか?』
「あ、そっか。ハナは動物だから、さすがに文字は読めないよね」
『いえ、私は精霊ですし、文字を勉強したので読めますよ。ですが、その本には持ち主にしか読めない魔法がかかっているんです。私が読もうとしても、文字がぼやけてしまって……』
「そうなんだ」
本をぱらぱらとめくってみると、全てのページに呪文らしきものが書かれていた。
「これって誰からのメッセージなの?」
『魔王を封印した大魔法使い様に決まってますよっ』
ハナは目をキラキラさせて答えた後、えへんと胸を張って語り始める。
『もう千年も前になるでしょうか。突如誕生した魔王により、この世界――アズルガイアは危機に瀕していたのです』
りあの頭の中に、ゲームのオープニング映像が流れた。だが、そんなことをハナに言っても仕方がないので、大人しく続きを聞くことにする。
『最初は何もなかったこの場所に、神様が青い宝玉を入れたことで世界が生まれました。その宝玉の中に含まれていたとても小さな不純物が、年月とともに大きくなり、力を増して魔王となったのです。魔王は自分自身の欠片から、魔物や魔人を生み出しました。それだけでも充分脅威なのですが、最も危険なのは魔王そのものです』
「へえ……」
ハナの熱い語り口に惹き込まれて、りあは何度も頷く。
『魔王は自然の中にある魔力ラインから、魔力を根こそぎ奪ってしまうのです。魔力がなければ、我々精霊は存在できません。精霊の力を失くした土地は荒れ果てて、不毛の大地になるのです。どうですか、恐ろしいでしょう?』
「ごめん、よく分からないんだけど……魔力ラインって何? あと、精霊ってそもそもなんなの?」
『え!?』
なぜかハナが驚いて、のけぞった拍子にころんと転がった。遊んでいると勘違いしたのか、エディも真似して布団の上を転がる。
『一応、確認させていただきますが……ユーノリア様って天界人なんですよね?』
「前から思ってたんだけど、その天界人ってなんなの?」
『ええー!?』
更にびっくりしたのか、ハナは大きく飛び上がった。
『前のユーノリア様は、こうおっしゃってたんです。自分のことをうらやましいっていう天界人の声が聞こえたから、その人と入れ替わってもらうんだって。きっと同じ魂を共有してるはずだから、絶対に大丈夫だって』
「うーん……ということは、やっぱりここはゲームの中ってわけじゃないのかしら。ハナはここがゲームの世界だと思う?」
『ゲーム? なんのお話ですか?』
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