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1巻

1-3

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 りあが返事をすると、ふくよかな中年女性が部屋に入ってきた。
 茶色い髪をひっつめて束ね、三角巾でまとめている。赤色のエプロンをつけている姿は、面倒見のいい近所のおばさんといった雰囲気だ。

「ああ、やっと目が覚めたんだね! 昨日からずっと寝たままだったから心配してたんだよ。うん、顔色もずいぶんよくなったね」
「あの、あなたは……?」

 顔を覗き込んでくる女性に、りあはおずおずと尋ねた。

「私はマリア・ガイス。この宿のおかみさ。昨日はびっくりしたよ。あの女嫌いの旦那が、あんたを腕に抱えて帰ってきたんだから。なんて堂々としたお持ち帰りだろうと思ったら、ただの人助けだっていうじゃないか。あの人らしいったらないねえ」

 やれやれと大袈裟おおげさに溜息をくと、マリアは扉の方へ向かう。

「ちょいと待ってておくれ、旦那を呼んでくるから。あ、その寝間着ねまきは私のだよ。着替えさせたのも私だから、安心しなね!」
「はあ」

 叫ぶように言いながら廊下へ消えたマリアに、りあは気の抜けた返事をする。いったい旦那とは誰のことだろうと首をひねっていると、すぐにマリアが戻ってきた。その後ろには、二十代なかばくらいの背の高い青年がいる。
 マリアに背中を押された青年は、部屋へ入ってたたらを踏んだ。そして迷惑そうにマリアをにらんだ後、こちらにやってくる。
 彼がそばに来ると、りあは少し威圧感を覚えた。背が高いので見上げなくてはいけないというのもあるが、それ以上に彼の持つ冷たい雰囲気のせいだ。

(格好いい人だけど、なんだか不良っぽくて怖いなあ)

 灰色の服に身を包んだ青年は、短い茶色の髪をしていて、耳や首には銀製のアクセサリーをじゃらじゃらとつけている。赤茶色の目が、じろりとりあを見下ろしていた。

「やっと起きたか。俺はレクス、冒険者だ。今はこの町の冒険者ギルドで教官をしている。ついでに言うと、山から落っこちてきたあんたを拾った」
「はあ……」

 淡々とした自己紹介に、寝起きで頭が回らないりあは、とりあえず頷いた。すると戸口から、青毛の猫が顔を覗かせる。

「レクス殿、体の具合くらい聞いてあげてくださいよっ。彼女、びっくりしてるじゃないですか……あ、申し遅れました。ボクはラピスといって、レクス殿の従者をしています」
「従者……」

 りあはラピスの姿に目を奪われながら、呆然と口にした。手と足の先だけ白い青猫が、ゲームに出てくる精霊教せいれいきょうという宗教の神官服である白いローブを着ている。その背中には、トンボに似た羽が一対生えていた。身長がレクスの胸くらいまでしかないので、まるで子どもが着ぐるみを着ているかのように見える。
 りあはふと、ゲーム『4spellsフォースペルズ』の設定を思い出した。
 ゲームの舞台であるアズルガイアという世界では、人間と妖精族が共生している。妖精族には猫・犬・木・魚の四種類があり、それぞれケット・シー、クー・シー、ドリアード、人魚と呼ばれていた。プレイヤーがアバターを作る際は、人間を含めた五つの種族から選ぶことができたのだ。
 ラピスはその中の一つであるケット・シー、つまり猫の妖精だろう。

「すごい……。本物?」

 好奇心に駆られたりあは、ラピスの耳を引っ張ってみる。すると、柔らかくてふわふわしていた。

「痛い! 触らないでくださいっ」
「あ、ごめんなさい!」

 りあはすぐに手を離して謝った。ラピスはりあから少し距離を取り、ぶつぶつと文句を言う。

「まったくもう、失礼なお嬢さんですねっ。あなただって初対面の方に耳を触られたら、いい気はしないでしょう?」
「本当にごめんなさい! もうしませんからっ」

 りあがぺこぺこと頭を下げて謝ると、ラピスはようやく怒りを静めた。その頃合いを見計らったようにレクスが尋ねてくる。

「で? あんたは?」
「私は夕野……いえ、ユーノリアといいます。助けてくださってありがとうございました」

 りあはユーノリアと名乗った。発音が違うだけで文字の並びは本名と同じだし、ネットで使うハンドルネームのようなものだと思えば、特に抵抗はない。
 丁寧に頭を下げてから体を起こすと、レクスが疑いを込めた目でこちらを見ていた。あまりにじろじろ見てくるので、りあは心持ちのけぞりながら問いかける。

「な、何か?」
「あんた、まさか魔人じゃないよな?」
「……は?」

 一瞬、質問の意味が分からず、りあは目を点にする。

「ええと……魔人ってあれですよね? 人型の魔物のことですよね?」

 魔人は頭に角が生えているか、もしくは顔に青い紋様があるから一目で分かる。それらの特徴を隠してただの人間に化けることもあるが、そんなことができる魔人はめったにいない上に、ダンジョンから出てくることもまれなはずだ。それともこの世界はゲームと違い、人間に化けた魔人がそこら中にいるのだろうか。

「あー、なんでもないです! 今の質問は忘れてください! すみませんね、お嬢さん。レクス殿、もう少し自重じちょうしてくださいよっ」

 ラピスが誤魔化すように笑いながら、レクスの腕を引っ張った。
 レクスはむっとした様子で反論する。

「だがラピス。あんな雪山に、こんな女が一人でいるなんて怪しいだろ」
「山から落ちて死にかけてたんですよ? そんな間抜けな魔人がいますか!」
「それもそうだな」

 ラピスの言葉に頷くと、レクスは再びりあに向き直った。

「あんた、あんなところで何してたんだ?」
「ええと……分かりません。気付いたらあそこにいて……」

 ユーノリアと入れ替わったと思ったら、あそこに倒れていたのだ。それに、本物のユーノリアが禁じ手の魔法に手を出したなんて言えば、どんなことになるか分からない。
 りあが困ってうつむくと、レクスは更に質問してきた。

がけの上にもう一人いたようだが、あいつは誰だ?」
「崖の上にいた人……? 見たんですか?」

 りあはヴィクターのことを思い出し、若干身を乗り出して尋ねた。小規模魔法とはいえ、あれほどの至近距離で爆発を起こしたのだ。ヴィクターも無事では済まなかっただろうが、念のため結果を確認しておきたかった。

「いや、顔までは見えなかった。すぐにいなくなったからな」
「そうですか」

 りあは、ほっとした。ヴィクターが追いかけてこなかったということは、少なからずダメージがあったということだろう。そこで宝石精霊のエディが口を開く。

『あいつ、本当にしぶといで……むぐぐっ』
「エディ、ちょっと静かにしてなさい」

 りあは慌ててエディの口をふさいだ。ヴィクターのことを誰かに話すのはよくない気がする。少なくとも、ゲームの中の彼は悪辣非道あくらつひどうだった。ここで迂闊うかつに話して、助けてくれた人を危険な目に遭わせるわけにはいかない。

「で? あいつは誰なんだ?」
「私自身もよく分かっていないことを誰かに話すのは、気が引けます」
「つまり、俺達には何も話せないと?」
「……すみません」

 よく分かっていないのは本当だ。だから、りあは深々と頭を下げて、これ以上追及されないように祈る。

「ふーん……」

 少しやわらいでいたレクスの目が、怪しいものを見るような目に戻った。りあは首をすくめて縮こまる。そこで、マリアが耐え切れないとばかりに噴き出した。

「あはは、レクスの旦那、そうしてるといじめてるようにしか見えないよ。よく覚えてないんじゃ仕方ないだろう。倒れたショックのせいかもしれないし、しばらくゆっくりしてたら、そのうち思い出すよ」
「そうですよ、レクス殿。今のあなたは完全に、善良な市民を追い詰めるチンピラです。その辺でやめておいた方が無難ですよ」
「うるさいぞ、ラピス。お前はほんっとうに一言多いな!」

 レクスがじろりとラピスをにらんだ。だが、ラピスの方はどこ吹く風といった感じである。これ以上言っても無駄だと思ったのか、レクスは再び険のある眼差しをりあに向けた。

「なんだか知らないが、あんたは怪しい。だから、しばらく俺の監視下にいてもらう。少しでも妙な真似をしたら衛兵に突き出してやるからな。しっかり覚えておけ」
「は、はいっ」

 涙目でこくこくと頷くりあを、マリアとラピスが同情的な目で見ている。だが、それも気にすることなくレクスは平然と尋ねてきた。

「ところであんた、金は?」
「えっ? ……まさか、助けてやったんだから有り金を全部よこせとか、そういうことですか?」

 だとしたら、なんて恐ろしい人だろう。親切なふりをして金銭を要求するだなんて、正真正銘しょうしんしょうめいのチンピラではないか。
 りあが青ざめながらぶるぶる震えていると、またラピスが間に入ってきた。

「もう、レクス殿っ。なんでそういう聞き方しかできないんですか? どう考えたって悪者の台詞せりふですよ、それ」
「何言ってんだ。ただ金を持ってるのかどうか聞いただけだろ」

 不機嫌そうに返すレクスに、ラピスは溜息をいた。そして、諦めた様子でりあに頭を下げる。

「申し訳ありません、お嬢さん。この方は、宿代を払えるのかどうかを聞いているだけなんです」
「あ……宿代」

 現実的な問題にぶち当たり、りあは冷や汗をかいた。

(ゲームだと、画面の上の方にコインの枚数が表示されてたけど……ここにはそんなの見当たらない。だいたい、お金を持ってたとしても、どうやって使うんだろう)

 ゲーム内の通貨はディル銀貨というものだったが、この世界の通貨もそれと同じなのだろうか。
 りあが困っていると、エディがかごバッグを運んできた。

『ユーノリアしゃま、お財布はここですよ』
「あ、ありがとう、エディ」

 りあはお礼を言って籠バッグを受け取る。

(なんだ、お金はバッグの中にあるのね。……あれ?)

 籠バッグの中を覗いたが、完全にからだった。その代わり、内側に魔法陣らしきものが刺繍ししゅうされている。りあが固まっていると、レクスが籠バッグを覗き込み、怪訝けげんそうに聞いてきた。

「防犯魔法付きのバッグか。こんな高価なものを持ってるなんて……あんた、そこそこ名の知れた冒険者か? それとも貴族か?」

 興味津々きょうみしんしんな様子でバッグに触れようとするレクスの腕に、ラピスが飛びついて止めた。

「レクス殿! いくら怪しいからって、他人のバッグに触っちゃ駄目ですよっ。マナー違反ですし、もし防犯魔法が発動したら怪我しちゃいますよっ」
「え、これって危ないんですか?」

 りあはびっくりして、恐る恐る籠バッグを見下ろす。
 すると、今度はラピスが怪訝な顔をした。

「持ち主は安全ですよ。防犯魔法っていうのは、あくまで盗難防止のためのものなので……。やっぱりこの方、ショックで記憶が飛んでるんじゃないですか? レクス殿」

 その言葉を聞くに、防犯魔法というのは、この世界では一般常識のようだ。苦笑いを浮かべるりあに、ハナが丁寧に説明してくれる。

『ユーノリア様。かごバッグの中に手を入れて、アイテムの名前を口にするか、もしくは思い浮かべてください。そうすると、手を引き出した時にアイテムが出現します』
(つまり、この籠バッグって、インベントリみたいなものなのかしら?)

 インベントリというのは、ゲーム内におけるアイテム入れのことだ。『4spellsフォースペルズ』の初期設定では五十個までしか入れられず、それ以上のアイテムを持ち運びたければ、課金して容量を増やすしかない。

「なるほど、分かったわ。えっと、お財布お財布……」

 りあが籠バッグに手を入れると、水にかったような不思議な感じがした。次の瞬間、りあの前に四角いウインドウが浮かび上がり、アイテムリストが表示される。
 白の書、財布、回復アイテム……それ以外にもモンスターがドロップしたとおぼしきものがいくつか入っているが、アイテムの数はそう多くはない。だが財布の他に、化粧品セットと着替えも入っているところがゲームと違っていた。

「このリストに書かれたものが入っているのよね?」
『リスト……ですか?』
「これよ、ここに浮いてるやつ」
『ハナには見えませんよ? うーん、もしかして本当に打ちどころが悪かったんでしょうか……』

 ハナはおろおろしていたが、はっと気付いたように言う。

『お、お医者さんっ』

 慌ててどこかに飛んでいこうとするハナを、りあは急いで止めた。

「待って! 大丈夫だから落ち着いて。……ごめんね。変なこと言っちゃって」

 どうやらこのウインドウは、りあにしか見えていないらしい。その証拠に、りあ達の会話を聞いたレクスとラピスが、やばいなという顔でささやき合っている。

(理由は謎だけど、私には他の人達と違うことができるみたい。変に思われないよう、気を付けなきゃ……)

 頭がおかしいと思われて、病院などに閉じ込められては困る。りあは平静をよそおいつつ、籠バッグから財布を取り出した。
 財布は革製の巾着袋きんちゃくぶくろで、中に入っていたのは10ディル銀貨一枚だけだった。日本円に換算するなら、だいたい千円くらいだと思う。
 固まるりあの様子を不審に思ったのか、ハナが財布を横から覗き込んでくる。

『……そういえばユーノリア様、この間、そちらの杖を買ったばかりでしたね』

 ハナが目線で示した方向には、いかにも高そうな白い杖が置かれていた。
 ゲームでは魔物を倒すと、魔虹石まこうせきと呼ばれるアイテムをドロップするので、それを売ればお金が手に入る。だが、ここでも同じかどうかは分からないし、同じだったとしても、すぐにはどうこうできない。

「え……と」

 りあが困惑していると、今度はラピスが財布の中を覗き込んだ。そして恐る恐る尋ねてくる。

「まさかとは思いますが、これが全財産ですか?」

 りあは無言で頷いた。そのままうなだれるりあから視線をらし、ラピスはレクスに言う。

「10ディルしか持っておられないそうです」
「は? いったいどんな生活してるんだ、あんた……」
「……分かりません」

 もうヤケだ。こうなったら全部分からないで通すしかない。

(ユーノリアの馬鹿ーっ。入れ替わるなら、私のこともちょっとは考えといてよ!)

 心の中でユーノリアに向かって叫びながらも、実際には黙ってうつむくしかない。レクスの視線がチクチクと突き刺さってきて痛かった。
 だが意外なことに、彼はりあを責めることなく、仕方ないなとばかりに肩をすくめる。

「じゃあ、一週間だけ面倒を見てやる。食費を含めて宿代は全部俺が出すから、その後のことは自分でどうにかしろ」
「ええっ!? いいんですか!? な、何か裏があるんじゃ……?」
「あんたを助けると決めたのは俺なんだから、ある程度は面倒を見るべきだろう」

 至極しごく当然だといわんばかりのレクスに驚き、りあはラピスの方を見る。するとラピスも頷いた。

「そうですねえ、自分で拾ってきたなら責任を持って面倒見ないと」

 犬猫を拾うみたいな言い方が少し気になったものの、りあはその言葉に納得する。現金かもしれないが、レクスの印象も一気に変わった。

(なんだ。怖い人かと思ってたら、案外いい人じゃない……!)

 当面の生活が保障されたことで、りあはほっと息を吐く。だが、それも束の間、レクスが怖い顔ですごんできた。

「面倒は見てやるが、もし勝手に逃げたりしたら……どうなるか分かってるな?」
「え、ええ、分かってます!」

 りあはしゃきんと背筋を伸ばして返事をする。一瞬、大剣で斬り殺される幻覚が見えた。

(つまり、監視する代わりに宿代を払ってくれるってことなのね……)

 レクスの視線から身を守るように、りあが縮こまっていると、ラピスがいい加減にしろとばかりに目を吊り上げた。

「レクス殿、どれだけ怖がらせたら気が済むんですか! やめてくださいよ、これじゃ従者のボクまで悪者扱いされるでしょ!」

 主人に文句を言った後、ラピスは申し訳なさそうな顔でりあに忠告する。

「でも、お嬢さん、変な真似はしない方がいいです。この方はSランク冒険者ですから、逃げるなんて無理ですよ。下手なことをしたら、そのまま牢屋に放り込まれちゃいます」
「Sランク……冒険者!?」

 レクスがSランクということではなく、冒険者という単語にりあは食いついた。

「そうだわ、冒険者よ!」

 ゲームと同じなら、冒険者ギルドのクエストを達成することで報酬ほうしゅうがもらえる。
 ちなみに冒険者のランクは上からSS、S、A、B、C、Dと六段階ある。プレイヤーのレベルとは関係なく、クエストを達成することでしかランクは上げられないので、ゲームでは地道な努力が必要だった。すでにレベルがカンストしているりあでも、まだAランクだったのだ。

「私、冒険者になります! それで、ちゃんとお金は返しますからっ」

 りあが勢い込んで言うと、マリアが口を挟んできた。

「ちょっとお待ちよ、お嬢さん。そんな細っこいあんたが冒険者になるって? 冒険には危険が付き物なんだ。あんたみたいなのは、すぐ魔物に殺されちまうよ」

 その言葉に、りあはひるんだ。お金を稼ぐことで頭がいっぱいで、そこまでは考えていなかったのだ。
 エディが聞き捨てならないとばかりにマリアに反論する。

『ユーノリアしゃまは、すっごく強い魔法使いなんですよっ。魔物なんて、バンバンドーン! って倒しちゃいますから大丈夫ですっ』
「そ、そうなのかい?」

 エディの勢いに気圧けおされた様子で、マリアが聞き返した。それにラピスが納得顔で答える。

「まあ、それくらいの戦闘能力がなければ、ホワイトローズ・マウンテンなんかに入らないでしょう」
「従者さんがそう言うなら安心だね。だったら私も止めないよ」

 にかっと笑うマリアに、りあは会釈えしゃくをした。

「心配してくださって、ありがとうございます」
「あはは。こんな丁寧な冒険者はめったにいないから、やっぱり変な感じだけどねえ」

 苦笑するマリアにあいまいな笑いを返しながら、りあは密かに決意を固める。

(魔物は怖いけど、戦わなきゃお金が稼げないんだもの。背に腹は代えられないわっ)

 今のりあがすべきなのは、当面の生活資金を稼ぐことだろう。何より、りあはこの世界のことが全く分からないのだ。情報を集めるためにも、しばらくカノンの町で生活する必要がある。
 それに、再びユーノリアと入れ替わる方法を探すにしろ、魔人ヴィクターについての情報を手に入れるにしろ、冒険者ギルドに登録しておいた方がよさそうに思えた。
 我ながらいい案だとりあが頷いていると、レクスがずいと身を乗り出してきた。彼は人差し指をりあの顔に突きつけて、きっぱりと言う。

「あんたが冒険者になろうがどうしようが勝手だが、俺の監視対象であることに変わりはない。それだけは肝にめいじておけ」
「は、はいっ」

 りあが慌てて返事をすると、レクスは「よし」と頷いて、さっさと部屋を出ていった。ラピスも「ごめんにゃ」とりあに会釈えしゃくしてから、レクスの後を追う。
 部屋に残ったのは、苦い顔をしたマリアだけだった。

「ごめんねえ、ユーノリアちゃん。ああ見えて結構いい人だから、恨まないでやってね」
「恨むなんてとんでもない! 助けてくださった上に、宿代まで出してくださるなんて、親切じゃないですか。……正直、ちょっと怖いですけど」

 りあがうっかり本音を漏らすと、マリアは愉快そうに笑った。

「あっはっは。……そうだ、別の服を持ってくるから、それに着替えちゃいなよ。あんたの着てた服、ちょっとにおってたからさ、勝手に洗っちまったんだよ」
「におっ……は、はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 洞窟で一週間も寝ていたというから、におっていて当然なのかもしれない。マリアの厚意はありがたいが、女子として少し悲しくなってしまうりあだった。


     ◆


 りあはマリアが若い頃に着ていたという服に着替えた。萌黄色もえぎいろのワンピースは、ヨーロッパのどこかの国の民族衣装に似ている。

「わあ、これもすごく似合う。ユーノリアって本当に美人だものね」

 鏡を覗き込んだりあは、感心してつぶやいた。何を着ても似合うなんてうらやましい。

「あ、そうだ」

 ふとあることを思いついたりあは、かごバッグを手に取ると、ベッドの端に座る。そのかたわらに、宝石精霊達が着地した。

『どうしたんですか?』

 ハナの問いに、りあは籠バッグに手を差し入れながら答える。

「白の書って、どんなものなのかと思って」

 アイテム名を呟きながら手を引き抜くと、ひざの上に白い本が落ちた。両手で持ってみれば、結構ずっしりしている。独特の紋様がある革表紙には石が埋め込まれていて、淡く光っていた。
 思い切って開いてみると、最初のページに誰かからのメッセージらしきものが書かれていた。かなり古めかしい言い回しなので、理解しやすくなるよう、りあは声に出して読む。

「我が意志を継ぎ、魔王の封印を守る者へ。
 なんじ、本を手放すにあらず。
 汝以外、本に触れることはできない。それができるとしたら、汝の死す時だけである。
 もし他の者が本に触れれば、その者は雷に打たれるであろう。
 汝、死する前に新たなる守護者を選ぶべし。
 汝の意志に敬服し、強大なる魔法を授けん。されど、この書物なくば使うにあたわず。
 汝の進む道に祝福と幸運があらんことを祈る」

 気付けばハナが興味深そうに、鼻をひくひくさせていた。

『そんな言葉が記されているのですか?』
「あ、そっか。ハナは動物だから、さすがに文字は読めないよね」
『いえ、私は精霊ですし、文字を勉強したので読めますよ。ですが、その本には持ち主にしか読めない魔法がかかっているんです。私が読もうとしても、文字がぼやけてしまって……』
「そうなんだ」

 本をぱらぱらとめくってみると、全てのページに呪文らしきものが書かれていた。

「これって誰からのメッセージなの?」
『魔王を封印した大魔法使い様に決まってますよっ』

 ハナは目をキラキラさせて答えた後、えへんと胸を張って語り始める。

『もう千年も前になるでしょうか。突如誕生した魔王により、この世界――アズルガイアは危機にひんしていたのです』

 りあの頭の中に、ゲームのオープニング映像が流れた。だが、そんなことをハナに言っても仕方がないので、大人しく続きを聞くことにする。

『最初は何もなかったこの場所に、神様が青い宝玉を入れたことで世界が生まれました。その宝玉の中に含まれていたとても小さな不純物が、年月とともに大きくなり、力を増して魔王となったのです。魔王は自分自身の欠片かけらから、魔物や魔人を生み出しました。それだけでも充分脅威なのですが、最も危険なのは魔王そのものです』
「へえ……」

 ハナの熱い語り口にき込まれて、りあは何度も頷く。

『魔王は自然の中にある魔力ラインから、魔力を根こそぎ奪ってしまうのです。魔力がなければ、我々精霊は存在できません。精霊の力を失くした土地は荒れ果てて、不毛の大地になるのです。どうですか、恐ろしいでしょう?』
「ごめん、よく分からないんだけど……魔力ラインって何? あと、精霊ってそもそもなんなの?」
『え!?』

 なぜかハナが驚いて、のけぞった拍子にころんと転がった。遊んでいると勘違いしたのか、エディも真似して布団の上を転がる。

『一応、確認させていただきますが……ユーノリア様って天界人なんですよね?』
「前から思ってたんだけど、その天界人ってなんなの?」
『ええー!?』

 更にびっくりしたのか、ハナは大きく飛び上がった。

『前のユーノリア様は、こうおっしゃってたんです。自分のことをうらやましいっていう天界人の声が聞こえたから、その人と入れ替わってもらうんだって。きっと同じ魂を共有してるはずだから、絶対に大丈夫だって』
「うーん……ということは、やっぱりここはゲームの中ってわけじゃないのかしら。ハナはここがゲームの世界だと思う?」
『ゲーム? なんのお話ですか?』


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