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最終話 『マコ』 1/4

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 あれから一ヶ月が経っても、私の地獄のような気分は一切晴れなかった。

 最初の一週間は本当になんの気力も起きなくて、体調不良を理由に半ば強引に有給を取り、完全に家に閉じこもった。
 けれどそもそもろくに休みを取れないような会社だから、頼むからもう出てきてくれと懇願されて、私は渋々心に鞭を打って出勤を再開した。

 けれど、何をしたって私の壊滅的な気分が紛れることはなくて。
 辛うじて生きてはいて、なんか大人としてちゃんと働いているような見た目はしていたけれど、私の中身はボロボロだった。
 今まででは考えられないようなミスを何度もして、上司からかなりご立腹な説教を幾度となくされた。

 でもそれすらも私の気持ちを上塗りすることはできなくて。
 私は砕けた心を抱いたまま、この一ヶ月ほどをゾンビのように過ごしていた。

「マコ……」

 休日である今日もまた、私はベッドからろくに動かずにただ呆然と過ごしていた。
 カーテンはもうずっと開けていないし、もちろん部屋の片付けや掃除などできているわけもない。
 自分の身だしなみなんてどうでもよくて、私はただただそこに存在しているだけの無気力な生物だった。

 マコちゃんがしてきたことは確かにショックだった。
 でもそれについて彼女を責めるつもりない。
 むしろ彼女はただの被害者で、悪いのは全部私だから。

 マコとの日々を失ってからほぼ十年、社会の過酷さも相まって私は完全に心をすり減らしていた。
 そんな中で出会ったマコとそっくりな彼女に依存して、勝手に色んなものを期待して、一方的に失望した。
 今こうして打ちひしがれている資格がないほどに、私は加害者だ。

 でも、そうしないと生きていけなかった。
 そうしていたからこそ私はこの一年幸せだった。
 けれど、その結果昔よりも更に深い傷を負っていては世話ない。

 私はそうして、今はなきマコの影をマコちゃんに見て、マコはもういないという明確な事実を実感させられた。
 どんなにそっくりでも、他人をマコの代わりにすることはできなかった。
 そんなこと、するべきじゃなかったし、していいわけがなかったんだ。

 マコはもういない。私はそれを受け入れなければならない。
 どんなに辛くても、苦しくても、悲しくても。
 私の大好きなマコはもうのだと、私は納得しなくちゃいけないんだ。

「でも、マコに会いたい……」

 あの日々の輝きが鮮烈すぎて、どうしたって忘れられない。
 マコと過ごした時間が楽しすぎて、愛おしすぎて、ただの過去の良き思い出では片付けられない。

 こんな気持ちがマコちゃんへの執着を生んでしまったのだから、いい加減切り替えないといけない。大人にならないといけない。
 でも人間、歳を重ねたからって大人になれるわけじゃない。
 私の心は高校生のころから全く成長していないんだ。

 でも、本当にマコちゃんはマコに似ていた。それは紛れもない事実だった。
 顔も仕草も、ファッションこそ違うけど女の子としての雰囲気も。
 性格や趣味まで似通っていたんだから、それはもうマコを感じてしまう。
 そんなの、私の勝手な言い訳だけど。

 でも本当にマコみたいだった。

「…………」

 何の気なしにスマホを手に取る。
 このスマホには昔のマコとの思い出がたくさん詰まってる。
 昔の写真からメールやメッセージのやり取り、二人の予定だったり。
 当時はまだ二人ともガラケーだったけど、その頃のデータだって私は大切に漏らさず移行させていた。

 昔はそれをしょっちゅう見返して、折れそうな心をギリギリもたせていた。
 マコちゃんと出会ってからあまり見返すことはなくなっていたけれど、でもやっぱりこれが私の最後の砦だ。

 頻繁に撮っていたマコとのツーショット。私は写真が苦手なのに、こうやって何度も撮られるからいい加減慣れた。
 毎日のようにやり取りしたメールやメッセージ。中身なんてほとんどなくて、でも言葉を交わしているだけで楽しかった。
 二人で遊んだ予定や記念日の記録。些細なことも全部カレンダーに残っていて、私たちがどれだけ一緒にいたのかよくわかる。

 全部、全部私たちの思い出。マコとの楽しかった思い出だ。

 そうやって昔を思い起こしながら、写真の一覧をのんびりと眺めていた時のこと。
 二人で写る写真、マコが写る写真の中に、いくつか違ったものが混じっていることに気がついた。

 そのうちの一つを選択してよく見てみると、マコともう一人、私ではない女の子が写っている写真だった。
 それは高校に入学した日のものか、まだ黒髪のマコの胸には新入生のリボンがついている。
 隣の女の子も同様で、でもリボンの形どころか制服も違うし、見た目の年頃も少し下のように見える。

 この子はマコの妹だとすぐに合点がいった。
 写真の場所は自宅のようだったし、確か歳が三つ離れているからイベントごとが被ると聞いたことがあった。
 現に、卒業式の日の写真もあった。他にも二人の日常的な写真がちらほら。

 メールのやりとりをしていた時、色んな写真に混じって送られていたんだろう。今まであんまり意識していなかった。
 でも、妹ちゃんには会ったことがなかったけれど、こうして見てみるとよく似てる。

 マコと瓜二つと言ってもいい。
 系統は若干違うけど、でもこの可愛らしい顔立ちはそっくりだ。
 でもその若干の雰囲気の違いがマコとの区別を容易にしている。
 確かに同じ顔だけど、でもこの子はまるで────

「…………?」

 その瞬間、頭の中で様々なことが駆け巡って、久しぶりに私の脳みそが働き出した。
 何がきっかけでこんなにグルグルと回り出したのか自分でも一瞬よくわからなくて。
 そもそも何が巡っているのかも、最初はよくわからなくて。

 でもすぐに、マコちゃんとの思い出がフィードバックしているのだと理解する。
 マコちゃんと出会ったこの一年の間の記憶が、一つひとつ鮮明に思い出されていく。

 当時、その時は何も思わなかったことが今いくつか引っかかる。
 今だからこそ、彼女を贔屓目で見なくなった今だからこそ、なのかもしれない。

 気がついてしまったら、気になってしまって仕方がない。
 そして考えれば考えるほどそれらは違和感でしかなくて。
 今思えば、その違和感の正体は明確なように思えた。

 マコには三つ年下の妹がいる。それは紛れもない事実。
 そしてマコちゃんのプロフィール年齢は私たちの三つ年下。
 お姉ちゃんが一人いるなんてことを言っていた。

 そんなまさかと思いつつ、でもそれだとスッキリする点が多すぎる。
 例えば、どうしてあんなにマコとそっくりだったのか、とか。
 残る疑問はどうして『マコ』と名乗っていたかだけれど、でもきっとそこには思うほどの劇的な理由はないだろう。

 そう思い当たると、私はもういてもたってもいられなくて。
 スマホの画面を切り替えて、すぐさま電話を掛けた。



 ────────────



「また会ってくれるとは思わなかったよ」

 一週間後の休日、待ち合わせにやってきたマコちゃんは落ち着いた笑顔でそう言った。
 私は「こっちこそ」とだけ答えて、彼女を近くのカフェへと促す。
 今日はいつものように腕を組みにはこなかった。

 飲み物だけを注文して席に着くなり、マコちゃんはペコリと頭を下げた。

「この間はごめんなさい。本当に」
「その件はいいから。あれ自体は、私が悪いし」

 いつもの明るい笑顔はそこになく、らしくなく神妙にしているマコちゃん。
 確かにあの時の彼女の行動自体には辛いものがあったけれど、そうさせたのは私だから。
 そこを責めるつもりはないし、もちろん今日の本題はそこではなかった。

「今日会ってもらったのは、あなたと話がしたかったから」
「話……?」
「そう。あなたは一体、何者なのかって話」
「えっと、それは……」

 切り出した私にマコちゃんは何とも微妙な顔をした。
 キャストのプライベートを過度に詮索することはもちろん御法度だ。
 本人があけっぴろげにしているならともかく、伏せていることは尚更。
 話題に出して、尋ねることすらマナー違反なんだろうけれど。

 でも、私にそんなことを言っている余裕はない。
 私たちには、そんなルールなんて意味をなさないんだ。

「アリサ、ちゃん……は、何が言いたいの?」
「あなたは本当に女優だね。今でも、嘘をついているようには全く見えないもん」

 私はマコちゃんのことをまっすぐ見つめて、臆することなく続けた。

「もちろん、私のせいもあったと思う。私はあなたにかつてのマコを見出して、勝手に重ねて、それを思い起こせるところばかりに目を向けて。そうやってあの頃のマコにそっくりだと自分に言い聞かせて、全く現実を見ていなかったから」

 それは私が悪い。でも、だからって嘘をついていいわけじゃない。
 私は確かにこの子に昔のマコを重ねていたけれど、でも実のところそれは、この子が赤の他人だとわかりきっていると、そう思っていたからこそできたことだから。

「気付かなかった私が悪い。私がバカで、愚かなんだよ。それを嗤われたって仕方ないと思う。でも、言って欲しかった。本当のことを」
「本当のことって?」

 意外なことに、マコちゃんはとても冷静だった。
 彼女のしていたことを暴いているはずなのに、後ろめたいことなどまるでないようで。
 自分の見解が間違っているんじゃないかと思ってしまいそうになるけれど、でももう確証は得ている。

「本当のことって何? アリサちゃんは、何に気づいたの?」
「それを……自分では言ってくれないの? 私はできればあなたの口から────」
「私は、アリサちゃんに教えて欲しい」

 はっきりとした口調で、マコちゃんはそう言った。
 その芯の通った瞳が、そらすことなくまっすぐ私を見つめている。
 なんて残酷なんだろうと、思った。

 でも、彼女の言う通りかもしれない。
 この問題には自分の手でケリをつけないといけないんだ。
 それが、ここまで引きずり続けてきた私の責任。

 私は大きく深呼吸をしてから、その目を見返して、言った。

「あなたはマコ。北野マコ。私のかつての親友そのもの、でしょ?」



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