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最終章 氷室 霰のレクイエム

27 夢が醒める時

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「うっ────あッ────!」

 ガクッと、私はその場に手をついた。
 身体に力が入らなくて、意識がひどく朦朧とする。

 当然だ。ドルミーレは今、消えた。
 私を夢見ていた人が、消えたんだ。
 見ている人がいなくなったんだから、夢である私が存在し続けられる道理はない。

 こちらの世界は既に現実として確立しているから、大丈夫だろうけれど。
 でも彼女の夢であり続けた私は、ドルミーレを失えば存在を保てない。
 ドルミーレを倒すということは、自らを殺すことと同義だった。

 でも、やらなきゃいけなかった。やらずにはいられなかった。
 そうしないと、私は大切なものを守ることができなかったから。

「ッ…………」

 私の剣も、ドルミーレの消滅とともに消え去ってしまった。
 さっきまで漲っていた力も、今はまるで湧いてこない。
 どんなにみんなとの繋がりが私を支えようとしてくれても、集ってくれている私の心が消えては、その力も発揮できないんだ。

 それでも、歯を食いしばって体を起こす。
 文字通り全身全霊、心をすり減らしてでも、魂を削ってでも。
 私は立ち上がって、行かなきゃいけないところがあるから。

「……霰、ちゃん……」

 私の肉体は、ドルミーレと共に消えてしまった。
 残った心だけで、私は今ギリギリこの世にしがみついている。
 それでもいい。まだ、存在が保てているのなら、なんでも構わない。

 私は反応が鈍った心だけの身体を引きずって、背後の霰ちゃんの元に向かった。

「アリス!!!」

 そこで、レオとアリアが迎えてくれる。
 未だ静かに横たわる霰ちゃんを守りながら、泣きそうな顔で私を見て。

「アリス……アリス! お前は、勝ったんだろう!? 全部、終わったんだろう!? なのにどうしてお前は、そんな……」
「大丈夫、だよね? なんとかなるよね? ねぇアリス……消えちゃったりなんて、しないよね!?」

 二人が顔をぐしゃぐしゃにしながら、私に抱きついてくる。
 光が朧げに輝きを失っていく体で、私は二人を受け止めた。
 でも、その頼もしい二人の感覚が、とても鈍い。

「ごめん……ごめんね、レオ、アリア。私……二人のところに、帰れそうに、ないや……」

 二人に縋り付いて、謝る。
 ずっと私を探してくれて、守ってくれて、助けてくれたのに。
 私は二人から、また離れてしまう。

「そんなこと……そんなこと言うんじゃねぇよ! 何か方法があるはずだ!」
「そうだよ! 私たちは、親友でしょ!? 私たちが、あなたの心を支えるから!」
「ありがとう……ありがとう。でも、ごめんね」

 強く強く抱きしめてくれるレオとアリア。
 でもその熱い抱擁が、感じられないんだ。
 今こうしてここに姿があっても、私の存在はもう霞んでいて。
 どうしようもないくらい、終わりが近づいている。

 心の繋がりは今だって確かに感じている。
 二人の気持ちが痛いほど伝わってくる。
 でも私の存在はそれとは関係なく、根本が折れてしまっているから。

「もっともっと、ずっと、沢山、二人と一緒にいたかった。またいっぱい色んなところに行って、笑って。ずっとずっと一緒にいたかったよ。でも、ごめんね……」

 二人が、わっと声をあげて泣いた。
 アリアだけじゃなく、男の子のレオさえも、憚ることなく泣いてくれた。
 私も、心しかない今のこの体でも、涙が止まらなくて。
 私たちは、固く抱き合って、わんわんと泣いた。

 嫌だと、行かないでと、二人は何度も何度もそう言って。
 それに応えられない自分が悔しくて。でも、そこまで想ってくれることが、嬉しくて。
 二人と過ごしたこれまでのいろいろな日々が、とても誇らしく思えた。

「ありがとう。レオとアリアに出会えたから私は、とっても幸せだったよ」

 だからもう、謝るのはやめた。
 悲しい思いだけで終わらせたくはなかったから。
 最期は笑って、お別れをしたかったから。
 だから、心からの感謝を口にして、笑った。

「それは俺たちのセリフだ。お前のお陰で、俺たちは知らない世界に手を伸ばせた。お前がいたから幸せだったんだ……ありがとう、アリス」
「そうだよ。私たちが、アリスに沢山のものをもらったんだ。あなたが、私たちの支えだったんだよ。だからアリス……ありがとう……」

 レオとアリアはそう言って、決して泣き止んではくれなくて。
 ずっとずっと私を放してはくれなくて。
 でもその温もりが、掠れた私の心を温めてくれて。
 私はこの人たちのことが本当に大好きだなって、改めて思うことができた。

 ひとしきりそうやって抱き合って、泣き合って。
 私は二人を伴いながら、霰ちゃんの傍に膝をついた。

 霰ちゃんは未だに静かに目を閉じている。
 けれどその体を侵食していた『魔女ウィルス』はもうなく、凍結は引いていた。
 その純粋な白い肌は、徐々に健康的な赤みを取り戻していて、間に合ったということを教えてくれた。

「────アリス、ちゃん」

 そして、ゆっくりと、薄く瞼が開かれて。
 そのスカイブルーの澄んだ瞳が、私をそっと見上げた。

「霰ちゃん、良かった」
「アリスちゃん…………」

 霰ちゃんはゆっくりと私を見て、ハッとその唇を開いた。
 彼女には、今の私はもう、うっすらと見えているのかな。
 心の輝きだけで形作られた今の私は、もうその煌めきが霞のように僅かで。
 そんな私に、霰ちゃんは瞳を震わせた。

「そん、な……アリスちゃん……い、や……」
「ごめんね、いっぱい辛い思いをさせちゃって。こんな不甲斐ない私で、ごめんね。でも最後に、あなたを助けることができて、本当によかったよ」

 感覚のなくなった手で、霰ちゃんの手を握る。
 その華奢な手の、ひんやりとしているであろう感触がわからないのが、寂しい。

「こんな私でも、ちっぽけな私でも、大切な友達のためにできることがあった。それが、とっても嬉しい。霰ちゃんが生きてくれることが、何よりも嬉しいんだ。だから私は、もう悔いなんてないよ」
「そ、んな……私は、私はいや。アリスちゃん……あなたと、は、離れるなんて……」

 未だ体を起こす力はないのか、霰ちゃんは横たわったまま。
 けれど必死に私に食らいつこうと、握り合わせた手に力を入れている。
 それもまた、私にはもう感じることができない。

「私には、あなたがいなくちゃ……アリスちゃんがいなくちゃ、だめだから。いや、だ……放したく、ない……お願い……」
「ごめんね。それは本当に、ごめんね。霰ちゃんに辛い思いなんてさせたくなかった。私だって、あなたと離れたくなんてなかったけど。でも、こればっかりはどうしようもなくて。全力を尽くしても、こうするしかなかったんだ……ごめん、ごめんね……」
「そん、な……」

 ポツリと、ポロポロと、その瞳から涙がこぼれる。
 あぁ、泣かせたくなってなかったのに。泣き顔なんて見たくなかったのに。
 私は、大切な人を泣かせてしまっている。

 霰ちゃんは笑うと可愛いから、ずっと笑顔でいて欲しいのに。
 でも、私のために泣いてくれることが、嬉しくもあって。
 けれどやっぱり、笑わせてあげられない自分が、悔しくてならない。

「ごめんね、霰ちゃん。私、約束なんにも守れてないや。ごめんね……」
「そんなの、いいから……一緒にいてくれれば、私は、それで……」
「うん。私も、ずっと一緒にいたい。私は、霰ちゃんが大好きだから────私は、霰ちゃんの笑う顔が、大好き。だから、もっといっぱい、ずっと一緒に────でも、ごめんね」

 ずっと一緒にいたい。でも、それは叶わない願い。
 だって私は、他人が見た夢だから。幻だから。
 いつかは儚く消えてしまうものだから。

 こうして少しの間だけでも、そんな朧げな私の心を見つめて、大切にしてくれた人がいるというだけで、私は幸せ者なんだ。
 そういう人たちがいたから、あの日霰ちゃんが私を見つけてくれたから、私は私でいられた。
 その事実だけで、私は満足だ。

「────ありがとう、霰ちゃん。私を見つけてくれて、友達になってくれて、ずっと想っていてくれて。あなたに出会えて、あなたを好きになって、本当に幸せだった」
「………………私も」

 感覚のない手で、強く手を握る。
 霰ちゃんは唇を噛み締めながら、小さく頷いた。

「あなたに、出会えたから、今日まで生きてこられた。あなたは私の……全て。私もあなたが────大好き」

 スカイブルーの瞳に沢山の涙を溜めて、霰ちゃんはそう言って。
 そして小さく、けれど確かに、微笑んで見せてくれた。
 今にも崩れてしまいそうな、儚げで、でも美しい、私の大好きな笑顔を。

 それで、私の心はいっぱいになってしまった。
 寂しいけれど、悲しいけれど、でも、幸せだった。

 失ったものはたくさんあるけれど、でも守れたものもたくさんあって。
 二つの世界は大きな傷を負ったけれど、でも長い間蔓延っていた呪いはもうない。
 果てのなかった苦しみは終わって、あとは明るい未来が待ち受けているだけだ。
 私が、その闇を払うことができたんだ。

 ドルミーレという悲しい人の怨念を、断ち切ることができた。
 私の人生を大きく狂わせ、いやはじめから無茶苦茶にしていた人に、自分の気持ちをぶつけられた。
 これ以上、彼女の悲しみに苦しめられる人は、もういない。
 みんなを、友達を、私は救うことができたんだ。

 日常は帰ってくる。平和が訪れる。
 そこでみんなが、きっと幸せに生きていく。

 私は、目的を果たした。
 その先を見ることができないのは、残念だし悔しいけれど。
 でも、満足だと思えた。

 だから、涙を止めることはできないけど、でも。
 今はとても幸せだと、自信を持って言える。

「私はもう、消えてしまうけど。いなくなってしまうけど。でも、この繋がりがなくなっちゃうわけじゃ、きっとないから」

 自らが消えゆく感覚を心全体で感じながら、私は霰ちゃんを見つめた。
 その綺麗な瞳に、縋るように目を向ける。

「だから、ずっと私のことを覚えていて。そうすればきっと私は────私たちは、いつまでも友達だから」
「ええ……絶対に……私はあなたを忘れない。アリスちゃん……私の大切な、友達────」

 繋いだ手が、混じり合ってわからなくなる。
 それでも確かにその瞳は私を写していて。
 私たちは強く、強く強く、お互いの存在を確かめ合った。

「ありがとう」

 それは、どちらの言葉だったか。
 もうわからない。

 でも、さよならは言わない。
 だって、これからもいつまでも、私たちは友達だから。
 ずっと、心は繋がっているから。

 それを確かに、言葉で交わし合って。
 レオとアリアに抱かれながら、霰ちゃんに手を取られながら。

 私は、私の心は。
 緩やかにほどけて、なくなった。
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