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第8章 私の一番大切なもの
92 混沌の産物
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黒い靄をまとっているせいで、それがどのような形をしているのか、具体的に窺うことはできない。
けれど明らかに何らかの生物のような存在がそこに出現していて、床についた四つ足や、牙を剥く頭部の存在は確認できる。
なんだか色々な生き物を混ぜこぜにしたような不統一な姿は、既存の生物の何にも形容できない。
「な、なに……? なんなの、これッ……!」
アリアが引き攣った声を上げ、私とレオの腕を力強く握った。
かなり勢いよく握られたけれど、そんな痛みなど気にならないくらい、私も目の前の『それ』に慄いていた。
黒い靄をまとう『それ』からは、この階に来た時から感じている、言いようのない嫌悪感を、更に煮詰めたような醜悪な気配を感じる。
体全体が『それ』に対して不理解を示していて、強い拒絶感に暴れている。
全身の皮が全てひっくり返るような勢いで鳥肌立ち、氷のような冷や汗が私の肌をくまなく濡らして凍てつかせる。
『それ』はただ、そこにいるだけなのに。
私たちはただ目にしただけなのに、心臓を鷲掴みにされたような苦しさが、呼吸を不揃いにする。
本能的な恐怖が足をすくませ、醜悪な悍ましさが精神に直接噛みついてきているようだった。
この感覚を、これによく似た感覚を、私は知っている。
これは転臨した魔女が発する、あの異次元の気配に似ているんだ。
この世の理から外れたような、人の理解など到底及ばない、別次元の美しさと醜さからくる恐怖。
『それ』が発する気配は、それよりも更に突き抜けて、そして凝縮させもみくちゃにした、とにかく気持ちの悪いもの。
「────魔物」
これが何かなんてわからない。わかるわけがない。わかりたくもない。
けれど何故だか、そんな言葉が口から溢れて。
レオとアリアが咄嗟に私を見て、その目は私に説明を求めていた。
でももちろん何もわからない私は、慌てて首を横に振った。
「ご、ごめん、私も何もわからないんだけど、でも何故だかあれを、『魔物』って思って……。きっとこれは、ドルミーレの……」
確証はないけれど。でも、『それ』を目にした時から、私自身が感じる恐怖とは別の感情が、心の奥底で蠢いている気がする。
もしかしたら『それ』はドルミーレに何か関わりがあって、彼女がそれに反応しているのかもしれない。
飽くまで表に出てきたり、何か明確な意思を示してはこないけれど。
でも彼女は、『それ』に対して嫌悪感を抱いているように思えた。
「わからない、わからないけど……きっとあれは、混沌の産物。ジャバウォックに関わるものなんじゃ、ないかな……」
「ってことは、もしかしてクリアのやつは、ジャバウォックを呼んじまったってことか!?」
「多分、それはまだだと思うけど。でも準備をしている段階で、世界に悪影響が出てるってことかも」
私とアリアを必死にその背中で守ろうとしながら、レオは驚きと焦りの声を上げた。
確かにその可能性もなくはないと思うけれど、でもきっと、ジャバウォックが現れたら、もっと恐ろしいことになると思う。
だって、この魔物一体だけでも、絶望的な恐怖を刻み込んでくるんだから。
魔物はただそこに現れただけ。私たちに襲いかかってくる節は今のところない。
けれど目の前の一体だけではなく、周りにもゆっくりと似たような、でも姿形が全く違うものがいくつか出現を始めている。
これからどんどんと魔物が増えていくことを考えると、それだけで世界が終わってしまうんじゃないかと思えた。
「よくわからないけど、でもこれを突破しないとだよね。怖いし気持ち悪いけど、でも先に進まないときっともっと酷いことになる」
「うん。これが本当に混沌の産物なら、私の力が有効かもしれないし。邪魔してくるようなら、蹴散らして進もう」
少し震えながらも強気に見せるアリアは、私たちの腕を握ったままだった。
私もあまり人を励ます余裕はなかったけれど、でも『真理の剣』をしっかりと握りしめて、大丈夫だよとアリアに頷いた。
三人で顔を見合わせて、五階への階段に向かう最短ルートを示し合わせる。
ここから見える道中には、既に魔物が何体か出現していて、どれも今は何もしてこないけれど、闇に光る赤い目がこちらを見据えている。
私たちが動けば仕掛けてくるのかもしれないけれど、でも尻込みなんてしていられない。
「……行こう!」
大きく息を吸ってから、号令を掛けて三人で一斉に駆ける。
するとそれを見計らったかのように、案の定周囲の魔物がわらわらと飛びかかってきた。
声にならない、耳を塞ぎたくなるような奇声を上げて、靄の奥で窺える牙や爪を突き立ててくる。
二人よりも一歩先に出た私は、それらを即座に『真理の剣』で切り払った。
すると、魔物は案外手応えがなく、まるで魔法を切り払った時のように簡単に霞に散って消えてしまった。
別方向からやって来た魔物にはレオが炎を叩きつけて、それも『真理の剣』ほどではないにしろ、一撃で粉砕できてしまうほどにやわかった。
「見かけの気持ち悪さの割に、結構脆いぞコイツら」
「なんだか存在が不確かみたいだし、今はまだそこまで脅威がないのかも。でもこれが明確な実体を持ったら……」
周りの魔物を控えめな視線で観察しながら、アリアは眉をひそめた。
確かに、魔物たちは靄をまとったはっきりとしない存在感で、成り立ちが脆いように見える。
この先のことはあんまり想像したくないけれど、今ならまだ突破は難しくないかもしれない。
「一気に行こう!」
率先して魔物を斬り伏せながら、私は二人を率いて先を急いだ。
このあらゆるものをごちゃ混ぜにしつつも、どこか崇高な感覚を覚える悍ましさが、ジャバウォックに通ずるものなんだろうか。
だとしたら、どうして『魔女ウィルス』が活性化した時に感じられるものと似通っているんだろう。
その答えが、ドルミーレとジャバウォックの関係性に通じているんじゃないかと、何だかそんな気がした。
黒々とした室内の、至る所から湧き出てくる魔物たち。
どんよりとした暗い空間から、その靄が形を得るように現れるそれらを、次から次へと薙ぎ倒して最短距離を進む。
そうしてようやく階段を登り始めると、魔物の出現はぴたりと止んだ。
醜悪な気配は依然なくならないし、むしろ更に濃くなったような気もする。
けれどそれが形を得た魔物たちは現れず、いっ時の平穏が訪れた。
ただ、気味の悪い気配が濃くなったせいか、いないはずなのに、至る所から魔物に視線を向けられているような気分がしてならない。
魔物という形になっていないだけで、その脅威は空間全体に蔓延っているのかもしれない。
ただ、形として現れず、明確に襲ってこない分いくらかマシだ。
私たちはほんの僅かに胸を撫で下ろしながら、五階へと勢いよく登った。
魔物が出現しない五階は、他の階と同様に静まり返っていた。
ただ、本来なら窓の外から差し込む光で煌めいている白い空間が、今は黒々と濁っていてとても重苦しい。
足を進めるのに若干抵抗を覚えるけれど、でも奥まで進んでいけば玉座の間がある。
その先にクリアちゃんが、今は繋がりを通じてはっきりわかるから、躊躇ってなんていられない。
そう思って先を急ごうときた時、左手奥の方で強烈な爆音が鳴り響いた。
城全体が激震したような振動と、それからとてつもない破壊音に、私たちは思わず飛び上がってしまった。
この場所からは何が起こったのかよくわからないけれど、でも城の内部が著しく崩壊したような、そんな感じがした。
「行ってみよう」
慌てて廊下を進んでみると、途中から瓦礫の山になっていて、壁には大きな穴が空いていた。
いくつかの部屋を突き抜けて何かが飛んできたみたいに、穴の奥の壁にも穴が空いていて。
そして、廊下に積み上がった瓦礫の中で、一人の女性が倒れているのが見えた。
「え……ネネさん!?」
ぐったりとしている軍服姿に、私は驚いて駆け寄った。
服は全身ズタボロに裂けていて、至る所から多くの血が流れている。
所々に酷い火傷も窺えて、深刻なダメージを負っていることが窺えた。
すぐさま瓦礫を魔法で押し退けて抱き起すと、ネネさんは小さくうめいて薄目を開けた。
「ぁ……アリス、様……」
「ネネさん、一体なにが!? 今、回復を────」
「おね、がい……」
私が治癒の魔法を施そうとすると、ネネさんは弱々しく手を持ち上げて、ポツリと口を開いた。
「姉様を、たすけ、て……」
けれど明らかに何らかの生物のような存在がそこに出現していて、床についた四つ足や、牙を剥く頭部の存在は確認できる。
なんだか色々な生き物を混ぜこぜにしたような不統一な姿は、既存の生物の何にも形容できない。
「な、なに……? なんなの、これッ……!」
アリアが引き攣った声を上げ、私とレオの腕を力強く握った。
かなり勢いよく握られたけれど、そんな痛みなど気にならないくらい、私も目の前の『それ』に慄いていた。
黒い靄をまとう『それ』からは、この階に来た時から感じている、言いようのない嫌悪感を、更に煮詰めたような醜悪な気配を感じる。
体全体が『それ』に対して不理解を示していて、強い拒絶感に暴れている。
全身の皮が全てひっくり返るような勢いで鳥肌立ち、氷のような冷や汗が私の肌をくまなく濡らして凍てつかせる。
『それ』はただ、そこにいるだけなのに。
私たちはただ目にしただけなのに、心臓を鷲掴みにされたような苦しさが、呼吸を不揃いにする。
本能的な恐怖が足をすくませ、醜悪な悍ましさが精神に直接噛みついてきているようだった。
この感覚を、これによく似た感覚を、私は知っている。
これは転臨した魔女が発する、あの異次元の気配に似ているんだ。
この世の理から外れたような、人の理解など到底及ばない、別次元の美しさと醜さからくる恐怖。
『それ』が発する気配は、それよりも更に突き抜けて、そして凝縮させもみくちゃにした、とにかく気持ちの悪いもの。
「────魔物」
これが何かなんてわからない。わかるわけがない。わかりたくもない。
けれど何故だか、そんな言葉が口から溢れて。
レオとアリアが咄嗟に私を見て、その目は私に説明を求めていた。
でももちろん何もわからない私は、慌てて首を横に振った。
「ご、ごめん、私も何もわからないんだけど、でも何故だかあれを、『魔物』って思って……。きっとこれは、ドルミーレの……」
確証はないけれど。でも、『それ』を目にした時から、私自身が感じる恐怖とは別の感情が、心の奥底で蠢いている気がする。
もしかしたら『それ』はドルミーレに何か関わりがあって、彼女がそれに反応しているのかもしれない。
飽くまで表に出てきたり、何か明確な意思を示してはこないけれど。
でも彼女は、『それ』に対して嫌悪感を抱いているように思えた。
「わからない、わからないけど……きっとあれは、混沌の産物。ジャバウォックに関わるものなんじゃ、ないかな……」
「ってことは、もしかしてクリアのやつは、ジャバウォックを呼んじまったってことか!?」
「多分、それはまだだと思うけど。でも準備をしている段階で、世界に悪影響が出てるってことかも」
私とアリアを必死にその背中で守ろうとしながら、レオは驚きと焦りの声を上げた。
確かにその可能性もなくはないと思うけれど、でもきっと、ジャバウォックが現れたら、もっと恐ろしいことになると思う。
だって、この魔物一体だけでも、絶望的な恐怖を刻み込んでくるんだから。
魔物はただそこに現れただけ。私たちに襲いかかってくる節は今のところない。
けれど目の前の一体だけではなく、周りにもゆっくりと似たような、でも姿形が全く違うものがいくつか出現を始めている。
これからどんどんと魔物が増えていくことを考えると、それだけで世界が終わってしまうんじゃないかと思えた。
「よくわからないけど、でもこれを突破しないとだよね。怖いし気持ち悪いけど、でも先に進まないときっともっと酷いことになる」
「うん。これが本当に混沌の産物なら、私の力が有効かもしれないし。邪魔してくるようなら、蹴散らして進もう」
少し震えながらも強気に見せるアリアは、私たちの腕を握ったままだった。
私もあまり人を励ます余裕はなかったけれど、でも『真理の剣』をしっかりと握りしめて、大丈夫だよとアリアに頷いた。
三人で顔を見合わせて、五階への階段に向かう最短ルートを示し合わせる。
ここから見える道中には、既に魔物が何体か出現していて、どれも今は何もしてこないけれど、闇に光る赤い目がこちらを見据えている。
私たちが動けば仕掛けてくるのかもしれないけれど、でも尻込みなんてしていられない。
「……行こう!」
大きく息を吸ってから、号令を掛けて三人で一斉に駆ける。
するとそれを見計らったかのように、案の定周囲の魔物がわらわらと飛びかかってきた。
声にならない、耳を塞ぎたくなるような奇声を上げて、靄の奥で窺える牙や爪を突き立ててくる。
二人よりも一歩先に出た私は、それらを即座に『真理の剣』で切り払った。
すると、魔物は案外手応えがなく、まるで魔法を切り払った時のように簡単に霞に散って消えてしまった。
別方向からやって来た魔物にはレオが炎を叩きつけて、それも『真理の剣』ほどではないにしろ、一撃で粉砕できてしまうほどにやわかった。
「見かけの気持ち悪さの割に、結構脆いぞコイツら」
「なんだか存在が不確かみたいだし、今はまだそこまで脅威がないのかも。でもこれが明確な実体を持ったら……」
周りの魔物を控えめな視線で観察しながら、アリアは眉をひそめた。
確かに、魔物たちは靄をまとったはっきりとしない存在感で、成り立ちが脆いように見える。
この先のことはあんまり想像したくないけれど、今ならまだ突破は難しくないかもしれない。
「一気に行こう!」
率先して魔物を斬り伏せながら、私は二人を率いて先を急いだ。
このあらゆるものをごちゃ混ぜにしつつも、どこか崇高な感覚を覚える悍ましさが、ジャバウォックに通ずるものなんだろうか。
だとしたら、どうして『魔女ウィルス』が活性化した時に感じられるものと似通っているんだろう。
その答えが、ドルミーレとジャバウォックの関係性に通じているんじゃないかと、何だかそんな気がした。
黒々とした室内の、至る所から湧き出てくる魔物たち。
どんよりとした暗い空間から、その靄が形を得るように現れるそれらを、次から次へと薙ぎ倒して最短距離を進む。
そうしてようやく階段を登り始めると、魔物の出現はぴたりと止んだ。
醜悪な気配は依然なくならないし、むしろ更に濃くなったような気もする。
けれどそれが形を得た魔物たちは現れず、いっ時の平穏が訪れた。
ただ、気味の悪い気配が濃くなったせいか、いないはずなのに、至る所から魔物に視線を向けられているような気分がしてならない。
魔物という形になっていないだけで、その脅威は空間全体に蔓延っているのかもしれない。
ただ、形として現れず、明確に襲ってこない分いくらかマシだ。
私たちはほんの僅かに胸を撫で下ろしながら、五階へと勢いよく登った。
魔物が出現しない五階は、他の階と同様に静まり返っていた。
ただ、本来なら窓の外から差し込む光で煌めいている白い空間が、今は黒々と濁っていてとても重苦しい。
足を進めるのに若干抵抗を覚えるけれど、でも奥まで進んでいけば玉座の間がある。
その先にクリアちゃんが、今は繋がりを通じてはっきりわかるから、躊躇ってなんていられない。
そう思って先を急ごうときた時、左手奥の方で強烈な爆音が鳴り響いた。
城全体が激震したような振動と、それからとてつもない破壊音に、私たちは思わず飛び上がってしまった。
この場所からは何が起こったのかよくわからないけれど、でも城の内部が著しく崩壊したような、そんな感じがした。
「行ってみよう」
慌てて廊下を進んでみると、途中から瓦礫の山になっていて、壁には大きな穴が空いていた。
いくつかの部屋を突き抜けて何かが飛んできたみたいに、穴の奥の壁にも穴が空いていて。
そして、廊下に積み上がった瓦礫の中で、一人の女性が倒れているのが見えた。
「え……ネネさん!?」
ぐったりとしている軍服姿に、私は驚いて駆け寄った。
服は全身ズタボロに裂けていて、至る所から多くの血が流れている。
所々に酷い火傷も窺えて、深刻なダメージを負っていることが窺えた。
すぐさま瓦礫を魔法で押し退けて抱き起すと、ネネさんは小さくうめいて薄目を開けた。
「ぁ……アリス、様……」
「ネネさん、一体なにが!? 今、回復を────」
「おね、がい……」
私が治癒の魔法を施そうとすると、ネネさんは弱々しく手を持ち上げて、ポツリと口を開いた。
「姉様を、たすけ、て……」
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