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第0章 Dormire

103 全てを呪いて眠りへと堕ちる

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 純白の刀身が、私の黒い胸元を穿つ。
 それは的確に私の心臓を貫き、そしてそのまま私を玉座の背もたれへと縫い付けた。

「あッ………………!!!」

 意図せずこぼれる呻き声。目の前が真っ暗になって、全身が喪失感で埋め尽くされる。
 全身の血の気が急激に引いていって、自分の全てが停止したかのように思われた。

「────ドルミーレ!!!」

 どこかで私の名前を呼んでいる人がいる気がする。
 けれどそれが誰かはよくわからなくて、そしてそれが何を意味しているのかも、考える余裕がなかった。
 今私が感じているものは、とても漠然とした死の予感。
 自らの何もかもが失われていくような、急激な喪失感だった。

 自分が崩壊していく感覚に飲まれながら、私は自らの胸元に突きつけられている剣を見て、そしてそれを握る目の前の男を見た。
 男、ファウストはとても居た堪れない顔で私を見つめていた。
 決して涙は流さず、しかしこの世の終わりのような悲愴的な表情を浮かべて。

 彼が、ファウストが私の胸を穿った。
 私の剣を使って、彼が、私を殺そうとしている。
 とっくに理解していたはずの事実を、改めて噛み締める。

 ファウストが、私よりも世界と国と、どうでもいい他人に重きを置いて、私の命を奪わんとしているのだ。
 かつて愛を交わし、誓いを立てた彼が、私を終わらさんとしてる。
 これが、現実というものらしい。

 こんなことがあっていいのだろうか。いや、あっていいはずがない。
 私は何も悪くないのに、どうして他人から虐げられて、剰え殺されなければならないのか。
 そしてそれをもたらす者が、他でもない、私と愛の誓いを立てた男だなんて。
 滑稽すぎる。笑い話にもならない。作り物ならばあまりにもできが悪い。

 なんてくだらないんだろう。なんて馬鹿らしいんだろう。
 この世界はなんて醜くて、そこに生きるヒトビトはなんて愚かしいんだろう。
 こんなところで私は今まで生きてきて、必死で受け入れてもらおうとしていたなんて。

 絶望なんてとっくにしきっていたと思っていたけれど。
 この世界の闇はまだまだ深かった。残酷な現実に、際限などありはしなかった。

 あぁ、憎い。この狂った世界が憎い。愚かなヒトビトが憎い。ファウストが、憎い。
 私を自分勝手に否定して、下等種の分際で私に牙を剥いて、剰え私に手を下そうとする。
 一体何の権利があって、そんな身勝手なことができるのか。私を犯さんとするのか。

 そしてどうして私は、こんな連中の思い通りになってやらなければならないのか。

「ふふ、は、はは……あはははははははは…………!」

 気がつけば、唇からは笑みがこぼれていた。
 全身に走る痛みも、こぼれ落ちていく喪失感も、何もかも気にならない。
 あらゆる感覚は憎しみに塗り替えられて麻痺し、なにもかもがどうでもよくなった。

「ドルミーレ、貴女は……!」

 心臓を穿たれたにも関わらず、息絶えるどころか高笑いを上げる私に、ファウストが引きつった声をあげた。
 その目はいつだかと同じように、化け物を見るかのように恐れを孕んでいる。
 けれど最早そんなことは気にならなくて、寧ろその蒼白な顔が可笑しくたまらなかった。

 仕留めたと思っていた私の奇行に、ファウストは急いで剣を引き抜ぬいて体勢を立て直そうとした。
 しかし私は刀身を掴み、握り押さえることでそれを防ぎ、恐れ慄く彼の瞳を見上げた。

「貴女は本当に、化け物だというのか……!」
「そんなことはもうどうでもいいのよ。剣は、返してもらうわ。あなたには過ぎた代物だもの」

 全てが憎い。その一心を向けて応えると、私の胸元から黒が広がった。
 それは私の憎悪を具現化したかのように、白い剣を先端から黒く染め始め、侵食するように駆け上がる。
 その黒が柄へと伸び切る前に、ファウストは剣から手を放して後ずさった。

 剣は、『真理のつるぎ』はその純真な白さを失い、私の憎しみによって漆黒に染まった。
 私の胸に突き刺さったまま、そのおぞましいまでの黒を輝かせている。
 ファウストはその姿を見て、更に顔から血の気を引かせた。

「私のものは、何一つして奪わせない。力も武器も、私自身も。そしてこの心も。私のものを犯す不埒者は、呪い殺してくれるわ……!」

 心臓を穿たれたこの体は、確実に生態機能を失い、生物として朽ちていこうとしているのがわかった。
『真理のつるぎ』によって貫かれているからか、魔法で傷を治療することもできなさそうだ。
 私は死ぬ。この体は死ぬ。この世界とヒトビトの暴力によって、生存を否定されて死を望まれて。
 けれど、その思惑通りにむざむざと消えていくつもりなんて、私には全くなかった。

 この絶望を、悲しみを、この怒りを、この憎しみを。
 私を拒むあらゆる連中に叩きつけて、わからせてやらなければ気が済まない。

 私は死なない。むざむざ死んでなるものか。
 体は朽ち果てようとも、この心に怨念を込めて世界を呪い続けてやる。
 私を拒み侮蔑を向けるヒトビトに、終生の苦しみと絶望を与えてやろう。
 私はそれを、深淵の眠りの中からゆっくりと眺め、嘲笑い続けてやる。

「こんな不条理で醜い世界、壊れてしまえばいい。そこに住う愚かなヒトビトなんて、みんな苦しんで死んでいけばいい! 私の痛み、私の苦しみ、私の絶望を味わわせてやる……! 私は、この歪んだ世界を、永遠に呪い続ける……!!!」

 ホーリーとイヴニンングが何か泣き叫んでいる気がする。
 でも、もうそれもあまり気にならなくて、私は自らの憎悪だけを感じていた。
 朽ち果てようとしてる体の、隅々にまで渾身の魔力を漲らせ、まさしく全身全霊の力を集結させる。
 そしてその力の全てを、この世界を恨むこと、呪うことに向けた。

 ファウストは、終始私から目を離さなかった。
 しかしその瞳は恐怖に染まっていて、もう二度と、私に優しく微笑んではくれそうになかった。
 でもそれでいい。もうそれで構わない。愛が脆いものだということは、もう痛いほどわかったから。
 だからその報いとして、私は彼が守ろうとしたこの国と世界に、最大の呪いを残していく。

 体は死に果てても、この心は死せず、『ドルミーレ眠り』という私の役割に相応しく、深淵の奥底に眠ろう。
 世界の奥底、幻想の真奥にて果てのない眠りにつき、永遠にこの世界を呪い続ける。
 いつかこの世界が朽ち果てる、その時まで。

「さようなら。愚かな人間、愚かな世界。精々、私と同じ苦しみに苛まれて死んでいくがいいわ……!!!」

 そして、私はこの身の全てを呪いに変えて、肉体の絶命と共に世界中に怨嗟を撒き散らせた。
 心は静かに、深い深い暗闇へと沈み、ただ一人ゆっくりと眠りについていく。

 これでいい。もうこれでいい。
 こうして、私のヒトして生は幕を閉じた。
 呪いへと変じ、心を深い眠りへと沈み込ませて。

 絶望の闇に抱かれて、私は孤高の眠りについたのだった。
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