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第0章 Dormire

89 真理

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 今まで必要がなかったから使わなかった力の大部分を、全て惜しむことなく解放する。
 すると体の内側、心の内側から、底知れない力が際限なく溢れ出てきた。
 とても私個人の存在では抱えきれないような、個を飛び越えた大きな力だ。

 それを感じた瞬間、初めて私は、この力が世界から湧き出るものだということを実感した。
 今までは漠然とした認識だったけれど、今ならハッキリとわかる。
 これは紛れもなく、世界という大いなるものから流れ込んでくる、ヒトの枠を超えた無限にも思える力だ。

 大きすぎる力は私の体から勢いよく吹き出し、響き渡る波動となって周囲に渦巻いた。
 強大な力を現したからか、自らの装いを制限していることがやけに息苦しく感じて、私は流れる力に任せて姿を慣れたものに直した。
 編み込んでいた髪は勢いよく解けて舞い、無垢なドレスは着慣れた簡素な黒のものに戻る。
 たったそれだけでも、そんな私らしい装いを取り戻したことで解放感が増した。

 際限なく湧き上がる力を全身に浸透させ、力の根源にある真理に手を伸ばす。
 この力の源である、世界の奥深くにある深層の真実。
 力を通じて世界と繋がった感覚で、私はその真理の概念に手を伸ばした。

「ッ────────────」

 その瞬間、『白』が私の頭を埋め尽くした。
 穢れ一つない、何にも犯されていない究極の無垢。
 揺れることなく揺らぐことなく、絶対的な芯を持つ圧倒的真実。
 その概念があらゆるものを吹き飛ばし、私に侵食してきたのだ。

 これが真理。いや、真理とはなんだろう。
 世界の真実だというけれど、正直私にはそんなものはわからない。
 真理に触れたことで、私は真理を理解しきれないことを理解した。

 世界というものは、その真相というものは、恐らくヒトの身で把握できるものではない。
 それを理解しようとするのならば、それ相応の存在への昇華が必要だ。
 だから飽くまでヒトである私には、この真理をものにすることは恐らくできない。

 けれど、この力が世界から流れてくるものであり、こうやって手を伸ばせるほどに繋がっているのであれば。
 全く扱えないというわけではなく、何かしらの関わり方があるはずだ。
 ヒトの枠を超えられない今の私でも、真理の力を得る方法が何か────。

「ドルミーレ! ねぇ、ドルミーレ……!!!」

 大きな力の奔流を受け止め、そして果てしない真理に晒されるていた時、声が聞こえた。
 真っ白になった頭の中で、真理以外のものが吹き飛んでしまいそうになる中で、私の名前を呼ぶ声が。

「しっかりするんだ、ドルミーレ! 力に飲まれちゃいけない!」

 それは、ホーリーとイヴの声。
 私から吹き出る大きすぎる力と、その真理に圧倒されている私の様に驚いたのだろう。
 その声は酷く切迫していて、何より私を案じていた。

「ドルミーレ……ドルミーレ……!!!」

 そして、ファウストの声が聞こえた。
 必死に、切実に、ひたすらに私を呼ぶ声が。
 その瞬間、ようやく私に現実が帰ってきた。
 真理に手を伸ばしたことで真っ白に覆われた意識が、一気に目の前のものを取り戻す。

「ホーリー……イヴ…………ファウスト────」

 振り返ってみれば、三人が真っ青な顔で私を見ている。
 その張り詰めた顔を見れば、私が如何に我を失って力に飲み込まれていたのか、それがよくわかった。

 このままではダメだ。真理に手を伸ばしても、それに塗り潰されているようではダメだ。
 私には真理を理解することはできないのだから、それを十全に扱うことなんて到底無理な話なんだ。
 欲をかいて手を伸ばせば、きっと私は大切なものを失ってしまう。

「ドルミーレ、貴女の力は強大だけれど、そればかりに頼ってはいけない。力に身を任せて我を失う貴女を、私は見たくない」
「ファウスト……」

 心配そうな顔で、ファウストは優しく、しかし力強くそう言った。
 大きな力を渦巻かせる私に驚きながら、それでも私から決して目を逸らさずに。

「魔法は、貴女の武器だ。しっかりと握りしめ、意思を持って振るわなければ。この剣のように」

 ファウストはそう言って、自らが握っていた剣を私にそっと握らせた。
 武芸を得意としない彼の剣は、実用的なものというよりは、装飾物に近い宝剣の類のものだ。
 しかし華美に過ぎるわけでもなく、洗練されたシンプルな美しさを持つ、優美な武具だ。
 長らく携えているであろうそれは、彼の手によく馴染み、使いこなしていることが窺えた。

「武器……そうよ、武器────!」

 それを受け入れた瞬間、私は閃いた。
 力そのもの、真理という概念そのものを扱うことができないのなら、可能な範囲だけ掴めば良い。
 何も私自身がその力を受け入れなくても、扱えるだけの、真理の一部だけを取り出せばいい。
 はじめから全てを望む方がおかしな話というもの。

 魔法を使うように自由自在に扱うことができなくても、この手に握って一部を振るうことくらいはできるはず。
 そう、まさしく武器のように、自らの力ではなく武装のように身にまとえば、あるいは……!

「ありがとう、ファウスト。あなたの剣、借りるわね」
「ああ。私にできる唯一の助力だ。その剣が、貴女に降りかかる闇を斬り払うことを願うよ」

 優しく微笑んだファウストに頷いて、私はファウストの剣を強く握りしめた。
 彼の意思と心がこもっている剣はとても温かく、そして冴え渡る鋭さを感じさせた。
 何者にも屈することない、道を切り開く強い意志を持った剣だ。

 そんな彼の想いを手に、私はもう一度、力を辿って真理に手を伸ばした。
 しかし今度はそれを力任せに手繰り寄せるのではなく、慎重に窺いながら。
 私の身で扱えるであろう、最低限の部分だけを掴み、そして引き寄せる。
 しかしそれを私自身の力として身に引き寄せるのではなく、この手に握った剣にまとわせた。

 私自身の魔法という力と、その果ての先にある真理という概念。
 それが混ざり合いながら、ファウストの剣に集まり、そして浸透する。
 私自身に真理を呼び込まなかったからか、さっきのように無垢に飲み込まれることなく、ただ純真な力の気配だけを感じた。
 真理の力の一部を、そして更に飽くまで外部的に扱うことで、私の手中に真理が収まった。

 世界の根源から抽出し、そして凝縮させた真理は、剣という形に馴染んで一つの武器として成った。

 私自身から溢れかえる、世界から流れる強大な魔力。
 そしてそれと繋がりつつも、私の手の中だけで収まる真理の力。
 その二つが共鳴し、私の力として更に強大なものとなった。

 ファウストの剣は真理を抱いたことで、その全てが白く染まっていた。
 鋒から柄の端まで、その究極的な無垢を表すかの如く純白に。
 それは正しく真理を現した剣。『真理のつるぎ』と呼ぶに相応しい、純真な姿だった。

 真理という概念を武装することで手にした私は、もはやジャバウォックに負ける気がしなかった。
 止めどなく溢れる力と、澄み渡る純粋な真実を手に、私は混沌を渦巻かせる魔物を再び見上げた。
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