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第0章 Dormire
69 至上の喜び
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「素敵な住まいですね。貴女と同じような静けさと慎ましさを感じます」
「素直にちっぽけで何もないと言えばいいのに」
いつまでの小屋の前で話しているわけにもいかず、私はファウストを招き入れることにした。
私が一人で暮らすための最低限の空間に足を踏み入れた彼は、ゆっくりと室内を見渡して感嘆の声を漏らす。
「とんでもない。貴女の着飾ることのない気品が溢れていますよ、ドルミーレ。何も、華美であることが全てではないのだから」
ファウストはそう言って微笑むと、私が促した通り椅子に腰掛けた。
当人はそう言うけれど、明らかに身なりが整ったその姿は、質素な私の小屋とは正反対のものだった。
上質な生地で作られたガウンに、鮮やかな色が映えるマント、そして腰に下げている一振りの剣。
そこらの町民ではないことは明らかで、種族的には貧しい人間の中でも、一定の地位を持つ人だということが窺える。
けれど、私はファウストの素性を詮索しようという気にはならなかった。
私の魔女というレッテルを無視し、ただここにいる一人のヒトとして見てくれているのだから、私たちの間に立場や肩書きは無粋なものだ。
彼が何者かということが気にならないわけではないけれど、それは別に今わからなくてもいいことだから。
「あなたは本当に、お世辞を言うのが上手なのね」
「参りましたね。全て本心のつもりなのですが」
そう言って頬を掻くファウストにお茶を淹れると、彼は表情を緩めてカップに手を伸ばした。
もしある程度身分の高い人間なのであれば、森で取れたハーブで淹れたお茶なんて口に合わないのではと思ったけれど。
案外そうでもないらしく、ファウストは惚けた顔でホッと息をこぼした。
「ドルミーレ、貴女はずっとこの森の中で、一人で暮らしているのですか?」
「そうだけれど、どうして?」
「いえ、貴女から感じる気品は、どこぞの淑女といっても差し支えないものに思えまして」
私が正面に座ると、ファウストはふと尋ねてきた。
「佇まいも所作も、紡がれる言葉も。貴女という人からは、どこをとっても高貴さが窺えるのです」
「そう言われてもねぇ。私はただ、普通にしているだけよ」
確かにホーリーとイヴから、似たようなことを言われたことが何度かある。
しかし自分としては何かを気にしたことはないし、落ち着いて見えるのは多分、私が人一倍暗く、淡々としてるからだろうと思っていた。
でもまぁ考えてみれば、世界によって生み出されその力とリンクしている私は、神秘と深く交わっているという点において、高貴という言い方をしてもいいのかもしれない。
「私は昔からずっとここで、一人で静かに暮らしている。二人だけ友人がいるけれど、彼女たち以外は誰とも関わっていないし。私はただ、自分の好きなように生きているだけよ」
「ご友人がいるのですね。この深い森に、そのご友人はいつもやって来られるのですか?」
「昔は専らそうだったし、今も時々。私がこんな僻地に住んでいるから、二人には迷惑をかけているわ」
「素敵なご友人をお持ちなのですね……羨ましい限りです」
私がお茶に口をつけながら答えると、ファウストはやんわりと微笑んだ。
その視線はとても優しげで、暖かく柔らかい。
まるで心からの安堵を得たように、その笑みは屈託がなかった。
私は、何だかその顔を見続けていることができなかった。
仕方なく視線を逸らし、言葉を続ける。
「最近は外で落ち合って、私の魔法で遠くで出かけることが多いわね。私は町に行けないから、大抵人がいないところになるのだけど」
「魔法、ですか。やはり貴女は、特別な力をお持ちなのですね」
「ええ、そうよ。人間が言っている邪悪な力……ではないけれど。他の種族が持っているのような、神秘の力を私も持っているの。それが魔法よ」
私の力がどういったものなのかは、説明していては日が暮れてしまうし、それで理解してもらえるとも思えない。
だからとても単純に言い切ってみると、ファウストは妙味深そうにふむふむと頷いた。
「神秘の力、ですか。それならばやはり、貴女は崇高な存在なのでしょう。人々が口にする邪悪な存在とは程遠い、世界に認められた人だ」
「この力があれば、人間たちが恐れていることだって可能ではあるけれどね。ただ私は、そもそもヒトに興味がないから、仇なすつもりもない。ただそれだけなのよ」
「そうなのでしょうね。貴女が何か、大きな力を持っていることは私にもわかります。もしそれが本当に邪悪な何かであれば、私は今こうして貴女との時間を楽しむことはできなかったでしょう」
お茶の香りを楽しみながら、ファウストはそう言ってまた微笑む。
彼にとって、本当に魔女の噂などどうでもいいんだと、それがハッキリとわかってくる。
この国の人間ならば、私のありもしない黒い噂をたくさん知っているだろうに。
「国と人々を脅かす悪しき魔女。災いを避けるために、その根源である魔女を討ち取るべきだ。なんと馬鹿馬鹿しい話でしょう。貴女というヒトはこんなに清らかだというのに。大きな力を持ちつつも、それをひけらかすことなく慎ましく生きている。友人を大切にしている、ただの一人の女性にすぎないのに」
「そんなことを言うのはあなただけよ、ファウスト。みんな私を見ると怯えるし、未知の力に恐れ慄く。私が何もしなくても、私という謎が人々の心を蝕んでしまうの」
「実に悲しいことです。しかし────気分を害されたら申し訳ないのですが────私にとっては少し喜ばしくもありました」
ファウストは私の表情を窺いながら、やんわりとはにかんだ。
私が首を傾げて続きを促すと、やや気恥ずかしそうに言葉を続ける。
「この悪しき噂があったからこそ、私は魔女の討伐の命を受けてこの森に訪れた。貴女が言われのない非難を受けることは私にも辛く悲しことです。しかしそれによって貴女に会えたことは、至上の喜びに他なりません」
「────本当に、あなたは口が上手いのね」
無垢な笑みを浮かべて、混じり気のない言葉で言われては、どう受け止めていいかわからなかった。
だから私は、この正体不明の感情を誤魔化すようにお茶を口に含んだ。
そんな私を見て、ファウストは更に笑みを増す。
「紛れもない本心ですよ、ドルミーレ。私は今、幸せなのです」
言葉と同時に、その瞳が語っていた。
「素直にちっぽけで何もないと言えばいいのに」
いつまでの小屋の前で話しているわけにもいかず、私はファウストを招き入れることにした。
私が一人で暮らすための最低限の空間に足を踏み入れた彼は、ゆっくりと室内を見渡して感嘆の声を漏らす。
「とんでもない。貴女の着飾ることのない気品が溢れていますよ、ドルミーレ。何も、華美であることが全てではないのだから」
ファウストはそう言って微笑むと、私が促した通り椅子に腰掛けた。
当人はそう言うけれど、明らかに身なりが整ったその姿は、質素な私の小屋とは正反対のものだった。
上質な生地で作られたガウンに、鮮やかな色が映えるマント、そして腰に下げている一振りの剣。
そこらの町民ではないことは明らかで、種族的には貧しい人間の中でも、一定の地位を持つ人だということが窺える。
けれど、私はファウストの素性を詮索しようという気にはならなかった。
私の魔女というレッテルを無視し、ただここにいる一人のヒトとして見てくれているのだから、私たちの間に立場や肩書きは無粋なものだ。
彼が何者かということが気にならないわけではないけれど、それは別に今わからなくてもいいことだから。
「あなたは本当に、お世辞を言うのが上手なのね」
「参りましたね。全て本心のつもりなのですが」
そう言って頬を掻くファウストにお茶を淹れると、彼は表情を緩めてカップに手を伸ばした。
もしある程度身分の高い人間なのであれば、森で取れたハーブで淹れたお茶なんて口に合わないのではと思ったけれど。
案外そうでもないらしく、ファウストは惚けた顔でホッと息をこぼした。
「ドルミーレ、貴女はずっとこの森の中で、一人で暮らしているのですか?」
「そうだけれど、どうして?」
「いえ、貴女から感じる気品は、どこぞの淑女といっても差し支えないものに思えまして」
私が正面に座ると、ファウストはふと尋ねてきた。
「佇まいも所作も、紡がれる言葉も。貴女という人からは、どこをとっても高貴さが窺えるのです」
「そう言われてもねぇ。私はただ、普通にしているだけよ」
確かにホーリーとイヴから、似たようなことを言われたことが何度かある。
しかし自分としては何かを気にしたことはないし、落ち着いて見えるのは多分、私が人一倍暗く、淡々としてるからだろうと思っていた。
でもまぁ考えてみれば、世界によって生み出されその力とリンクしている私は、神秘と深く交わっているという点において、高貴という言い方をしてもいいのかもしれない。
「私は昔からずっとここで、一人で静かに暮らしている。二人だけ友人がいるけれど、彼女たち以外は誰とも関わっていないし。私はただ、自分の好きなように生きているだけよ」
「ご友人がいるのですね。この深い森に、そのご友人はいつもやって来られるのですか?」
「昔は専らそうだったし、今も時々。私がこんな僻地に住んでいるから、二人には迷惑をかけているわ」
「素敵なご友人をお持ちなのですね……羨ましい限りです」
私がお茶に口をつけながら答えると、ファウストはやんわりと微笑んだ。
その視線はとても優しげで、暖かく柔らかい。
まるで心からの安堵を得たように、その笑みは屈託がなかった。
私は、何だかその顔を見続けていることができなかった。
仕方なく視線を逸らし、言葉を続ける。
「最近は外で落ち合って、私の魔法で遠くで出かけることが多いわね。私は町に行けないから、大抵人がいないところになるのだけど」
「魔法、ですか。やはり貴女は、特別な力をお持ちなのですね」
「ええ、そうよ。人間が言っている邪悪な力……ではないけれど。他の種族が持っているのような、神秘の力を私も持っているの。それが魔法よ」
私の力がどういったものなのかは、説明していては日が暮れてしまうし、それで理解してもらえるとも思えない。
だからとても単純に言い切ってみると、ファウストは妙味深そうにふむふむと頷いた。
「神秘の力、ですか。それならばやはり、貴女は崇高な存在なのでしょう。人々が口にする邪悪な存在とは程遠い、世界に認められた人だ」
「この力があれば、人間たちが恐れていることだって可能ではあるけれどね。ただ私は、そもそもヒトに興味がないから、仇なすつもりもない。ただそれだけなのよ」
「そうなのでしょうね。貴女が何か、大きな力を持っていることは私にもわかります。もしそれが本当に邪悪な何かであれば、私は今こうして貴女との時間を楽しむことはできなかったでしょう」
お茶の香りを楽しみながら、ファウストはそう言ってまた微笑む。
彼にとって、本当に魔女の噂などどうでもいいんだと、それがハッキリとわかってくる。
この国の人間ならば、私のありもしない黒い噂をたくさん知っているだろうに。
「国と人々を脅かす悪しき魔女。災いを避けるために、その根源である魔女を討ち取るべきだ。なんと馬鹿馬鹿しい話でしょう。貴女というヒトはこんなに清らかだというのに。大きな力を持ちつつも、それをひけらかすことなく慎ましく生きている。友人を大切にしている、ただの一人の女性にすぎないのに」
「そんなことを言うのはあなただけよ、ファウスト。みんな私を見ると怯えるし、未知の力に恐れ慄く。私が何もしなくても、私という謎が人々の心を蝕んでしまうの」
「実に悲しいことです。しかし────気分を害されたら申し訳ないのですが────私にとっては少し喜ばしくもありました」
ファウストは私の表情を窺いながら、やんわりとはにかんだ。
私が首を傾げて続きを促すと、やや気恥ずかしそうに言葉を続ける。
「この悪しき噂があったからこそ、私は魔女の討伐の命を受けてこの森に訪れた。貴女が言われのない非難を受けることは私にも辛く悲しことです。しかしそれによって貴女に会えたことは、至上の喜びに他なりません」
「────本当に、あなたは口が上手いのね」
無垢な笑みを浮かべて、混じり気のない言葉で言われては、どう受け止めていいかわからなかった。
だから私は、この正体不明の感情を誤魔化すようにお茶を口に含んだ。
そんな私を見て、ファウストは更に笑みを増す。
「紛れもない本心ですよ、ドルミーレ。私は今、幸せなのです」
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