上 下
786 / 984
第0章 Dormire

69 至上の喜び

しおりを挟む
「素敵な住まいですね。貴女と同じような静けさと慎ましさを感じます」
「素直にちっぽけで何もないと言えばいいのに」

 いつまでの小屋の前で話しているわけにもいかず、私はファウストを招き入れることにした。
 私が一人で暮らすための最低限の空間に足を踏み入れた彼は、ゆっくりと室内を見渡して感嘆の声を漏らす。

「とんでもない。貴女の着飾ることのない気品が溢れていますよ、ドルミーレ。何も、華美であることが全てではないのだから」

 ファウストはそう言って微笑むと、私が促した通り椅子に腰掛けた。
 当人はそう言うけれど、明らかに身なりが整ったその姿は、質素な私の小屋とは正反対のものだった。
 上質な生地で作られたガウンに、鮮やかな色が映えるマント、そして腰に下げている一振りの剣。
 そこらの町民ではないことは明らかで、種族的には貧しい人間の中でも、一定の地位を持つ人だということが窺える。

 けれど、私はファウストの素性を詮索しようという気にはならなかった。
 私の魔女というレッテルを無視し、ただここにいる一人のヒトとして見てくれているのだから、私たちの間に立場や肩書きは無粋なものだ。
 彼が何者かということが気にならないわけではないけれど、それは別に今わからなくてもいいことだから。

「あなたは本当に、お世辞を言うのが上手なのね」
「参りましたね。全て本心のつもりなのですが」

 そう言って頬を掻くファウストにお茶を淹れると、彼は表情を緩めてカップに手を伸ばした。
 もしある程度身分の高い人間なのであれば、森で取れたハーブで淹れたお茶なんて口に合わないのではと思ったけれど。
 案外そうでもないらしく、ファウストは惚けた顔でホッと息をこぼした。

「ドルミーレ、貴女はずっとこの森の中で、一人で暮らしているのですか?」
「そうだけれど、どうして?」
「いえ、貴女から感じる気品は、どこぞの淑女といっても差し支えないものに思えまして」

 私が正面に座ると、ファウストはふと尋ねてきた。

「佇まいも所作も、紡がれる言葉も。貴女という人からは、どこをとっても高貴さが窺えるのです」
「そう言われてもねぇ。私はただ、普通にしているだけよ」

 確かにホーリーとイヴから、似たようなことを言われたことが何度かある。
 しかし自分としては何かを気にしたことはないし、落ち着いて見えるのは多分、私が人一倍暗く、淡々としてるからだろうと思っていた。
 でもまぁ考えてみれば、世界によって生み出されその力とリンクしている私は、神秘と深く交わっているという点において、高貴という言い方をしてもいいのかもしれない。

「私は昔からずっとここで、一人で静かに暮らしている。二人だけ友人がいるけれど、彼女たち以外は誰とも関わっていないし。私はただ、自分の好きなように生きているだけよ」
「ご友人がいるのですね。この深い森に、そのご友人はいつもやって来られるのですか?」
「昔は専らそうだったし、今も時々。私がこんな僻地に住んでいるから、二人には迷惑をかけているわ」
「素敵なご友人をお持ちなのですね……羨ましい限りです」

 私がお茶に口をつけながら答えると、ファウストはやんわりと微笑んだ。
 その視線はとても優しげで、暖かく柔らかい。
 まるで心からの安堵を得たように、その笑みは屈託がなかった。

 私は、何だかその顔を見続けていることができなかった。
 仕方なく視線を逸らし、言葉を続ける。

「最近は外で落ち合って、私の魔法で遠くで出かけることが多いわね。私は町に行けないから、大抵人がいないところになるのだけど」
「魔法、ですか。やはり貴女は、特別な力をお持ちなのですね」
「ええ、そうよ。人間が言っている邪悪な力……ではないけれど。他の種族が持っているのような、神秘の力を私も持っているの。それが魔法よ」

 私の力がどういったものなのかは、説明していては日が暮れてしまうし、それで理解してもらえるとも思えない。
 だからとても単純に言い切ってみると、ファウストは妙味深そうにふむふむと頷いた。

「神秘の力、ですか。それならばやはり、貴女は崇高な存在なのでしょう。人々が口にする邪悪な存在とは程遠い、世界に認められた人だ」
「この力があれば、人間たちが恐れていることだって可能ではあるけれどね。ただ私は、そもそもヒトに興味がないから、仇なすつもりもない。ただそれだけなのよ」
「そうなのでしょうね。貴女が何か、大きな力を持っていることは私にもわかります。もしそれが本当に邪悪な何かであれば、私は今こうして貴女との時間を楽しむことはできなかったでしょう」

 お茶の香りを楽しみながら、ファウストはそう言ってまた微笑む。
 彼にとって、本当に魔女の噂などどうでもいいんだと、それがハッキリとわかってくる。
 この国の人間ならば、私のありもしない黒い噂をたくさん知っているだろうに。

「国と人々を脅かす悪しき魔女。災いを避けるために、その根源である魔女を討ち取るべきだ。なんと馬鹿馬鹿しい話でしょう。貴女というヒトはこんなに清らかだというのに。大きな力を持ちつつも、それをひけらかすことなく慎ましく生きている。友人を大切にしている、ただの一人の女性にすぎないのに」
「そんなことを言うのはあなただけよ、ファウスト。みんな私を見ると怯えるし、未知の力に恐れ慄く。私が何もしなくても、私という謎が人々の心を蝕んでしまうの」
「実に悲しいことです。しかし────気分を害されたら申し訳ないのですが────私にとっては少し喜ばしくもありました」

 ファウストは私の表情を窺いながら、やんわりとはにかんだ。
 私が首を傾げて続きを促すと、やや気恥ずかしそうに言葉を続ける。

「この悪しき噂があったからこそ、私は魔女の討伐の命を受けてこの森に訪れた。貴女が言われのない非難を受けることは私にも辛く悲しことです。しかしそれによって貴女に会えたことは、至上の喜びに他なりません」
「────本当に、あなたは口が上手いのね」

 無垢な笑みを浮かべて、混じり気のない言葉で言われては、どう受け止めていいかわからなかった。
 だから私は、この正体不明の感情を誤魔化すようにお茶を口に含んだ。
 そんな私を見て、ファウストは更に笑みを増す。

「紛れもない本心ですよ、ドルミーレ。私は今、幸せなのです」

 言葉と同時に、その瞳が語っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜

平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。 だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。 流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!? 魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。 そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…? 完結済全6話

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

処理中です...