上 下
703 / 984
第7章 リアリスティック・ドリームワールド

134 大切だからこそ

しおりを挟む
「────────」

 初めて、ドルミーレの表情が揺らいだ。
 始終興味がなさそうに冷め切っていた彼女の顔に、僅かばかりの色が差す。

 レイくんの瞳が赤く煌めいた。
 それと同時に放たれた強烈な魔力は、正面に座していたドルミーレに降りかかっていた。

「君が僕を受け入れなくとも、もう構わない。それでも僕は、君の血を守り続ける。君が根付くものを守り続ける。その為に、僕に堕ちてもらうよ! ドルミーレ!」

 先程までの意気消沈とは打って変わって、その覇気を全面に放って声を上げるレイくん。
 白い毛並みはふわりと意気を取り戻し、兎の耳はピンと張りよくそそり立つ。
 転臨による醜悪な魔力と妖精の大自然の力を勢いよく膨れ上がらせ、ドルミーレから決して目を離さない。

「────舐めた、真似を……!」
「ドルミーレ、僕は君に憧れていた。でも今の僕は、君よりも大切なものを見つけたんだ。君のことは好きだし尊んでいるけれど、でも、僕の大切なものを壊されるのはごめんなんだ……!」

 レイくんが放っているのは、恐らく強力な魅了の術。
 それはドルミーレに届いているのか、彼女は椅子に座ったままピクリとも動かない。
 感情を司る妖精であるレイくんにとって、この心の中の空間は有利であり、剥き出しの精神に干渉するのは容易なのかもしれない。
 例え相手が『始まりの魔女』だとしても。

「蘇るつもりがないのなら、それでも構わない。けれど、アリスちゃんの心をこれ以上蝕まれるわけにはいかない。眠っていたいのなら、そのまま安らかに眠り続ければいい。ただ、その力だけは貰う!」
「────────」

 血のように赤く輝くレイくんの瞳がドルミーレをねじ伏せにかかる。
 魅了によってその心を包み込み、籠絡しようとしている。
 二千年に渡って培ってきた魔法と、妖精としての存在の力が合わさり、それはとてつもない強制力になっていた。

 私を甘く包み込んでいた時とは訳が違う。
 相手を屈伏させようとする、力のこもった魅了だった。

 ドルミーレに憧れ続け、今も彼女を尊び続けているレイくん。
 二千年続いてきたその想いは、きっとこれからも色褪せない。
 妖精であるレイくんには、そんな時間の経過は関係ない。

 けれど魔女として過ごしてきた日々の中で得たものが、レイくんの優先順位を変えていったんだ。
 ドルミーレ自身も大切だけれど、当の本人には決してその想いは届かない。
 だからこそ、彼女が残したもの、彼女が刻んだものこそを大事にした。

 それは名誉であったり尊厳であったり、『魔女ウィルス』を受けた魔女であったり。
 ドルミーレがこの世界に存在していた証が、穢れ壊されることこそをレイくんは恐れた。
 それこそを守り取り戻そうと決めたんだ。例えその本人を下すことになろうとも。

 いや、そこまでレイくんを駆り立てたのは、きっと私の存在があるからだ。
 私の心を守りたいと思ったからこそ、レイくんはドルミーレをも籠絡する道を選んだんだ。

「僕に全てを委ねるんだ、ドルミーレ。その力をアリスちゃんへと継承し、君の心を永遠の安寧に眠らせよう! そして僕は、今を生きる魔女たちと共に、この世界を変えてみせる!!!」

 覚悟を胸に抱いた、決死の叫び。
 大切だからこそ決別する。
 レイくんの信念の咆哮。

 決して緩むことのない魅了の術は、寧ろ更に強制力を増してドルミーレを蝕んだ。けれど……。

「────調子に乗らないで」

 突然ドルミーレが平静を取り戻し、そして。
 漆黒の『真理のつるぎ』が一本、レイくんの首元を貫いた。

「レイくん!!!」

 思わず悲鳴を上げ、レイくんに駆け寄ろうとするも、その首を囲む残りの五本の剣がそれを阻む。
 発せられていた魅了の力は唐突に途切れ、レイくんはだらりと脱力した。
 けれど宙に浮かぶ剣に喉元を貫かれたせいで、倒れることも許されない。

「少し驚いたけれど、どうってことはないわ。私の心を汚染しようだなんて、愚かにも程がある」

 ふぅと息を吐いて、ドルミーレは吐き捨てるようにそう言った。
 そこにはもう驚愕の色はなく、再び微動だにしない不動の相に戻っている。

「ッ…………」

 レイくん苦痛に顔を歪めながら、しかし意気を弱めずドルミーレを見つめ続けていた。
 不思議なことに、剣に貫かれている喉元からは血が一滴も流れていなかった。
 ここは心の中の精神世界だから、物理的なダメージは受けないのかもしれない。
 けれど恐らくその攻撃は、レイくんの精神に直接傷をつけているはずだ。

「あなたたちが使っている力は所詮私のお溢れ。どんなに私の真似事をして、どんなに近付いた気になっていたとしても、私になんて到底及ぶべくもない。だから言っているのよ、愚弄しないでと」

 最早笑い飛ばすこともなく、ドルミーレは冷たく言い放つ。
 魔法の源流である彼女には、どんなに熟練の魔女の力でも敵わない。
 それだけの力を、『始まりの魔女』は持っている。

「それでも、僕には……」

 喉を貫く剣を握り、レイくんはゆっくりと口を開いた。

「僕には、守るべきものが、あるんだ……。ドルミーレ、君がそれを、望まなくても……」
「こんな世界のことなんてどうだっていいのに。どうしてそこまで拘るのかしら。何の価値もありはしないのに」
「…………自分が魔女となって、虐げられる存在になって……初めて君の痛みを理解した。君のそれとは比べるべくもなかったとしても、それでも……わかった、から……」
「わかった? 知ったような口を。おこがましい」

 ドルミーレの表情が不機嫌に歪んだ。
 闇を孕んだ瞳が静かな怒りに揺れ、威圧感を増す。

「わかるわけがない。誰にだって、わかるわけがないのよ。世界に疎まれ、憎まれる苦痛なんて。あなたたちのそれなんて、私にしてみれば痛みにもならない」
「そうだね……そうだ。僕はわかった気になっただけだ。けれど僕はその痛みを残したくないと、思ったんだ。その身を散らしても尚責め続けられる君を、救いたかった……」
「本当にあなたは勝手なことばかり。目障りで鬱陶しい。これ以上の侮辱は許さないわ」

 レイくんの噛み締めるような言葉は、やはりドルミーレには届かない。
 心を閉ざし全てを拒絶する彼女には、誰の心も伝わらない。
 けれど、レイくんもそれをわかっている。わかっていて尚、自分の気持ちを貫いているんだ。

 伝わらない、理解されない、受け入れられない。
 それでも、気持ちは揺るがないから。

「私はあなたの全てを許さない。あなたがどんなにすり寄ってきても、どんなに真似事を繰り返しても。私はあなたが思い描くものには従わない。愚かな妖精。悠久の時を生きる種族の癖に、生き方を間違えるなんて」
「僕は、間違えたなんて思わないよ、ドルミーレ。愛しいものの為に生きるのは、全てのヒトの性だ」
「吐き気がするわね」

 ドルミーレがそう一蹴するのと同時に、レイくんの喉を貫いていた剣が引き抜けた。
 傷口はやはり残らず、喉元は綺麗なまま。

 自由を取り戻した剣は再び六本でその喉元を囲み、鋒をすれすれに突きつける。

「散々私を愚弄し、侮辱し、剰えこんなところまで踏み込んで来たあなたに、もう生きる価値はないわ。死になさい」

 言葉は呆気なく、感情のこもっていない記号のよう。
 けれどそれは、どうしようもなく絶望的な色を持っていて。

 自分に向けられた言葉ではないのに、私は頭が真っ白になってしまった。

 漆黒の剣が煌く。
 突きつけられた剣がその首を断つのに、時間なんて僅かも必要ない。
 黒い刃がその身を切り裂けば、心が砕け、レイくんの精神が死んでしまうであろうことは容易に想像ができた。

 できた。だからこそ私は、それを否定しなければと、この心全てが感じたんだ。

「────────」

 気が付けば体が動いていた。
 意識した時にはことは終えていた。
 私の感情が体を動かし、私の心がことを成していた。

「レイくんを傷付けるなんて、私が絶対に許さない!」

 言葉は自然と口から飛び出して、私の目は一点に目の前の女性を見つめている。
 レイくんを取り囲んでいた六つの剣は、その役割を果たす前に霞のように消え去っていて。
 それを成したのは、私の手に握られている純白の剣だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜

平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。 だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。 流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!? 魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。 そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…? 完結済全6話

【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜

福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。 彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。 だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。 「お義姉さま!」           . . 「姉などと呼ばないでください、メリルさん」 しかし、今はまだ辛抱のとき。 セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。 ──これは、20年前の断罪劇の続き。 喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。 ※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。 旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』 ※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。 ※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

処理中です...