上 下
660 / 984
第7章 リアリスティック・ドリームワールド

91 ロードの暗躍

しおりを挟む
 ────────────



「…………ここは」

 アリアが目を覚ますと、そこは冷たく薄暗い部屋だった。
 窓明かりなどなく、照らすものは僅かな蝋燭の揺らめきだけ。
 冷え切った石畳の上で彼女は倒れ込んでおり、意識の覚醒と共に強い寒さを覚えた。

 身震いをしながら体を起こそうとするが、できない。
 体を押さえ付けているものはないが、しかしピクリとも動かない。
 魔法による拘束の類を受けているのだと、彼女は直感した。

 唯一僅かに動かせる首を捻って、うつ伏せの状態のまま部屋の中を視線を彷徨わせる。
 薄暗く冷え込んだそこは、彼女がよく知る地下の一室だった。

「……そうだ、私……!」

 何故自分がこんなところで倒れているのか。
 その疑問を覚えた瞬間、アリアは直前の記憶を取り戻した。
 アリスがこちらの世界に訪れたという知らせを受け、シオンとネネと共に彼女を探しに行こうとしていたのだ。

 そして『ハートの館』を飛び出したところで────

「レオ……! レオ、しっかりして!」

 記憶が鮮明に蘇り、アリアは傍で同じように倒れ臥す男の存在に気付く。
 大きな体を彼女と同じようにうつ伏せに横たえて、レオは未だ意識を取り戻していなかった。

 動かない体はその身を揺することすら叶わない。
 僅かに聞こえる呼吸音が、まだ彼の生存を教えてくれるが、しかしこの状況で安堵はできない。

 ここは『ダイヤの館』の地下室。君主ロードの研究室兼儀式の間だ。
 微かな音すら響いてこない静寂の空間は薄気味悪く、嫌な予感ばかりを膨れ上がらせる。
 自分たちは捕らえられた。これから、一体何が起こるというのか。

「気が付いたか、D4」

 いくら呼びかけても目覚める気配のない親友に歯噛みしていると、突如彼女の背中に冷たい声が投げ掛けられた。
 その声と共に、石畳を踏み歩く無機質な足音が響き、何者かが入室してくるのがわかる。

 ゆっくりと優雅に、逸るものなど一切なく。
 落ち着き払った足音は静かにアリアの目の前で止まった。

 首を持ち上げることのできないアリアは、その人物を見上げることができない。
 しかしその高圧的な声を聞けば、それが何者であるかなど明らかだった。

「ロード・デュークス……!」
「数日ぶりだな、D4。休暇は楽しめたか?」

 主の名を口にするアリアに、デュークスは鼻を鳴らしながら応えた。
 その声に感情はなく、凡そ部下に向けるであろう情すらも感じられない。
 ただ言葉を並べただけの、淡々とした情報伝達。

 そんな彼の声を受けて、アリアは全身が強張るのがわかった。
 彼女とレオ、二人の直属の上司であるロード・デュークス。
 しかし同時に、親友であるアリスの命を狙う敵でもある男だ。
 二人はアリスを守るために、彼の指示や思惑を裏切って離反している。待ち受けるのは制裁か。

 しかし、裏切り者を消すというのであれば、先程の襲撃の際にできたはず。
 それをせず、こうして捕縛して連れ帰ってきたのであれば、命の危険はないかもしれない。
 アリアはそう考えるようにして、冷静さを保ってデュークスの足を見た。

「私たちを、どうするおつもりですか」
「心配するな、殺しはしない。それくらいのことは貴様もわかっているだろう。貴様らは大切な部下だ。丁重に扱う」

 デュークスは乾いた声でそう答えると、アリアに背を向けた。
 またツカツカと歩を進め、少し離れた位置にあるソファに腰掛けた。
 それによりアリアの視界に映る姿が少しだけ増えたが、それでも彼の顔は窺えない。

「……君主ロードは先程、『迎えに来た』と仰っていました。一体、何を……」
「今、国中が忌々しいワルプルギスの襲撃を受けている。そして、姫君が国に舞い戻って来たと聞く。事態は刻一刻を争う。その為に、貴様らが必要だったのだ」

 アリアの問いに、デュークスは冷淡に答えた。
 口振りほどそこに焦りはなく、寧ろ高揚しているかのように口の回りが早い。

「不測の事態、そして恰好の状況。私の計画を取り急ぎ行う、またとない状況だ」

 クツクツと笑うデュークス。
 しかしアリアは、それと自分たちの関係が見出せなかった。
 デュークスが立てているという計画は、彼が単身で進めており、部下もその全容を知らない。
 アリアはその計画に当たりをつけていたが、しかしそれでけでは彼の思惑は計れなかった。

 疑問の色を浮かべていると、デュークスは言葉を続けた。

「D4、貴様らはもう知っているのだろう? 私が自身の部下たちに呪詛を施していたのを」
「…………」
「あれは貴様らを管理、コントロールするものであると同時に、我が計画への下準備なのだ」

 その言葉にアリアは息を飲んだ。
 彼の呪詛をその身に受けていたこと、それそのものも恐ろしい事実である。
 しかしそれが計画に繋がるなど、嫌な予感しかなかった。

「私の計画、『ジャバウォック計画』を発現させる為のリソース。言ってしまえば生贄だな。それに相応しくなるよう、呪詛を染み込ませることで整えていたのだ」
「なっ────!」

 驚愕に言葉を失うアリアに、デュークスはほくそ笑んだ。

「混沌の魔物、呪いの権化たるジャバウォックを顕現させる為の贄。在らざる物を形作る為には、優秀な魔法使いの肉と力が必要だったのだ」
「そ、そんなこと……! ロード・デュークス! あなたに、人の心はないのですか!」
「人の心、か。そんなものは必要ない。足枷にしかならん」

 思わず喚いたアリアを、デュークスは鼻で笑い飛ばす。

 彼の元に集い職務に励む魔女狩りが、全てその計画の為に利用されていたなんて。
 思いもしなかった事実に、アリアは身震いした。

「……そんなことはいいのだ。今は貴様とそれについて問答をしている時ではない。それよりもD4、貴様には気になっていることがあるのではないか?」
「………………?」
「ジャバウォックだ。貴様が禁忌の伝承を調べていたことは知っている」

 冷たく見透かした言葉に、アリアは息が詰まった。
 国の歴史の闇深くに葬り去られた、触れることの許されない伝承。
 混沌の魔物ジャバウォックについて、確かに彼女は探りを入れていた。
 鳥肌が全身に波打ち、冷や汗が噴き出る。

「安心しろ。それを咎めるつもりはない。寧ろ私は貴様を評価している。一介の平凡な魔法使いの身で、よくぞそこに辿り着いた。流石は姫君の友といったところか」

 そう言って、デュークスは静かに笑う。
 言葉に刺はなく、純粋に優秀な部下を称えているようだった。
 しかし元来の冷ややかさ故に、不気味さが際立つ。

「大方姫君の為だろう。教えてやる、貴様の予測は正解だ。混沌の魔物ジャバウォックは『始まりの魔女』ドルミーレに仇を成す存在。私の『ジャバウォック計画』とは、その因果を利用し、『始まりの魔女』が生み出した『魔女ウィルス』を駆逐するというものだ」
「や、やはり、ジャバウォックこそが……!」

 自身の予測の的中に、アリアは思わず大きな声をあげた。
 魔女狩りとなり失踪したアリスを探す中で、アリアは彼女の中の『始まりの魔女』を消し去るすべを模索していた。
 その最中で見つけたのが、禁忌の伝承に登場するジャバウォックだった。

 そしてそれをロード・デュークスが用いようとしていることを突き止めたからこそ、アリアは魔女狩りの立場に固執していた。
 結果として彼を裏切り側を離れることとなったが、それでも魔女狩りであり続ければ、その計画に近付ける可能性が残っていると考えたからだ。

「『始まりの魔女』ドルミーレの怨敵であるジャバウォックは、その力を破壊しうる。しかし同時にジャバウォックにとっても『始まりの力』は────あの剣は天敵だ。それ故に、姫君の抹殺が必要だった。計画を盤石に進めるためにな」
君主ロードは未だ、彼女の命を狙っておられるのですね……」
「もちろんだ。姫君とその力はこの世界に存在してはならぬもの。しかし、貴様の出方次第では、考えてやらんこともない」

 デュークスはそうほくそ笑むと、徐に立ち上がって再びアリアの前に歩み出た。
 疑問と恐怖の色を浮かべる彼女を静かな笑みで見下ろし、ゆっくりとしゃがみ込む。

「私に、一体何を……」
「なに、難しいことではない。私の指示通りに動けばいいだけのこと。貴様が姫君を想うのであれば、造作もないことだ」

 震えるアリアの耳元で、デュークスは囁くように語りかけた。



 ────────────
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜

平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。 だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。 流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!? 魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。 そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…? 完結済全6話

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

処理中です...