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第7章 リアリスティック・ドリームワールド

68 変化

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「ところで、正くんはこんな所で何をしてるの?」

 落ち着いたところで素朴な疑問を口にすると、正しくんは途端に気不味そうに視線を逸らした。
 昼間の騒ぎの影響で、人通りは極端になくなっている。
 そんな中でわざわざ出歩いているんだから、よっぽどの理由があるのかな。

 私から目を外した正くんは、答えあぐねるようにうーんと唸った。
 しかしそれは罪を告白するのを躊躇うような、そんな悪い雰囲気のものではなくて。
 どちらかといえば、口にするのを恥じているような感じだった。

 そんな不審な様子を私と氷室さんがジッと訝しげに見つめ続けると、正くんはようやく観念したように溜息交じりに口を開いた。

「あー……実は、その……姉ちゃんを、探してたんだ」
「え、善子さんを? 正くんが?」

 予想してなかった言葉に、つい声に出して驚いてしまう。
 それを聞いて、「母さんに言われて仕方なくだ!」と正しくが慌てて付け足した。
 けれどその若干の憂いを帯びた表情を見れば、それだけではないのは明白だった。

 この状況下で帰宅しない善子さんを、心配しているんだ。
 家族、姉弟としては当たり前のことだけれど、でもそれは今までの二人を見ていたらとても意外なことだった。
 だって正くんはずっと善子さんに反抗して、嫌い続けていたんだから。

 けれど確か、その関係は少し良好になっていると昼間に善子さんから聞いていた。
 家庭内でたわいもない会話ができるくらいには、心を開くようになったと。
 それは、正くんが善子さんのことを『姉ちゃん』と言っているのが良い証拠だ。
 前はずっと、お前だのアイツだのしか言ってなかったし。

「なんだかわかんねないけどさ、今物騒だろ? なのに帰って来なけりゃ連絡もつかない。だからちょっと、探してたんだ。ったく、世話の焼ける……」

 フンと鼻を鳴らし、正くんはそっぽを向きながらそう言った。
 確かに、とてもじゃないけど連絡を取れる状況じゃなかったからな。
 家族が心配するのも無理はない。

「そうだったんだね。実は私、さっきまで善子さんと一緒にいたんだ。だからちゃんと無事だよ。少し前に別れたばっかりだから、入れ違いになっちゃったんじゃないのかな」
「はぁ? マジか。無駄足かよ」

 本当のことなんて言えるわけがないから、とりあえず言える範囲の事実だけを口にする。
 すると正しくんはあからさまにぐったりして見せたけれど、その表情からはやや緊張が取れていてた。
 でも飽くまで振り回されてウンザリだというポーズをとって、不機嫌そうに眉をひそめた。

「まぁ、なら放っといても帰ってくるか」
「道中、無事なら良いんだけど……」
「姉ちゃんなら大丈夫だ。叩いたところで折れも凹みもしないようなやつだからな」

 その言い方はちょっとぶっきらぼうに聞こえたけれど、でもその実信頼の裏返しのようにも聞こえた。
 正くんは彼なりに、善子さんのことをよく見て理解しようとしている。
 彼女の真っ直ぐさ、強さにしっかりと目を向けて、その在り方を見つめ直しているんだ。

 けれど、そんな正くんが今の善子さんの顔を見たらどう思うんだろう。
 親友との決別で心を折れてしまった善子さんを、正くんは……。

「ところでさ、花園」

 先程の善子さんの様子を思い返していた時、正くんが神妙な声色で私をチラリと窺った。
 その瞳は普段の人を見下すような鋭いものではなく、何かを案じる柔らかいものだった。

「姉ちゃんのやつ、最近変なんだけどさ。花園、何か知ってるか?」
「え……」

 まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかった私は、思わずギクリとしてしまった。
 正くんがまさかそこまで善子さんの様子を注視していて、そして案じているなんて。

「この間から、なんだか変なんだ。はじめは俺のせいかと思ったけど、でも俺に対しては普段と変わらないし。花園は姉ちゃんと仲いいんだろ? 何か聞いてないか?」
「えーーっと、なんだろうなぁ」

 弟の正くんが案じているのに、それを口にできないのがもどかしい。
 以前D7ディーセブンに唆されて一瞬魔法に関わった正くんではあるけれど、そもそもは無関係だ。
 そんな彼に、今の善子さんの問題を口にすることなんてできるわけがない。

 それにそんなことを話したら、今日のことも全て説明しなきゃいけなくなる。
 今日この街で起きた騒ぎの渦中にいたんだと、言わざるを得なくなる。
 それは流石に無理な話だ。

「私には、わからないなぁ。善子さんの悩みなんて聞いたことないよ」
「……だよなぁ。悩みがあったとして、姉ちゃんが人に言うとも思えないし」

 心の中で謝りながら、私は嘘をつくしかなかった。
 ようやく心を開いてお姉さんを心配している正くんに、力を貸せないのは本当に申し訳ない。

 正くんは眉を落としつつ、けれどそこまで落胆はしていないようだった。
 そもそも人から情報を得られるとは思っていなかったんだ。

「まぁなんだか知らないけどさ。きっと姉ちゃんのことだし、自分はこうあるべきだって決め付けて、強がってんだろうなぁ」
「どういうこと?」
「俺が言えたことじゃないけどさ。昔からそうなんだよ、姉ちゃんは。責任感が強いというか、正義感が強いというか。自分の在り方を決めたらそれを貫こうと意地を張るんだ」

「バカだろ?」と笑いながら話す正くんの表情は、いつになくさっぱりとしている。
 懐かしい思い出話をする様に、その目は穏やかだった。

「お姉ちゃんだからしっかりしなきゃとか、自分より弱い人は助けてあげなくちゃとか、上手い人は下手な人をフォローしなきゃとか。そうやっていつも人のこと気にして自分を決めて、そうあり続けようとしてる。昔の俺はそんな姉ちゃんを凄いと思ってたし、憧れてた。でも今は、肩こりそうだなって」
「………………」

 それには、思い当たる節がある。
 善子さんはいつだって、私たちに対して先輩然としていた。
 弱みなんて見せずに、自分の不安や悩みなんてまるでないように、いつも明るく支えてくれた。

 正しい心で真っ直ぐに、強くあり続けて。
 弱い人を助け、道を指し示そうと奮闘していた。
 その強く正しい背中を、いつだって私たちに向けてくれていた。

 そんな善子さんだからこそ、そうあり続けられなくなった自分を許せなかったんだ。

「俺もそんな姉ちゃんを真似して、正しいことが、強いことが一番だって思ってた。けどさ、そんなことに意味ないんだなって、最近思うんだ」
「…………どうして?」
「どんなに正しくても、強くても、凄くても。それだけじゃどうにもならないこと、あるだろ? だったら、それに拘ってても仕方ないなって」

 そう言って、正くんは少し恥ずかしそうに静かな笑みを浮かべた。
 自分なりの正しさを貫いて振る舞いてきた結果、何も自分の思い通りにいかなかった正くん。
 善子さんに叩きのめされたことで、自分の行いの過ちを気付かされて、そう思い至ったのかもしれない。

 どんなに正しいと信じたものを貫いても、求めるものが手に入らなかったら意味がないと。

 正しくあり続ける必要なんてない。
 強くあり続ける必要なんて、ないんだ。
 大切なのはきっと、何を得るためにどうするのかということ。

 そんな言葉を、正くんから聞けるとは思わなかった。
 でもそう思えるようになったということは、この間のことについて彼なりに色々考えたってことだ。

「────って、俺なに言ってんだろうな……引いたか?」
「ううん、全然。とっても、いい考えだと思うよ」
「……そっか。なら、まぁいいや」

 ハッと我に返った正くんは、しんみりした自分を誤魔化すように笑った。
 こんな風に自然に正くんと話せる日が来るなんて、思ってもみなかったなぁ。

「俺……そろそろ帰るわ。姉ちゃんももう帰ってるかもしれねぇし。今度は俺を探すってなっても面倒だからな」
「うん、そうした方がいいよ。気を付けてね」
「花園、お前もな」

 普通に気遣いの言葉を投げかけてくる正くんに、優しいなというより驚きの方が勝ってしまう。
 けれどそれを表に出すのはあまりにも失礼なので、懸命に堪えた。
 ただ普通に、当たり前の笑顔を浮かべてありがとうと返す。

 正くんはポリポリと頰を掻いてから、じゃあな手を振った。

「ねぇ、正くん」

 それに同じく手を挙げて応えながら、私は言った。

「善子さんのこと、よろしくね」
「……こっちのセリフだよ」

 一瞬キョトンとした正くん。
 けれどすぐにそう呟くと、くるりと背を向けて立ち去ってしまった。
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