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第6章 誰ガ為ニ
143 余裕のない笑み
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心からの謝罪を込めて、目一杯氷室さんを抱き締める。
私の胸に身体を預けて肩を震わせる姿は、普段は見られないとても感情的な姿。
氷室さんにそんな思いをさせてしまったことが、本当に申し訳なかった。
強く強く抱き締めていると、次第に氷室さんは落ち着いて泣き止んだ。
持ち上げた顔は、目元や鼻頭がまだ赤かったけれど、もういつもの冷静なポーカーフェイスだった。
「…………」
言葉を述べず、視線だけを交わらせる。
もうそれだけで十分だった。
私の気持ちも、氷室さんも、お互いにちゃんと伝わった。
だからもう、大丈夫。
そして、私は氷室さんを抱きしめたままレイくんに向き直った。
未だ片膝をついたままのレイくんは、そんな私のことを茫然と見つめていた。
その表情に怒りはなかったけれど、でもいつものような余裕もなかった。
目の前の現実を受け入れられないというように、気の抜けた目で私を弱々しか見上げている。
「……ごめん、レイくん。私、まだ帰れないや」
打ちひしがれているレイくんに、私は視線を落としたくなるのを必死で堪えて言った。
それでもおっかなびっくり、その様子を窺いながら。
「でもね、勘違いしないでほしいの。帰りたくないわけじゃないし、そっちを蔑ろにするつもりはないよ。でも今の私にとって、大切なのはそれだけじゃないから、だから……」
今すぐにでも舞い戻りたい気持ちはある。
でも、その衝動に身を任せるべきではないと、冷静になった今ならわかる。
だから今、その手を取って一緒に帰ることはできない。
私の言葉に、レイくんは無言で力なく頷いた。
しばらく一人で咀嚼するように頷いてから、ゆっくりと口を開いた。
「そう、か。それは確かに……君らしい選択だ。君は成長した。僕が思っているよりも、よっぽどね」
薄く微笑む。でも、それは無理に浮かべているんだとすぐにわかった。
いつもの余裕はどこにもなくて、レイくんはショックを隠せていなかった。
それを目の前にすると申し訳なさでいっぱいになるけれど、でも、私はそれを甘んじて受け止めないといけない。
私の為に色々立ち回ってくれたレイくんを、私を迎えに来てくれたレイくんを、私を信じてくれたレイくんを、私は悲しませてしまったんだから。
「本当にごめん。でも、私……」
「あぁ、わかったよ。結論を急ぐ必要はないと言ったのは僕だからね。まさかこうなるとは……ちょっと思っていなかったけれど。且つてと今、両方を君が大切だというのなら、その選択は実にアリスちゃんらしい。それを僕が、否定なんてできないよ」
繰り返し謝る私に、レイくんはゆっくりと首を横に振った。
それが精一杯の強がりであることは見ればわかったけれど、私にはどうしてあげることもできなかった。
私とレイくんの間にしっとりとした空気が流れた。
お互い、何をどう口にするべきか迷っていた。
そんな時、私たちのやりとりに痺れを切らせたホワイトがスッと身を乗り出してきた。
「お待ち下さい姫殿下。貴女様は当時の記憶を取り戻されたのでしょう? 力を、取り戻されたのでしょう? ならば、殿下はこんなところにいらっしゃるべきでは────」
「やめるんだ、ホワイト」
その表情は飽くまで冷静を保っていたけれど、声色には焦りが見えていた。
口早にそう捲したてるホワイトだったけれど、そんな彼女の前にレイくんが腕を伸ばし言葉を遮った。
「アリスちゃんの意思だ。僕らが口を挟むことじゃない」
「しかしレイさん。姫殿下のお力、その存在はわたくし共にとって────」
「そんなことはわかってるよ。わかった上で言ってるんだ。けれど、アリスちゃんが望まないのに連れて行くなんてこと、僕はしたくないんだ」
阻止するレイくんに、信じられないものを見るような目を向けるホワイト。
しかしレイくんは冷静に落ち着いた声で言うと、とても冷たい目で彼女を見た。
「僕らにとってアリスちゃんの意思は絶対だ。そうじゃなきゃ意味がない。君だってそれくらいのことわかっているだろう?」
「…………そう、ですね。わたくしとしたことが、失礼致しました」
ホワイトは一拍置いてから小さく頷いた。
そして小さく息を吸ってから、その凛とした和風美人の顔を私に真っ直ぐ向けてきた。
そのやりとりに少し引っかかるものを感じた私だけれど、ホワイトの感情を抑えた静かな視線を受けて、私も真っ直ぐに見返した。
「姫殿下のご意思は承知致しました。始祖ドルミーレ様を拝し、姫殿下を崇め奉るわたくし共として、貴女様のご意思を尊重致します。本来であれば、本日この時をもって我らが神殿にお招きする手筈でしたが、見送らざるを得ませんね」
「あの……はい。すみません」
何となく私は謝ってしまった。
レイくんと共に行かないことは申し訳ないけれど、私個人としてワルプルギスに義理はない。
でもホワイトの決然とした態度に、少し及び腰になってしまう自分がいた。
「しかし、わたくし共は必ず貴女様をお迎え致します。全ての魔女の為、貴女様はなくてはならない存在なのですから」
「…………」
ホワイトの元、ワルプルギスが掲げているのは天敵である魔法使いの掃討。
私はやっぱりそんなことに手を貸す気にはなれない。
だって、魔法使いには私の親友がいるし、それ以外にだって知っている人は沢山いる。
それにそもそも、そんな争いをしたくない。
だから、やっぱりワルプルギスに力は貸せない。
「まぁそこのところは深く考えなくていいよアリスちゃん。少なくとも今はね」
返す言葉に迷っていると、レイくんが穏やかに言った。
もう大分気持ちが落ち着いたようで、その表情はいつもと同じ緩やかな笑みがあった。
「でも、一応確認しておくけれど。僕との約束を忘れているわけじゃないよね? それもちゃんと思い出しているだろう?」
「うん。ちゃんと覚えてる。思い出したよ。だから、ちゃんと帰ろうとは思ってる。他にも沢山やることがあるし。でも、今ここで全てを投げ出して一緒に行くことはできないんだ」
「そっか。ならまぁ、いいよ」
目を細めるレイくんに、私はしっかりと頷いて返した。
かつてあの国でレイくんと出会った時の約束。それを違えるつもりはない。
私のその意思を確かめて、レイくんは満足そうに頷いた。
そして、ホワイトの前に腕を伸ばしたまま、彼女ごと一歩下がった。
「じゃあもう少しだけ待つよ。でも悪いけれど、僕にも色々事情がある。僕にもやらなきゃいけないことがある。それは君の為でもあり、僕自身の為でもあり、全ての魔女の為でもある。君のことが大好きな僕だけれど、いつまでもわがままは聞いてあげられないよ?」
「うん。わかってるつもりだよ。私はちゃんと、自分の責任を果たすつもり。その為に、色々したんだから」
「ならいいけどさ。ただ、一応言っておく。もし君が僕とは正反対の立場に立つことがあれば、その時は、もう流石に君のわがままを聞いてあげられないかもしれない」
レイくんの言葉はとても穏やかだったけれど、でもそこには強い意志が込められていた。
その言葉を表面では聞いてはいけないことは明白だった。
私はそっと息を飲んでから、ゆっくりと頷く。
それを見て、レイくんは満足そうに微笑んだ。
「よし、なら今日は残念ながら退散だ。君を連れ帰れないのは残念極まりないけれど、封印の解放という第一の目的は遂げた。今日はそれで満足するとするよ」
サッと切り替えて、レイくんはサッパリとした声で言う。
そして、柔和な笑みを浮かべて夜子さんの方を見た。
「結果的には、君に負けた形になるのかもしれないね。アリスちゃんの成長は、君たちの想定通りなんだろう?」
「さぁ、何のことだか。君が勝手に負けたんだろう」
「……そういうことにしておくよ、イヴニング・プリムローズ・ナイトウォカー」
気怠そうにおざなりな返答する夜子さんに、レイくんは苦笑を浮かべた。
記憶を取り戻した今でも、夜子さんとワルプルギスの軋轢はよくわからない。
「それじゃあね、アリスちゃん。僕は僕のするべきことをして君の帰還を待とう。今の君が、僕に仇をなさないことだけを、心から願うばかりだ」
「それって、どういう────」
私が疑問を投げかける前に、レイくんはくるりと私に背を向けてしまった。
次の瞬間、レイくんとホワイトを囲むように光の柱が空へと昇った。
スポットライトのような光に包まれた二人は、暗雲を突き破る光の中をゆっくりと昇っていく。
ホワイトもレイくんも、もう私に何も言うつもりはないようだった。
姿が見えなくなるほどに高く昇っていく最中。
一瞬レイくんの視線が私に向いたような気がしたけれど。
でももう、あまりにも遠すぎてそれを確かめる術はなかった。
そうして、ワルプルギスの二人は去ってしまった。
レイくんが最後に残した言葉、そしてワルプルギスが私に求めていることは気になるけれど。
けれどもう、レイくんは行ってしまったんだ。
私が、行かせてしまった。
私の胸に身体を預けて肩を震わせる姿は、普段は見られないとても感情的な姿。
氷室さんにそんな思いをさせてしまったことが、本当に申し訳なかった。
強く強く抱き締めていると、次第に氷室さんは落ち着いて泣き止んだ。
持ち上げた顔は、目元や鼻頭がまだ赤かったけれど、もういつもの冷静なポーカーフェイスだった。
「…………」
言葉を述べず、視線だけを交わらせる。
もうそれだけで十分だった。
私の気持ちも、氷室さんも、お互いにちゃんと伝わった。
だからもう、大丈夫。
そして、私は氷室さんを抱きしめたままレイくんに向き直った。
未だ片膝をついたままのレイくんは、そんな私のことを茫然と見つめていた。
その表情に怒りはなかったけれど、でもいつものような余裕もなかった。
目の前の現実を受け入れられないというように、気の抜けた目で私を弱々しか見上げている。
「……ごめん、レイくん。私、まだ帰れないや」
打ちひしがれているレイくんに、私は視線を落としたくなるのを必死で堪えて言った。
それでもおっかなびっくり、その様子を窺いながら。
「でもね、勘違いしないでほしいの。帰りたくないわけじゃないし、そっちを蔑ろにするつもりはないよ。でも今の私にとって、大切なのはそれだけじゃないから、だから……」
今すぐにでも舞い戻りたい気持ちはある。
でも、その衝動に身を任せるべきではないと、冷静になった今ならわかる。
だから今、その手を取って一緒に帰ることはできない。
私の言葉に、レイくんは無言で力なく頷いた。
しばらく一人で咀嚼するように頷いてから、ゆっくりと口を開いた。
「そう、か。それは確かに……君らしい選択だ。君は成長した。僕が思っているよりも、よっぽどね」
薄く微笑む。でも、それは無理に浮かべているんだとすぐにわかった。
いつもの余裕はどこにもなくて、レイくんはショックを隠せていなかった。
それを目の前にすると申し訳なさでいっぱいになるけれど、でも、私はそれを甘んじて受け止めないといけない。
私の為に色々立ち回ってくれたレイくんを、私を迎えに来てくれたレイくんを、私を信じてくれたレイくんを、私は悲しませてしまったんだから。
「本当にごめん。でも、私……」
「あぁ、わかったよ。結論を急ぐ必要はないと言ったのは僕だからね。まさかこうなるとは……ちょっと思っていなかったけれど。且つてと今、両方を君が大切だというのなら、その選択は実にアリスちゃんらしい。それを僕が、否定なんてできないよ」
繰り返し謝る私に、レイくんはゆっくりと首を横に振った。
それが精一杯の強がりであることは見ればわかったけれど、私にはどうしてあげることもできなかった。
私とレイくんの間にしっとりとした空気が流れた。
お互い、何をどう口にするべきか迷っていた。
そんな時、私たちのやりとりに痺れを切らせたホワイトがスッと身を乗り出してきた。
「お待ち下さい姫殿下。貴女様は当時の記憶を取り戻されたのでしょう? 力を、取り戻されたのでしょう? ならば、殿下はこんなところにいらっしゃるべきでは────」
「やめるんだ、ホワイト」
その表情は飽くまで冷静を保っていたけれど、声色には焦りが見えていた。
口早にそう捲したてるホワイトだったけれど、そんな彼女の前にレイくんが腕を伸ばし言葉を遮った。
「アリスちゃんの意思だ。僕らが口を挟むことじゃない」
「しかしレイさん。姫殿下のお力、その存在はわたくし共にとって────」
「そんなことはわかってるよ。わかった上で言ってるんだ。けれど、アリスちゃんが望まないのに連れて行くなんてこと、僕はしたくないんだ」
阻止するレイくんに、信じられないものを見るような目を向けるホワイト。
しかしレイくんは冷静に落ち着いた声で言うと、とても冷たい目で彼女を見た。
「僕らにとってアリスちゃんの意思は絶対だ。そうじゃなきゃ意味がない。君だってそれくらいのことわかっているだろう?」
「…………そう、ですね。わたくしとしたことが、失礼致しました」
ホワイトは一拍置いてから小さく頷いた。
そして小さく息を吸ってから、その凛とした和風美人の顔を私に真っ直ぐ向けてきた。
そのやりとりに少し引っかかるものを感じた私だけれど、ホワイトの感情を抑えた静かな視線を受けて、私も真っ直ぐに見返した。
「姫殿下のご意思は承知致しました。始祖ドルミーレ様を拝し、姫殿下を崇め奉るわたくし共として、貴女様のご意思を尊重致します。本来であれば、本日この時をもって我らが神殿にお招きする手筈でしたが、見送らざるを得ませんね」
「あの……はい。すみません」
何となく私は謝ってしまった。
レイくんと共に行かないことは申し訳ないけれど、私個人としてワルプルギスに義理はない。
でもホワイトの決然とした態度に、少し及び腰になってしまう自分がいた。
「しかし、わたくし共は必ず貴女様をお迎え致します。全ての魔女の為、貴女様はなくてはならない存在なのですから」
「…………」
ホワイトの元、ワルプルギスが掲げているのは天敵である魔法使いの掃討。
私はやっぱりそんなことに手を貸す気にはなれない。
だって、魔法使いには私の親友がいるし、それ以外にだって知っている人は沢山いる。
それにそもそも、そんな争いをしたくない。
だから、やっぱりワルプルギスに力は貸せない。
「まぁそこのところは深く考えなくていいよアリスちゃん。少なくとも今はね」
返す言葉に迷っていると、レイくんが穏やかに言った。
もう大分気持ちが落ち着いたようで、その表情はいつもと同じ緩やかな笑みがあった。
「でも、一応確認しておくけれど。僕との約束を忘れているわけじゃないよね? それもちゃんと思い出しているだろう?」
「うん。ちゃんと覚えてる。思い出したよ。だから、ちゃんと帰ろうとは思ってる。他にも沢山やることがあるし。でも、今ここで全てを投げ出して一緒に行くことはできないんだ」
「そっか。ならまぁ、いいよ」
目を細めるレイくんに、私はしっかりと頷いて返した。
かつてあの国でレイくんと出会った時の約束。それを違えるつもりはない。
私のその意思を確かめて、レイくんは満足そうに頷いた。
そして、ホワイトの前に腕を伸ばしたまま、彼女ごと一歩下がった。
「じゃあもう少しだけ待つよ。でも悪いけれど、僕にも色々事情がある。僕にもやらなきゃいけないことがある。それは君の為でもあり、僕自身の為でもあり、全ての魔女の為でもある。君のことが大好きな僕だけれど、いつまでもわがままは聞いてあげられないよ?」
「うん。わかってるつもりだよ。私はちゃんと、自分の責任を果たすつもり。その為に、色々したんだから」
「ならいいけどさ。ただ、一応言っておく。もし君が僕とは正反対の立場に立つことがあれば、その時は、もう流石に君のわがままを聞いてあげられないかもしれない」
レイくんの言葉はとても穏やかだったけれど、でもそこには強い意志が込められていた。
その言葉を表面では聞いてはいけないことは明白だった。
私はそっと息を飲んでから、ゆっくりと頷く。
それを見て、レイくんは満足そうに微笑んだ。
「よし、なら今日は残念ながら退散だ。君を連れ帰れないのは残念極まりないけれど、封印の解放という第一の目的は遂げた。今日はそれで満足するとするよ」
サッと切り替えて、レイくんはサッパリとした声で言う。
そして、柔和な笑みを浮かべて夜子さんの方を見た。
「結果的には、君に負けた形になるのかもしれないね。アリスちゃんの成長は、君たちの想定通りなんだろう?」
「さぁ、何のことだか。君が勝手に負けたんだろう」
「……そういうことにしておくよ、イヴニング・プリムローズ・ナイトウォカー」
気怠そうにおざなりな返答する夜子さんに、レイくんは苦笑を浮かべた。
記憶を取り戻した今でも、夜子さんとワルプルギスの軋轢はよくわからない。
「それじゃあね、アリスちゃん。僕は僕のするべきことをして君の帰還を待とう。今の君が、僕に仇をなさないことだけを、心から願うばかりだ」
「それって、どういう────」
私が疑問を投げかける前に、レイくんはくるりと私に背を向けてしまった。
次の瞬間、レイくんとホワイトを囲むように光の柱が空へと昇った。
スポットライトのような光に包まれた二人は、暗雲を突き破る光の中をゆっくりと昇っていく。
ホワイトもレイくんも、もう私に何も言うつもりはないようだった。
姿が見えなくなるほどに高く昇っていく最中。
一瞬レイくんの視線が私に向いたような気がしたけれど。
でももう、あまりにも遠すぎてそれを確かめる術はなかった。
そうして、ワルプルギスの二人は去ってしまった。
レイくんが最後に残した言葉、そしてワルプルギスが私に求めていることは気になるけれど。
けれどもう、レイくんは行ってしまったんだ。
私が、行かせてしまった。
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