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第3章 オード・トゥ・フレンドシップ
39 相入れない気持ち
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「覚えていてくれたんだ。嬉しいな」
長いポニーテールを優雅に揺らしてD4は微笑んだ。
その表情はとても穏やかだった。害意や敵意は全く感じない。まるで妹を慈しむ優しいお姉さんのような顔。
あの時と同じ。あの城で目覚めた時、丁寧に世話を焼いてくれた時と同じ表情だ。
魔女を躊躇いなく殺そうとする魔女狩りには見えない。
けれどD4は紛れもなく魔女狩りの一人で、透子ちゃんを拷問と言えるほどに痛めつけたのはこの人だ。
どれだけ敵意のない顔を見せられたとしても、やっぱり警戒心が上回った。
「忘れるはずないでしょ。あなたが私たちにしたことは、どうしたって忘れられない」
「そう、だね。私たちはあなたに恨まれてもおかしくないことをしたかもしれない。けれどそれはあなたのためなんだよ。わかってはもらえないと思うけれど」
そう言って眉を寄せて悲しげに微笑むD4。やっぱりだ。やっぱりこの人はそんな顔をする。
敵のはずなのに、酷い人のはずなのに。この人はそうやって悲しい顔を私に向けるんだ。
「ねぇアリス。私の名前は覚えてる?」
「名前?」
それはD4というコードネームじゃなくて、彼女自身の名前ということ?
そんなの私が知ってるわけ────
「────アリア」
ポツリと無意識に口が動いた。
私が、私の知らない言葉を発した。
それは意思が介入していない、反射のような動きだった。
だって私はそんな名前は知らない。知らない名前を呼ぶことなんてできるはずないんだから。
D4は嬉しそうに微笑んだ。私がその名を口にしたことがよっぽど嬉しかったみたい。
でもこれは私の意思じゃない。私は知らない。
なのに。なのにどうして。
こんなにもこの名前を懐かしく感じてしまうんだろう。
「やぱり徐々に思い出しつつあるんだね」
とても嬉しそうに、満足そうにD4は微笑む。
思い出しつつある。つまりそれはお姫様の頃の記憶のことだ。
以前彼女は言っていた。私たちは親友だって。
つまり私の中で切り離されて眠っている『お姫様』の記憶の中に、D4の名前があったということ。
かつて『まほうつかいの国』にいた頃の私は、D4と親友で、彼女の名前をよく知っていた。
それが今、咄嗟に込み上げてきた。そういうことなの?
「……私を、殺しにきたの?」
「まさか。私があなたを殺すはずないでしょ」
何が何なのかわからない。私はその気持ちを誤魔化すように質問をぶつけた。
そしてD4はキョトンとした風に答える。
でもD7は言っていた。
魔女になってしまったお姫様はもう討伐対象だって。
魔女になってしまった以上、生かしてはおけないって。
「今、魔女狩りの中でも情勢は動いてる。あなたを殺そうとしている動きがあるのは確かだよ。でも、私たちはそんなことしたくない。あなたを殺させたりなんかしないから」
「じゃあ、やっぱり私を連れて行く気?」
「そうしたのは山々だけれど、残念ながら今はそれができないの。今私はロードの目を盗んでこっちに来たから、あなたを連れて帰ることは難しい。ひとまずあなたの無事を確かめたかったんだ」
「お陰様でピンピンしてるよ」
向こうの事情なんてもう私にはわからない。要は仲間割れをしているみたいなものなのかな。
私を殺したい人たちと連れ帰りたい人たちと。意見が対立していて、彼らもまた一枚岩ではないのかもしれない。
ワルプルギスにしても魔女狩りにしても、統一感がなさすぎる。少しはこっちの身にもなってほしい。
みんな各々が思うままに動いているように見える。私の気持ちは一切無視なのに。
私を巡って起きていることのはずなのに、私だけが蚊帳の外だ。
「あなたは私たちの予想に反して、姫君の力を取り戻そうとしている。あなたは元に戻ろうとしている。私の大切な親友に戻ろうとしている。そんなあなたを尚更失うわけにはいかないよ」
「勝手なこと言わないでよ。私はどうなったって私だよ。もし力を取り戻したとしても、私は今の私のまま。もし私の知らない記憶を取り戻したとしても、今の私の気持ちは消えないんだから」
「本当にそう思う?」
「どういう、意味……?」
D4は私を哀れむような優しい顔をする。可哀想にと、何にも知らないんだと言うように。
その表情が私の心をざわめかせる。
「今のあなたはそう思うかもしれない。けれど本来のアリスは、あなたが忘れている方なの。今のあなたの方が仮初めなんだから。全てを思い出した時、きっとあなたは戻りたいと思う」
「そんなこと思わないよ!」
思わず叫んでしまった。
心がざわざわして、とても怖くなって。溢れる感情をコントロールできなくて。
私の今はなくならない。その過去に何があるのかは知らないけれど、それを思い出したって私が歩んできたこれまでがなくなるわけじゃないんだから。
『お姫様』も言っていた。今の方が大切だって。確かに『お姫様』にとって、その頃のことは大切な思い出なのかもしれない。
でもだからといって、その過去に今が塗りつぶされるなんてありえない。
『お姫様』にとってそれがどんなに大切だったとしても、今の私にだって沢山大切なものがある。それが負けてしまうなんて思えない。
私が全てを知った時どう思うのかなんてわからないけれど、それでも確実に言えることはある。
全部引っくるめての私なんだから、過去と今に優劣はない。
「ごめんアリス。あなたを怒らせたいわけじゃないの。ただわかってほしいの。あなたが忘れていることは、とっても大事なことなんだって」
「それは……わかってると思うけど。でも私は、今を否定されることは許せないよ。お姫様の私がどれだけ大事か知らないけれど、私にとっては今だって大事なんだから」
「そう、だね。あなたはそういう子だった。あなたは何かを切り捨てるなんてこと、絶対しない子だったね」
D4は少し寂しそうにそう言った。
彼女が知っているのはお姫様の頃の私だけ。確かにそれを思えば、その頃に戻ってほしいという気持ちもわからなくもない。
けれど本当に私のことを思ってくれるのなら、私のことを親友だというのなら、今の私の気持ちも考えてほしい。
「だからごめんなさいD4。私は何を言われてもあなたたちとは一緒に行けないし、例え全てを思い出したとしても、今を捨ててあなたたちの元に戻ることも約束はできない。今はここが私の居場所なんだから」
出来るだけ冷静になるように意識して私は言った。
「期待はずれかもしれないけど。私はお姫様である前に、花園 アリスだから。あなたたちがどんなに私を必要としても、私は自分の意思を優先する。私は私がしたいことをするよ」
「そっか……」
D4はそれを否定はしなかった。けれどそれを快く思っていないようだった。
表情は悲しげだけれど、それでも私を諦めるつもりがないことはその真っ直ぐな瞳が表していた。
「確かにそれはアリスらしい。アリスはいつだって自分が正しいと思ったことに真っ直ぐで、そして誰よりも周りの人のために、友達のために頑張る子だった」
そうストレートに言われると、なんだか妙な気持ちになる。
自分のことだから反応に困るけれど、でもD4が語るそれが、自分と大きく異なるとは思わなかった。
「でもね、やっぱり私たちはあなたのことを諦められないよ。だって私たちはあなたのことが大好きだから。これは国のことや使命のことなんて関係ない。私たちの気持ち」
「それは……ありがとう?」
好きだと言われることそのものは別に悪い気はしない。
だからといって絆されたりなんてしないけれど。
「だからね、アリス。私たちは何があってもあなたの味方だよ。国や魔女狩りがあなたをどうしようと、私たちは絶対にね」
「…………」
それが今の私にとって良いものかはわからない。
少なくとも私を連れ戻したいという意思がある限りは、それは私の気持ちとは反するものだ。
いくら味方だと言われても、私はそれを受け入れることはできない。
「私たちが絶対にあなたを救うから。だからそれまで待っていて」
「……それって、どういう────」
その不穏な言葉の真意を問い正そうとした時だった。
「あれあれー? 魔法使いさんが真昼間から何やってんの?」
少し軽薄でチャラついた女の人の声が背後から飛んできて、全てを遮ってしまった。
長いポニーテールを優雅に揺らしてD4は微笑んだ。
その表情はとても穏やかだった。害意や敵意は全く感じない。まるで妹を慈しむ優しいお姉さんのような顔。
あの時と同じ。あの城で目覚めた時、丁寧に世話を焼いてくれた時と同じ表情だ。
魔女を躊躇いなく殺そうとする魔女狩りには見えない。
けれどD4は紛れもなく魔女狩りの一人で、透子ちゃんを拷問と言えるほどに痛めつけたのはこの人だ。
どれだけ敵意のない顔を見せられたとしても、やっぱり警戒心が上回った。
「忘れるはずないでしょ。あなたが私たちにしたことは、どうしたって忘れられない」
「そう、だね。私たちはあなたに恨まれてもおかしくないことをしたかもしれない。けれどそれはあなたのためなんだよ。わかってはもらえないと思うけれど」
そう言って眉を寄せて悲しげに微笑むD4。やっぱりだ。やっぱりこの人はそんな顔をする。
敵のはずなのに、酷い人のはずなのに。この人はそうやって悲しい顔を私に向けるんだ。
「ねぇアリス。私の名前は覚えてる?」
「名前?」
それはD4というコードネームじゃなくて、彼女自身の名前ということ?
そんなの私が知ってるわけ────
「────アリア」
ポツリと無意識に口が動いた。
私が、私の知らない言葉を発した。
それは意思が介入していない、反射のような動きだった。
だって私はそんな名前は知らない。知らない名前を呼ぶことなんてできるはずないんだから。
D4は嬉しそうに微笑んだ。私がその名を口にしたことがよっぽど嬉しかったみたい。
でもこれは私の意思じゃない。私は知らない。
なのに。なのにどうして。
こんなにもこの名前を懐かしく感じてしまうんだろう。
「やぱり徐々に思い出しつつあるんだね」
とても嬉しそうに、満足そうにD4は微笑む。
思い出しつつある。つまりそれはお姫様の頃の記憶のことだ。
以前彼女は言っていた。私たちは親友だって。
つまり私の中で切り離されて眠っている『お姫様』の記憶の中に、D4の名前があったということ。
かつて『まほうつかいの国』にいた頃の私は、D4と親友で、彼女の名前をよく知っていた。
それが今、咄嗟に込み上げてきた。そういうことなの?
「……私を、殺しにきたの?」
「まさか。私があなたを殺すはずないでしょ」
何が何なのかわからない。私はその気持ちを誤魔化すように質問をぶつけた。
そしてD4はキョトンとした風に答える。
でもD7は言っていた。
魔女になってしまったお姫様はもう討伐対象だって。
魔女になってしまった以上、生かしてはおけないって。
「今、魔女狩りの中でも情勢は動いてる。あなたを殺そうとしている動きがあるのは確かだよ。でも、私たちはそんなことしたくない。あなたを殺させたりなんかしないから」
「じゃあ、やっぱり私を連れて行く気?」
「そうしたのは山々だけれど、残念ながら今はそれができないの。今私はロードの目を盗んでこっちに来たから、あなたを連れて帰ることは難しい。ひとまずあなたの無事を確かめたかったんだ」
「お陰様でピンピンしてるよ」
向こうの事情なんてもう私にはわからない。要は仲間割れをしているみたいなものなのかな。
私を殺したい人たちと連れ帰りたい人たちと。意見が対立していて、彼らもまた一枚岩ではないのかもしれない。
ワルプルギスにしても魔女狩りにしても、統一感がなさすぎる。少しはこっちの身にもなってほしい。
みんな各々が思うままに動いているように見える。私の気持ちは一切無視なのに。
私を巡って起きていることのはずなのに、私だけが蚊帳の外だ。
「あなたは私たちの予想に反して、姫君の力を取り戻そうとしている。あなたは元に戻ろうとしている。私の大切な親友に戻ろうとしている。そんなあなたを尚更失うわけにはいかないよ」
「勝手なこと言わないでよ。私はどうなったって私だよ。もし力を取り戻したとしても、私は今の私のまま。もし私の知らない記憶を取り戻したとしても、今の私の気持ちは消えないんだから」
「本当にそう思う?」
「どういう、意味……?」
D4は私を哀れむような優しい顔をする。可哀想にと、何にも知らないんだと言うように。
その表情が私の心をざわめかせる。
「今のあなたはそう思うかもしれない。けれど本来のアリスは、あなたが忘れている方なの。今のあなたの方が仮初めなんだから。全てを思い出した時、きっとあなたは戻りたいと思う」
「そんなこと思わないよ!」
思わず叫んでしまった。
心がざわざわして、とても怖くなって。溢れる感情をコントロールできなくて。
私の今はなくならない。その過去に何があるのかは知らないけれど、それを思い出したって私が歩んできたこれまでがなくなるわけじゃないんだから。
『お姫様』も言っていた。今の方が大切だって。確かに『お姫様』にとって、その頃のことは大切な思い出なのかもしれない。
でもだからといって、その過去に今が塗りつぶされるなんてありえない。
『お姫様』にとってそれがどんなに大切だったとしても、今の私にだって沢山大切なものがある。それが負けてしまうなんて思えない。
私が全てを知った時どう思うのかなんてわからないけれど、それでも確実に言えることはある。
全部引っくるめての私なんだから、過去と今に優劣はない。
「ごめんアリス。あなたを怒らせたいわけじゃないの。ただわかってほしいの。あなたが忘れていることは、とっても大事なことなんだって」
「それは……わかってると思うけど。でも私は、今を否定されることは許せないよ。お姫様の私がどれだけ大事か知らないけれど、私にとっては今だって大事なんだから」
「そう、だね。あなたはそういう子だった。あなたは何かを切り捨てるなんてこと、絶対しない子だったね」
D4は少し寂しそうにそう言った。
彼女が知っているのはお姫様の頃の私だけ。確かにそれを思えば、その頃に戻ってほしいという気持ちもわからなくもない。
けれど本当に私のことを思ってくれるのなら、私のことを親友だというのなら、今の私の気持ちも考えてほしい。
「だからごめんなさいD4。私は何を言われてもあなたたちとは一緒に行けないし、例え全てを思い出したとしても、今を捨ててあなたたちの元に戻ることも約束はできない。今はここが私の居場所なんだから」
出来るだけ冷静になるように意識して私は言った。
「期待はずれかもしれないけど。私はお姫様である前に、花園 アリスだから。あなたたちがどんなに私を必要としても、私は自分の意思を優先する。私は私がしたいことをするよ」
「そっか……」
D4はそれを否定はしなかった。けれどそれを快く思っていないようだった。
表情は悲しげだけれど、それでも私を諦めるつもりがないことはその真っ直ぐな瞳が表していた。
「確かにそれはアリスらしい。アリスはいつだって自分が正しいと思ったことに真っ直ぐで、そして誰よりも周りの人のために、友達のために頑張る子だった」
そうストレートに言われると、なんだか妙な気持ちになる。
自分のことだから反応に困るけれど、でもD4が語るそれが、自分と大きく異なるとは思わなかった。
「でもね、やっぱり私たちはあなたのことを諦められないよ。だって私たちはあなたのことが大好きだから。これは国のことや使命のことなんて関係ない。私たちの気持ち」
「それは……ありがとう?」
好きだと言われることそのものは別に悪い気はしない。
だからといって絆されたりなんてしないけれど。
「だからね、アリス。私たちは何があってもあなたの味方だよ。国や魔女狩りがあなたをどうしようと、私たちは絶対にね」
「…………」
それが今の私にとって良いものかはわからない。
少なくとも私を連れ戻したいという意思がある限りは、それは私の気持ちとは反するものだ。
いくら味方だと言われても、私はそれを受け入れることはできない。
「私たちが絶対にあなたを救うから。だからそれまで待っていて」
「……それって、どういう────」
その不穏な言葉の真意を問い正そうとした時だった。
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