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第6章 誰ガ為ニ

22 いたはず

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「ちょ、ちょっと待ってください」

 ラブホテルの前からしばらく走った所で、私はアゲハさんの手を振り払って足を止めた。
 一目散に駆けるアゲハさんに連れられるがままに走ってきてしまったけれど、どこに行くのかもわからないまま、どこまでも連れられるわけにはいかない。

 私たちは駅前からどんどんと離れ、街外れの方へと向かっていた。
 人気のない路地は、街灯も少なくて暗い。
 さっきまで派手な電飾に溢れた所にいたから、余計静かな暗さが際立った。

 立ち止まった私に倣って足を止めたアゲハさんは、ようやく私の方を見てニカッと笑った。
 その笑顔はさっきまでクロアさんに向けていた険悪な雰囲気とは全く違う。
 とっつきやすく人当たりのいい笑みだった。

「いやぁここまで来れば大丈夫か。間一髪だったねぇ」
「は、はぁ……」

 正直私はまだ状況が飲み込めていない。
 どうして仲間である二人がああも対立していたのか。
 裏切り者とは、どういうことなのか。

 クロアさんから感じたただならぬ雰囲気と、絡みつくようなおどろおどろしい感情にその手を拒絶してしまったけれど。
 でも、一体何がどうなっているのかはさっぱりわからない。

「あの、アゲハさん。さっきのは一体……」
「もー固いぞアリスぅ。私たち友達でしょ? 仲良くしよーよー」

 恐る恐る目を向けて尋ねてみると、アゲハさんは軽い調子で私の肩を抱いてきた。
 容赦のない接触に私は思わずビクッと身を縮こませたけれど、アゲハさんは構わず体を押し付けてる。
 大きく開いた胸元からこぼれそうな胸が、その圧倒的な弾力を持って私に存在を訴えかけてくる。

「アゲハさん、ちょっと……」

 私が拒否の意を示しても、アゲハさんは私を放してはくれなかった。
 無二の親友のようにぴったりと体をくっつけてニコニコ笑みを浮かべてくる。
 その様子はやっぱり、さっきクロアさんと一触即発のやり取りをしていた人のものとは思えない。

 でも、そもそもアゲハさんは恐ろしく切り替えが早い人だった。
 私とだって、この間あんな苛烈な戦いをしたのにケロリと絡んでくるわけだし。
 私としてはまだまだ思うところがあるけれど。
 でも、ちゃんとお話をしてくれるのならツンケンしていたって仕方がない。

「あの、アゲハさん。さっきのは一体どういうことなんですか? 二人は仲間なのに。それに、裏切り者って……?」
「ん? そんなのもう言うまでもないっしょ?」

 引き剥がすのを諦めてされるがままになりながら尋ねると、アゲハさんはキョトンとした顔で言った。

「クロアのやつはアンタが大好きすぎて、ワルプルギス本来の目的にそぐわないことを考えてたの。マジありえないよねぇ」
「それは、記憶と力の封印を解かせないようにするってことですか?」
「ま、そんなとこじゃない? 一緒に逃避行でもしようとしたのか、それともどこかに隔離しようとしたのか、その辺りはわかんないけどさ」

 あーやだやだと溜息をつくアゲハさん。
 私はその言葉を聞いて、また背筋が凍るような思いがした。
 あのまま誰にも止められていなかったら、どうなっていたんだろう。

「前からそういうところあったから、目を光らさせてたの。アリスに傾倒しすぎてる感じだったからさ。そしたら案の定今日、行動に出たってわけ。全体の目的よりも自分の利益を優先したんだから、まぁ裏切り者って言われても仕方ないよね」

 裏切り者。ワルプルギスにとっては、クロアさんのあの行動はそうなるのかな。
 でも、クロアさんはワルプルギスとしての使命もちゃんと抱いていた。
 けれどその中で、私に向ける個人的な感情があっただけ。私にはそう見えた。

 確かに自分本位な行動に出たことになるのだろうけれど、それで裏切り者になってしまうのかな。
 それを言えば、ワルプルギスの方針に反して私に襲いかかってきたアゲハさんだって同じようなものな気がする。
 まぁ、ワルプルギスの中の問題を私がどうこういうことではないけれど。

 何だったとしても、クロアさんが私に向けてきた激情に、黒いものが混じっていたことは確かだ。
 私を思う気持ちの中に、捻れた感情と考えが混じっていたのは。

 クロアさんは私の心が変わってしまうことを恐れていた。
 今の私の純粋さが損なわれてしまうと、不安そうにしていた。
 だからそれはクロアさんなりの、だったんだろうけれど。

 でもやっぱりそれは私の望むところじゃない。
 私もその不安を抱きながら、けれど真実に向き合うことを選んだんだから。
 何を取り戻しても、今の自分を見失わないと信じているんだから。

 そしてそんな私を信じて、後押ししてくれる友達がいるから。
 同じように私のためを想ってくれていても、こうも在り方が違う。

 でも、クロアさんが私のことを想ってくれている気持ちは本物だとわかってしまうから、僅かに心が痛む。
 その気持ちに応えてあげられないことに、罪悪感を抱いていないとは言い切れない。
 だから彼女に対して恐れを覚えるのと同時に、悲しみに暮れる姿を哀れんでしまう気持ちもあった。

「クロアのこと気にしてんの? アリスやっさしー。優しすぎって感じもするけど」

 抱いた肩をバシバシと叩きながらアゲハさんは言う。
 それは自覚しているから、指摘されると何も言えない。
 私はどうしても人を嫌いになりきれない傾向があるから。

「ま、アイツのことはいいじゃん。ほっときゃそのうち頭冷えるっしょ」
「アゲハさんはちょっと冷たすぎないですか?」
「えー。だってそもそも私、クロアと反り合わないしねぇ。アリスがクロアより私を選んで、ざまぁって感じっ」
「別に私、アゲハさんを選んだつもりはないですけど……」

 意地の悪いニタニタ顔を浮かべるアゲハさんに、私は不満を露わにして返した。
 アゲハさんもクロアさんも、私にしてみれば同じワルプルギスの魔女で、正直穏やかな相手ではないんだから。

 けれどアゲハさんは私の様子など気にも止めずに、相変わらず私の肩を強く抱いてくる。
 スキンシップが激しいのはいいけれど、なんだか拘束されてるみたいにガッチリ肩を組まれているものだから、少し居心地が悪い。

 この状況をどうしたものかと考えていた時、私はとても大切なことを思い出した。

「そうだ、あ、あの……! ホテルの前に千鳥ちゃんいませんでしたか!? 私を待っててくれたはずなんですけど」

 本来ならばあの場にいたはずの千鳥ちゃんがいなかった。
 出てすぐに起きた一触即発の空気で、そのことに意識を向けている余裕がなくて、すぐに気付かなかった。

 待ちくたびれて帰ってしまった、という線も千鳥ちゃんの場合はまぁ否定できない気もするけれど。
 でもあの子はああ見えて人情深かったりするし、流石にそれはないように思う。
 だとすれば、千鳥ちゃんの身に何かあったなんてことは……。

「千鳥? ……あぁ、クイナのこと? 見た見た。ホテルの前にいたよ、アイツ」

 人差し指で下唇をぐいっと突いて少し考える素ぶりを見せてから、アゲハはハッと思い出すように言った。
 クイナっていうのは確か、千鳥ちゃんの本当の名前だったはず。
 本人の口から聞いたわけじゃないけれど、前もアゲハさんは千鳥ちゃんのことをそう呼んでいた。

「あぁーでも、私の顔見るなり真っ青になってどっか行っちゃったけどね。マジありえなくない? 実の姉に対してさぁ」
「そう、ですか……」

 ぶーぶーと文句を垂れるアゲハさんに、私は安堵と焦燥の混じった息を吐いた。
 ひとまず怪我をしたりってことはなさそうだけれど、苦手にしているアゲハさんと対面して逃げちゃったのか。

 なんか悪いことしちゃったなぁ。
 アジトに乗り込むから、外で待っている分には何もないと思っていたけれど。
 千鳥ちゃん大丈夫かなぁ。

 置いていかれてしまった心細さを感じつつ、千鳥ちゃんが心配でたまらなかった。
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