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第6章 誰ガ為ニ

2 寝起きの攻防

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 目を覚ました時、そこは真っ暗だった。
 いや、正確にいうと薄っすらと光は感じるから、言うほど真っ暗ではなかったんだけれども。
 ただ顔を何かに押し付けられていて目を覆われているので、やっぱり暗く感じるし何も見えはしない。

 少しふわふわとした意識で、今の状況について考える。
 ぼーっとした頭で視覚以外の感覚を呼び起こして、とても柔らかくて温かなものに包まれているのを感じた。
 特に顔だ。顔がふんわりと柔らかなものに抱かれている。人肌のような温もりが温かくて、ふわふわな柔らかさが心地いい。

 このまま再び瞼を閉じて、この柔らかさの中に沈んでいきたいと思ってしまう。
 まるでお母さんに抱き締められて眠っているかのような安心感。
 微睡みに浸ってこの温もりに全てを委ね、蕩けてしまいたいと、私は顔を更に埋めた。

 そして、けたたましい音を上げて目覚まし時計が鳴り響き、私の意識は一瞬で覚醒した。

 その瞬間、私が何に埋もれていたのかを理解した。
 これは胸だ。女の子の胸だ。私は女の子の胸の間に顔を埋めている。
 柔らかいのは当たり前だ。心地いいのは当たり前だ。
 でも私が顔を埋めているのは当たり前じゃない……!

「…………!」

 私は慌てて顔を剥がそうとしたけれど、頭をがっちりホールドされていて身動きが取れなかった。
 細い腕が私の頭を抱きしめていて、自らの胸に押し付けている。
 私が離れようといくらもがいても、抱き枕のように抱きしめられていてはどうしようもなかった。

 氷室さんは目覚まし時計が鳴り響いている中でもぐっすりと眠ったままだった。
 胸に押し付けられているからその顔は窺えないけれど、こうしている以上起きてはいないだろう。
 確か昨日も同じようなことがあったよなぁ。立場は逆だったけども。
 別に嫌な気はしないし、むしろちょっと下心のようなものが顔を出してしまうけれど、でもこのままは良くないし。

 とりあえず氷室さんを起こさないとどうしようもないと、私は背中をぽんぽんと叩いてみるけれど、起きる節はなかった。
 昨日も確かなかなか起きなかったし、どうやら朝は弱いみたいだ。
 困ったものです。まぁ私は損をしてないからいいんだけど。

 いつも一人暮らしをしているという氷室さんは、でも案外寂しがり屋さんなのかなぁなんて考えてみる。
 そう思うと、昨日も連れて帰ってきたのは正解だったかもしれない。

 全ての戦いが終わって、レオとアリア、そしてロード・スクルドが去って行ったのを見届けて、私は氷室さんをまたうちに泊めることにした。
 氷室さんを狙う脅威は無くなったから心配する必要はもうなくなったけれど、まだ一人にはさせたくなくて。

 うちで一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒にベッドで眠った。
 そんな何気ない普通のお泊りをして、一緒にいることで氷室さんにありふれた幸せを感じて欲しかった。
 恐怖で身を寄せ合うわけでもなく、ただ仲良しの友達として一緒にいたかったんだ。

 まぁその結果として、この寝起きのサプライズなわけだけれど。
 これが氷室さんにとって良いものかどうかは……私にはなんとも言えない。
 でも、私のことを大事に抱きしめて眠ってくれたという点に関しては、まぁいいことだと思う。うん。

 そんなことを考えながら根気よく身体揺すって、ようやく氷室さんが目を覚ましたのは多分十分後くらい。
 覚醒した氷室さんは自分のしていることに気付いた瞬間、飛び上がって私を放し、そのまま反対を向いて顔を隠してしまった。

「おはよう、氷室さん」

 やっと解放されたことで視界が開けた私は、朝日の眩しさを感じながら起き上がった。
 カーテンから溢れる日差しは暗闇に慣れた目を突き刺すように鋭かったけれど、私は堪えて体を起こす。
 そして恥ずかしがって背を向けてしまった氷室さんに、とりあえず平静な挨拶をしてみる。
 昨日もほぼ同じような光景を見たなぁと思って、少し笑みがこぼれてしまった。

「……おはよう。アリスちゃん」

 氷室さんはまだ寝転んだまま、控えめにこちらを向いてポツリと応えてくれた。
 寝ている間に乱れた髪で器用に顔を隠したまま、その隙間からほんの少しだけ瞳を覗かせている。
 今まで自分がしていたことへの恥ずかしさと、でも私のことを見たいという気持ちがせめぎ合っているであろう、絶妙な体勢だった。

 その姿がなんともいじらしく見えてしまって、私はニヤニヤを抑えられなかった。
 普段はクールでキリッとしている氷室さんだけれど、こういうふとした仕草が堪らなく可愛らしい。
 私は込み上げる衝動を堪えきれず、その小さな背中に飛びついた。

「…………!」

 ビクンと氷室さんが驚いて体を震わせるのも構わず、私は後ろからぎゅっと抱きしめた。
 細くて柔らかい体をこれでもかと抱きしめると、氷室さんは恥ずかしいのかどんどん縮こまってしまう。

「氷室さん可愛いなぁ。このこの~」
「ア……アリス、ちゃん……その……」

 動物にじゃれ付くようにぎゅうぎゅうと腕を絡み付けると、氷室さんはか細く戸惑いの声を上げる。
 後ろからじゃ見えないけれど、流石のポーカーフェイスもやや崩れているのではなかろうか。
 その反応がまた可愛らしくて、私の加虐心は余計に煽られる。

 首元に顔を埋めて更に密着度を上げて、ついでにその柔らかな香りを吸い込むと、氷室さんは声にならないなんとも言えない細い声を上げた。
 これって普通に考えてセクハラだよね。訴えられてもおかしくないなぁ。

 ちなみに氷室さんは、いつの間には私のことを普通に『アリスちゃん』と呼ぶようになっていた。
 それはつまり信頼がより深まった証かなと思って、私も『霰ちゃん』と一回呼んでみたんだけれど。
 氷室さんは照れてしまったのかなんなのか、俯いてしまって会話にならなかった。
 多分嫌がっているわけではなさそうなんだけれど、私に名前で呼ばれるのはまだ気恥ずかしいかったのかもしれない。

 だから仕方なくいつも通りに呼んでみると、それだと普通で。
 私としては名前で呼びたかったんだけれど、それで会話ができないようじゃ本末転倒だ。
 だからひとまずはいつも通りの呼び方を継続することにしたんだ。
 なんだか不公平な気もするけれど、仕方ないよね。うん。

 まぁその仕返しってわけではないんだけれど、今は氷室さんの可愛さを堪能させてもらうことにした。
 後ろからガッチリとホールドして、縮こまる氷室さんをひたすらに愛でる。
 私から逃れて顔を伏せようとする氷室さんと、それを逃さず撫でくりまわす私の攻防は、痺れを切らしてお母さんが起こしに来るまで続いたのだった。
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