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第5章 フローズン・ファンタズム
79 繋がりを辿って
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「氷室さん! ……氷室さん!? どこ!?」
辺りを見回して呼びかけてみても反応はない。
暗くなった公園の中には私たち三人しかいなくて、氷室さんの姿はどこにも見当たらなかった。
さっきまですぐそこにいてくれていたのに、一体どこへ行ってしまったんだろう。
言いようのない不安が全身を駆け抜けて、頭の先からつーっと血の気が引いていった。
「氷室さん、どこなの……!?」
「……! アリス、もしかしたら……!」
焦る気持ちを叫びにして氷室さんを呼んでいると、ハッと息を飲んだアリアが立ち上がって不安げに私を見た。
「もしかしたらあの魔女が……クロアとかいうあのワルプルギスの魔女が、彼女を連れ去ったのかもしれない……」
「クロアさんが!? でも、どうして?」
唐突に出てきたクロアさんの名前に、私はアリアに縋るように身を寄せて尋ねた。
クロアさんが氷室さんに何かをする理由が見当たらない。
「もしかして、アイツが言っていたロード・スクルドの足止めってのと関係が?」
「うん、多分ね」
レオも立ち上がり難しい顔をしながら言うと、アリアは頷いた。
何の話かさっぱりわからない私はただ首を傾げるしかなかった。
そんな私にアリアは少し言いにくそうに口を開いた。
「昨日、あのクロアという魔女が私たちの所へやってきて、ロード・スクルドの足止めをしておくからアリスと戦えって、レオに言ってきたのよ」
「え、それって……足止めってまさか────」
今のレオとの戦いはクロアさんに仕組まれたものだった。
その背景に、彼女のそんな暗躍があったなんて。
そこでロード・スクルドを引き合いに出すということはつまり……。
「氷室さんをロード・スクルドに引き合わせることが、足止めってこと……!?」
「多分、ね。そう取り決めをしておくことでロード・スクルドの介入を防ぐ、というのが彼女の考えだったんでしょう。それで彼女に何の得があるのかはわからないけれど……」
「そんな……! でも、クロアさんは……」
クロアさんはここへ私たちを連れてきた時に確か言っていた。
ロード・スクルドとは話をつけたから、もう危害を加えてくることはないって。
いや、クロアさんはあの時、何て言った……?
────姫様に害を為すことはないでしょう────
姫様に、つまり私には危害を加えない。でも氷室さんにもとは、言っていなかった……!
私は馬鹿だ。なんて楽観的で考えなしだったんだろう。
ロード・スクルドの氷室さんへの執着ぶりを見れば、そう簡単に諦めるはずなんてなかったのに。
「────私、助けに行かなきゃ!」
「おい、ちょっと待てよ……!」
そうと気付けば居ても立ってもいられなくて、私は駆け出そうとした。
そんな私の腕をレオが掴んで押し留める。
「おい、冷静になれ。相手は君主だぞ! いくらお前でも無理だ! 敵いっこねぇよ」
「だからって、助けに行かない理由にはならないよ。氷室さんは、私の大切な友達だもん!」
私の腕をぎゅっと握りしめて、不安そうに言うレオ。
私のことを心配してくれているのはわかるけれど、相手がどんなに強い人でも、氷室さんを一人にするなんて私にはできない。
「けどよ……! 危険すぎる。お前に何かあったら……」
「……レオ」
食い下がろうと身を乗り出したレオを、アリアが嗜めた。
私を掴む腕を押さえて、レオのことを見上げて首を横に振った。
アリアもまた不安そうに眉を寄せながら、けれど必死に笑顔を作っていた。
そんなアリアを見て、レオは渋々腕を放した。
「ありがとう二人とも。心配してくれるのは嬉しいし、その気持ちはわかる。でもね、私も同じなの。二人が私のことを何が何でも助けたいって思ってくれるのと同じように、私も氷室さんのことを何があっても助けたいの」
自分たちのことを引き合いに出されると言い返しにくいみたいで、レオは難しい顔をして頭を掻いた。
アリアもまた不安そうではあったけれど、穏やかな顔で私の手を握って頷いた。
「わかってる。だから止めないよ。大切にしているもののために頑張るのがアリスだから」
「ありがとうアリア」
ここで私を送り出すことがどれほど勇気のいることか。
もし逆立場だったらって、考えてしまう。
それでも私を信じてくれる二人のためにも、私は無事に氷室さんを助け出さないと。
「……待て、アリス」
アリアの手を解いて氷室さんの所に向かおうとしている私を、レオがまた呼び止めた。
アリアが顔をしかめて声を上げようとするのを制止して、私に向かって身を乗り出した。
「俺も行く。アリス一人を行かさられるかよ」
「ダメだよレオ。相手は魔女狩りのロードでしょ? それはダメだよ」
「けど……!」
掴みかかってくるような勢いで言うレオに気圧されそうになりながらも、私はそれを押し留めて首を振った。
彼は不満げに声を荒げて食い下がったけれど、私は断固として譲らなかった。
しかしそれでも、レオもまた譲らない。
「ロード・デュークスの密命をこなさなかった時点で、どうせ俺に立場はもうない! 今更相手が君主だとかそんなことは……!」
「レオ。アリスの言う通りだよ。ロード・デュークスのはあくまで密命。それに呪いを解いた今、ロード・デュークスを恐れる必要はない。私たちがこれからも魔女狩りとしてやっていくためには、他のロードの助けが不可欠よ」
「だけど────」
「レオ、私たちの目的を忘れないで」
食ってかかるように声を上げるレオをアリアが制した。
アリアの言葉にレオ難しそうに唇を噛んで、渋々と頷いた。
二人は私の中のドルミーレを倒すために魔女狩りになったと言っていた。
その目的を継続するためには、簡単に立場を手放すのはよくない。
「ごめんね二人とも。ちゃんと無事に帰ってくるって、約束するから」
笑顔で言うと、二人はゆっくりと頷いた。
二人とはまだもう少しちゃんと話したかったけれど、それはまた後で。
今は氷室さんの安全が最優先だ。
胸に手を当てて心の繋がりを辿れば、氷室さんの声が聞こえた気がした。
恐怖と悲しみに暮れながら、それでも必死に抗っている心の叫びが感じられた。
「でもアリス。彼女の居場所はわかるの? どうやっていくつもり?」
「わからないけど、多分大丈夫。心の繋がりが、私を導いてくれるはずだから」
アリアの問いかけに、私は何故か自信を持って答えられた。
根拠はないけれど、謎の確信があった。
常に繋がっている私たちの心は、どこにいたってお互いの存在を教えてくれるって。
「じゃあ、行ってくるね二人とも。ちゃんと無事に帰ってきたら、もう少しお話しようね」
「死んだりしたら、許さねぇぞ」
レオの言葉に頷いて、私は二人から一歩下がった。
そして目を閉じ、もう一度胸に手を当てて氷室さんの心に手を伸ばす。
すると目に見えない繋がりの果てから、今度は明確な声が聞こえてきた。
『助けて、アリスちゃん…………!』
とても強い、助けを求める声。私を呼ぶ、痛烈な叫び。
その声に私の心は引き寄せられた。
早く、早く助けに行かなきゃって。今すぐ、氷室さんの所に行きたいって。
声に意識を深く寄せた時、眩い光が私を包んだ。
胸が温かく熱を持って、氷室さんとの繋がりを強く感じた。
それを道しるべにするように想いを寄せると、今いるこの場の感覚が遠のいていって、次第に氷室さんの存在が近づいているのを感じた。
宙に浮いたように足元の感覚がなくなる。
出来事は一瞬。
けれど、逸る想いがとても時間の流れをゆっくり感じさせた。
私を包み込んだ光が晴れて、浮遊感はなくなり足元に地面の確かな感覚が帰ってくる。
極寒の地のような寒さが肌を刺して、吐く息が白く曇るのを感じる。
そして何より、背後に大切な友達の気配を感じた。
「姫殿下……!? どうしてここに……!」
目を開くと、眼前で手を伸ばしてきていたロード・スクルドが目を見開き、驚愕の色に染まって飛び退く姿がまず視界に入った。
気が付けば私は公園ではなく、どこかの空き地にいた。
心の繋がりを辿ることで、瞬間移動のようなものができたのかもしれない。
「アリス、ちゃん…………!」
振り向けば、そこには力なく崩折れている氷室さんが必死に頭をもたげていた。
ポーカーフェイスはやや崩れて、悲痛と焦燥にまみれた表情が垣間見えた。
スカイブルーの瞳を揺らしながら、信じられないものを見るような目で私の名前を呼ぶ。
「氷室さん、助けに来たよ」
私を警戒するように構えるロード・スクルドのことはひとまず無視して、私はしゃがみこんで氷室さんの手を握った。
にっこりと笑みを向けてみれば、氷室さんはまるで涙を堪えるようにぎゅうっと眉を寄せた。
「約束通り、ちゃんと生きて氷室さんの所に帰ってきたよ。氷室さんがどこに行っちゃおうと、氷室さんがいる所が私の帰るべき場所だから。絶対、一人になんてしないよ」
「………………」
身体を持ち上げているのもやっとであろう氷室さん。
その身体を引き寄せてぎゅっと抱きしめると、氷室さんは掠れた声で僅かに嗚咽のようなものをこぼした。
私の体に腕を回し、これでもかというくらいに抱きついてくる。
その心細さ、寂しさ、恐怖を抱きしめ合うことで打ち消すように。
「大丈夫、もう怖くないよ。私が、ずっと一緒にいるからね。私が氷室さんの味方だからね」
赤子をあやすように頭を撫でてあげる。
すると強張っていた身体がすっと柔らかくなって、私の腕の中ですとんと落ち着いた。
張り詰めていた心がほぐれたのを感じて、私は一度ぎゅっと強く抱きしめてから腕を放した。
「ロード・スクルド。やっぱりあなたは、氷室さんを殺したいんですね……」
「姫殿下がどうしてここへ────あの魔女が約束を違えたか……いや、私が時間をかけすぎたか……」
しゃがんで氷室さんの身体を支えたまま、私はロード・スクルドに向いて言葉を投げかけた。
対するロード・スクルドは私のことを見て、居心地悪そうに顔をしかめている。
その言葉から、やっぱりクロアさんと何らかの口裏合わせをしていたであろうことは明らかだった。
「氷室さんのことは殺させません。あなたが身を引かないと言うのなら、私はあなたと戦います」
「……私とて姫殿下と事を荒げるのは不本意ですが、致し方ない。あなたが来てしまった時点で約定も意味をなさない。私の前に立ちはだかると言うのであれば、お相手しましょう」
ロード・スクルドは苦々しくそう言いながらも、私と戦うこと自体に抵抗は示していなかった。
氷室さんを殺すという目的のためならばそれも仕方ないことだと割り切ってるようだ。
「どうして……どうしてそこまで……! あなたは実のお兄さんなんですよね。なのにどうしてそこまで……」
「兄だからこそ、ですよ。私には、妹を終わらせる責任があるのです」
「そんなのおかしい。誰にだって他人の命を奪う権利なんてないんだから。家族だからこそ、兄妹だからこそ、尊ぶべきはずなのに……!」
感情のこもっていない冷ややかな瞳に、何を言っても意味がないことはわかっていた。
決定的に考え方が違う。生まれた世界が違い、過ごす文化が違い、立場が違う。
きっとこの問答に意味はない。けれど、それでもそれはおかしいと、言わずにはいられなかった。
そしてやっぱり、言葉は届かない。
氷室さんを殺すという固い意志を決めているロード・スクルドに、こちらの感情論を伝えても届かない。
『まほうつかいの国』の倫理観と、魔女狩りのロードの立場、そして家族に魔女を出した者の立場。
その全てを踏まえた上で、もう彼の中で結論は出てしまっているから。
「……花園さん。もう、いいから」
落ち着きを取り戻した氷室さんが、いつもの淡々とした声色で言った。
その顔にはすらっとしたクールなポーカーフェイスが完全に戻っていた。
「私はもう、大丈夫。今の私には、別の居場所があるから」
「氷室さん……」
「……だから、過去を乗り越えるために、力を貸して欲しい」
氷室さんは私の手を握って言った。
その手はまだ少し震えていたけれど、氷室さんの言葉に迷いはなかった。
過去との決別。忘れ去りたい恐怖と嫌悪に満ちた過去を切り離すために、氷室さんは立ち向かうと決めたんだ。
「もちろんだよ。一緒に戦おう」
手を強く握り返して頷く。
私の隣を氷室さんが居場所と思ってくれているのなら、いつまでも寄り添おう。
この心の繋がりを武器に、今で過去を圧倒しよう。
暗い影が差す過去を、今の光で塗り潰そう。
氷室さんに手を貸しながら一緒に立ち上がる。
冷ややかな視線を向けてくるスクルドに、私は『真理の剣』を構えた。
相手はロード。魔法使いでも特に強い人だ。
でも、不思議と負ける気はしなかった。
それは少し力が使えるようになったからじゃない。
強い絆で繋がった友達と、肩を並べて立っているからかもしれない。
絶対に守りたい友達が隣にいてくれるからかもしれない。
負けられないからこそ、負ける気がしないんだ。
辺りを見回して呼びかけてみても反応はない。
暗くなった公園の中には私たち三人しかいなくて、氷室さんの姿はどこにも見当たらなかった。
さっきまですぐそこにいてくれていたのに、一体どこへ行ってしまったんだろう。
言いようのない不安が全身を駆け抜けて、頭の先からつーっと血の気が引いていった。
「氷室さん、どこなの……!?」
「……! アリス、もしかしたら……!」
焦る気持ちを叫びにして氷室さんを呼んでいると、ハッと息を飲んだアリアが立ち上がって不安げに私を見た。
「もしかしたらあの魔女が……クロアとかいうあのワルプルギスの魔女が、彼女を連れ去ったのかもしれない……」
「クロアさんが!? でも、どうして?」
唐突に出てきたクロアさんの名前に、私はアリアに縋るように身を寄せて尋ねた。
クロアさんが氷室さんに何かをする理由が見当たらない。
「もしかして、アイツが言っていたロード・スクルドの足止めってのと関係が?」
「うん、多分ね」
レオも立ち上がり難しい顔をしながら言うと、アリアは頷いた。
何の話かさっぱりわからない私はただ首を傾げるしかなかった。
そんな私にアリアは少し言いにくそうに口を開いた。
「昨日、あのクロアという魔女が私たちの所へやってきて、ロード・スクルドの足止めをしておくからアリスと戦えって、レオに言ってきたのよ」
「え、それって……足止めってまさか────」
今のレオとの戦いはクロアさんに仕組まれたものだった。
その背景に、彼女のそんな暗躍があったなんて。
そこでロード・スクルドを引き合いに出すということはつまり……。
「氷室さんをロード・スクルドに引き合わせることが、足止めってこと……!?」
「多分、ね。そう取り決めをしておくことでロード・スクルドの介入を防ぐ、というのが彼女の考えだったんでしょう。それで彼女に何の得があるのかはわからないけれど……」
「そんな……! でも、クロアさんは……」
クロアさんはここへ私たちを連れてきた時に確か言っていた。
ロード・スクルドとは話をつけたから、もう危害を加えてくることはないって。
いや、クロアさんはあの時、何て言った……?
────姫様に害を為すことはないでしょう────
姫様に、つまり私には危害を加えない。でも氷室さんにもとは、言っていなかった……!
私は馬鹿だ。なんて楽観的で考えなしだったんだろう。
ロード・スクルドの氷室さんへの執着ぶりを見れば、そう簡単に諦めるはずなんてなかったのに。
「────私、助けに行かなきゃ!」
「おい、ちょっと待てよ……!」
そうと気付けば居ても立ってもいられなくて、私は駆け出そうとした。
そんな私の腕をレオが掴んで押し留める。
「おい、冷静になれ。相手は君主だぞ! いくらお前でも無理だ! 敵いっこねぇよ」
「だからって、助けに行かない理由にはならないよ。氷室さんは、私の大切な友達だもん!」
私の腕をぎゅっと握りしめて、不安そうに言うレオ。
私のことを心配してくれているのはわかるけれど、相手がどんなに強い人でも、氷室さんを一人にするなんて私にはできない。
「けどよ……! 危険すぎる。お前に何かあったら……」
「……レオ」
食い下がろうと身を乗り出したレオを、アリアが嗜めた。
私を掴む腕を押さえて、レオのことを見上げて首を横に振った。
アリアもまた不安そうに眉を寄せながら、けれど必死に笑顔を作っていた。
そんなアリアを見て、レオは渋々腕を放した。
「ありがとう二人とも。心配してくれるのは嬉しいし、その気持ちはわかる。でもね、私も同じなの。二人が私のことを何が何でも助けたいって思ってくれるのと同じように、私も氷室さんのことを何があっても助けたいの」
自分たちのことを引き合いに出されると言い返しにくいみたいで、レオは難しい顔をして頭を掻いた。
アリアもまた不安そうではあったけれど、穏やかな顔で私の手を握って頷いた。
「わかってる。だから止めないよ。大切にしているもののために頑張るのがアリスだから」
「ありがとうアリア」
ここで私を送り出すことがどれほど勇気のいることか。
もし逆立場だったらって、考えてしまう。
それでも私を信じてくれる二人のためにも、私は無事に氷室さんを助け出さないと。
「……待て、アリス」
アリアの手を解いて氷室さんの所に向かおうとしている私を、レオがまた呼び止めた。
アリアが顔をしかめて声を上げようとするのを制止して、私に向かって身を乗り出した。
「俺も行く。アリス一人を行かさられるかよ」
「ダメだよレオ。相手は魔女狩りのロードでしょ? それはダメだよ」
「けど……!」
掴みかかってくるような勢いで言うレオに気圧されそうになりながらも、私はそれを押し留めて首を振った。
彼は不満げに声を荒げて食い下がったけれど、私は断固として譲らなかった。
しかしそれでも、レオもまた譲らない。
「ロード・デュークスの密命をこなさなかった時点で、どうせ俺に立場はもうない! 今更相手が君主だとかそんなことは……!」
「レオ。アリスの言う通りだよ。ロード・デュークスのはあくまで密命。それに呪いを解いた今、ロード・デュークスを恐れる必要はない。私たちがこれからも魔女狩りとしてやっていくためには、他のロードの助けが不可欠よ」
「だけど────」
「レオ、私たちの目的を忘れないで」
食ってかかるように声を上げるレオをアリアが制した。
アリアの言葉にレオ難しそうに唇を噛んで、渋々と頷いた。
二人は私の中のドルミーレを倒すために魔女狩りになったと言っていた。
その目的を継続するためには、簡単に立場を手放すのはよくない。
「ごめんね二人とも。ちゃんと無事に帰ってくるって、約束するから」
笑顔で言うと、二人はゆっくりと頷いた。
二人とはまだもう少しちゃんと話したかったけれど、それはまた後で。
今は氷室さんの安全が最優先だ。
胸に手を当てて心の繋がりを辿れば、氷室さんの声が聞こえた気がした。
恐怖と悲しみに暮れながら、それでも必死に抗っている心の叫びが感じられた。
「でもアリス。彼女の居場所はわかるの? どうやっていくつもり?」
「わからないけど、多分大丈夫。心の繋がりが、私を導いてくれるはずだから」
アリアの問いかけに、私は何故か自信を持って答えられた。
根拠はないけれど、謎の確信があった。
常に繋がっている私たちの心は、どこにいたってお互いの存在を教えてくれるって。
「じゃあ、行ってくるね二人とも。ちゃんと無事に帰ってきたら、もう少しお話しようね」
「死んだりしたら、許さねぇぞ」
レオの言葉に頷いて、私は二人から一歩下がった。
そして目を閉じ、もう一度胸に手を当てて氷室さんの心に手を伸ばす。
すると目に見えない繋がりの果てから、今度は明確な声が聞こえてきた。
『助けて、アリスちゃん…………!』
とても強い、助けを求める声。私を呼ぶ、痛烈な叫び。
その声に私の心は引き寄せられた。
早く、早く助けに行かなきゃって。今すぐ、氷室さんの所に行きたいって。
声に意識を深く寄せた時、眩い光が私を包んだ。
胸が温かく熱を持って、氷室さんとの繋がりを強く感じた。
それを道しるべにするように想いを寄せると、今いるこの場の感覚が遠のいていって、次第に氷室さんの存在が近づいているのを感じた。
宙に浮いたように足元の感覚がなくなる。
出来事は一瞬。
けれど、逸る想いがとても時間の流れをゆっくり感じさせた。
私を包み込んだ光が晴れて、浮遊感はなくなり足元に地面の確かな感覚が帰ってくる。
極寒の地のような寒さが肌を刺して、吐く息が白く曇るのを感じる。
そして何より、背後に大切な友達の気配を感じた。
「姫殿下……!? どうしてここに……!」
目を開くと、眼前で手を伸ばしてきていたロード・スクルドが目を見開き、驚愕の色に染まって飛び退く姿がまず視界に入った。
気が付けば私は公園ではなく、どこかの空き地にいた。
心の繋がりを辿ることで、瞬間移動のようなものができたのかもしれない。
「アリス、ちゃん…………!」
振り向けば、そこには力なく崩折れている氷室さんが必死に頭をもたげていた。
ポーカーフェイスはやや崩れて、悲痛と焦燥にまみれた表情が垣間見えた。
スカイブルーの瞳を揺らしながら、信じられないものを見るような目で私の名前を呼ぶ。
「氷室さん、助けに来たよ」
私を警戒するように構えるロード・スクルドのことはひとまず無視して、私はしゃがみこんで氷室さんの手を握った。
にっこりと笑みを向けてみれば、氷室さんはまるで涙を堪えるようにぎゅうっと眉を寄せた。
「約束通り、ちゃんと生きて氷室さんの所に帰ってきたよ。氷室さんがどこに行っちゃおうと、氷室さんがいる所が私の帰るべき場所だから。絶対、一人になんてしないよ」
「………………」
身体を持ち上げているのもやっとであろう氷室さん。
その身体を引き寄せてぎゅっと抱きしめると、氷室さんは掠れた声で僅かに嗚咽のようなものをこぼした。
私の体に腕を回し、これでもかというくらいに抱きついてくる。
その心細さ、寂しさ、恐怖を抱きしめ合うことで打ち消すように。
「大丈夫、もう怖くないよ。私が、ずっと一緒にいるからね。私が氷室さんの味方だからね」
赤子をあやすように頭を撫でてあげる。
すると強張っていた身体がすっと柔らかくなって、私の腕の中ですとんと落ち着いた。
張り詰めていた心がほぐれたのを感じて、私は一度ぎゅっと強く抱きしめてから腕を放した。
「ロード・スクルド。やっぱりあなたは、氷室さんを殺したいんですね……」
「姫殿下がどうしてここへ────あの魔女が約束を違えたか……いや、私が時間をかけすぎたか……」
しゃがんで氷室さんの身体を支えたまま、私はロード・スクルドに向いて言葉を投げかけた。
対するロード・スクルドは私のことを見て、居心地悪そうに顔をしかめている。
その言葉から、やっぱりクロアさんと何らかの口裏合わせをしていたであろうことは明らかだった。
「氷室さんのことは殺させません。あなたが身を引かないと言うのなら、私はあなたと戦います」
「……私とて姫殿下と事を荒げるのは不本意ですが、致し方ない。あなたが来てしまった時点で約定も意味をなさない。私の前に立ちはだかると言うのであれば、お相手しましょう」
ロード・スクルドは苦々しくそう言いながらも、私と戦うこと自体に抵抗は示していなかった。
氷室さんを殺すという目的のためならばそれも仕方ないことだと割り切ってるようだ。
「どうして……どうしてそこまで……! あなたは実のお兄さんなんですよね。なのにどうしてそこまで……」
「兄だからこそ、ですよ。私には、妹を終わらせる責任があるのです」
「そんなのおかしい。誰にだって他人の命を奪う権利なんてないんだから。家族だからこそ、兄妹だからこそ、尊ぶべきはずなのに……!」
感情のこもっていない冷ややかな瞳に、何を言っても意味がないことはわかっていた。
決定的に考え方が違う。生まれた世界が違い、過ごす文化が違い、立場が違う。
きっとこの問答に意味はない。けれど、それでもそれはおかしいと、言わずにはいられなかった。
そしてやっぱり、言葉は届かない。
氷室さんを殺すという固い意志を決めているロード・スクルドに、こちらの感情論を伝えても届かない。
『まほうつかいの国』の倫理観と、魔女狩りのロードの立場、そして家族に魔女を出した者の立場。
その全てを踏まえた上で、もう彼の中で結論は出てしまっているから。
「……花園さん。もう、いいから」
落ち着きを取り戻した氷室さんが、いつもの淡々とした声色で言った。
その顔にはすらっとしたクールなポーカーフェイスが完全に戻っていた。
「私はもう、大丈夫。今の私には、別の居場所があるから」
「氷室さん……」
「……だから、過去を乗り越えるために、力を貸して欲しい」
氷室さんは私の手を握って言った。
その手はまだ少し震えていたけれど、氷室さんの言葉に迷いはなかった。
過去との決別。忘れ去りたい恐怖と嫌悪に満ちた過去を切り離すために、氷室さんは立ち向かうと決めたんだ。
「もちろんだよ。一緒に戦おう」
手を強く握り返して頷く。
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暗い影が差す過去を、今の光で塗り潰そう。
氷室さんに手を貸しながら一緒に立ち上がる。
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相手はロード。魔法使いでも特に強い人だ。
でも、不思議と負ける気はしなかった。
それは少し力が使えるようになったからじゃない。
強い絆で繋がった友達と、肩を並べて立っているからかもしれない。
絶対に守りたい友達が隣にいてくれるからかもしれない。
負けられないからこそ、負ける気がしないんだ。
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ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。
23歳の公爵家当主ジークヴァルト。
年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。
ただの女友達だと彼は言う。
だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。
彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。
また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。
エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。
覆す事は出来ない。
溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。
そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。
二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。
これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。
エルネスティーネは限界だった。
一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。
初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。
だから愛する男の前で死を選ぶ。
永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。
矛盾した想いを抱え彼女は今――――。
長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
センシティブな所へ触れるかもしれません。
これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
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