上 下
299 / 984
第5章 フローズン・ファンタズム

74 もういいよ

しおりを挟む
「……ごめん、取り乱しちゃって……」

 子供のように声を上げて泣くアリアを二人掛かりで慰めて、ようやく落ち着いた頃。
 レオに抱きしめられ、私に背中をさすられてアリアは涙を拭ってポツリと呟いた。

「まさかアリスが、レオにそんなことを言っていたなんて……私、何にも……」
「まぁな。でもその約束がなかったとしても、俺はお前を全力で守る。アリスとの日々を取り戻したとしても、お前がいなきゃ意味ねぇだろ」
「レオ……」

 アリアは再び涙をこぼしそうになるのを、上を向いて必死で堪えていた。
 きっと、ずっと私のことを考えてくれていたから、自分が誰かに守ってもらっていることに、思ってもらっていることに気付いていなかったんだ。
 自分もまた、誰かの大切な人であるということも。

「……アリス、お前は自分の中にドルミーレがいることをずっと気にしていたんだ。『魔女ウィルス』が蔓延した原因である奴を抱いているという事実に、ずっと苦しんでいた。それを一人でなんとかしようとして……」

 アリアの頭をポンポンと叩いて、レオは私に向いて苦々しげに言った。
 その表情は自分の無力さを悔やむように重く暗いものだった。

『お姫様』は、当時の私は、この身に抱くドルミーレをどうにかしようとしていたんだ。
 でもそれがうまくいかなくなった時の最後の手段として、自分ごと葬り去ることを、レオに託していた。
 その時の気持ちや考えを今の私は推し量ることはできないけれど。
 でも、それはレオにとってあまりにも酷いお願いに思えた。けれどそうするしかないほどに、差し迫っていたということなのかな。

「思えば、力や記憶を失うことを、あの時既にわかってたのかもしれねぇな。だからこそ、あんな約束を俺に……」

 実際その時に何が起きていて、その時の私が何を考え何をしようとしていたのかはわからない。
 けれど確かにわかることは、当時の私は二人のことを心から信頼して、大切に思っていたということだ。
 自分の命を託すことも、親友の身を預けることも、そこに大きな信頼があったから。

「アリス……悪かった。俺はもうどうしていいのかわからなくなっちまって、この方法しか思いつかなかったんだ。アリアを守って、それでいてお前を救うためには、俺の手でお前を殺して、解き放ってやるしかないって……」

 かつての約束の通り、私を殺すことでドルミーレの呪縛から解き放す。
 それこそがレオの言っていた、私を救うということだったんだ。
 大分強引ではあるけれど、この状況下で私もアリアもどっちも救いたいと思ったら、そうするしかなかったんだ。

 アリアを放したレオは、地面の手をついて深々と頭を下げてきた。
 燃えるような長髪がだらりと地面を舐めて、まるで火の手が広がっているようだった。
 けれどその悲壮感にあふれる姿は、猛々しいレオにはとても似合わなかった。

「……レオは、私との約束を守ろうとしてくれたんでしょ? ならそれは私のせいでもあるから。私が、あなたに背負わせてしまったから……」
「それでも、俺はお前に剣を向けた。お前を殺そうとした。その罪に変わりはない……」

 頭を上げて、とは言えなかった。
 レオの言う通り、この二日間で私は確かに明確な殺意を向けられて、命の危機にあった。
 氷室さんも巻き込んで、命からがらの戦いを迫られた。
 そこにどんな理由があって、どんな事情があったとしても、その事実は変わらないから。

 それでも、その背景もまた無視することはできなくて。
 かつて結んだ約束。レオの気持ちもまた、確かにあったものだから。

「レオだけが悪いわけじゃないの。私の弱さが、この事態を招いてしまったから。ごめんなさいアリス。もっと私が強ければ……」
「そんなことないよアリア。アリアがいてくれなかったら、私は今頃こうして生きていられなかったかもしれないし」

 レオに倣って頭を下げるアリアに、私は正直な気持ちを言った。
 今回の件に限っては、アリアも完全に被害者だ。
 ロード・デュークスに呪いをかけられて、レオと私の戦いを見せられて。
 そんなアリアが間に立っていてくれないければ、昨日の時点で取り返しのつかないことになっていたかもしれないから。

「レオ、アリア。もういいよ。今回のことは、もういい。私怒ってないから、そんなに謝らないで。確かに沢山怖い思いしたし、辛かった。でも、私のことを想ってのことだってわかったから」
「許して、くれるのか……?」
「うん、取り敢えず今回のことはね。アリアを守るためだったし、それに私がお願いした約束のためだったし。謝ってくれたからもういいよ」

 顔を上げたレオは、眉を下げて弱々しく私を見上げてきた。
 いつもの覇気はそこにはなくて、とても不安に満ちていた。
 そんなレオに、私は笑顔を向けて頷いた。

「まずはアリアにかかった呪いを消そう。そうすれば、レオはロードの言うことを聞いて私を殺そうとしなくていいんでしょ?」
「あ、ああ……! 頼む、アリス」

 私が言うとレオは大きく頷いて、アリアを起こした。
 アリアは不安げに私とレオを交互に見て、けれどされるがままにしていた。

 ロード・デュークが自分の部下にかけたという呪い。
 それがどういうものかはわからないけれど、人の命を簡単に奪えるようなものであるということは確かみたいだ。
 だからこそレオはアリアを助けるために命令に逆らえなかったし、自分自身も縛られていた。

 レオにかかっていた呪いは、さっきの一撃で破壊できたはず。
 だから同じように、『真理のつるぎ』でアリアを貫けば、その身に染み付いた呪いは解けるはずだ。

「痛いと思うけど、でも私を信じて、アリア」
「う、うん。アリスに、任せるよ……」

『真理のつるぎ』を握って身を寄せると、アリアはゆっくりと頷いた。
 大丈夫だとわかっていても、剣を向けられればすくんでしまうのは仕方のないことだ。
 怯えたように身を縮こませるアリアの肩に、レオがそっと手を置いた。

「いくよ、アリア」

 剣の柄を両手で握りしめ、力を込める。
 膝の上で拳を握り、硬く瞼を閉じたアリアが頷いたのを見て、私は力の限り剣を押し込んだ。
 刃が胸の肉を引き裂き、重く深く沈み込んでいく生々しい感覚が伝わってくる。
 けれどレオの時と同じように、そこから血が溢れることはなかった。

「っ────!」

 傷は付かなくても痛みは伴う。
 苦悶の声を漏らしたアリアの手を、レオが優しく握った。

 胸の中心を穿った剣を、そっと引き抜く。
 現れた刀身はやっぱり純白を保っていて、アリアには傷一つ残っていない。
 剣から解放されたアリアはぐったりと体を傾けて、それを今度はレオがそっと支えた。

「大丈夫か、アリア」
「うん……大丈夫。痛みはあったけど、平気だよ」

 心配そうに顔を覗き込むレオに、アリアはゆったりと微笑んで返した。
 心なしかすっきりとした表情で、それを見た私とレオはホッと胸を撫で下ろした。

「ありがとうアリス。これで、レオはロード・デュークスの策謀に加担しなくて済む。あなたを、殺さずに済む」
「いいんだよ。私のためでもあるし。それに私たち、親友なんでしょ? 私は……ごめん、思い出せてはいないけど。でも私の心はあなたたちを大切だと感じてるから。私にできることはしたいと思うし」

 レオの手を握り返し、安堵の表情を浮かべるアリアに私は心からの言葉を返した。
 私たちは今まで色々衝突をしてきた。そのわだかまり自体が消えたわけじゃない。
 けれど心が、私の中の『お姫様』が二人を大切だと感じている。
 それがわかるから私は、決して二人を無下にはできない。

「……あのね、二人とも」

『お姫様』の気持ちを考えて、そして二人とのことを考えて、私は根本的な問題を思い出した。
 私たちの間にある、根本的かつ絶対的な問題。これが解決しないことには、私たちは打ち解けることはできない。
 軽く息を整えてから私が切り出すと、二人は静かに私へ視線を向けた。

「アリアの命の危機がなくなって、レオが私を殺す必要がなくなったのは、よかったと思う。でも、そもそもの話をしないと。今の私たちは、そこから始まったんだから」
「そう、だな……」

 レオは頷いてから、アリアと顔を見合わせた。
 しばらくそうやってお互いに確認合うように窺いながら、アリアが私に顔を向けた。
 どこか迷いを捨てきれていない顔をしながらも、目をそらすことなく。
 そんなアリアに倣って、私は息を飲んでその目をしっかりと見た。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

美少女だらけの姫騎士学園に、俺だけ男。~神騎士LV99から始める強くてニューゲーム~

マナシロカナタ✨ラノベ作家✨子犬を助けた
ファンタジー
異世界💞推し活💞ファンタジー、開幕! 人気ソーシャルゲーム『ゴッド・オブ・ブレイビア』。 古参プレイヤー・加賀谷裕太(かがや・ゆうた)は、学校の階段を踏み外したと思ったら、なぜか大浴場にドボンし、ゲームに出てくるツンデレ美少女アリエッタ(俺の推し)の胸を鷲掴みしていた。 ふにょんっ♪ 「ひあんっ!」 ふにょん♪ ふにょふにょん♪ 「あんっ、んっ、ひゃん! って、いつまで胸を揉んでるのよこの変態!」 「ご、ごめん!」 「このっ、男子禁制の大浴場に忍び込むだけでなく、この私のむ、む、胸を! 胸を揉むだなんて!」 「ちょっと待って、俺も何が何だか分からなくて――」 「問答無用! もはやその行い、許し難し! かくなる上は、あなたに決闘を申し込むわ!」 ビシィッ! どうやら俺はゲームの中に入り込んでしまったようで、ラッキースケベのせいでアリエッタと決闘することになってしまったのだが。 なんと俺は最高位職のLv99神騎士だったのだ! この世界で俺は最強だ。 現実世界には未練もないし、俺はこの世界で推しの子アリエッタにリアル推し活をする!

マグノリア・ブルーム〜辺境伯に嫁ぎましたが、私はとても幸せです

花野未季
恋愛
公爵家令嬢のマリナは、父の命により辺境伯に嫁がされた。肝心の夫である辺境伯は、魔女との契約で見た目は『化物』に変えられているという。 お飾りの妻として過ごすことになった彼女は、辺境伯の弟リヒャルトに心惹かれるのだった……。 少し古風な恋愛ファンタジーですが、恋愛少な目(ラストは甘々)で、山なし落ちなし意味なし、しかも伏線や謎回収なし。もろもろ説明不足ですが、お許しを! 設定はふんわりです(^^;) シンデレラ+美女と野獣ですσ(^_^;) エブリスタ恋愛ファンタジートレンドランキング日間1位(2023.10.6〜7) Berry'z cafe編集部オススメ作品選出(2024.5.7)

司書ですが、何か?

みつまめ つぼみ
ファンタジー
 16歳の小さな司書ヴィルマが、王侯貴族が通う王立魔導学院付属図書館で仲間と一緒に仕事を頑張るお話です。  ほのぼの日常系と思わせつつ、ちょこちょこドラマティックなことも起こります。ロマンスはふんわり。

転生して異世界の第7王子に生まれ変わったが、魔力が0で無能者と言われ、僻地に追放されたので自由に生きる。

黒ハット
ファンタジー
ヤクザだった大宅宗一35歳は死んで記憶を持ったまま異世界の第7王子に転生する。魔力が0で魔法を使えないので、無能者と言われて王族の籍を抜かれ僻地の領主に追放される。魔法を使える事が分かって2回目の人生は前世の知識と魔法を使って領地を発展させながら自由に生きるつもりだったが、波乱万丈の人生を送る事になる

引退したオジサン勇者に子供ができました。いきなり「パパ」と言われても!?

リオール
ファンタジー
俺は魔王を倒し世界を救った最強の勇者。 誰もが俺に憧れ崇拝し、金はもちろん女にも困らない。これぞ最高の余生! まだまだ30代、人生これから。謳歌しなくて何が人生か! ──なんて思っていたのも今は昔。 40代とスッカリ年食ってオッサンになった俺は、すっかり田舎の農民になっていた。 このまま平穏に田畑を耕して生きていこうと思っていたのに……そんな俺の目論見を崩すかのように、いきなりやって来た女の子。 その子が俺のことを「パパ」と呼んで!? ちょっと待ってくれ、俺はまだ父親になるつもりはない。 頼むから付きまとうな、パパと呼ぶな、俺の人生を邪魔するな! これは魔王を倒した後、悠々自適にお気楽ライフを送っている勇者の人生が一変するお話。 その子供は、はたして勇者にとって救世主となるのか? そして本当に勇者の子供なのだろうか?

処理中です...