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第5章 フローズン・ファンタズム

56 空想

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 当たり前のことだけれど、学校の時間は平穏そのものだった。
 今私を取り巻いている魔法使いや魔女の存在が嘘だと思ってしまうくらいに。
 このまま何事もない平穏な時間に戻らないかと、そんな甘いことを考えてしまう。

 気が抜けてしまうほどに平凡な時間が流れ、あっという間に放課後になった。
 晴香のいなくなった学校には、やっぱり机やら何やら諸々の痕跡がなくなっていたし、誰一人として晴香のことについて話す人はいなかった。
 先日のことを心配した善子さんが飛んできて、そのことについて話したりはしたけれど、晴香がいなくなっても時間はいつもと同じように流れていった。

 放課後はまた三人で帰路に着く。
 氷室さんは家の方向が全く違うから、普通だったら一緒に帰ることはないんだけれど、昨日の今日だからひとまずうちに来てもらうことにした。

 朝と同じように静かな時間が流れる。
 でも私が間に立って話題を振ってみれば、ポツリポツリと会話が起きた。
 氷室さんは元々が無口だけれど、創は別にそういうわけでもない。
 少しずつ橋渡しをしていけば、この三人でも仲良く会話をすることができた。

 家に着いて創とは別れて、私たちは家には入らずその足で夜子さんの所に向かうことにした。
 魔法使いのロードまで現れたこの状況では、私たち二人だけの対処は難しいから。
 実際手を貸してくれるかはわからないけれど、ひとまず夜子さんに相談してみようということになったからだ。

「ねぇ氷室さん。素朴な疑問なんだけどさぁ」

 街外れの廃ビルへ肩を並べて向かう最中、私はポツリと口を開いた。
 私の声に、氷室さんは静かにその瞳を向けてくる。

「氷室さんって、こっちの世界に来てからどうやって生活してたの? よく考えると私、その辺りのこと何にも知らないなぁって」

 思えば私は氷室さんの家の場所すら全く知らない。
 あちらの世界からやって来た氷室さんは、普段どうやって過ごしているのか、ふと気になってしまった。

「…………」
「あ、ごめん。答えたくないことならいいの。ちょっと気になっちゃっただけで……」
「いいえ、大丈夫」

 口ごもったように見えたので慌てて取り繕うと、けれど氷室さんは首を横に振った。
 特に含みのない澄んだ瞳が私に向けられる。

「はじめは真宵田 夜子……彼女の保護を受けた。その後は居住や仕事を斡旋してもらったりして、一人で暮らしている」
「夜子さんが……なんか意外」
「彼女はこちらに逃げ延びた魔女のフォローが、仕事のようなものだから。この世界での生き方や、生きるすべを教えてくれる」
「仕事の斡旋って、魔女としてできることってこと?」
「ええ。こちらの世界にも、魔女のコミュニティがある。こちらに住まう魔女は、そのコミュニティに何らかの関わりを持って、助け合ったり仕事を受けたりして、生活の糧にする」

 私はもっぱら向こうの世界の住人とのやりとりばかりで、こっちの世界にいる魔女とはほとんど関わりがない。
 善子さんのように元々こっちの住人なら日々の生活には問題なくても、向こうから亡命してきた魔女はそうはいかない。
 まだまだ私の知らないところにいろんな事情があって、そこで色んな人たちが必死で生きてるんだ。

「でもそうしたらさ、千鳥ちゃんはどうして夜子さんの所に居候してるんだろう。今の話を聞く分だと、最初は保護してくれて、その後は色々と紹介してくれるんじゃないの?」
「それは私にもわからない。特別な事情があるのか、何なのか……」
「まぁでも夜子さんからの仕事……は、してるみたいだしね」

 千鳥ちゃんが夜子さんからの与えられている仕事を思い出して言葉が詰まってしまった。
 千鳥ちゃんは、晴香のように『魔女ウィルス』に食い潰されて死にそうな魔女の介錯が仕事だ。
 そんな仕事を任されるからこそ、他の魔女とは扱いが違うのかもしれない。
 でも、千鳥ちゃん本人はそんな仕事に向いている性格だとは思えないけどなぁ。

「……花園さん?」
「あ、ごめん。何でもないよ」

 ついあの時のことを思い出して気落ちしてしまっていたところを、氷室さんが心配そうに覗き込んできた。
 変わらぬポーカーフェイスだけれど、その綺麗な瞳の向け方でどう思ってくれているのかは大体わかるようになってきた。
 私が慌てて誤魔化すと、氷室さんはすっと引いてくれた。察してくれたのかもしれない。

「……あの頃の私は、あなたが持ってきてくれる本が、唯一の楽しみだった」
「え?」

 気を使ってくれたのか、氷室さんは少し話題をそらすようにポツリとそう言った。
 当時の話に、また私の心の中の別の感情がざわつき始めたけれど、それよりも気になることに私の気持ちは向いた。

「会えない時は寂しいだろうと、あなたは私に色々な本を貸してくれた。私に本を教えてくれたのは、花園さんなの」
「うそ……そうだったんだ。道理で好みの系統が合うわけだ……」

 そもそも高校生になってから出会った氷室さんのことを私が気になっていたのは、そのクールなミステリアスビューティーさもさる事ながら、私が気になっている本をいつも先取りしていたから、というのが大きい。

 実際こうして今話すようになって、本の会話をすると確かに趣味は大分合っていた。
 それがまさか、私が本を読むことを教えたからだなんて。

「なんか、嬉しいなぁ。私が昔教えたことで、氷室さんが本を好きになってくれたことも。それに、私の趣味が氷室さんに合ってたことも」

 当時のことを覚えていない身でなんだけれども、でもそれは少なからず嬉しかった。
 氷室さんに影響を与えられているということが、なんだか嬉しかったんだ。

 思わず顔を綻ばせると、氷室さんは静かに頷いた。
 氷室さんもそのことを大切に思ってくれているようで、それも重ねて嬉しかった。

「花園さんは、昔から想像力に富んでいて、よく空想の花を咲かせていた。貸してくれる本や、あなたが語る夢物語は、いつも私に知らない世界を、教えてくれたの」
「空想かぁ────あ、そうだ」

 そう言われると確かに小さい時の私は、色んな本を読んでその夢のような世界に想像を膨らまざることが多かったように思う。
 無限の可能性を秘めた空想を、よく思い描いては憧れを抱いてた。
 まぁ子供ならではの妄想というか、それこそ夢物語というか。

 でも、その空想という言葉で、私は昨夜の夢の中での出来事を思い出した。
『お姫様』に出会って教えてもらった、私が使える力のこと。
 私の心からいずるもの。夢や希望や空想からなる幻想の力。想像を形にする力の一端、『幻想の掌握』。

 私がそのことについて話すと、氷室さんは考え込むように黙った。
 そして探るようにおずおずと口を開いた。

「……私が知っている当時のあなたは、『まほうつかいの国』に行く前だから、具体的にどういった力を振るえるのかはわからない。けれど、確かにあなたからは大きな力を感じていた。それに、魔法とは『現実化しリアリティ・た幻想ファンタズム』。だから、幻想を扱うというのは、『始まりの力』を持つ花園さんの力としては、納得できる」
「そうなんだ。いまいちピンときてなかったんだけど、氷室さんが言うならそうなのかも」

 理想を思い描けとか、夢を形にするとか、『お姫様』はそれっぽいことを言っていたけれど、私がかつてしていた夢物語のような空想のようなものを描く、と考えた方が少しわかりやすかった。
 魔法というものが空想や幻想に関連するものだというのなら、それを私の想像げんそうで包み込んでしまえ、というのもなんとなく理解できた。

「まぁ私に言わせてみれば、『まほうつかいの国』や、魔法使いや魔女、魔法なんて、全部空想や幻想、お伽話みたいなものなんだけどねぇ……」

 この世界においてはどれも非現実的で、お話の中にしか登場しないファンタジーだ。
 もう嫌という程見せつけられて、自分自身も体験しているから否定はしないけれど、でもやっぱりどこか現実離れした感覚は拭えない。

 でもそう考えると、当時の私からしてみたら『まほうつかいの国』はまるで夢の国に思えたに違いない。
 読んでいた本や膨らませていた空想の中のような、魔法や不思議に満ちた世界に見えていたに違いない。
 だとすれば、今よりもずっと夢を思い描いていた幼き日の私には、この力はぴったりだったのかもしれない。

「あまり、考えすぎない方がいい。あなたは、心のままに行動することが、一番」
「みんなそう言うんだよなぁ。確かに小難しいことについていけない時はあるけどさ、そこまで馬鹿なつもりないんだけどー」

 多分難しい顔をしていたであろう私に、氷室さんは優しく言ってくれた。
 そんな気遣いの言葉に少しおどけて返してみると、氷室さんは首を横に振った。

「花園さんは、心豊かな人だから。その心で感じたままが、あなたにとって一番良いと思うから」
「ありがと。ごめん、変なこと言っちゃったね」

 思っていたよりも真に受けたらしい氷室さんが若干慌て気味に言うものだから、嬉しく思いつつもちょっぴり申し訳なかった。
 確かに変に頭を捻るより思うままの方が気楽だし、みんながそう言うのなら、そうしていった方がいいのかもしれない。

 今まで、力を使えたのは気持ちのままに求めた時だった。
 そして実際戦うときも、無我夢中でできることをしていただけだし。
『お姫様』に懇々と説明を受けて色々考えてしまったけれど、その時できることを頑張るのがきっと一番だ。

 そんなことを考えながら廃ビルへと歩みを進めている時だった。
 日が少し傾いてきて、赤い太陽が濃い光を放つ中、私たちの前に人影がぬるっと現れた。
 物陰の闇から生えてきたように感じたのは、その人が一面黒一色だったからかもしれない。

 クロアさんが、にっこりと微笑んで私たちの前に現れた。
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