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第5章 フローズン・ファンタズム

22 ずっと前から

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 その静かな言葉が私の心をとくんと揺らし、そしてすぐさまぎゅっと握りしめてきた。
 あらゆる感情が凍結されて、目の前にいる氷室さんとその口が語った言葉だけが私の世界を満たした。

 夕暮れ時の街に喧騒はない。街外れにあるこの公園には最初から人気なんてなかったけれど。
 それでも全く何の音も聞こえてこなかった。
 それは本当にこの空間が静けさに満たされているのか。それとも私の耳がそれを受け入れられていないのか。

 視界も一気に狭くなる。周りのことなんて全く見えなくて、私は氷室さんの表情を捉えるので精一杯だった。
 クールなポーカーフェイスはしかし僅かに不安に揺れている。
 私のことを見て尚のこと、その気持ちは強まっているように思えた。

「……待って。ちょっと、待って」

 私は重ねている氷室さんの手をぎゅっと握って、踏ん張るようになんとか声を出した。
 必死で自分の心を落ち着けようと努めて、大きく深く息を吸う。

「氷室さんは、私が『まほうつかいの国』に行く前のことを知ってるの?」

 氷室さんは無言で頷いた。
 そのスカイブルーの瞳を片時も私からそらさずに。

 確かに私には『まほうつかいの国』にいた時の記憶はない。いわゆるお姫様と呼ばれるようになった出来事のことはさっぱりだ。
 それに関連して、その前後、つまり行く前と帰ってきた直後の記憶もまた無い。

 私の記憶が封印されてたことに伴って、その空白の期間に偽りの記憶が差し込まれているだろうことはわかっていた。
 五年前の夏にこちらに帰ってきたというのはわかったけれど、じゃあいつから私は向こうに行っていたのか。
 空白の期間は、私の知る記憶の中で、偽りの期間がどれくらいあるのかは全くわかっていなかった。
 その始まりを氷室さんが知っている……?

「どうして、氷室さんがそれを知っているの?」
「それは……」

 私の問いかけに、氷室さんは言いにくそうにピクリと眉毛を動かした。
 けれどそらすことをしないその瞳は、動じることなく私の奥底を見つめている。

「私たちは、その頃に既に出会っていたから。私たちは、その時から……友達、だった」
「え……」

 私は、氷室さんとは高校で初めて会ったと思っていた。二年生のクラス替えで同じクラスになって、それで気になり出したんだ。
 でも氷室さんの言うことが正しければ、私はかつての出会いをさっぱり忘れていたことになる。

「ごめんなさい、私……」
「いいえ。仕方のないことだから。私たちの出会いは、花園さんが『まほうつかいの国』に行くことに直接繋がること、だから。記憶の封印と改竄の範囲に、含まれてしまう」

 氷室さんは静かに首を横に振った。
 それは仕方のないことだと。もう受け入れていることだと。そう言うように。
 変わらぬ表情はその気持ちを映してくれない。

 けれど私は想像してしまった。
 友達に忘れられてしまう気持ちを。その寂しさを。
 かつて私たちは友達だったのに、それを忘れてのうのうと日々を過ごして、何食わぬ顔で再び現れられた時の気持ちを。

 悲しくないわけがない。苦しくないわけがないんだ。
 仕方のないことだったとしても、どうしようもないことだったとしても。
 心だけはどうにもならないんだから。寂しいに決まってる。

 それでも氷室さんはそんなことおくびにも出さずに、今の私に寄り添ってくれた。
 かつてのことを忘れた私とまた友達になってくれて、ずっと助けてくれていたんだ。

 私は大切な友達を苦しめてしまっていたんだ。自分でも知らないうちに。
 かつてのことを忘れ、忘れたことにも気付いていない私と接するというのは、どんなに苦しかったんだろう。

 そう考えて、私はあの二人のことを思い出した。
 D4ディーフォーD8ディーエイト。一番最初に私を連れ戻しに来たあの二人も、私のことを親友と呼んだ。
 私がかつて『まほうつかいの国』に行っていた時にできた友達。

 対立してぶつかっていたからそこまで考える余裕はなかったけれど、あの二人だって同じだ。
 友達だった私にすっかり忘れられて、それに二人の場合は私と対立することになって、私には逃げられて。
 そう考えると、あの二人の気持ちもわからなくもなかった。

「それでも、謝らせて。ごめんなさい、氷室さん。私、何にも覚えていなくて……氷室さんに辛い思い、いっぱいさせちゃったよね……? 本当に、ごめんなさい」

 両手で氷室さんの手を包んで強く握って、私は縋るように謝罪の言葉を口にした。
 それを受けた氷室さんは困惑したように瞳を揺らしながらも、依然首を横に振った。

「花園さんは、謝らなくていい。あなたは、何も悪くないから」
「でも……」
「いい。私は、それを受け入れていた。あなたが私のことを覚えていないことを、都合がいいとすら、思っていたから……」

 氷室さんは視線を下げて苦々しくそう言った。

「花園さんが私を忘れていれば、私に関わることもない。そうなれば私はあなたを陰ながら、静かに見守ることができたから。だから、それでいいと思った。私には、花園さんは贅沢だと思っていたから……」
「そんな……そんなこと────」
「けれど、あなたがもう一度私のことを友達と呼んでくれて、嬉しかった。声をかけてくれて、嬉しかった。だから、今の私は…………もうあなたから離れることは、できない」
「氷室さん……」

 友達のことをさっぱり忘れるなんて酷いことをしたのに、それでもそう思ってくれるなんて。
 他人の手によるものだとはいえ、友達のことを忘れた私と、もう一度友達になれたことを嬉しいと思ってくれるなんて。

「ねぇ、氷室さん」
「……?」

 込み上げてくる涙を無視して声をかけると、氷室さんはそっと首を傾げた。
 そんな氷室さんの手をぐいっと引っ張って引き寄せる。
 不意を突かれた氷室さんは抵抗する間もなくこちら側に倒れてきて、私はそれをがしっと受け止めた。
 そして強く、強く抱きしめた。

「花園、さん……?」
「もう絶対忘れない。何があっても放さないよ。私、氷室さんのこと、本当に大切な友達だって思ってるから。だから、ずっとずっと、友達だから……! もう、絶対氷室さんに寂しい思いをさせたりなんかしないから……!」

 頬を伝う涙に構わず、私は腕に力を込めて必死にこの思いを伝えた。
 こうしてまた言葉を交わすようになるまでの氷室さんの気持ちを考えると、胸が張り裂けそうだった。
 氷室さんはそれで良かったと言っていたけれど、それは氷室さんの控えめさ故だ。
 だってそうじゃなかったら、ここまでずっと私のことを守ってなんかくれないんだから。

「…………ありがとう、花園さん。私も、いつまでもあなたの側を離れないから……もし、また同じようなことがあったとしても、もう私は、諦められないから……」

 私の中にすっぽり収まる氷室さんが、私の肩に頭を預けて囁くような声で言った。
 その言葉は普段の淡々としたものとは少し違って、どこか力が込められているように感じる。
 そこに強い想いが込められている気がして、私はそれに対して強く抱きしめることで応えた。

 溢れる感情の片隅で、心がざわめいているのを感じた。
 今のこの溢れんばかりの感傷とは違う、激しい戸惑いのようなのもの。
 でも、今の私にはこの気持ちが何なのかわからなかった。
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