上 下
241 / 984
第5章 フローズン・ファンタズム

16 絡みつく執着

しおりを挟む
 少ししてから私たちはお店を後にした。
 紅茶もケーキも美味しかったけれど、していた会話が会話だけに思うようには味わえなかった。
 なかなか気軽に来られるような所ではないけれど、折を見て氷室さんとでもまた来てみたいな。

 必死で断ったんだけれどクロアさんの頑なさに押し切られ、支払いを任せてしまった。
 高校生で懐事情は厳しいとはいえ、自分の分くらいは払えたんだけれど。
 こういう時は大人に甘えるものです、とにっこり微笑みながらも強く主張されては何も言い返せなかった。

 クロアさんが普通にお会計をしている姿は、なかなか異質な気がした。
 けれどそもそもを言えば、こっちのお金を普通に持っていることが自体が違和感満載だった。
 そういえばホテルに泊まっていたし、どうやって生計を立てているんだろう。

「ご自宅までお送り致しましょう」

 お店を出ると、クロアさんは穏やかに微笑みながら私の手を取って言った。
 流石にそこまでは、申し訳ないというよりは抵抗があった。
 家の場所は割れているとはいえ、だからといって家まで来られるのは嫌だった。

「まだ昼間だし、一人で帰れます」
「そう仰らず。わたくしがもう少し姫様とご一緒したいのです」

 黒い日傘の中に私を連れ込んで、クロアさんは柔らかな口調で言った。
 丁寧で穏やかで柔らかくも、クロアさんの言葉には力強さがある。
 押し付けるようではないけれど、強く主張する力があった。

 けれどその表情は少し心配そうに、どこか怯えるようでもある。
 受け入れてもらえるかどうか、拒絶されないかと不安を帯びているような弱々しい顔だった。
 基本は落ち着いて穏やかなクロアさんだけれど、たまにこういった甘えるような顔を見せてくる。
 思えばお茶に誘われた時もそうだった。

「……わかりました。じゃあお言葉に甘えます」
「まぁまぁ! わたくし嬉しゅうございます……!」

 柔らかさに押し切られて、私は渋々それを受け入れてしまった。
 不安げに媚びる表情を一身に向けられては、目をそらすのも難しかった。
 私が頷くと、クロアさんはまるで子供のように表情をパッと明るくさせるんだから困ってしまう。
 そんなに純粋な顔で喜ばれてもなぁ。

 クロアさんはうきうきを隠しきれない様子で私の手を握り直した。
 その細い指を絡めてきて、さながら恋人同士のように固く手を繋いでくる。
 少しひんやりとしつつも大人の女性の嫋やかさを感じさせるそれに、優しくもしっかりと手を取られる。
 ぴったりと身を寄せて歩きだす様はなんだか少し可愛らしくて、そこだけ切り取ればまぁ悪い気はしなかった。

「姫様はまだ決めあぐねていらっしゃるのですね?」

 しばらく無言で歩みを進めてから、クロアさんがポツリと言った。
 え?と顔を向けると、クロアさんは口元を柔らかく緩めて私を見た。

「これからのご自身の身の振り方について、でございます。全ての者にとって等しく姫君であらせられる御身は、魔法使いか魔女か、どちらに付くべきか悩んでおられるのでは……?」
「うーん、どうでしょう……」

 意地悪ではぐらかしたわけではなく、私自身はっきりとしていない問題だった。
 だから私は中途半端な煮え切らない言葉しか出せなかった。

「私が望むのは、今までと変わらない日常です。だからきっと、どちらについてもその望みは叶わない。でも……」
「いずれにしても、変わらぬことが難しいことはわかっていらっしゃる、と」
「まぁ、そうですね……」

 私はただ、今までと変わりない穏やかな日々を過ごしたいだけだ。
 普通に学校に通って勉強して、友達とたわいもない話をして。そんな普通の生活を送りたいだけ。

 でも私を取り巻くこの状況は大きすぎて、何も変わらないなんてできないんだってわかる。
 現に晴香を失ってしまって、そしてその存在の痕跡すらなくなってしまったこの世界は、もうどうしようもなく変わってしまっているんだから。

「私はこの世界を、この街を離れるつもりはありません。家族や友達がいるここから、離れたくはないんです。でも、魔法使いにしたって魔女にしたって、そういうわけにはいかないですよね?」
「それは、そうでございますね。姫様はあちらの世界に必要なお方。いずれにしてもお連れせねばならないでしょう」

 私の気持ちを憂うかのようにクロアさんは目を細めた。

「……しかしわたくしは、姫様の思うがままがよろしいと思いますよ」
「え?」

 私の耳元に口を近づけたクロアさんは、蕩けるような甘い声でそう言った。
 柔らかく温かな吐息と交わって、私の体をピリピリと駆け抜けた。

「他人が何を言おうと、姫様は姫様のものでございます。ワルプルギスが望むものも、魔法使いが望むものも、姫様が気にされる必要などないのです」
「で、でも、クロアさんは私にそっちに来て欲しいんじゃ……」
「わたくし個人と致しましては、それそのものに強い拘りはございません」

 足を止め、クロアさんは間近で私の目を深く見つめてきた。
 闇のように深い瞳が、私を飲み込むようにじっくりと目を向けてくる。
 その表情は甘く穏やかで、包み込むような柔らかさで満たされていた。

「わたくしは姫様の御心こそを第一に思っております。そのご意志がいずれの思惑にも反するものであるというのなら、それはそれで構わないかと」
「でも、どうして……」
「わたくしは姫様を我が子のように慈しんでおります。子の思うままにさせてやりたいと思うのが、親心というものでございましょう?」

 いや、私たちそこまで年離れてないと思うけれど。
 でもクロアさんの包容力は確かに母親のそれのようではある。
 けれど、どうしてそこまで個人的に想われているのか……。

「今でも忘れません。かつての姫様の純真無垢なその御心と、天からの使いの如き穢れのない笑みを。あなた様に慈しみを感じないことなど、わたくしにはできませんでした」

 うっとりと何かを思い出すように頰を綻ばせるクロアさん。
 それはまるで、我が子の幼き日を微笑ましく語る人の親のようだった。
 もしかしてクロアさんもまた、かつての私のことを直接知っているのかもしれない。

「ですから、姫様。レイさんの思惑、ワルプルギスの思惑に従う必要はないのです。意に反するのであれば抵抗すればよろしい。場合によっては魔法使いと手を組むのもよろしい。好きになさるのです」
「は、はぁ……」

 それはクロアさんが言っていいことなのかと思いつつ、私はとりあえず頷いた。
 でもそんなことを言うクロアさんからは、ワルプルギスの魔女というよりは一個人の意思を感じた。
 ワルプルギスは一枚岩ではないみたいだけれど、こういうところでも考え方の違いがあるのかもしれない。

「大丈夫、わたくしがついております。わたくしはいつだって姫様の味方でございますよ」

 にっこりと微笑むその顔は、しかし別の甘い何かを孕んでいるような気がした。
 私に向ける優しさの中に、何か別の感情を隠しているような感覚。
 私の手を強く握るその手の指は、まるで蛸に締められているかのように絡みついていて、なんだかそこからは個人的な執着のようなものを感じた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜

平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。 だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。 流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!? 魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。 そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…? 完結済全6話

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

処理中です...