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第10話 女子トーク
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「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ! この間何があったの!?!?」
休みが明けた月曜日の昼休憩のこと。
いつものように一緒に昼食となった桃木さんが、うずうずした感じでそう尋ねてきた。
「何がですか?」
「金曜の夜のことに決まってんじゃーん! メールくれたでしょ?」
「あー……」
かなりテンション高めの桃木さんに言われ、自分が助けを求めたことをすっかり忘れていたと気づく。
あの後色々ありすぎて、記憶の彼方にいってしまっていた。
「返事できなくてごめんね? 多分、椿原部長に飲みに連れてかれて、そこで部長は潰れちゃって終電も逃して、それで途方に暮れていたんでしょ? で、その後どうなったの???」
「滅茶苦茶鋭いですね……」
これが女の勘……いや、あの質問を受ければ想像はつくか。
目をキラキラさせ、期待に胸を膨らませる桃木さんに、俺はちょぼちょぼと答える。
「仕方がないのでうちに連れていきましたけど……」
「キャーッ! てことは、もしかしてもしかするもしかして!?」
かつてないテンションの高さを見せる桃木さんに、女の子はやっぱりこの手の話が好きなんだなぁと思わされる。
だが残念ながら、期待するようなことは何も話してあげられないのだ。
「もしもかしてもありませんよ。ベッドをお貸ししただけで。翌朝起きた時にはもうお帰りになられてましたし」
「えーーー。うっそ、そんな馬鹿なぁ」
俺がそう言うと、桃木さんはあからさまに落胆した顔を見せた。
ちょっとがっかりしすぎなくらい。その手の話好きすぎるでしょ。
そう、椿原部長は朝にはもういなかった。
書き置きなども何もなく、ただ丁寧に畳まれた布団とジャージが残っていただけ。
結局本当に何にもなかったのだ。
椿原部長のあの背中を思い出すと、色々感じていた俺の気持ちも何だかなだらかになってしまって。
結局土日に風俗に行こうという気にはならなかった。
「だってだって、今朝は草野くん呼び出されてなかったじゃん。椿原部長との感じもなんか違う雰囲気っぽかったし。絶対なんかいいことあって、関係が改善、ううん急進展したと思ったのにぃ~」
「想像力が豊かすぎますよ。俺と椿原部長に限ってそれはないですって」
「つまんなーい!」
桃木さんはそう言ってぶーたれ、不満げに唇を尖らせる。
よっぽど期待していたのか、もはや俺を恨めしげに見てくるほどだ。
ただまぁ、桃木さんがそう思うのも無理はないというか、確かに今日はいつもとは違う。
仰る通り、毎朝恒例の呼び出し土下座タイムはなく、どころか小言の一つもない。
業務上の簡単な会話はしたけれど、それ以上俺に関わろうとはせず、一見普通の上司と部下の距離感。
しかし普段の俺たちの関係性を見れば、それを進展と、一夜を共にしたことによるよそよそしさと捉えられても、まぁ仕方ないかもしれない。
俺自身正直戸惑っているが、とりあえずは『手を出さない侮辱』と謗《そし》られるルートではなかったと胸を撫で下ろしている。
ただ、それにしてもあまりにも平和すぎるのは、部長自身が先日の醜態を恥じているからだろうか。
あの姿を吹聴することで日頃の仕返しをされることを警戒しているとか?
いや、部長の立場ならその程度いくらでもねじ伏せられるだろう。
だとすれば他に思い当たる理由がない。
嵐の前の静かさのようでなんだかとても怖い、というのが現状だ。
「そっかそっかー。ざーんねん。だったら面白いと思ったのにー」
「人ごとだと思って……俺、かなり大変だったんですからね?」
そこからは、何があったのかを根掘り葉掘り質問されたが、正直あまり話せることがなかった。
あの一連のことを説明すると、じゃあその時お前はどうしたんだとなるし、なかなか難しい。
なんとも歯切れの悪い答えしかできず、桃木さんはすごく消化不良という感じで。
結局、休憩時間が終わるまでその話題が逸れることはなかった。
そう、休憩中の呼び出しもまた、今日はなかった。
午後の業務が始まると、椿原部長は営業部との打ち合わせに出てしまった。
その間の過重労働を言い渡されることもなく、監視やお小言もなく、俺はかつてなく平和に業務に取り組むこととなった。
あまりに普段とのギャップがありすぎるせいか、なんか調子乗らない。
だからなのか、なんだか腹の調子までおかしくなる始末だった。
椿原部長のパワハラがないと調子が出ないって、ドMみたいでなんか嫌だ。
原因は別にあると、先日床で寒々と眠ったせいだと思いたい。
そんなことを考えながらしばらくトイレにこもり、総務部の部屋に戻ろうとした時だった。
室内から、妙に盛り上がった声が漏れ聞こえてきた。
「ホント、マジでありえなくないですぅ? あんだけ言ったのにヤらずに終わったとか、あのクズ使えないですよねぇ?」
それは桃木さんの声だった。
聞き慣れた彼女の高めの声で、しかし聞いたこともないような言葉使いがされている。
「あんな男好きしそうな見た目しといて、日和るとかマジウケますよねぇ。それとも良いのは見た目だけでヘタクソすぎて萎えられたんですかね。だったらそれはそれで傑作ですけど~」
キャッキャと楽しそう笑う桃木さんの声と、それに合わせてペチャクチャ似たような言葉を飛ばす他の人たちの声。
全くもって信じれないが、何について話してるのかは明白だった。
桃木さんが、いやきっと他のみんなも含めて、女子社員たちが椿原部長にあの日のことを強要していた。そういうことか。
居酒屋での珍しい悪酔いも、うちでのあの言動も全て、桃木さんたちの指示だったのか?
あの椿原部長がそんなまさかとは思ったけれど。
しかしあれら全てを部長自身の意思でやっていたと考えるよりは、なんだか理にかなっているように思えた。
特に、あの震えには納得がいく。
ともすれば、きっと今回だけの話とは思えない。
俺の知らないところで椿原部長は、女子社員たちに虐められていた、と考えるのが妥当だ。
俺を虐めていた部長も、桃木さんたちに既に虐められていた、と。
とんでもないことを聞いてしまったと、咄嗟にスマホを構える。
深い考えはなかったがとりあえず録画を開始し、ドアの隙間からカメラを覗き込ませた。
そんなことにもちろん全く気づいていない桃木さんたちは、それからもつらつらと椿原部長を蔑む発言で盛り上がり続けて。
虐めていた事実を裏付けるような話題もポロポロと出てきた。そして。
「ホンット、使えないですよねぇ。こっちはさっさとあのクソ野郎追い出して欲しいのにぃ~」
と、桃木さんは言った。
「散々言い聞かせてるのに、あの人全然上手くやってくれませんよねぇ? パワハラさせても、草野のやつドMなのか知らないですけど全然辞めてかないし。だからお持ち帰りでもされて一発ヤッて、それを強姦だって騒げばそれで方がつくって、せっかく教えてあげたのに~」
「っ────!?」
思いもよらなかった言葉に、俺はその場で崩れ落ちてしまいそうになった。
桃木さんたちの標的は椿原部長だけではなく、俺も含まれていた。そういうことだ。
いつもニコニコ朗らかに面倒を見てくれて、仲良く接してくれていた桃木さんが、俺のことを疎んでいたなんてそんなこと、にわかには信じられないけれど。
でも今、自分の耳で聞いてしまった。
「うちの会社に男なんていらないですよねぇ? 図体ばっかデカくて別に対して能力あるわけでもないし? 空気だって全然読めないし、ホント目障りですよ~。あーあ早く根をあげて辞めてくれませんかねぇ」
桃木さんたちが椿原部長をけし掛けて、俺にパワハラをさせていた。
その目的は、俺が会社を辞めたくなるようにさせるため。
つまりはそういうことだったのか。
信頼していた桃木さんと他の先輩たちの、俺への聞くに耐えない陰口がとても楽しそうに響いてくる。
今までそんな気配なんて全くなくて、むしろ桃木さんとは良好な関係だと思っていたのに。
ちょっとした愚痴などとは比べ物にならない明確な嫌悪と悪意に、俺はついにヘナヘナとその場にうずくまってしまった。
「……そんなところで一体、何をしてるの?」
そんな時、会議を終えた椿原部長がかなり訝しげにこちらを窺いながら戻ってきた。
扉の脇にへばり付いて項垂れている俺を、まるで不審者を見るような目で見てくる。
普段ならそこでまた小言が飛んでくるだろうが、今日の大人しい部長は特に言葉を続けない。
そんな椿原部長のことを見上げて俺は、このままではいたくないと、そう思った。
この椿原部長ですら桃木さんたちに飲み込まれているんだ。俺が今まで通り過ごしていても、現状を打破することができるとは思えない。
ならば、進んで行動を起こすしかない。
今まで椿原部長のパワハラにただ耐え続けていたのとはわけがちがう。
あれは部長の性格と俺たちの相性から生じてしまう、よくないことではあるが、しかし仕方がないことだと思っていた。
それに良くも悪くも変わることのないものだと思っていたから、無抵抗主義の俺は黙々と耐えることができた。
けれど桃木さんたちに明確な目的意識がある以上、彼女たちの遠回しな嫌がらせは結果が出るまでエスカレートしていく一方だろう。
いや、すでにかなりやばい部分まできているとも言える。
桃木さんたちが椿原部長に強要した行為は、到底許されるものではないだろう。
「あ、あの、椿原部長」
「な、なに……」
ガバッと立ち上がりながら声をかけると、部長は半歩足を下げた。
先日のことが尾を引いているのは明らかだけれど、今はそうも言っていられない。
ここは一度、被害者同士を話し合っておくべきだ。
現状と今後について。
「今晩、また飲みに連れてってくだいさい。二人で」
俺のまさかの申し出にギョッとした椿原部長は、手にしていたバインダーファイルを胸元でぎゅっと抱きしめた。
そして少し目を泳がせてから小さく、「いいわよ」と頷いた。
休みが明けた月曜日の昼休憩のこと。
いつものように一緒に昼食となった桃木さんが、うずうずした感じでそう尋ねてきた。
「何がですか?」
「金曜の夜のことに決まってんじゃーん! メールくれたでしょ?」
「あー……」
かなりテンション高めの桃木さんに言われ、自分が助けを求めたことをすっかり忘れていたと気づく。
あの後色々ありすぎて、記憶の彼方にいってしまっていた。
「返事できなくてごめんね? 多分、椿原部長に飲みに連れてかれて、そこで部長は潰れちゃって終電も逃して、それで途方に暮れていたんでしょ? で、その後どうなったの???」
「滅茶苦茶鋭いですね……」
これが女の勘……いや、あの質問を受ければ想像はつくか。
目をキラキラさせ、期待に胸を膨らませる桃木さんに、俺はちょぼちょぼと答える。
「仕方がないのでうちに連れていきましたけど……」
「キャーッ! てことは、もしかしてもしかするもしかして!?」
かつてないテンションの高さを見せる桃木さんに、女の子はやっぱりこの手の話が好きなんだなぁと思わされる。
だが残念ながら、期待するようなことは何も話してあげられないのだ。
「もしもかしてもありませんよ。ベッドをお貸ししただけで。翌朝起きた時にはもうお帰りになられてましたし」
「えーーー。うっそ、そんな馬鹿なぁ」
俺がそう言うと、桃木さんはあからさまに落胆した顔を見せた。
ちょっとがっかりしすぎなくらい。その手の話好きすぎるでしょ。
そう、椿原部長は朝にはもういなかった。
書き置きなども何もなく、ただ丁寧に畳まれた布団とジャージが残っていただけ。
結局本当に何にもなかったのだ。
椿原部長のあの背中を思い出すと、色々感じていた俺の気持ちも何だかなだらかになってしまって。
結局土日に風俗に行こうという気にはならなかった。
「だってだって、今朝は草野くん呼び出されてなかったじゃん。椿原部長との感じもなんか違う雰囲気っぽかったし。絶対なんかいいことあって、関係が改善、ううん急進展したと思ったのにぃ~」
「想像力が豊かすぎますよ。俺と椿原部長に限ってそれはないですって」
「つまんなーい!」
桃木さんはそう言ってぶーたれ、不満げに唇を尖らせる。
よっぽど期待していたのか、もはや俺を恨めしげに見てくるほどだ。
ただまぁ、桃木さんがそう思うのも無理はないというか、確かに今日はいつもとは違う。
仰る通り、毎朝恒例の呼び出し土下座タイムはなく、どころか小言の一つもない。
業務上の簡単な会話はしたけれど、それ以上俺に関わろうとはせず、一見普通の上司と部下の距離感。
しかし普段の俺たちの関係性を見れば、それを進展と、一夜を共にしたことによるよそよそしさと捉えられても、まぁ仕方ないかもしれない。
俺自身正直戸惑っているが、とりあえずは『手を出さない侮辱』と謗《そし》られるルートではなかったと胸を撫で下ろしている。
ただ、それにしてもあまりにも平和すぎるのは、部長自身が先日の醜態を恥じているからだろうか。
あの姿を吹聴することで日頃の仕返しをされることを警戒しているとか?
いや、部長の立場ならその程度いくらでもねじ伏せられるだろう。
だとすれば他に思い当たる理由がない。
嵐の前の静かさのようでなんだかとても怖い、というのが現状だ。
「そっかそっかー。ざーんねん。だったら面白いと思ったのにー」
「人ごとだと思って……俺、かなり大変だったんですからね?」
そこからは、何があったのかを根掘り葉掘り質問されたが、正直あまり話せることがなかった。
あの一連のことを説明すると、じゃあその時お前はどうしたんだとなるし、なかなか難しい。
なんとも歯切れの悪い答えしかできず、桃木さんはすごく消化不良という感じで。
結局、休憩時間が終わるまでその話題が逸れることはなかった。
そう、休憩中の呼び出しもまた、今日はなかった。
午後の業務が始まると、椿原部長は営業部との打ち合わせに出てしまった。
その間の過重労働を言い渡されることもなく、監視やお小言もなく、俺はかつてなく平和に業務に取り組むこととなった。
あまりに普段とのギャップがありすぎるせいか、なんか調子乗らない。
だからなのか、なんだか腹の調子までおかしくなる始末だった。
椿原部長のパワハラがないと調子が出ないって、ドMみたいでなんか嫌だ。
原因は別にあると、先日床で寒々と眠ったせいだと思いたい。
そんなことを考えながらしばらくトイレにこもり、総務部の部屋に戻ろうとした時だった。
室内から、妙に盛り上がった声が漏れ聞こえてきた。
「ホント、マジでありえなくないですぅ? あんだけ言ったのにヤらずに終わったとか、あのクズ使えないですよねぇ?」
それは桃木さんの声だった。
聞き慣れた彼女の高めの声で、しかし聞いたこともないような言葉使いがされている。
「あんな男好きしそうな見た目しといて、日和るとかマジウケますよねぇ。それとも良いのは見た目だけでヘタクソすぎて萎えられたんですかね。だったらそれはそれで傑作ですけど~」
キャッキャと楽しそう笑う桃木さんの声と、それに合わせてペチャクチャ似たような言葉を飛ばす他の人たちの声。
全くもって信じれないが、何について話してるのかは明白だった。
桃木さんが、いやきっと他のみんなも含めて、女子社員たちが椿原部長にあの日のことを強要していた。そういうことか。
居酒屋での珍しい悪酔いも、うちでのあの言動も全て、桃木さんたちの指示だったのか?
あの椿原部長がそんなまさかとは思ったけれど。
しかしあれら全てを部長自身の意思でやっていたと考えるよりは、なんだか理にかなっているように思えた。
特に、あの震えには納得がいく。
ともすれば、きっと今回だけの話とは思えない。
俺の知らないところで椿原部長は、女子社員たちに虐められていた、と考えるのが妥当だ。
俺を虐めていた部長も、桃木さんたちに既に虐められていた、と。
とんでもないことを聞いてしまったと、咄嗟にスマホを構える。
深い考えはなかったがとりあえず録画を開始し、ドアの隙間からカメラを覗き込ませた。
そんなことにもちろん全く気づいていない桃木さんたちは、それからもつらつらと椿原部長を蔑む発言で盛り上がり続けて。
虐めていた事実を裏付けるような話題もポロポロと出てきた。そして。
「ホンット、使えないですよねぇ。こっちはさっさとあのクソ野郎追い出して欲しいのにぃ~」
と、桃木さんは言った。
「散々言い聞かせてるのに、あの人全然上手くやってくれませんよねぇ? パワハラさせても、草野のやつドMなのか知らないですけど全然辞めてかないし。だからお持ち帰りでもされて一発ヤッて、それを強姦だって騒げばそれで方がつくって、せっかく教えてあげたのに~」
「っ────!?」
思いもよらなかった言葉に、俺はその場で崩れ落ちてしまいそうになった。
桃木さんたちの標的は椿原部長だけではなく、俺も含まれていた。そういうことだ。
いつもニコニコ朗らかに面倒を見てくれて、仲良く接してくれていた桃木さんが、俺のことを疎んでいたなんてそんなこと、にわかには信じられないけれど。
でも今、自分の耳で聞いてしまった。
「うちの会社に男なんていらないですよねぇ? 図体ばっかデカくて別に対して能力あるわけでもないし? 空気だって全然読めないし、ホント目障りですよ~。あーあ早く根をあげて辞めてくれませんかねぇ」
桃木さんたちが椿原部長をけし掛けて、俺にパワハラをさせていた。
その目的は、俺が会社を辞めたくなるようにさせるため。
つまりはそういうことだったのか。
信頼していた桃木さんと他の先輩たちの、俺への聞くに耐えない陰口がとても楽しそうに響いてくる。
今までそんな気配なんて全くなくて、むしろ桃木さんとは良好な関係だと思っていたのに。
ちょっとした愚痴などとは比べ物にならない明確な嫌悪と悪意に、俺はついにヘナヘナとその場にうずくまってしまった。
「……そんなところで一体、何をしてるの?」
そんな時、会議を終えた椿原部長がかなり訝しげにこちらを窺いながら戻ってきた。
扉の脇にへばり付いて項垂れている俺を、まるで不審者を見るような目で見てくる。
普段ならそこでまた小言が飛んでくるだろうが、今日の大人しい部長は特に言葉を続けない。
そんな椿原部長のことを見上げて俺は、このままではいたくないと、そう思った。
この椿原部長ですら桃木さんたちに飲み込まれているんだ。俺が今まで通り過ごしていても、現状を打破することができるとは思えない。
ならば、進んで行動を起こすしかない。
今まで椿原部長のパワハラにただ耐え続けていたのとはわけがちがう。
あれは部長の性格と俺たちの相性から生じてしまう、よくないことではあるが、しかし仕方がないことだと思っていた。
それに良くも悪くも変わることのないものだと思っていたから、無抵抗主義の俺は黙々と耐えることができた。
けれど桃木さんたちに明確な目的意識がある以上、彼女たちの遠回しな嫌がらせは結果が出るまでエスカレートしていく一方だろう。
いや、すでにかなりやばい部分まできているとも言える。
桃木さんたちが椿原部長に強要した行為は、到底許されるものではないだろう。
「あ、あの、椿原部長」
「な、なに……」
ガバッと立ち上がりながら声をかけると、部長は半歩足を下げた。
先日のことが尾を引いているのは明らかだけれど、今はそうも言っていられない。
ここは一度、被害者同士を話し合っておくべきだ。
現状と今後について。
「今晩、また飲みに連れてってくだいさい。二人で」
俺のまさかの申し出にギョッとした椿原部長は、手にしていたバインダーファイルを胸元でぎゅっと抱きしめた。
そして少し目を泳がせてから小さく、「いいわよ」と頷いた。
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