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第5話 ラビリンス・ストロベリー

5-6 繰り返す

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「正確には、タイムリープってゆーのかな」

 春日部さんは静かにそう続けた。

「過去に戻るって言っても、結構いろんな種類あるでしょ? 体ごと行けたり、そもそも時間を巻き戻したり。アタシの場合は意識だけ。精神だけが昔の自分の体に宿るの」

 過去に戻る。そんな荒唐無稽な話を、春日部さんは当然のように話す。
 確かにガールズ・ドロップ・シンドロームは、奇怪で超常的な異能力を発現させる。
 でもそれは基本的に個人の中で収まって、その精神や肉体に影響を及ぼすものだ。

 時間を飛び越えるなんて、そんなSFみたいなことができるなんて。
 その規模の異能力を、私は今まで聞いたことがなかった。

「驚くよね? わかるよ。だってアタシもびっくりしたもん。アタシはカンちゃんほどガールズ・ドロップ・シンドロームのことは知らないけどさ。この能力がぶっ飛んでることは、流石にわかったしね」

 そう微笑んでから、春日部さんはただね、と言った。

「なんてゆーのかな、ルールというか、制約があるんだよ。いつでもポンポン、好きなように戻るってわけにはいかないんだ」
「制約……?」
「そっ。アタシの能力は、長くても半年前までしか戻れない。それから、一回過去に戻ると、チャージ期間なのかな、半年間は使えないんだ」
「っ…………」

 半年。そのワードが、妙に私の心をざわつかせた。
 けれど目を向けるのが怖くて。
 春日部さんの話を聞きながら少しずつついてきた頭で、私は別の質問をする。

「春日部さんは、その……その能力をどう使っていたの? 迷っているのは、その能力を使うことについて、なんでしょ?」
「もちろん、また戻るべきかどうか、だよ」

 春日部さんは当たり前のように、とても自然なトーンでそう言った。
 また、戻るべきか。

「またってことは、春日部さんは……」
「うん。何度も何度も、それはもー何度も何度も。アタシは何度も、この半年間をやり直してる」
「っ…………!」

 過去をやり直し、同じ時間を繰り返し続ける。
 つまりタイムループ。
 それこそSF作品のような、果てのない時間の迷宮。
 春日部さんが、それをしていた……?

 目を見開く私に、春日部さんははにかんだ。

「どうして……何でそこまで……? 春日部さんは、何をやり直そうとしているの?」
「それはね……」

 そこで春日部さんは少し言い難そうな顔をした。
 私から目を逸らそうとして、けれどせず。
 不安げな瞳で私を窺い見る。

「アタシは、香葡かほ先輩を助けようと、してんだ」
「!?」

 恐る恐る告げられた言葉に、私はガタリと椅子ごと後退った。
 驚愕だけではない、言いしれない恐怖のようなものが、私の身体を縛り付ける。

「もう多分何十回もやってるんだけど、一度も成功したこと、ないんだけどね」

 私の様子を見て、春日部さんは更に気を使いながら言葉を続けた。

「タイムスリップものの映画とかでもよくあるよね。何度やり直しても未来が変わらない系のやつ。あんな感じだよ。アタシが何回挑戦しても、やり方とかタイミングをどんなに工夫しても、アタシは一度だって香葡先輩を助けられなかった。ごめんね、カンちゃん」
「っ…………」

 言葉が出てこない。何を言えばいいのかわからない。何を思えばいいかも。
 ただただ絶句する私に、春日部さんは眉を落とす。
 その罪悪感を抱えた表情は、何に向けられたものなんだろう。

「よくあるさ、助けても違う時、違う方法で死んじゃうとか、そういうのですらないんだよね。アタシは一度だって止めることができなかったんだよ。アタシは、香葡先輩のあの瞬間に、立ち会うことすら一回もできなかったよ」

 容赦なさすぎて困っちゃうよ、と春日部さんはこぼす。
 過去に変化を及ぼしても、何かしらで帳尻が合ってしまって、結局未来は変わらない。
 その手の話はよくあるけれど、春日部さんはそもそも変化すらおぼすことができなかった。
 それほどまでに、香葡先輩の死は絶対的なものだと、そういうことなんだろうか。

「どう、して……」

 ようやく口が動いて、言葉を絞り出すことができた。
 でもそれは、自分でもわかるくらいに弱々しくて、情けない。

「どうして春日部さんが、香葡先輩を……? そんなに何度も、やり直して……」

 何回も人の死に向き合うことだって、相当の精神力が必要だ。
 しかも春日部さんの場合、一度過去に戻ると半年のインターバルが強制される。
 何度も何度もと、トライ・アンド・エラーですぐにやり直せるわけじゃない。
 春日部さんはこのために、一体どれだけ時間を費やしたのか。
 そこまでする理由は……?

「そんなの、簡単だよ。カンちゃんのため」
「わ、私の……?」

 春日部さんは当然のように、優しく微笑んで言った。

「言ったでしょ? アタシは、香葡先輩を好きなカンちゃんが好きだった。香葡先輩が死んじゃって、抜け殻みたいになっちゃったカンちゃんは、見てられなかった。だからアタシは、カンちゃんに香葡先輩を取り戻させてあげたかったんだよ」
「っ…………!」

 それは、それはあまりにも。あまりにも、春日部さんにとって苦しすぎる時間だったんじゃないのか。
 自分に振り向いてくれない相手の、その愛する人を助けるなんて。
 普通なら自分が取って代わろうと思うだろうに。
 春日部さんはそんな自分の幸福じゃなく、私の幸福を願って。
 何度も何度も、この半年間をやり直していた。

「春日部、さん……そんな、そんな……! どうしてそこまで……私なんかのために、どうしてっ……!?」
「好きだからだよ、カンちゃんが」

 半ばパニックになりかけた私の訴えに、春日部さんはしかし冷静に答える。
 その言葉には、どこか誇らしさすら感じた。

「わからない、わからないよ。どうして春日部さんがそこまで私を思ってくれるのか。私は、春日部さんに何もしてあげられてないのに。私たちは今まで一度も────」

 友達ですらないのに、と言いかけて言葉が止まった。
 それは、あまりにもその言葉が言い過ぎだと思った、からではない。
 ただ、不意に引っかかったんだ。

 私は今まで、春日部さんとまともな関係性を築いてこなかった。
 私は。この、私は。でも、過去の私は? 春日部さんがやり直してきた、今は無き過去の私は?

「もしかして私たちは元々、友達だったの?」

 恐る恐る尋ねる。とんでもない、ことを。
 春日部さんは、微笑んだ。

「そうだよ!って言いたいけど、難しいな。どの時間でも、どのルートでもアタシたちはまぁ、今回みたいな感じだったと思うよ」
「じゃあ、どうして? 私にはもう、何が何だか……」
「でも、アタシは友達でいたかった。友達だって、思ってたんだよ。一番最初の、あの時から。ずっと」

 そう言って、春日部さんはどこか恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻いた。
 少し言い難そうに目をキョロキョロさせてから、しかし続ける。

「実はアタシ、元々はすっごーい地味系の陰キャでさ。一年の夏休み明けくらいから、クラスぐるみで虐められてたんだよねぇ。集団で無視されてさ、いないもの扱いってやつ」
「春日部さんが? そんな、まさか……」

 髪を染め、化粧や服装を着飾り、誰よりも明るく、人生を楽しんでいそうな春日部さん。
 ニコニコと朗らかで、テンションは高すぎるくらいで。顔が広く、誰とでも仲が良くて。
 まるで青春の成功者みたいな人が、そんな目に遭っていたなんて信じられなかった。

 そんな私の反応を読み取って、春日部さんは違うよと苦笑いした。

「今のアタシは、ループする中で作り直したアタシ。アタシが能力に気付いたのは三月くらいなんだけどね。最初はどうもコントロール上手くできなくて。香葡先輩を助けるためには二月十四日ちょい前に戻ればいいのにさ。三月から半年前、九月まで戻っちゃったりしてて」

 あははと、そんな失敗を軽やかに口にする春日部さん。
 それだってとんでもない時間を要しているのに。

「ついでにっていうのも変だけど。どうせそこまで戻ったから、虐められない自分になろうって思ってね。能力を上手く使えるようになるまでの間に、自分の見た目とかキャラとかを変え続けてさ。途中のルートからはもう、全く虐められなくなったんだ」

 そこに込められた努力も生半可なものではない。
 私はただただ聞き入ることしかできなかった。

「それでね、話戻すけど。アタシは元々虐められてて、みんなから無視されてたんだよ。でもね、その中でも唯一普通に話してくれたのが、カンちゃんだった」
「わ、私……?」
「うん。まぁ、素っ気なかったけどねぇ。でも、喋ってくれた。無視しないで、返事をしてくれた。アタシはそれが、すっごく嬉しかったんだよ」

 温かな笑み浮かべてそういう春日部さんに、何とも複雑な気持ちになる。
 確かに私は、クラスメイトが集団で誰かを無視しようとしても、そんな面倒なことに参加しようとは思わない。
 そもそもそんな集団行動に誘われたり、同調を求められたりすることはないだろうけど。

 でも同じくらい、だからといって春日部さんに寄り添ったとも思えない。
 彼女の言う通り、私は素っ気なく、今とそう変わらない対応しかしていなかったはずだ。
 でもそれですらも喜ばしいほどに、春日部さんへの虐めは苛烈だったということなんだろうか。

「カンちゃんしか話してくれる人がいなくて、カンちゃんが話してくれるのが嬉しくて、アタシその時からしつこく声かけちゃってた。素っ気なかったけど、でもちゃんと私を見てくれるカンちゃんが、好きになって。いつの間にか、恋になってた」

 照れるように、春日部さんはまた頬を掻く。

「でもその一番最初のルートでも、もちろんカンちゃんには香葡先輩がいたから。それはさっき言った通り、だからアタシは現実を受け入れた。でも、香葡先輩が死んじゃって、そこからアタシのループは始まったんだ」
「でもそれだと……ループを続ける中で、春日部さんは今みたいになって、虐めもなくなって。そうしたら私たちは……」
「うん。そうだね」

 私の疑問に、春日部さんは苦々しく頷いた。
 胸の前で自分の指同士を絡めて、どこかもじもじと答える。

「虐められるのが嫌で、自分を変えて、虐めをされなくなった。友達をいっぱい作れるように、努力した。でもそれは、カンちゃんとだけ話せたあの時間を、なかったことにすることだった」

 そう、なくなってしまう。
 春日部さんが私に恋をしたきっかけが。
 彼女の思い出が、塗り潰されてしまう。

「でも、やっぱり虐められるのはシンドかった。カンちゃんとの時間は大切だったけど、でも苦しかった。だから、あの時の思い出はアタシの胸にしまって、それで満足することにしたんだ。どっちにしたって、カンちゃんには香葡先輩がいるから。あの思い出は、アタシだけが知ってればいいと思ってね」

 何だかんだアタシって薄情かな、と春日部さんは苦笑いをする。
 でもそれを私は否定も非難もできない。するつもりもない。
 その権利は私にはない。

「でもね、カンちゃんが好きなのはもちろん変わらない。できるだけ、いっぱい喋りたいのも変わらないし。だから、カンちゃんにとっては謎絡みだったと思うけど、アタシはずっとカンちゃんに話し掛け続けてたんだ。一番最初のあの時から、何回も繰り返した今でも、ずっと友達でいたかった」
「っ…………」

 それを聞いて、私はやっと得心することができた。
 なんで春日部さんほどの人が、クラスの片隅にいる無愛想な私に構い続けるのか。
 どうして私なんかを、友達と言い続けるのか。

『ずっと友達』。事あるごとに春日部さんが口にしていた言葉。
 私はその意味を、これからもずっと友達でいる、ということだと思っていたけれど。
 違った。それは、前からずっと友達だ、ということだったんだ。

 春日部さんはずっと、果てしなく長い間ずっと、私の友達でいようとし続けてくれていた。
 恋に応えられない私。他の人が忘れられない私。そんな私の、せめて友達であろうと。
 そして、私を救うために、終わりの見えない迷宮に飛び込んだんだ。

 春日部さんに、私はなんて言っていいのかわからなくて。
 ただ、その顔を真っ直ぐ見つめることかしできなかった。

「それが私の人生。何度も経験して、何度も捨ててきた、私の日々。これが私の、恋」

 そう口にした春日部さんは、どこか誇らしげだった。
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