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第4話 インビジブル・プラム
4-7 インビジブル・プラム
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「先日の、陰山さんの件なんですが……」
週が明けて月曜日の放課後のこと。
私はようやく香葡先輩にことの次第を報告をした。
あの時の自分の行動や決断にはやっぱり自信が持てなかったし、その後の陰山さんのことが気になっていた。
本当はもう少し経過を見てから話そうと思っていたのだけれど、先ほど陰山さんがもう一度私に会いにきた。
その時に聞いた話で、この件はひとまず区切りにしていいと思えたんだ。
相変わらず、私の是非について怪しいと思いつつも。
「そっか。とっても頑張ったんだね」
顛末を聞き終えると、香葡先輩はそう言ってとても嬉しそうにニコニコと笑った。
太ももに乗る私の頭を撫でる手が、心なしか軽やかだ。
「でも、李々子ちゃんはかなりの決断をしたね。大切な人を守るために、ある意味自分の全てを捧げるようなものだよ。自分の存在感が消えたままでも、その努力に気付いてもらえなくても、守り続けるなんて」
「はい。その覚悟は、とても立派だと思いました。少し、自己犠牲が過ぎるくらいに」
私は頷きつつも、どうしても不安を隠すことができなかった。
彼女の献身的な奉仕の精神は、一見美しいようで、けれどいちファンの立場としては過剰だとも思える。
陰山さんの意思を尊重すると決めたけれど、完全に同意できるかといえば怪しかった。
「それに、守るとはいってもそれは結局、ストーキングを継続するという意味でもありますし」
「うーん。それは確かにグレーゾーンだねぇ」
香葡先輩は苦い顔をしつつ、けれど面持ちは軽い。
私ほど心配していないというよりも、そんな陰山さんの選択が興味深い、といった雰囲気だ。
「まぁやっぱり褒められたことではないけれどね。他のストーカーや、危害を加えるような人たちからHIMEちゃんを守るっていう強い意志があるなら、迷惑になるようなことはしないんじゃないかな」
「そうだといいんですが。陰山さん、深く潜り込むところがあるので……」
守るという意志が強過ぎるあまり、その行動そのものも過剰になってしまわないかが不安だ。
ミイラ取りがミイラにならなければいいのだけれど。そもそもミイラの気があるので、可能性があるところが怖い。
「うん、柑夏ちゃんの気持ちもわかるよ。ただ一番引っかかってるのはやっぱり、姫莉ちゃんがHIMEちゃんじゃない可能性が高いってところじゃない? そこが食い違ってたら、李々子ちゃんの覚悟は空振りになっちゃうわけだしねぇ」
「はい、全くその通りです。ただ、その点に関しては……」
目を細めて一番の核心を突いてくる香葡先輩。
私の心境を完全に見透かしているその言葉に頷きながら、私は続けた。
「実は今日のお昼休みに、朝陽さんが陰山さんを訪ねに来たそうなんです」
「ん? え!?」
疑問と驚きを混ぜこぜにして目を丸くする香葡先輩。
その反応は、それを聞かされた先程の私と全く一緒だった。
「そこで言われたそうです。『この間は助けてくれてありがとう』って」
「え? ちょっと待ってちょっと待って!? どういうこと? 全然わかんない!」
頭の上にたくさんのはてなマークを浮かべ、香葡先輩は首を傾げる。
それもまた、さっきの私と同じ。
そんな先輩に、私は更に続きを口にする。
「それに、『いつも応援してくれてありがとう。ファンのことはちゃんと見てるよ』と……」
「え、えッーーーーーー!?」
まるで後退りでもするように体をのけぞらせて驚きを表現する香葡先輩。
とてもいいリアクションにちょっと気持ちよくなる。
けれどその驚きようは、やっぱり先程私が味わったものだった。
「え、なに? どういうこと? 結局姫莉ちゃんは、HIMEちゃんで合ってたってこと!?」
「そういうことに、なるようです……」
俄には信じられなかった私だけれど、流石に陰山さんがそんな嘘をつくとは思えない。
それに、さっき私にそれを報告しにきてくれた彼女の興奮の程を見れば、実際に起きたことだと察するのは容易だった。
ここへ来る前、春日部さんにもその事実は共有して、彼女もやっぱりかなり驚いていた。
でもそれを踏まえた上での彼女の見解は、強固な情報統制が敷かれていたんじゃないか、というものだった。
あれからも春日部さんは聞き込みを進めていたようだけれど、その中でわかったのは、朝陽さんは初等部からこの紫陽花学園に通っている古株だということ。
幼馴染である王子もまたそうで、そしてこの学園にはそういった初等部からの生え抜きはやっぱり一定数在学している。
朝陽さんの周囲では特にそんな古くからの友人が多いらしく、その友達たちががっちりと情報を漏らさないようにしていたんじゃないか、というのが春日部さんの予測だった。
HIMEが仕事とプライベートをしっかり分けたいタイプだったということを考えると、古くからの仲のいい友人たちがそれに協力し、朝陽 姫莉としての生活を守っていた、というのは考えられる可能性ではあった。
もちろんただの予測、想像にすぎないけれど。
でも朝陽さんがHIMEであることがほぼ確実になったことを考えると。
春日部さんほどの情報網に話題が入ってこなかったのは、そういった経緯くらいしか考えられない。
「で、でもさ。どうして姫莉ちゃんは、この間李々子ちゃんが助けたことを知ってるんだろう? だって、柑夏ちゃんですらその時の様子は見えなかったんでしょ?」
「はい。確かにそこは疑問なんです。ただ朝陽さんの言葉を受けてみると、思い当たるのは……」
「『ファンのことはちゃんと見てるよ』……?」
私の言葉の続きを拾い、香葡先輩はまさかと目を見開く。
「もしかして、アイドルとしてファンにしっかりと向き合っていたHIMEちゃんには、李々子ちゃんが視えてたって、こと?」
「理屈は全く通りませんが、何となくそういうことなんじゃないかと」
自信はないけれど、私はそう頷いた。
朝陽さんの言葉は、ライブイベントなんかでアーティストが遠くの席の観客に言うような、一体感を生むためや、ファンサービスのための、そんなもののようだ。
けれどそれを言葉通り、プロのアイドルとして彼女が本気でファンに向き合っていた、と捉えるのならば。
理屈やルールを超えて、熱烈なファンである陰山さんのことが視えていた、とも考えられる気がした。
これはあくまで、とても感傷的なものの見方だけれど。
「はぇ~。プロだぁ~」
香葡先輩は驚きすぎて、そんな力の抜けた感想をこぼした。
無理矢理に理屈を考えるのなら、あの時陰山さんが「ヒメリン」と叫んだ言葉が、朝陽さんに呼びかけたものとして彼女に届いていたのかも、というところ。
通常時は彼女が発する音は誰にも聞こえないけれど、意識して呼びかければ声だけなら届く。
あの時の陰山さんの湧き立つような思いが、朝陽さんには聞こえたのかもれない。
そして、朝陽さんの間近に迫っていた不審者を突き飛ばす際、陰山さんが彼女にわずかに触れていた、とか。
僅かながらも朝陽さんは陰山さんの姿を視認して、不審者を撃退するところを見ていた。
だからこそ、自分を助けてくれた人が誰なのかわかった。
陰山さんとは一度だけだけれど関わっているし、彼女は体格のせいもあって見た目の印象は強い。
自身のファンだとも認識していただろうから、判別は難しくなかったと思われる。
こんなのは無粋は考え方だけれど。
でも何にしても、陰山さんが気付いてもらえたことは確かだ。
「うん、でもよかったね! 李々子ちゃんはちゃんと報われたんだ!」
驚きをゆっくりと消化した香葡先輩は、そうやってにっこりと笑みを浮かべた。
「はい。何というかものすごく、結果オーライという感じですが……」
私は頷きながら、けれど自分の中で解決できていないモヤモヤを吐き出す。
「正直今回の私は、何一つ正しいことができなかったと思っています」
「どうして?」
「私は結局、陰山さんに必要なことを何も言えませんでした。彼女に賛同することも、否定することも。助けることも、止めることも。私はただ、そこにいたけだった」
本来なら私は、そもそもあの時の尾行を受け入れるべきではなかった。
不審者に飛び出していく彼女を止めるべきだったし、叱るべきだった。
これからも危険に飛び込もうとすることを、ストーキングを続けることを、諌めるべきだった。
あるいはその全てに、もっと協力するべきだった。
でも何もしなかった。私はただ、隣に居ただけだった。
「結果的に、陰山さんは諦めていたものの多くを、失わずに済みました。HIMEにまた会えて、彼女を守ったことにも気付いてもらえて。恋こそ叶ってはいませんが、でも陰山さんはきっと報われている。でも、そうならない可能性の方が、ものすごく大きかった」
その時の陰山さんは、全てを失っていたと言っても過言ではない。
私はそんな彼女の無謀な選択に、ただ無力に頷くことしかできなかった。
「私は、陰山さんに何もしてあげられませんでした」
「そんなことないよ。だって柑夏ちゃんはちゃんと、李々子ちゃんの味方でいてあげたんでしょ?」
項垂れる私に、しかし香葡先輩は優しく笑みを浮かべる。
「ちゃんと李々子ちゃんの気持ちに寄り添って、難しい選択をしたその意思を尊重した。それはね、簡単なことじゃないよ? だって普通はそんなの、絶対止めるし。もしくは余計な口出しをして、ややこしくしちゃったりね」
香葡先輩はニコニコしながらそう言って、私の鼻をツンと指で突いた。
「柑夏ちゃんが李々子ちゃんのことをいっぱい考えて、味方でいようとしたからこそ、安心して無謀に身を置くことができたんじゃないかな。確かに、普通に考えたら柑夏ちゃんの判断は正しくないかもしれないけど。でも私は、間違ってもいないと思うよ」
「香葡先輩……」
今回のことに正解はない。前に香葡先輩はそう言っていた。
完璧はない、ベストはない、こうするべきはない。間違いも、ない。
だったら私の選択もまた、そうなのだろうか。
「それに、もしこういう結果になっていなくたって、李々子ちゃんは後悔していなかったと思うよ。自分の意思を貫く選択をして、それを柑夏ちゃんが肯定してくれたんだから」
「それは今後、もういいことが何もなくて、苦しむことになっても、でしょうか」
「うん。だって李々子ちゃんには、認めてくれた人がいるんだからね」
そう言って香葡先輩は、「ちゃんと先輩できたね」と私の頭を撫でてくれた。
自分で納得するのはまだ難しいけれど、でもそうやって褒められるのはやっぱり、嬉しかった。
きっとこういうことだ。
こうして肯定して、受け入れてくれる味方がいる。
それが自分の心の支えになる。それが、大切なことなのかもしれない。
恋と能力を手放さない選択をした陰山さんは、これからも誰にも気付かれない日々を過ごすことになる。
その能力はきっと、仕事とプライベートを分ける朝陽さんの、煌びやかなアイドルとは対極的な、平穏で誰の注目も浴びない日常を過ごしたいというような、そんな願いから生まれたものだと思われる。
けれどそんなひっそりとした人生の中で、大好きなHIMEには見つけてもらえている。その事実が陰山さんをきっと支えてくれる。
アイドルとオタク。その関係が、決して発展しないものだとしても、きっと。
私はそう、信じたい。願いたい。
「さて、一皮剥けて立派になった柑夏ちゃんに、今回もご褒美をあげましょう」
ひとしきり私のことを褒めてくれた後、香葡先輩は改まって言った。
「嬉しいですけど、私、今回は……」
「だからいいってば~。柑夏ちゃんは本当に遠慮しいだなぁ。頑張った人には、ちゃんとご褒美を受け取る権利があるのですっ!」
どこか後ろめたい気持ちになる私に、けれど香葡先輩はグイグイとそう言う。
「ただそうだなぁ。柑夏ちゃんも成長したしぃ~。今回は、自分でとりに来てもらおうかな~」
「え、えぇ!?」
ニヤニヤとしながらそんなことを言う香葡先輩に、自分の顔が熱くなるのを感じる。
けれどそんな私の動揺を楽しむように、香葡先輩は自分の唇を指でトントンと差した。
「ほら、おーいで」
薄い唇を綺麗に歪ませて、香葡先輩は微笑む。
私はそれに釘付けになってしまって。
感じた羞恥も動揺も、あっという間にどこかに行った。
両腕を伸ばし、下から香葡先輩の首に巻きつける。
そうやって先輩の頭を引き寄せて。垂れ下がる薄い茶髪の中に顔を埋めて。
私は香葡先輩の唇に、吸い付くように飛び込んだ。
週が明けて月曜日の放課後のこと。
私はようやく香葡先輩にことの次第を報告をした。
あの時の自分の行動や決断にはやっぱり自信が持てなかったし、その後の陰山さんのことが気になっていた。
本当はもう少し経過を見てから話そうと思っていたのだけれど、先ほど陰山さんがもう一度私に会いにきた。
その時に聞いた話で、この件はひとまず区切りにしていいと思えたんだ。
相変わらず、私の是非について怪しいと思いつつも。
「そっか。とっても頑張ったんだね」
顛末を聞き終えると、香葡先輩はそう言ってとても嬉しそうにニコニコと笑った。
太ももに乗る私の頭を撫でる手が、心なしか軽やかだ。
「でも、李々子ちゃんはかなりの決断をしたね。大切な人を守るために、ある意味自分の全てを捧げるようなものだよ。自分の存在感が消えたままでも、その努力に気付いてもらえなくても、守り続けるなんて」
「はい。その覚悟は、とても立派だと思いました。少し、自己犠牲が過ぎるくらいに」
私は頷きつつも、どうしても不安を隠すことができなかった。
彼女の献身的な奉仕の精神は、一見美しいようで、けれどいちファンの立場としては過剰だとも思える。
陰山さんの意思を尊重すると決めたけれど、完全に同意できるかといえば怪しかった。
「それに、守るとはいってもそれは結局、ストーキングを継続するという意味でもありますし」
「うーん。それは確かにグレーゾーンだねぇ」
香葡先輩は苦い顔をしつつ、けれど面持ちは軽い。
私ほど心配していないというよりも、そんな陰山さんの選択が興味深い、といった雰囲気だ。
「まぁやっぱり褒められたことではないけれどね。他のストーカーや、危害を加えるような人たちからHIMEちゃんを守るっていう強い意志があるなら、迷惑になるようなことはしないんじゃないかな」
「そうだといいんですが。陰山さん、深く潜り込むところがあるので……」
守るという意志が強過ぎるあまり、その行動そのものも過剰になってしまわないかが不安だ。
ミイラ取りがミイラにならなければいいのだけれど。そもそもミイラの気があるので、可能性があるところが怖い。
「うん、柑夏ちゃんの気持ちもわかるよ。ただ一番引っかかってるのはやっぱり、姫莉ちゃんがHIMEちゃんじゃない可能性が高いってところじゃない? そこが食い違ってたら、李々子ちゃんの覚悟は空振りになっちゃうわけだしねぇ」
「はい、全くその通りです。ただ、その点に関しては……」
目を細めて一番の核心を突いてくる香葡先輩。
私の心境を完全に見透かしているその言葉に頷きながら、私は続けた。
「実は今日のお昼休みに、朝陽さんが陰山さんを訪ねに来たそうなんです」
「ん? え!?」
疑問と驚きを混ぜこぜにして目を丸くする香葡先輩。
その反応は、それを聞かされた先程の私と全く一緒だった。
「そこで言われたそうです。『この間は助けてくれてありがとう』って」
「え? ちょっと待ってちょっと待って!? どういうこと? 全然わかんない!」
頭の上にたくさんのはてなマークを浮かべ、香葡先輩は首を傾げる。
それもまた、さっきの私と同じ。
そんな先輩に、私は更に続きを口にする。
「それに、『いつも応援してくれてありがとう。ファンのことはちゃんと見てるよ』と……」
「え、えッーーーーーー!?」
まるで後退りでもするように体をのけぞらせて驚きを表現する香葡先輩。
とてもいいリアクションにちょっと気持ちよくなる。
けれどその驚きようは、やっぱり先程私が味わったものだった。
「え、なに? どういうこと? 結局姫莉ちゃんは、HIMEちゃんで合ってたってこと!?」
「そういうことに、なるようです……」
俄には信じられなかった私だけれど、流石に陰山さんがそんな嘘をつくとは思えない。
それに、さっき私にそれを報告しにきてくれた彼女の興奮の程を見れば、実際に起きたことだと察するのは容易だった。
ここへ来る前、春日部さんにもその事実は共有して、彼女もやっぱりかなり驚いていた。
でもそれを踏まえた上での彼女の見解は、強固な情報統制が敷かれていたんじゃないか、というものだった。
あれからも春日部さんは聞き込みを進めていたようだけれど、その中でわかったのは、朝陽さんは初等部からこの紫陽花学園に通っている古株だということ。
幼馴染である王子もまたそうで、そしてこの学園にはそういった初等部からの生え抜きはやっぱり一定数在学している。
朝陽さんの周囲では特にそんな古くからの友人が多いらしく、その友達たちががっちりと情報を漏らさないようにしていたんじゃないか、というのが春日部さんの予測だった。
HIMEが仕事とプライベートをしっかり分けたいタイプだったということを考えると、古くからの仲のいい友人たちがそれに協力し、朝陽 姫莉としての生活を守っていた、というのは考えられる可能性ではあった。
もちろんただの予測、想像にすぎないけれど。
でも朝陽さんがHIMEであることがほぼ確実になったことを考えると。
春日部さんほどの情報網に話題が入ってこなかったのは、そういった経緯くらいしか考えられない。
「で、でもさ。どうして姫莉ちゃんは、この間李々子ちゃんが助けたことを知ってるんだろう? だって、柑夏ちゃんですらその時の様子は見えなかったんでしょ?」
「はい。確かにそこは疑問なんです。ただ朝陽さんの言葉を受けてみると、思い当たるのは……」
「『ファンのことはちゃんと見てるよ』……?」
私の言葉の続きを拾い、香葡先輩はまさかと目を見開く。
「もしかして、アイドルとしてファンにしっかりと向き合っていたHIMEちゃんには、李々子ちゃんが視えてたって、こと?」
「理屈は全く通りませんが、何となくそういうことなんじゃないかと」
自信はないけれど、私はそう頷いた。
朝陽さんの言葉は、ライブイベントなんかでアーティストが遠くの席の観客に言うような、一体感を生むためや、ファンサービスのための、そんなもののようだ。
けれどそれを言葉通り、プロのアイドルとして彼女が本気でファンに向き合っていた、と捉えるのならば。
理屈やルールを超えて、熱烈なファンである陰山さんのことが視えていた、とも考えられる気がした。
これはあくまで、とても感傷的なものの見方だけれど。
「はぇ~。プロだぁ~」
香葡先輩は驚きすぎて、そんな力の抜けた感想をこぼした。
無理矢理に理屈を考えるのなら、あの時陰山さんが「ヒメリン」と叫んだ言葉が、朝陽さんに呼びかけたものとして彼女に届いていたのかも、というところ。
通常時は彼女が発する音は誰にも聞こえないけれど、意識して呼びかければ声だけなら届く。
あの時の陰山さんの湧き立つような思いが、朝陽さんには聞こえたのかもれない。
そして、朝陽さんの間近に迫っていた不審者を突き飛ばす際、陰山さんが彼女にわずかに触れていた、とか。
僅かながらも朝陽さんは陰山さんの姿を視認して、不審者を撃退するところを見ていた。
だからこそ、自分を助けてくれた人が誰なのかわかった。
陰山さんとは一度だけだけれど関わっているし、彼女は体格のせいもあって見た目の印象は強い。
自身のファンだとも認識していただろうから、判別は難しくなかったと思われる。
こんなのは無粋は考え方だけれど。
でも何にしても、陰山さんが気付いてもらえたことは確かだ。
「うん、でもよかったね! 李々子ちゃんはちゃんと報われたんだ!」
驚きをゆっくりと消化した香葡先輩は、そうやってにっこりと笑みを浮かべた。
「はい。何というかものすごく、結果オーライという感じですが……」
私は頷きながら、けれど自分の中で解決できていないモヤモヤを吐き出す。
「正直今回の私は、何一つ正しいことができなかったと思っています」
「どうして?」
「私は結局、陰山さんに必要なことを何も言えませんでした。彼女に賛同することも、否定することも。助けることも、止めることも。私はただ、そこにいたけだった」
本来なら私は、そもそもあの時の尾行を受け入れるべきではなかった。
不審者に飛び出していく彼女を止めるべきだったし、叱るべきだった。
これからも危険に飛び込もうとすることを、ストーキングを続けることを、諌めるべきだった。
あるいはその全てに、もっと協力するべきだった。
でも何もしなかった。私はただ、隣に居ただけだった。
「結果的に、陰山さんは諦めていたものの多くを、失わずに済みました。HIMEにまた会えて、彼女を守ったことにも気付いてもらえて。恋こそ叶ってはいませんが、でも陰山さんはきっと報われている。でも、そうならない可能性の方が、ものすごく大きかった」
その時の陰山さんは、全てを失っていたと言っても過言ではない。
私はそんな彼女の無謀な選択に、ただ無力に頷くことしかできなかった。
「私は、陰山さんに何もしてあげられませんでした」
「そんなことないよ。だって柑夏ちゃんはちゃんと、李々子ちゃんの味方でいてあげたんでしょ?」
項垂れる私に、しかし香葡先輩は優しく笑みを浮かべる。
「ちゃんと李々子ちゃんの気持ちに寄り添って、難しい選択をしたその意思を尊重した。それはね、簡単なことじゃないよ? だって普通はそんなの、絶対止めるし。もしくは余計な口出しをして、ややこしくしちゃったりね」
香葡先輩はニコニコしながらそう言って、私の鼻をツンと指で突いた。
「柑夏ちゃんが李々子ちゃんのことをいっぱい考えて、味方でいようとしたからこそ、安心して無謀に身を置くことができたんじゃないかな。確かに、普通に考えたら柑夏ちゃんの判断は正しくないかもしれないけど。でも私は、間違ってもいないと思うよ」
「香葡先輩……」
今回のことに正解はない。前に香葡先輩はそう言っていた。
完璧はない、ベストはない、こうするべきはない。間違いも、ない。
だったら私の選択もまた、そうなのだろうか。
「それに、もしこういう結果になっていなくたって、李々子ちゃんは後悔していなかったと思うよ。自分の意思を貫く選択をして、それを柑夏ちゃんが肯定してくれたんだから」
「それは今後、もういいことが何もなくて、苦しむことになっても、でしょうか」
「うん。だって李々子ちゃんには、認めてくれた人がいるんだからね」
そう言って香葡先輩は、「ちゃんと先輩できたね」と私の頭を撫でてくれた。
自分で納得するのはまだ難しいけれど、でもそうやって褒められるのはやっぱり、嬉しかった。
きっとこういうことだ。
こうして肯定して、受け入れてくれる味方がいる。
それが自分の心の支えになる。それが、大切なことなのかもしれない。
恋と能力を手放さない選択をした陰山さんは、これからも誰にも気付かれない日々を過ごすことになる。
その能力はきっと、仕事とプライベートを分ける朝陽さんの、煌びやかなアイドルとは対極的な、平穏で誰の注目も浴びない日常を過ごしたいというような、そんな願いから生まれたものだと思われる。
けれどそんなひっそりとした人生の中で、大好きなHIMEには見つけてもらえている。その事実が陰山さんをきっと支えてくれる。
アイドルとオタク。その関係が、決して発展しないものだとしても、きっと。
私はそう、信じたい。願いたい。
「さて、一皮剥けて立派になった柑夏ちゃんに、今回もご褒美をあげましょう」
ひとしきり私のことを褒めてくれた後、香葡先輩は改まって言った。
「嬉しいですけど、私、今回は……」
「だからいいってば~。柑夏ちゃんは本当に遠慮しいだなぁ。頑張った人には、ちゃんとご褒美を受け取る権利があるのですっ!」
どこか後ろめたい気持ちになる私に、けれど香葡先輩はグイグイとそう言う。
「ただそうだなぁ。柑夏ちゃんも成長したしぃ~。今回は、自分でとりに来てもらおうかな~」
「え、えぇ!?」
ニヤニヤとしながらそんなことを言う香葡先輩に、自分の顔が熱くなるのを感じる。
けれどそんな私の動揺を楽しむように、香葡先輩は自分の唇を指でトントンと差した。
「ほら、おーいで」
薄い唇を綺麗に歪ませて、香葡先輩は微笑む。
私はそれに釘付けになってしまって。
感じた羞恥も動揺も、あっという間にどこかに行った。
両腕を伸ばし、下から香葡先輩の首に巻きつける。
そうやって先輩の頭を引き寄せて。垂れ下がる薄い茶髪の中に顔を埋めて。
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