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第2話 チャイルド・メロン

2-7 チャイルド・メロン

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「それで? 優勝、したの!?」

 翌日の月曜日の放課後。
 部室にて私の報告を聞いた香葡かほ先輩はそう言って目を輝かせた。
 太ももの上に乗せる私の頭に覆い被さって、まるで喰らいつくように。

「いいえ、残念ながら。というか、自分で言ったその次の試合であっさり負けてしまいました」
「あっちゃ~。それはそれは……。ドラマみたいに綺麗にはいかないか」

 まるで自分のことの様に残念がって天を仰ぐ香葡先輩。
 そんな姿に、私は同意しつつ肩をすくめた。

 とはいえ、実のところは何かを賭けるような大きな大会ではなかったらしい。
 大会という形式はとっていたけれど、その実態は地域のバスケットボールをする少年少女の交流会のようなものだったとか。
 チームの実力差もかなりまちまちで、参加することに意味がある、みたいな。

 だからよく聞く甲子園に行けたらとか、全国大会で優勝したら、みたいな威厳はなくって。
 もちろんそんなことは二人ともわかりきっていたことだろうけど。
 でもだから、いつでも挽回できるような、そんな条件だったということ。

「じゃあ結局、二人は付き合わないままってこと?」
「そうですね。約束してましたから、流石に負けては格好つかなかったんでしょう。まぁ、本当に優勝したからといって、じゃあ付き合いましょうとなったかは怪しいですが」

 私が苦笑いをすると、香葡先輩もそうだよねと頷いた。
 あの場では待つと答えた児島さんだったけれど、だからといって勢いに乗せられて、今までの思いを全て吹っ切ったわけではなかったはずだ。
 でも大野さんの想いを受け取って、気持ちが変わったのは確かなようだったけれど。

「でもその後、大野さんが試合に戻った後、児島さんに謝られたんです。能力と恋を消すのは、やっぱり取り消させて欲しいって」
「じゃあ甜花てんかちゃんは、自分の問題に向き合うことを選んだんだね?」
「はい。『待つって言っちゃったから』って、強がったこと言ってましたけど」

 今はまだ、その気持ちを成就させることも、関係を進めることも難しい。
 でも今すぐじゃなければ、五年後や十年後、もっと先を見据えれば、障害がなくなる時は必ずやってくる。
 それまで待つと、児島さんは言った。

「二人に隔てるものがなくなって、大野さんがまだその気持ちを持っていて。そしてそれが確かなものだった時、自分が気持ちを失ってたら格好つかないからって。相変わらず、見栄を張ってました」
「そっかそっか。でも、その見栄は甜花ちゃんにとって必要なものなんだろうね。だって、小鞠ちゃんの方が何枚も上手なんだもん」

 まさか跪いて告白するとは思わなかったよー、と香葡先輩は楽しそうに笑った。
 確かにそうだった。大野さんは児島さんのことをお姉さんだと慕っていたけれど、でも彼女の方がいつだって児島さんを圧倒していた。
 でもそれでいいんだろう。あの二人には、それがいいんだろう。

「まぁでも、それだけ強い意思ができたなら、能力のコントロールもできそうだよね」
「だといいですが。でもこの場合、ガールズ・ドロップ・シンドロームは解消されるということにはならないんでしょうか? 恋そのものが成就したとはいえなくても、叶わぬ恋とは言えなくなったような気がしますけど」
「うーん、どーだろうなぁ」

 私の疑問に香葡先輩は眉を寄せた。

「甜花ちゃんのケースの場合、叶わぬ恋たらしめたのは、彼女自身が叶えてはいけないと思っていたから、だと思うんだよね。今回のことでその自制がかなり緩んだとはいっても、ちゃんと身を結ぶまでは完全にはなくならないんじゃないかな。そう考えると、一度罹ったガールズ・ドロップ・シンドロームが解消するところまでいくかは、ちょっと怪しいと思う」
「そういう、ものですか……」

 そう全てが上手くいくものではない、か。
 児島さんが待つ覚悟を決めたとはいえ、実際その時が来るまで不安が残るのは当然のこと。
 その不安はやっぱり、迷いを生むわけで。そこに恋の病はしがみつく。
 児島さんは待つ辛抱と同時に、身体の問題とも戦い続けなきゃいけないんだ。

 彼女のあの能力は、大野さんの子供らしくありたいという思いから来たのだと考えられる。
 年相応の、小さく可愛らしい女の子でいたかったと。
 同時にまさに子供らしく、早く大人になりたいとも思っていただろうし、それが縮小だけではなく拡大の性質も与えた。
 そんな悩みが児島さんと逆転するというのが、ちょっと皮肉のように思う。

「でも、異能力のパワーは落ちるかもね。そう考えれば、よりコントロールもしやすくなるだろうし、悩みは大分軽減されるんじゃないかな」
「そうですね。そうだと、いいです」

 せっかく関係性が良好に進んでいるのに、能力が暴発して大野さんに怖がられたり嫌われたりしたら可哀想だ。
 まぁ大野さんの場合、その辺りも包み込んでしまいそうな気もするけれど。

「まぁ何にしても、落ち着くところに落ち着けてよかったんじゃない? 私はなんだかんだ、最終的には甜花ちゃんの能力と恋を消してあげることになるんじゃないかと思ってたよ」
「私もです。でもその前に気持ちを整理させなきゃと思っていたら、まさかあんなことになるとは……」
「子供はパワフルだよねぇ。私なんかじゃ、その気持ちは全然測れないよ。いや~、若いっていいねぇ~」

 香葡先輩はそうカラカラと朗らかに笑う。
 そんなことは言っているけれど、でも先輩が先日語っていた可能性には、ちゃんと想いが通じ合うという見立てもあった。
 そこに至る展開は予想外だったけれど、なんだかんだと香葡先輩はちゃんとそういったパターンも見据えて、私に教えてくれていた。

 ただ正直な話、まだ子供である大野さんの気持ちがどれだけ本気かはわからない。
 それは児島さんも言っていた。もし今後あの子の気持ちが変わってしまったとしたら、それは甘んじて受け入れると。
 子供だからと侮っているわけではなく、これから多くのことを経験し、多くの出会いをするであろう大野さんには、まだ無数の可能性があるということだ。
 今は揺るがないつもりでも、それを上回るものが現れるかもしれない。

 でも私は、大野さんの気持ちはかなり強いと感じた。もちろん希望も混じっているけれど。
 普段は大好きなお姉さんに散々甘えていた彼女が、あの時は格好つけて、大人っぽく振る舞おうとして、真っ直ぐに想いを伝えていた。
 それは、大野さんにとって遥かに大人な児島さんに少しでも近づこうと、対等に見てもらおうとする、そんな意思の表れなんだろう。
 だからきっと大丈夫だと、私は思う。

「それにしても柑夏かんなちゃん、今回はよく頑張ったねぇ」

 香葡先輩はそう言って、とても優しい笑顔で私を見下ろした。

「逃げずにちゃっと向き合って、二人の気持ちに寄り添った。偉いぞ」
「いいえ、私は……。今回何もできませんでした。ただそばでオロオロしていただけで」
「そんなことないよ。柑夏ちゃんがいたから、二人はわかり合えたんだから」

 今回の自分の行動に全く自信のない私の頭を、香葡先輩は優しく撫でてくれる。

「そもそも私たちにできることなんて全然ないんだよ。ガールズ・ドロップ・シンドロームに対処する協力はできるけど、彼女たちが待つ悩みに立ち向かえるのはどうしたって本人だけ。私たちはただ話を聞いて、側にいてあげることしかできない。でも、それでいいんじゃないかな」

 笑顔で、けれどか切なげな香葡先輩の瞳。
 儚くて、でも揺るがなくて、美しい。

「私たちは結局、野次馬みたいなものだけど。でも、誰にも言えないような話を聞いてあげられる。時にはちょっとアドバイスくらいはできるかもだけど。それでいいんだよ。悩んでいる人には、それが大切なんだよ」

 叶わぬ恋はその大半が人には言いにくいものになる。
 そしてそこに奇怪な異能が絡むことで、悩みはより明かせなくなる。
 そこに触れてあげられるだけでも、私たちには、私には、意味があると思っていいんだろうか。

「だから、今回柑夏ちゃんは頑張ったよ。いっぱい考えて、一番いいと思ったことをした。それが二人を繋げたんだもん」
「でも、それが本当に良かったことなのかは、未だに自信がなくて……」

 どんな結果になろうとも、最終的には能力と恋を消すことがベストだった。その可能性は大きい。
 未だくよくよと眉を寄せる私の眉間を、香葡先輩は指で撫でて広げた。

「わからないね。きっと誰にもわからない。だからそれは、二人を信じてあげよう。これが良かったって、そう思わせてくれるってね」
「……そう、ですね」

 個人的にも、社会的にも難しい恋をしている二人。
 その障害は大きく、そして長い。
 二人が真剣であればあるほど、非難の声が上がるかもしれない。
 それでも結ばれることが二人を幸せにするのだと、彼女たちがそれを証明してくれることを信じよう。
 私にできることは、もうそれだけだ。

「じゃあ今回も、頑張った柑夏ちゃんにご褒美だ」

 私が気持ちに整理をつけていると、香葡先輩はそう微笑んだ。

「え、でも……。私、今回は……」
「頑張った人にはご褒美。欲しいでしょ?」
「……はい」

 それでもやっぱり、ご褒美を受け取る資格はないと思っていたけど。
 香葡先輩の綺麗な顔に間近に見下ろされては、肯定するしかなかった。

「素直でよろしい」

 そう囁く唇で、香葡先輩は私の口を塞ぐ。
 甘く柔らかな交わりに、私はただ溺れた。
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