死が二人を分かたない世界

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魔界編:第15章

コーヒーと白い犬

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 魔界に戻って現世から連れ帰った二人から話を聞くべく、僕はハルキさんの元へ直行した。
 尋問という形ではなく、不満や愚痴を気軽に言って欲しくて、絶対防音の部屋を借りるためだった。

 ハルキさんの同席も遠慮してもらったおかげか、二人は意外と素直に話してくれたんだけど……思いのほか話が盛り上がってしまった。
「疲れた……」
 人の話を長時間聞くのってしんどいんだなぁ、なんて思いながら、とっくにユキが帰ってきているであろう時間での帰宅になってしまった。

 ただいまーと扉を開けると、フワッと香るコーヒーの匂い……!
 もしかしてユキが淹れてくれたの!? そう思ったら居ても立っても居られなくなって、慌てて靴を脱いでリビングの扉を開ける。
「真里、おかえ――ッッ!!!??」
 マグカップを2つ持ったユキの目が見開かれて、声にならないひきつった音が喉を鳴らし、手に持っていたマグカップが両方ともガシャーンと床に落ちた。

「えっ! えっ!? ユキ!?」
 一体今何が起こった!? ユキが何に驚いたのかも分からないけど、なによりユキが淹れてくれたコーヒーが全部床にぶちまけられてるのが、すごくショックだった。
 せっかく積極的に飲食に誘ってくれているこの状況、それを喪失したことが一番悲しい……。
 もったいなくて、でもさすがに床を舐めるのはダメだろうと思い至って、実行には移さなかった。

「どうしたの? そんなに驚くなんて」
 床のコーヒーから視線を上げてユキの顔に移すと、その顔は驚きに目を見開いたまま、ただ表情は硬く、少し怖いくらいだった。
「ユキ!? 本当にどうし……っ!」
 言い終わる前に少し乱暴に抱き上げられて、すぐ近くのソファーへと落とされた。

 直後ズボンに手がかかって、グイッと骨盤の下あたりまで下ろされて……! いきなり!? 今そんな雰囲気じゃなかったよね!?
 ……と、混乱はするけど、ユキから真面目な顔をして押し倒されるとどうしてもドキドキしてしまうから、好きにしてくださいって気持ちで目を瞑る。
 いつもならそこからキスされる流れなのに、待っていても唇が触れる気配がない。
「なんで、こんなところに椿の魔力が……?」
 ユキがおへその辺りに真剣な眼差しを向けて、おそるおそるといった風に撫でてくる。

「あ、それは……」
「まさか、犯されたんじゃ!?」
「はい?」
 何を言ってるんだ、この人は。
 感情がそのまま口から出てしまった。
「椿に犯されたのか!?」
「何言ってんの、椿は君の妹だろ」
 なんだか泣きそうな顔になってきたユキの肩を、半分呆れながら片手でぐいーっと押しながら体を起こした。

「こんな腹の奥深くに魔力があるなんて、一番奥まで……!?」
「椿は女の子でしょ!」
「アイツなら生やしかねないだろ」
 う、うーん? 確かに、ユキも性転換できると言っていたし、椿もできるのかもしれないけど……?
 椿が男の子になったら、余計にユキに似るだろうな、そんな二人が並んでたら、僕にとってはハーレムというか……いや、今はそんな楽しい妄想をしてる場合じゃない。

「これは、現世で椿が作った食べ物(?)を食べて、魔力を取り込ませてもらったんだ」
 厳密には丸呑みさせられたから、中に入っていたものが食べ物なのかは定かじゃないけど。
「取り込ませてもらった? 何のために?」
「椿の魔力で、ユキに憑いてる犬神との親和性が上がるって聞いて……君にもし何かあった時、少しでも早く側に行けるでしょ?」
 ユキの綺麗な黒髪を指で梳きながら、その白い頬を撫でた。
 覇戸部に襲われた時みたいな事が、今後起こらないとも限らない。そんな時に、何よりも早くユキの元に行けるように。

 頬を撫でた手を、そのまま首の後ろに回して引き寄せた。ユキが唇を寄せてきたけど、それには構わずそのままユキを両手で抱きしめた。
「君を守るのも、支えるのも、側にいるのも、全部僕が一番になりたいんだ、独占欲だよ」
「それならまぁ、文句はないが……さすがに妬ける」
 犬耳が少し下がって、頬を寄せながら両腕で頭を抱き抱えられると、可愛いと愛しいと嬉しいで頭がフワフワする。
「帰ってくるのも遅かったし」
「ごめんね? 心配させちゃったよね」
 インカムの位置情報で僕が直轄領にいることはわかっていたはずだ。心配していたのに僕を信じて待っていてくれた、もっと言うなら気遣ってコーヒーまで淹れてくれたのがいじらしくて、愛しくて、そしてやっぱり喪失してしまったコーヒーが惜しかった

「ユキが淹れてくれたコーヒー……飲みたかったなぁ」
 ユキが服の中に手を入れてきたところで、ダメ元でボソッとつぶやいてみた。
「帰りが遅い僕のために淹れてくれた、ユキのコ~ヒ~……」
 我ながら恨みがましいとは思うけど、諦めきれなかった。
「ククッ、わかったわかった、淹れ直そう」
 ユキがたまらないとばかりに笑いながら、僕の上から体を起こして、指をくるくる回したかと思ったら、床に散らばったコーヒーとマグカップの破片が宙に浮く。
 そのままユキが手を払う仕草をしただけで、宙に浮いていたそれらはゴミ箱の中に吸い込まれていった。

 相変わらずの魔力操作に思わず見惚れる、何でもない動作だけど床にこぼれた液体、ましてや絨毯に染み込んだものまで綺麗にとってしまうのは妙技だ。
 見た目よりずっと繊細で難しい魔力操作が必要なことを、僕はもう知っている。
 そして、その指先がマグカップを掴むように動いたかと思うと、もうその両手の中にはコーヒーの入ったマグカップが握られている。
 僕なんかはコーヒーを淹れるならドリッパー、お茶を淹れるなら急須が目の前にあったほうが生成が安定するんだけど、ユキはそういったものを一切使用しない。

「ほら」
 そう言って受け取ったマグカップは、ユキのが黒で、僕のが白だ。
 カップの中はユキがブラックで、僕のものは砂糖とミルク入り……ブラックコーヒーが飲めない僕のために最初からそうして作ってくれている、やさしさに胸がぎゅうっと締め付けられる。
「ありがとう、すごくいい香りだね!」
「そうか? 普通だろ」
 少し照れたような言い方をするユキだけど、本当にいい香りがする! ハルキさんやカズヤさんが淹れるのより、ずっといい香りがすると僕は思う。
 口に含めばコーヒーの香ばしさと、ミルクと砂糖の甘味……それに大好きな人の魔力の味がする。
 砂糖の甘味とは違う、どちらかといえばうま味のような独立した味覚、この甘美な甘味に抗える悪魔なんていない。

「あぁ、美味しい……」
「よかった」
 甘くて、美味しくて、そして少しだけ官能的な味。今日起こったこととか、緊張してたこととか、全部吹っ飛んでいくみたいだ。
 隣に座るユキに体を預けて、コーヒーを飲みながらその顔を見上げると、ユキが優しく微笑みながら抱き寄せてくれる……あぁ、幸せだぁ。

「そういえば、犬神と親和性が上がると言っていたな」
「うん、椿はそう言ってたね」
「じゃぁ、これくらいでも見えるか?」
 ユキがそういった途端、その周りに黒い霧が表れ始めて……!
 黒い霧の中からぼんやりだけど、白い犬だと識別できるものが現れた。
「白い……犬」
「お、色まで見えるようになったか、本当に効いているみたいだな」
 以前見たときは黒い霧状の大きな犬で、威嚇もされたからちょっと怖いなって思ったんだけど……今日は、はっきりと犬だとわかるような見た目をしている。

 チリン……。

 その時、小さな鈴のような音が聞こえた。

 チリン、チリン……と何度か鳴ったかと思ったら、白い犬が僕の顔に鼻先を近づけてきて……。
 好意のようなものを伝えられたかと思ったら、黒い霧とともにフッと消えた。
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