死が二人を分かたない世界

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魔界編:第14章

穏やかに

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 ユキはあれから二人だけの時は、ますます甘えるようになった。
 すぐに僕を膝に乗せたり、抱きしめてきたりするのは同じだったけど、前よりたくさん僕の胸にすり寄って来るのが、頭や髪を撫でて欲しそうに見えて可愛かった。
 外に向ける顔は相変わらず凛々しくカッコよくて、有事の時にキリッとした顔を見せるユキが、僕の前ではすごく可愛くなってしまうのがたまらない。

 だから僕も二人きりの時は、好きだよ、可愛い、もっと愛したいってたくさん伝えた。
 その度にユキは肩をすくめて、少し照れの混じったくすぐったそうな可愛い顔で笑うから、毎度心臓をわし掴みにされている。
 そんなユキを見ていたら、前々から感じていた僕に対する遠慮や後ろめたさはだいぶ和らいだように見えて、僕からもユキへの遠慮がなくなってきた気がする。

 おかげで欲が出てきていて、もっと触りたいし、もっと知らない顔が見たい……できれば僕の手でもっと可愛がってみたいと思ってしまっている。
 きっとこんな欲望もバレてしまっているんだろうな……なんて思いながら作業を進めていると、気づけば見たこともないような奇怪なサンゴを生み出していた。
 色は真っ黒で、柔らかそうな見た目に、どことなく犬耳を思わせる2つのとがった形をしていた。これはサンゴじゃなくて、もうオブジェだ。
 そもそも生き物を生み出すことは出来ないから、今作っている水槽のサンゴも海藻も、これから作る予定の魚たちも、全部オブジェなんだけど。

 さすがに作り直すべきか? と悩んで、犬耳の形に見えるそれがかわいらしくて壊す気になれない。
 今の僕は2つ三角っぽいものが並んでいるだけで、きっと全て犬耳に見えるし愛しく見える自信がある。
 よく見るとすでに作っていた岩のレイアウトも、犬耳に見える場所がたくさんある気がする。
「重症だ」
 自覚もある。

 これじゃあ完全に僕の趣味じゃないか。ユキを喜ばせたくて作っているのに、こんなにもユキ大好きを全開放した水槽を見せていいのか? いや、喜ぶかも? 少なくとも僕がユキの事ばかり考えているのは伝わりそうではある。
 案外悪くない……なんて思考になり始めたあたりで、一人で作っていると暴走することが分かった。
 客観的に見てくれる人の意見が欲しい。またハルキさんの視察に来てもらおうか? しかし、あの人は僕の好きに作ったらいいとしか言わない気がする。

 もっとハッキリと意見をしてくれる人に見てもらいたい。そんな事を考えていると、突然後ろから声をかけられた。
「何かお困りですか?」
 びっくりして振り向くと、知らない人がそこに立っていた。
 僕はまだガラスを入れていない水槽の内側で作業していたので、その外側にその男は居た。

 ハルキさんは青みがかった薄めのグレーのスーツを常用しているけど、この人はそれをくすんだ薄緑にしたような色味のスーツを着ていた。服装規定などないこの魔界で、スーツの集団といえばハルキさんの部隊と決まっている。
 ただ、この人が他の人と特別違ったように見えたのは、中折れ帽をかぶって、右手に杖をついていたからだ。
 帽子の下から覗く口元や肌の感じから決して若くないと思った。それでも全体から感じる雰囲気より老いてない……せいぜい40代だろう。

 まぁ、この世界の見た目年齢なんて実年齢とは関係がない。僕よりどう見ても年下に見えるルイさんは38歳だし、僕の愛しい人は千歳を超えている。
 死んでそう年月の経っていない、年齢と見た目が同じ僕の方が数としては珍しいんだから。

「あの、あなたは?」
「失礼、自分はヤナギと申します」
 やっぱり名前にも聞き覚えがなかった。いつもこの周辺を警護してくれている三人とは違う。
「今日は先輩が休みなので自分が」
 そう理由を説明してくれて納得した。毎日のように僕に付き合ってくれている彼らにも、当然休日は必要だから。

 しかし、話しかけられたのは初めてだった。僕はそんなにも、誰かに助けて欲しそうな顔をしていたのか……。これ以上この制作中の水族館の存在を知る人を増やしたくない僕としては、願ったり叶ったりな人物が現れたと思った。

「すみません、人が近くに居るとは思わなかったので」
「自分は特に隠密を得意としているので、そう言っていただけると冥利に尽きます」
 そういえばこの前の連休中も、僕はハルキさんの部下たちが近くに居ることに気付かなかった。そんなハルキさんの部下の中でも、隠密が得意と豪語する人なんだから、気付かなくても仕方ないかもしれない。
 ただ、警戒しなければいけない郊外で、ここまで近づかれても気付かなかったなんて、無防備だったとちょっと反省する。

「それで、お困りのようでしたが」
「はい……実は」
 僕は思い切ってヤナギさんに、水槽内のレイアウトについて相談してみた。
 いたるところにユキをモチーフにしたようなレイアウトがあるみたいに見えて、おかしくないか? 違和感はないか? なんてちょっと恥ずかしい相談だ。
「自分にはそう見えないので、気にしすぎでは?」
 これ以外は……。と、さっき僕がうっかり作ってしまった珍妙なサンゴを指さして言うから、ハッキリと物を言うその人に思わず笑ってしまった。

「気にしている事とは違いますが、あの場所に一番上まで配置している岩は取り除いたほうがいいかと」
 そう言ってヤナギさんは水槽左端の大岩を指さす。下から上を見上げるようにしたとき、帽子の下の表情が見えた。
 細く鋭い目つきで、目の下には薄い隈が見えた。一見不健康そうで、不機嫌そうにも見えたその顔と目が合った。

 ヤナギさんは急いで帽子を目深に被りなおして、顔を伏せてしまう。
「人相が悪くて申し訳ない」
「えっ! いえそんな……もしかして、帽子はそれを気にして……?」
「恥ずかしい話ですが」
「僕の友人にも自分の目つきを気にしてる人がいるんで、むしろ親近感がわきます」
 ルイさんも目つきが悪いからって、いつもニコニコしているんだよなぁ。

「それであの岩は?」
「あの岩の場所、階段から見るには邪魔ではと……せっかく階を移動しながら水槽が見えるようにしているので、勿体ないと思いまして」
「あっ、本当だ!」
「自分が言わずとも気付かれたでしょうが」
「いえ、早めに気付けて良かったです、ありがとうございます!」
 あんな大きな岩を無くすとなったら、水槽内のレイアウトが大幅に変更になる。水槽が出来上がってから気付いていたら、修正が大変なことになっていただろう。
 
 感謝の気持ちを込めて、何度でも頭を下げたい気持ちでヤナギさんを見たら、先日覇戸部に壊されかけた魚の照明が目に入った。あれも気に入っていないもののひとつだ。
 ただ丸い照明に魚を数匹くっつけただけのようなその照明は、変に魚が可愛くなってしまって、小さい子供だったら喜びそうだけど、大人に見せる水族館にはそぐわない気がする。

 ヤナギさんを通り過ぎてその先の照明の場所まで行き、その球体に手を当てて注目してもらった。
「率直に、この照明どう改良すればいいと思います?」
「愛嬌があってよいかと、改良したいんですか?」
「もっと大人っぽくしたいんです!」
「なるほど」
 ヤナギさんは正直に和かに笑いながら、照明の場所まで歩いてきた。その歩き方は左足を庇うもので、この魔界では珍しい事だった。
 悪魔になってからの傷は、修復する気があれば綺麗に元通りになってしまう。
 つまりこの傷は生前からの物……それでも、悪魔になった体は不自由な部分を補強する術がある。だから、この世界では体を不自由にしている人は殆ど見かけなかった。

「お見苦しいところを、いざとなれば杖なんか使わずとも素早く動けるんですよ」
 これは自分のアイデンティティなんです、と至極明るくヤナギさんは言い放った。
「手を加えてもいいでしょうか?」
 そう帽子の下の表情を柔らかくしたヤナギさんに、なんだか自信のようなものを感じてお任せしたいと思った。
 本当は全部自分で作りたかったけど、僕の中にないデザインが見てみたい。
 期待の気持ちを込めて頷くと、その手元の魚の装飾は柔らかくなって丸い照明と一緒になってしまった。

 代わりに、錆色の細かな模様が浮いて出てくる。それは球体を沿うように水の流れを表現し、水面の合間に魚が泳いでいるのが見て取れるような……今にも動き出しそうな見事な透かしの模様が入った。
「う……わぁ!」
 思わず声に出た。あまりにも綺麗だった……完成した作品はもちろんの事、作るまでの工程までもが綺麗だった。
 職人、まさにそう呼ぶにふさわしいと思えた。
「ヤナギさん、もしかしてこれで生計立ててる人です?」
「昔、ちょっと小物を作っていただけですよ」
 そんな謙遜をするけど、出来は満足している様子だった。

「すごく綺麗です……僕、ヤナギさんの作ったものもっと見たいかも、作るところも見たい!」
 子供みたいにはしゃいでしまったけど、興奮が抑えられないほど感動した。素敵なものを目の当りにしたら、その気持ちはどうしても伝えたかった。

 ユキへプレゼントしようと思った指輪の構想として、僕の中で透かし彫りも候補に挙がっていた。ヤナギさんにアドバイスしてもらえば、僕は自分が作りたいものを表現できるかもしれない。
 そんな気持ちもあってヤナギさんを見ると、呆気にとられたような顔をして僕を見ていた。
「ヤナギさん?」
「――ッ! そんなまっすぐに褒められたのは久方ぶりだったので、すみません」
 照れるように帽子に手を当てたヤナギさんを見て、自分がはしゃぎすぎていた事を自覚した……恥ずかしい! 誤魔化すようにヘラッと笑い返すと、頭にポンと手が置かれた。

「君は、まっすぐでいい子だね」
 その声音も表情も優しくて、養父を思い出させるものがあった。
 まだ数カ月しかたっていないのに、ひどく懐かしく感じて思わず泣きそうになったのをグッと堪えた。

「また、ヤナギさんが来てくれた時はアドバイス貰えませんか?」
「自分でよければ」
 ヤナギさんに手伝って欲しい気持ちはもちろん本心だったけど、その懐かしい父のような人との縁を繋ぎたい気がした。
 快い返事を聞いて、僕は自分の周りの人とのめぐり合わせに改めて感謝した。
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