死が二人を分かたない世界

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魔界編:第8章 現世へ

存在の上書き

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 現世で神様とのわずかな逢瀬を終えて、魔王様はいつもの調子に戻っていた。

 いつもの重くて強い魔力のプレッシャーを感じるのだけど、魔王様という存在を前より理解できた気がして、少し前の僕では考えられないくらい怖いと感じなくなっている。

「魔界にお送りしますよ」
「うん、よろしく」
 いつもの感情の読めない口元だけ笑った表情で、魔王様がこちらを振り返る。
 僕とユキが魔王様の元へ近づくと、魔王様の気持ち上がっていた口の端がスンッと下がった。

 そんな表情をやっぱり怖いと思った瞬間……魔王様はまた、僕の胸を指で突いた。
「よく耐えるじゃないか」
「――っ!?」
 心臓が縮むようなプレッシャーに、声にならない声で息が詰まる。

 僕が怯えると、目の前にある手首がユキに掴まれて、引き剥がされて……!
「魔王様、俺もそろそろ怒りますよ」
「そんなユキも見てみたいね」

 僕のせいでユキが魔王様と対立するのは、それだけは避けなきゃいけない!
 そう思ってるのに……絶対の忠誠を誓う魔王様相手でも、僕を庇ってくれたのが嬉しいと思ってしまった。

「ユキ……」
 嬉しいとは思ったけど、それはそれでやっぱりユキが魔王様に反抗するのは良いことじゃない。ユキが今まで積み上げてきたものが、僕のせいで崩れるなんて事は、あっちゃいけないんだ。
 ユキの腕に手を添えて首を横に振ると、ユキが魔王様の手首を離した。
「楽しんで」
 クスクスと笑いながら、魔王様はユキの作った転移陣に踏み込んで、魔界へと帰って行った。

「水を差しといて楽しめって……」
「僕って遊ばれてるのかな?」
 やっぱり魔王様の事は、好きにはなれそうにない。
「魔王様には、俺から一度話をする」
 はぁ……とユキがため息をついて、僕の肩を抱き寄せた。
「庇ってくれたのは嬉しかったけど……ユキの立場が危なくなるのはダメだよ」
 ユキの腰辺りに手を添えて頭を預けると、ユキが僕の頭にコツンと頭を寄せてきた。

「……さて、俺たちはもう少しこちらにいる時間を貰ってるわけだが、どこか行きたいところはあるか?」
「うーん……」
 そう言われても、僕はここがどこなのかも分かってないし、土地勘なんてもちろん皆無だ。
 正直、天界の神様や天使長と会うってだけでいっぱいいっぱいだったし、こんな風に時間が作れるなんて思ってなかった。

「あぁ、そうか……真里は俺と行きたいところはないんだったな」
「えっ! そんな事……」
 言ってないって言おうとして……思い出した!!

「それって、僕がまだ生きてる時の話!? それを持ち出してくるのはズルくない!?」
「いやぁ、アレは結構傷ついたんだが」
「本心じゃないよ……」
 僕がまだユキに対して警戒している時に、一緒に行きたいところがあるのか? なんて、からかうように聞いてくるから……ムキになって、ないって言っちゃったんだよな。
 思えばあの時から、ユキが雪景と同一人物なんだって気づく前から……僕はユキの事、たぶん好きだった。

「あの時の真里はツンツンしてたな、アレはアレで可愛かった」
「もぉ、忘れて」
 恥ずかしくて口元を手で隠すと、ユキが僕の顎に手をかけて……あ、キスする……と、思った瞬間、少し遠くから人の笑い声が聞こえてきた。

 思わずバッとユキを引き剥がすように離れると、ユキは心底不服そうな顔をしている。
「同胞は近くにいないからいいだろう?」
「良くないよっ……だって、男同士だし」
 魔界は圧倒的な男率のせいか、意外と同性愛に関して寛容だ。道端でイチャつく男同士を見る事も、そう少ない機会ではない。

 けど、ここは現世で……やっぱり僕たちは奇異な目で見られる可能性があるわけで……!

「やっぱり、真里は男同士は嫌か?」
「ち・が・う! 今日はやけに気にするね? 僕が本当にそこを気にしてると思ってる?」
「……思ってないが、椿と楽しそうだったから」
 少しムスッとしてそんな事を言うユキに、僕は呆れるよりも、なんて可愛いんだ……なんて思ってしまう。僕も大概バカだ。

「自分の妹に妬かないでよ、君の妹だから可愛いんじゃないか……まさか、僕が椿になびくと思って内緒にしてたなんて事ないよね!?」
「それは……違うが」
 うーん、この反応は完全否定じゃないな。

「じゃあ、僕がどれだけ君のことが好きなのか……帰ったら教えてあげるから! あとどれだけ時間があるの?」
「あと1時間くらいだな……俺は今すぐ真里に口説かれたいんだが」
「――っ!! とりあえず、飛翔さんのアイス! コンビニ! さっき見つけたんだ!」
 甘えたそうな顔をされたから、気付かないふりをして歩き出した。僕はユキにお願い顔をされると、聞いてあげたくなってしまう!

「あぁ、帰るのが楽しみだな」
 後ろで可笑しそうに笑うユキの声が聞こえて、カァァッと顔が熱くなる気がした。

 歩いていると、遠目の景色に海が見えて……ふと、今朝見た夢を思い出した。
「あっ……水族館」
「ん?」
「ユキと、水族館に行きたいな」
 今朝見た夢はよく覚えてる、一緒にあの時の感情も思い出した。僕はユキと一緒に、水族館に行きたかったんだ。
 千年以上も前の話だから、ユキは覚えてないかもしれないけど……。

「あぁ、綺麗な魚がたくさん泳いでるところだろ?」
「……もしかして行ったことある?」
 僕じゃない人と行ったっていうのは、少し悲しい。それがわがままなのは分かってるけど……。

「ないよ、昔真里がそう教えてくれただろ?」
「――っ、覚えてるの!?」
「あぁ、特にあれは驚いたからな……夢に干渉されたのも初めてだったし、忘れられなかった」
 あぁ、どうしよう、さっきユキにダメだって自分で言ったのに……どうしようもなく、今抱きしめたい。

「うぅん、一時間じゃ……水族館を回るには短いよね」
「そうか、じゃあ今度ゆっくり来ような」
 感極まった気持ちをグッと抑え込んで、絞り出したのが今水族館に行けない理由なんて、情けない。
 そんな言葉にも、ユキが嬉しい返事をしてくれるから、ユキに最高の水族館の思い出を作ってあげたいなんて、思ってしまった。

「コンビニと……あと、ちょっと本屋に寄ってみたいんだけど、現世の本って魔界に持ち込める?」
「あぁ、申請すれば買ったものを魔界用に複製できる、手元に届くまで少し時間はかかるが……ちょうど近くに請け負っているところがあるぞ」
「じゃあ、今日はそれで終わっちゃうかな」

 少し歩くペースを遅くして、ユキの横に並んだ。
「本当は、僕だってくっついて歩きたいんだよ……?」
「キスしたい」
「ふふっ、帰ってからね」
 僕としては十分すぎるくらい、現世でイチャイチャ出来てるんだけどな。

「そういえば、なんとなく思ったんだけど……晃臣さんを勧誘に来たもう一人って、もしかして椿?」
「よくわかったな」
 つまり、晃臣さんの家にユキと椿が二人で押しかけて、晃臣さんを勧誘してたって事!?

「どうした? 眉間にシワを寄せて」
「羨ましいを通り越して、嫉妬してる顔だよ」
「フハッ」
 ユキがたまらず吹き出したように笑い出すけど、僕は大真面目だよ!
「二人して勧誘するほど、晃臣さんってすごい人なんだね……普通にお話しして良かったのかな」
「あー……アイツは特別だな」
 ユキがそんな風に言うから、余計になんだか落ち込みそうだ。ユキの特別は自分だけでいたいなんて、わがままにも程がある。
 自己嫌悪に陥って、はぁ……とため息を吐くと、ユキが焦るようにして僕の顔を覗き込んできた。

「特別って、そういう意味じゃないぞ!? 俺にとっての一番特別はずっと真里だからな!?」
「うん、嬉しい」
「あー……真里だから言うけどな、晃臣は前の天使長の転生者なんだ」
「えっ……!?」
 つまり、前任の天使長が転生して、また天使長になったってこと!?

「元天使長が悪魔になったら面白いなーなんて……ちょっと冷やかしに行っただけだからな?」
「う……うん」
 僕としては人の前世から、今生まで知っているユキと椿の方に、ただただ驚きだけど。千年も過ごしていれば、何度も同じ魂の転生を目撃することもあるのだろうか。

「前の天使長さんと、今の晃臣さんってやっぱり似てたりするの?」
「……それがなぁ、前の天使長の事はもうおぼろげにしか覚えていないんだ、結構仲良くやってたはずなんだがな」
「それは、時間が経ちすぎたから?」
「いや、そういうものなんだ……魂が新しい生を受けたなら、前の人格の記憶は上書きされていく。もちろん特別大切な人や、忘れたくない思い出は忘れないけど」

 そう言ったユキの表情は寂しさを感じさせて……今まで多くの魂の循環を見てきて、忘れてしまった人達へ想いを馳せているようにも見えた。

 僕とユキのどちらかが、もし何かの間違いで輪廻へ還る事になってしまったら……お互いを忘れてしまう可能性だってあるのだろうか。
 そんなの絶対に嫌だ、僕はユキを忘れたくないし、ユキに忘れられたくない。

 ユキが転生する事を怖がっていた気持ちが、今やっとわかった気がした。
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