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魔界編:第7章 パンドラの箱
強さの裏の弱さ
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『大勢が死んだ、里が一つ無くなってしまった』
たくさんの梅の花びらが池に浮いていた。
池のほとりで取り乱して、酷く顔をこすりながら泣くユキを、僕は必死で後ろから抱きしめることしかできなかった。
あれはいつだったか……ユキと僕が夢で会うようになってそう経たない頃だったはずから、たぶんまだ小学校に入る前。
一つ思い出せば、ユキの言ったことが繋がるように記憶が蘇る。
『崇めなければ祟る』
ユキを守る犬神の雪代は犬の祟り神、水害・洪水の化身だ。
『何人殺したか分からない』
そんな重責を当時六、七歳くらいの子供が背負っていたんだ。
思い出したら涙が溢れそうだった……もっとあの時支えてあげたかった。あの頃のユキに、今の僕が会いに行けたらいいのに……。
「真里!? なに、どうしたの!?」
資料に水滴が落ちないように、急いで袖で目元を拭った。
「ごめん、ちょっと……」
資料を閉じて聖華へ渡した。聖華に泣き顔を見られたくなくて顔を袖で覆ったけど、涙は溢れて止まらなかった。
百年前に恐れていたことが眼前に再現されて、ユキはどれだけ心に傷を受けたのか……そう思ったら胸が苦しくなった。
そしてその時も、やっぱり僕は側にいてあげられなかったわけで……不甲斐なさで心が押し潰されそうだ。
「……この事件の後、ユキは普通に過ごせてた?」
顔を隠したまま、出来るだけ心を落ち着かせるようにゆっくりと喋った。それでも少し声が震えてしまって、深呼吸して必死に取り繕った。
「しばらく姿を見せなかったから、魔王様から謹慎を命じられてるんじゃないかって……噂はあったけど」
そうか、一人で乗り越えたのか……。
ユキは強い、だからこそ誰にも頼れなかった……人に弱みを見せられない、見せてはいけない立場だ。
『俺が暴走したら、真里が止めてくれるんだろ?』
この言葉に、いったいどれだけの気持ちが込められていたんだろう。
絶対に止める。僕が側に居る限り、もう二度とユキの心を傷付けさせない。
ゴシゴシと袖で顔を拭いたら気合が入った。ふぅっと息を吐いて、聖華に渡したファイルを受け取って棚に戻した。
「……大丈夫?」
心配そうに僕の顔を覗き込む聖華に、笑って見せた。
「ごめん、もう大丈夫!」
むしろ気持ちとしてはプラスだ。普通の大丈夫が±0だとしたら、今は+120点くらいの気持ちだ。
あぁ、早くユキに会いたい。
今更何かできるわけじゃないし、思い出した事だってユキは喜ばないだろうから、話さずにいようと思ってるけど。
「……そういえば今って忙しいの?」
「えっ!? いっ、忙しいけどっ!?」
唐突に事務所の多忙さを聞いたせいで、聖華が困惑しておどおどしている。
「じゃあ、少し手伝ってから戻ろうかな」
「本当にッ!?」
今ならいつもより入力も速くできそうな気がする! 完全に気持ちの問題だ。
聖華は自分の仕事が減るとばかりに、あからさまにご機嫌になって、両手を合わせてクネクネしている。こんなに仕事嫌だアピールする割に、やる時はやるんだから不思議だ。
聖華と一緒に書類室を出ようとしたところで、ピリリリリッと維持部隊のインカムが鳴った。
管理課に来ている時に鳴るなんて珍しい……。
聖華に手で書類室の奥に行くことを合図して、着信に応答した。
「はい、真里です」
「すみません、急いでユキを連れ出してもらえませんか?」
通信相手はカズヤさんだった。声の感じから走っているみたいなんだけど、それでも息切れしていないのはさすが師匠といった感じだ。
「何かあったんですか?」
「何か起こる前にです、急いでください」
えっ、ユキに何か起こるってこと!? まだ書類室の出入口にいた聖華を追い抜いて、伊澄さんに頭を下げつつ管理課の事務所を飛び出した。
「連れ出すって、どこに行ったらいいですか!?」
「どこでもいいです、なんなら二人で家に帰ってください……できれば二時間くらい出てこないでもらえると助かります」
えっ、家!? なんで!?
「あの、理由を聞いても?」
「ユキに悟られたくないので話せません、自然にかつ迅速に事務所から連れ出してください」
ユキにバレたらまずいこと!? なんなのかサッパリ分からないけど、カズヤさんの雰囲気から一大事に違いない。
幸い管理課と維持部隊の事務所は遠くないから、足に強化をかけて走れば一分もあれば到着するはずだ。
すれ違う人を避けつつ全速力で事務所へ戻ったら、事務所にはユキ一人が出てきた時と同じようにソファーに腰掛けていた。
「どうした? そんなに急いで」
良かった、何か起こった訳ではなさそうだ。
ふぅ……と息を吐いてホッとしたところで、どうやって連れ出すか考えていなかったことに気付いた。
なんと切り出せばいいか悩みながら、ユキの座るソファーの側まで歩み寄る。
「えーあー……ユキ、僕と一緒に巡回に出てくれない?」
「構わないが……どうした、泣いたのか?」
立ち上がったユキが僕の目元を指で撫でた。あぁ、しまった……擦ったから少し赤くなってたのかも。悪魔の治癒力ならとっくに消えてると思ったのに……。
「後で話すから! とりあえず行こう!」
ユキの後ろに回って、グイグイとその背中を押した。そのまま事務所から押し出すように出入り口まで押して……開けっ放しだった扉の前でユキがビクッと固まった。
「キャッ」
と、魔界では珍しい高くて可愛らしい声が聞こえて……ユキと誰かがぶつかったみたいだ。
誰か、というより……そう、女性だ。この世界では本当に珍しい、女性とユキがぶつかったのだ。
ユキの横から顔を出して伺えば、僕よりも少し背が低いくらいの……セミロングの可愛らしい女の子が!
うわー珍しい、なんて軽く感動するほどだ。
「きゃあああっ! ごめんなさぁぁい!」
女の子は両手を口元に当てて耳まで真っ赤にして、それはもう嬉しそうに甲高い声で後退りした。
ユキって男女問わず美人って顔立ちだし、実力的にはNo.2だから、そりゃあ黄色い悲鳴も上がるよな。
……。
さっきからユキがうんとも、すんとも、びくともしない。
恐る恐るユキの顔を見上げると、真っ青になった顔がひきつり笑いを起こしていた。
あ、ヤバい……さすがにこの顔はヤバい! 人に見せちゃいけない顔だ!!
「すみません、急ぎますんで!」
ユキの前に出て女の子とユキの間に入るようにした。事務所から引っ張り出すように手を引いて歩き出したところで、ちょうど走ってくるカズヤさんと目が合った。
カズヤさんがの顔がみるみる青くなって、額に手を当てて、しまった……って感じのポーズだ。
理解した。
ユキの弱点は女の人なんだ……。
たくさんの梅の花びらが池に浮いていた。
池のほとりで取り乱して、酷く顔をこすりながら泣くユキを、僕は必死で後ろから抱きしめることしかできなかった。
あれはいつだったか……ユキと僕が夢で会うようになってそう経たない頃だったはずから、たぶんまだ小学校に入る前。
一つ思い出せば、ユキの言ったことが繋がるように記憶が蘇る。
『崇めなければ祟る』
ユキを守る犬神の雪代は犬の祟り神、水害・洪水の化身だ。
『何人殺したか分からない』
そんな重責を当時六、七歳くらいの子供が背負っていたんだ。
思い出したら涙が溢れそうだった……もっとあの時支えてあげたかった。あの頃のユキに、今の僕が会いに行けたらいいのに……。
「真里!? なに、どうしたの!?」
資料に水滴が落ちないように、急いで袖で目元を拭った。
「ごめん、ちょっと……」
資料を閉じて聖華へ渡した。聖華に泣き顔を見られたくなくて顔を袖で覆ったけど、涙は溢れて止まらなかった。
百年前に恐れていたことが眼前に再現されて、ユキはどれだけ心に傷を受けたのか……そう思ったら胸が苦しくなった。
そしてその時も、やっぱり僕は側にいてあげられなかったわけで……不甲斐なさで心が押し潰されそうだ。
「……この事件の後、ユキは普通に過ごせてた?」
顔を隠したまま、出来るだけ心を落ち着かせるようにゆっくりと喋った。それでも少し声が震えてしまって、深呼吸して必死に取り繕った。
「しばらく姿を見せなかったから、魔王様から謹慎を命じられてるんじゃないかって……噂はあったけど」
そうか、一人で乗り越えたのか……。
ユキは強い、だからこそ誰にも頼れなかった……人に弱みを見せられない、見せてはいけない立場だ。
『俺が暴走したら、真里が止めてくれるんだろ?』
この言葉に、いったいどれだけの気持ちが込められていたんだろう。
絶対に止める。僕が側に居る限り、もう二度とユキの心を傷付けさせない。
ゴシゴシと袖で顔を拭いたら気合が入った。ふぅっと息を吐いて、聖華に渡したファイルを受け取って棚に戻した。
「……大丈夫?」
心配そうに僕の顔を覗き込む聖華に、笑って見せた。
「ごめん、もう大丈夫!」
むしろ気持ちとしてはプラスだ。普通の大丈夫が±0だとしたら、今は+120点くらいの気持ちだ。
あぁ、早くユキに会いたい。
今更何かできるわけじゃないし、思い出した事だってユキは喜ばないだろうから、話さずにいようと思ってるけど。
「……そういえば今って忙しいの?」
「えっ!? いっ、忙しいけどっ!?」
唐突に事務所の多忙さを聞いたせいで、聖華が困惑しておどおどしている。
「じゃあ、少し手伝ってから戻ろうかな」
「本当にッ!?」
今ならいつもより入力も速くできそうな気がする! 完全に気持ちの問題だ。
聖華は自分の仕事が減るとばかりに、あからさまにご機嫌になって、両手を合わせてクネクネしている。こんなに仕事嫌だアピールする割に、やる時はやるんだから不思議だ。
聖華と一緒に書類室を出ようとしたところで、ピリリリリッと維持部隊のインカムが鳴った。
管理課に来ている時に鳴るなんて珍しい……。
聖華に手で書類室の奥に行くことを合図して、着信に応答した。
「はい、真里です」
「すみません、急いでユキを連れ出してもらえませんか?」
通信相手はカズヤさんだった。声の感じから走っているみたいなんだけど、それでも息切れしていないのはさすが師匠といった感じだ。
「何かあったんですか?」
「何か起こる前にです、急いでください」
えっ、ユキに何か起こるってこと!? まだ書類室の出入口にいた聖華を追い抜いて、伊澄さんに頭を下げつつ管理課の事務所を飛び出した。
「連れ出すって、どこに行ったらいいですか!?」
「どこでもいいです、なんなら二人で家に帰ってください……できれば二時間くらい出てこないでもらえると助かります」
えっ、家!? なんで!?
「あの、理由を聞いても?」
「ユキに悟られたくないので話せません、自然にかつ迅速に事務所から連れ出してください」
ユキにバレたらまずいこと!? なんなのかサッパリ分からないけど、カズヤさんの雰囲気から一大事に違いない。
幸い管理課と維持部隊の事務所は遠くないから、足に強化をかけて走れば一分もあれば到着するはずだ。
すれ違う人を避けつつ全速力で事務所へ戻ったら、事務所にはユキ一人が出てきた時と同じようにソファーに腰掛けていた。
「どうした? そんなに急いで」
良かった、何か起こった訳ではなさそうだ。
ふぅ……と息を吐いてホッとしたところで、どうやって連れ出すか考えていなかったことに気付いた。
なんと切り出せばいいか悩みながら、ユキの座るソファーの側まで歩み寄る。
「えーあー……ユキ、僕と一緒に巡回に出てくれない?」
「構わないが……どうした、泣いたのか?」
立ち上がったユキが僕の目元を指で撫でた。あぁ、しまった……擦ったから少し赤くなってたのかも。悪魔の治癒力ならとっくに消えてると思ったのに……。
「後で話すから! とりあえず行こう!」
ユキの後ろに回って、グイグイとその背中を押した。そのまま事務所から押し出すように出入り口まで押して……開けっ放しだった扉の前でユキがビクッと固まった。
「キャッ」
と、魔界では珍しい高くて可愛らしい声が聞こえて……ユキと誰かがぶつかったみたいだ。
誰か、というより……そう、女性だ。この世界では本当に珍しい、女性とユキがぶつかったのだ。
ユキの横から顔を出して伺えば、僕よりも少し背が低いくらいの……セミロングの可愛らしい女の子が!
うわー珍しい、なんて軽く感動するほどだ。
「きゃあああっ! ごめんなさぁぁい!」
女の子は両手を口元に当てて耳まで真っ赤にして、それはもう嬉しそうに甲高い声で後退りした。
ユキって男女問わず美人って顔立ちだし、実力的にはNo.2だから、そりゃあ黄色い悲鳴も上がるよな。
……。
さっきからユキがうんとも、すんとも、びくともしない。
恐る恐るユキの顔を見上げると、真っ青になった顔がひきつり笑いを起こしていた。
あ、ヤバい……さすがにこの顔はヤバい! 人に見せちゃいけない顔だ!!
「すみません、急ぎますんで!」
ユキの前に出て女の子とユキの間に入るようにした。事務所から引っ張り出すように手を引いて歩き出したところで、ちょうど走ってくるカズヤさんと目が合った。
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