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141章 音楽に世の中を良くするパワーはあるのか?

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141章 音楽に世の中を良くするパワーはあるのか?

 6月3日、日曜日、午後2時。青空で真夏のようで、最高気温は28度。

 川口信也が講師を務める、下北(しもきた)芸術学校の第47回の公開授業が、
定員72名のミーティングルームで始まったばかりだ。

 場所は、下北沢南口から歩いて4分の、北沢ホールの3階だ。

 会場の3人掛けのテーブルには、中高生や大学生や社会人の男女の、
幅の広い層で、満席だ。

 大沢詩織や清原美樹たち、グレイスガールズのメンバーや、
信也のバンドのクラッシュビートのメンバーも来ている。
クラッシュビートでキーボードをしていた落合裕子や、
マンガの『クラッシュビート』を描(か)いているマンガ家の青木心菜(ここな)と、
親友でマンガ制作のアシスタントを水沢由紀も来ている。

 下北音楽学校は、ユニオン・ロックが主催するインターネット上のバーチャルな学校だ。

 ユニオン・ロックは、ソーシャル・メディア(SNS)を使った学校で、
子どもたちや、若者やオトナを対象に、音楽からマンガまで、芸術的なこと全般を、
自由に学べる『場』の提供や、経済的な援助、プロの育成などを展開している。

 ユニオン・ロックは、外食産業のモリカワと、外食産業最大手のエターナルとの、
共同出資の慈善事業だ。1014年9月に始まった。

 そんな慈善事業、ユニオン・ロックの利用者は、現在、パソコンとスマートフォンを合わせて、
300万人を超えている。本日の授業も、インターネットで生中継されている。

「えーと、今回は、『音楽に世の中を良くするパワーはあるのか?』というタイトルで、
すごいタイトルつけちゃったなって、自分で困ってるんです。あっははは」
まあ、1時間くらいで終わらせます。あっははは」

 ワイヤレスマイクを片手に演壇に立つ信也は、明るく笑って、みんなを見渡(みわた)した。

 72名の満員の会場からは、拍手と歓声が沸(わ)く。

「今回のテーマで講演する、その理由からお話ししますと。
若いみなさんたちから、単刀直入に、
『音楽って世の中を良くできるんですか?』
『生きている意味って、なんですか?』
『何を目的に生きたらいいのですか?』
『楽しく生きるのにはどうしたらいいですか?』
などなど、そんな、同じような質問が、おれ宛(あ)てに数多く寄せられるんです。あっはは。
困(こま)っちゃいますよね。あっはは。
それでもって、おれの考えをまとめた講演を1度しておこうと思ったんです。あっはは。
では、お配りしてある、テキストを見ながら、おれの話を聞いてください。」

「おれも、思春期のころの高校生のときだったですけど、
この世界はどうなっているのだろう?とか、宇宙の果てはどうなっているのだろう?とか、
なぜ生きているのだろうか?とか人生とは何だろう?とか、考えたわけです。
まあ、君たちと、同じように、漠然と考えては、楽しんだりしてたんですよ。
でも、それで、深刻には悩みはしなかったな!あっはは」

「わたしたちも、悩んだりはしません!」

 最前列にいる、セミロングのヘアスタイルの清純な女子高生がそう言って、
ケラケラ笑った。会場のみんなも笑った。

「まあ、考えても、答えが出るような問題でないですよね。話を簡単に進めるために、
稲盛和夫(いなもりかずお)さんの言葉を引用します。この人は、今年で86歳になります。
大変に立派な人だと、おれも尊敬しています。あの京セラやKDDIの創業者です。
また、日本航空名誉会長でもいらっしゃいます。
『稲盛和夫の哲学』という本がPHP文庫から出ています。
その中で、57ページですが、稲盛さんは、『私は魂というものを信じています。』と言ってます。
稲盛さんは、おれたち人間は、魂と肉体から成り立っていると考えてます。
稲盛さんは、魂というと、眉をひそめる人がいるかもしれないと言って、
魂のことを意識体とも呼んでますけどね。
稲盛さんは、おれたちの人生は、魂の修行の場だと考えているようです。
この世の中というか、人生においては、魂、意識体は、修行しながら、死ねば、
また新しい生命に宿(やど)って、現世、いまの世の中に出てきて、
新たな修行をすることになるって、稲盛さんは言っています。
本の64ページでは、稲盛さんは、こう語っています。
『そういうことの繰り返しで、人間性を高めていき、
ついには、神々(こうごう)しいといわれるような如来(にょらい)のレベルまで心が美しくなってゆく。
そこまで行くと、仏教では輪廻転生しないといわれています。そのように、意識体というものは、
自分だけで終わるわけではなく、次に自分が生まれ変わるものに移っていきます。
したがって、自分の心、品格、人格を高めていくことは、単に自分1個だけの問題ではなく、
次の代への責任でもあるのです。」
文は、前へ戻りますが、稲森さんはこうも語っています。
『なぜ転生するか。それは現世でつくりあげた人格が不十分で、
次の現世でもっと心を磨(みが)きあげる必要があるためです。』と。
輪廻転生という言葉の意味は、『死んであの世に還った霊魂(魂)が、
この世に何度も生まれ変わってくること』だそうで、仏教とかの宗教用語ですよね」

 「ええと、稲森さんは、仏教の臨済宗妙心寺派円福寺で、僧侶(そうりょ)となるための出家の儀式の、
得度(とくど)をして、僧侶としての身分の僧籍(そうせき)を得ているそうです。
おれなんか、仏教でもキリスト教でも、宗教の話は、いくら理解しようとしても、
いつまでも理解できないことばかりで、チンプンカンプンで、
よく理解できないんですよ。あっははは」

「そんな、しんちゃんが好きです!」

 さっきの最前列にいる女子高生がそう言った。

「あっはは。ありがとう!まあ、宗教の話は、抜きにしたほうが、
おれの講演の場合は、いいのかも知れないんです。
世界の平和ために、役立つ、そんなパワーは、音楽にはあるか?といった話ですから。あっははは。
まあ、おれも、高校生のときに、おれたちって、魂のようなもので、
どこかにある『魂の海』のような世界からやって来ているんだろうな!ってことくらいは、
考えましたよ。何かの宗教とかには、まったく、頼(たよ)りもしなし、参考もしないでね。
直観というか、インスピレーションだけでね。そのくらいのことは誰にだって思いつくと思います」

「おれも、魂のことを時々考えるんですよ。おれも、しんちゃんや稲盛さんに同感します!」

 最前列に座る、爽(さわ)やかなショートヘアスタイルの男子高校生がそう言った。

「あっはは、そうですか、それは良かった。ちょっと、空想や想像をふくらませれば、
誰だって、思いつけるような、むずかしい話じゃないですよね。あっははは。
まあ、そんなわけで、おれも、この稲盛さんのお考えには、全面的に共感しますし、賛成なんです。
音楽作りとか、ほかの芸術活動でも、そうでしょうけど、
心や魂を磨(みが)いて、創作に向かうしか、良い作品作りなどは、できないわけですからね。
有名な心理学博士のウエイン・W・ダイヤーも、その著書の『ザ・シフト』の26ページでは、
こんなことを語っています。
『この人生の旅で最大のレッスンは、自分は生死を超えた永遠の魂の存在だと、
意識することなのです。
肉体とは、精神(魂)の本質であるエネルギーが形をなしたものです。』と。
まあ、魂の存在とかって、神の存在と同じように、
その存在証明をするとは、人間には不可能に近いことのように思います。
しかし、魂の存在すると、仮定したり、想像しないことには、この世界の謎が解決できないのだと、
おれには思えるのです。魂については、稲盛さんのお話のように考えれば、
すべてが、おれには解決するように思えるのです。
みなさんにも、この話にご理解いただけえば、うれしいです。
こういう魂の話の観点から考えれば、良い音楽は、おれたちには必要であり、
良い音楽には、人々や世界を、幸福へと導(みちび)くパワーがあることを、
ご理解していただけるだろうと思います。
あと、もうひとつですが、お話をさせていただいて、この講演を終了したいと思います。
2012年に87歳でご逝去(せいきょ)された詩人で思想家の吉本隆明さんが、
『生涯現役』という著書の194ページですが、こんなことを語っています。
『身体論にはメルロ=ポンティをはじめいろいろありますけど、
ぼくはマルクスの身体論が1番いいんじゃないかなって思っています。
要するに精神であれ肉体であれ、人間が外界に対して働きかけ外界が変形して
価値が生じると、人間は生きた有機的な自然に変化する。
要するに人間が有機的な自然に変化しなけりゃ外界に働きかけることはできない、
そういう自然哲学です。外界が価値化する。
つまり、自然が人間の肉体の延長線になるということと同時に、
人間も有機的な生きた自然というふうに変わっちゃうんだと。
働きかけた瞬間に相互がそう変わるっていうことですね。自然が価値化して人間も変わる。
それは、いまでも1番妥当なんじゃないかなと思っています。
マルクスは大雑把(おおざぱ)なように見えて、
自然と人間の相互関係を実にうまくいっていると思います。』
以上が、吉本さんの語っていることですが、この自然と人間の関係って、
音楽作りにも、ぴったり当てはまるんですよね。
楽器の演奏とかにしても、自然が人間の肉体の延長線になるということと同じであり、
人間も、有機的な生きた自然の楽器と一体になるって、ことですからね。
有機的という意味は、生物体のように生命を持つのと同等だ、
といった意味になりますから。
音楽を作る立場からいえば、CDにしても、インターネットで楽曲を配信するデジタル音楽にしても、
自然が人間の肉体の延長線になるということと同じだし、
人間も有機的な生きた自然というふうに変わることなんですよね。
吉本さんが言うように、音楽を作るってことは、そして、音楽を鑑賞するってことは、
自然が価値化して人間も変わるってことだし、
自然と人間の相互関係が、実にうまくいっているということなのだと思います。
そんなわけですから、おれたちは、これからも、みんなで、音楽を愛して、
魂というか心とかも大切にして、磨(み)いていけばいいんだと思います。
そして、まあ、このように、音楽に世の中を良くする絶大なパワーはあると、おれは考えています。
以上で、きょうの講演は終わりにします。みなさん、ありがとうございました!」

 信也は、笑顔で会場に手を振る。沸(わ)き起こる拍手は鳴りやまなかった。

---
☆参考文献☆ 
1.『稲盛和夫の哲学』  稲盛和夫  PHP文庫
2.『ザ・シフト』 ウエイン・W・ダイヤー ダイヤモンド社
3.『生涯現役』 吉本隆明 洋泉社

≪つづく≫ --- 141章 おわり --- 
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