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FILE・#8 前夜祭……そしてXデー
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翌日の土曜日、7月最初の日。
美咲は涼介と連れ立って、十波学園大学のキャンパス内を歩いていた。
少し離れたところには、昨日の植木鉢落下の現場、赤レンガ調の校舎も見える。
空は久し振りに梅雨らしく、どんよりと曇っていた。
いつ雨が降り出してもおかしくない空模様だった。
昨日の会合の途中、美咲は一人帰されてしまった。
だから、今日のXとの対戦に備えどんな話し合いがなされたのか、美咲だけは知らない。
今朝、事務所に行くと、明らかに雪乃は不機嫌だった。静かな怒りが伝わってきた。
慎也は慎也で、どこか暗かった。何か考え込んでいる様子で、ほとんど惰性でポッキーをかじっていた。
〝どうしたの?〟
と訊いた美咲に、
〝美咲ちゃん、今日は涼のことを頼むよ〟
やけに真剣な声と表情で、彼はそう言っただけだった。
二人とも、事件のことについて、美咲には何も教えてくれなかった。
涼介にもさっき訊いてみたけれど、やはり結果は同じだった。
ピルルー、ピルルー、ピルルー……。
愛想のない無機質な電子音が、涼介のGジャンのポケットから響く。
涼介は立ち止まり、ポケットから携帯電話を取り出した。
美咲が横から覗き込むと、携帯電話の液晶画面には「神谷探偵事務所」と表示されていた。
いま事務所に残っているのは、雪乃だけである。
どうやら、この電話は何かの合図らしい。
涼介は通話不可能な相手からの電話には出ず、着信音を止めた。
すぐさま、今度は涼介の方からどこかに電話を掛ける。
「叔父さん、準備完了です……」
電話の相手は慎也らしい。
「はい、1時半頃に。それじゃあ、手筈どおりにお願いします」
……短い電話だった。
ピッ。涼介が電話を切る。
「どういうこと、涼ちゃん?」
美咲は訊くけれど、涼介は答えてくれない。
「もうすぐ分かるよ」
それだけ言うと、携帯電話を仕舞う。
……悔しかった。
……何故だろう。何故なんだろう?
(どうして……あたしだけ?)
自分だけが何も教えてもらえない……。
疎外感が美咲の胸の内を襲う。
(……なんで? どうしてなの……)
だんだん拗ねたような、悲しい気分になってくる。
そんな美咲の気も知らず……。いや、もしかすると気づいているのかもしれないけれど、
「さて、行くか」
涼介は何も語らず、再び歩き出す。
〝どこへ?〟
と思ったけれど、訊いてもどうせ答えてもらえないだろう。
ため息を吐くと、美咲は大人しく涼介のあとに従った。
☆
たったららたったたったったぁ~♪
懐の携帯電話が、聞き慣れた行進曲のメロディーを奏でた。
それはちょっとしたお芝居……ペテンの開幕を告げる合図だった。
着メロで、相手は涼介だと分かっている。
なのに、慎也は、
「はい……あっ、どうもお久し振りです」
などと、素知らぬ風で妙な受け答えをした。
『叔父さん、準備完了です……』
涼介の静かな声が聞こえた。
「ああ、はい……」
いったん言葉を切って、慎也は向かいに座る玲奈の顔をちらりと見る。
どこか意味ありげな視線に、玲奈の瞳が不安げに揺れた。多恵子も、慎也の視線に気づいたようだった。
きっちり二人の興味は惹けたようだ。
まずは成功かな、と慎也は心の中で自分自身にOKサインを出す。
「……分かりました。これから伺います」
『はい、1時半頃に。それじゃあ、手筈どおりにお願いします』
「はい、では後ほど」
どこか噛み合っているようで、全く噛み合っていない通話はすぐに終わった。
「あの……何かあったんですか?」
電話が終わると、玲奈が控えめに慎也に訊ねてきた。
……上手く引っ掛かってくれたらしい。
「ええ、それが……」
慎也は言い難そうな振りを装って、少しばかり間を開けた。
「実は……警察がまた川崎君のことで、水島さんにお話を伺いたいそうなんです」
もちろん、それは嘘だった。
「な、なんですかそれ! 警察はまだ玲奈のことを疑っているんですか!」
いつかと同じで、多恵子が憤慨したように声を上げた。
「さあ、それは向こうに行ってみないことにはちょっと……。俺も、具体的なことは聞かされていないので」
見ると、玲奈は悲しそうに目を伏せている。
そんな彼女の様子を気の毒には思ったが、慎也は続けた。
「水島さん、これから警察に行ってもらえますか? もちろん、俺もご一緒しますから」
「はい……お願いします」
玲奈は素直に頷いた。
「当然、あたしも行きますよ!」
多恵子が意気込んで言う。
「もう我慢できません! 警察にしっかり抗議してやります!」
「あ、いや……できれば、松井さんは遠慮してもらえませんか?」
「なっ……。どうしてですか、神谷さん! どうして、あたしは行っちゃいけないんですか!」
同行拒否をやんわりと告げられて、多恵子は反発し声を荒げた。
「はっきりと言わせてもらえれば、松井さんのそういうところが理由ですよ。なるべくなら、穏便に早く話を終わらせたいので……」
つまり、「おまえが来ると、話がこじれる可能性がある」と言われているのだ。
「うっ…………」
暗に邪魔者扱いを受け、多恵子は絶句する。
けれど、しっかりと自覚はあるのだろう、彼女は言い返すことをしなかった。
「大丈夫ですよ。水島さんのことは俺に任せてください。なるべく水島さんには不快な思いをさせないよう、俺が責任を持って取り計らいますから」
「……わかりました。あたしは残ります」
と、悔しそうにしつつも、多恵子は引き下がった。
「すみません……それじゃあ、松井さんはこの後予定通り、涼たちとここで合流してください。それからゆっくり昼飯でも食って、事務所の方で待っていてください。打ち合わせの方は全員が揃ってから始める、ということで」
言うと、慎也は席を立った。
「じゃあ、水島さん。行きましょうか」
「えっ……」
多恵子が驚いたように慎也を見た。
隣で、玲奈も腰を上げず、親友と同じような表情をしている。
昨日までとは事情が違う。
多恵子も、今や嫌がらせ犯Xの襲撃を受けているのだ。
当然、今では彼女も警護の対象になっている、と二人は思っていたのだろう。
しかし、慎也の言動は、多恵子の存在を警護対象として無視したものだった。
「あの、神谷さん。多恵子さんのこと、一人残していくんですか?」
玲奈が、戸惑ったように口を開いた。
言葉の中には、やや責めるような響きが感じられる。
「涼介さんが来られるまで待たないんですか?」
「その必要はありませんよ」
慎也はきっぱりと言った。
その返答に、玲奈は大きく目を見開いて言葉を失った。
「だって、ほら」
慎也は苦笑し、視線と首の動きで二人の後ろを示した。
玲奈と多恵子が振り返る。
「ああ……」
学食の出入り口付近。そこには、既に涼介と美咲の姿があった。
「玲奈さーん!」
セーラー服姿ではなく、グリーンのサマーセーターにスリムジーンズという私服姿の美咲が、手を振りながらやって来る。
涼介の方は、相も変わらず草臥れたジーンズルックだ。
玲奈の口から吐息が零れる。
どこかばつが悪そうに、玲奈は慎也の方へ顔を戻した。
「少し、意地悪でしたか?」
玲奈の様子に、慎也は悪戯っぽく笑う。
「いいえ……少しなんかじゃありません」
玲奈は軽く首を振った。
そして、ひと呼吸置いて、
「かなり意地悪です」
訂正すると、茶目っ気たっぷりに微笑みを返した。
……どこまでも優しげな笑みだった。
Xとの対決を控え、沈んだ心が和む。
けれど……。
その対決は……事件の解決は、きっと玲奈の笑顔を打ち砕くことになるだろう。
それを思うと、笑顔とは裏腹に慎也の心は再び沈み込む。
「……辛いよな」
意識せず、そんな呟きが生まれ出た。
辛いよな……誰への言葉なのか、呟いた慎也自身にもよく分からなかった。
微かな呟きが聞こえたらしい、多恵子が慎也を見る。怪訝そうに首を傾げた。
「何でもないですよ」
多恵子に言うと、慎也は立ち上がった。
愛用のサングラスを掛ける。
「さあ、行きましょうか」
「はい」
今度は、玲奈も慎也の言葉に素直に従った。
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