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『やさしい檻』
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――ザック、ザック、ザック。
そんな耳障りな音に眠りを妨げられ目覚めると、僕は白く厚化粧された公園にいた。
ちらほらと、雪が低い空から落ちている。
寒空の下、公園のベンチなんかで眠っていたからだろうか。なぜだか、僕はひどく疲れていた。
ザック、ザック、ザック。
僕の睡眠を妨害した音は、まだ続いていた。
視線の少し先、向かいには、いま僕が腰を下ろしているのと同じ木製のベンチがあった。
そのベンチの右端には、青いバケツが置かれていた。さらにその隣、ベンチの横には大きな雪玉が一つ……。
そして……。
ザック、ザック、ザック。
……サンタクロース。長靴を履いたサンタのお爺さんが、雪玉を転がしていた。
ザック、ザック、ザック。
その音の正体は、降り積もった雪の上を歩くサンタクロースの足音だった。
ザック、ザック、ザック。
何が楽しいのか、サンタクロースはニコニコと笑顔で雪玉を転がしている。その足取りは、老人にしてはなかなかに軽快だった。
そんなサンタの様子に、
(……何をしているんだろう?)
と思ったけれど、すぐに「考えるまでもないか」と僕は苦笑する。
バケツに、雪玉が二つ……とくれば、あれだよな。
……雪だるま。あれしかないよな、やっぱり。
何のためにかは分からないけれど、目の前のサンタクロースは、雪だるまを作ろうとしているんだろう。
ザック、ザック、ザック。
それにしても……雪だるまを作る、サンタクロースか。
有りそうで無さそうな、無さそうで有りそうな。……なんだか面白いな。どこかおかしみを覚えた。
やがて、足音が止み。
サンタクロースが雪玉を持ち上げ作ったものは、果たして当然のごとく雪だるまだった。
2
バケツの中から取り出した小石と小枝で、目と口をこしらえた、青いバケツの帽子を被った雪だるま。
無表情とどこか間の抜けた微笑の境目、無愛想なようでいて、なんとなく愛敬があるような。二つの黒い瞳が入り、少し反りのある小枝の口が埋められたそれは、なんとも微妙な表情の雪だるまになっていた。
あとは、下の雪玉の左右にそれぞれ、右にはフォーク、左にはスプーンが刺さっている。どうやらそれが手であるらしかったけれど、バランスが悪かった。雪だるまの大きさに対し、フォークとナイフのペアはかなり小さすぎた。
でも。それでも、なかなかに立派なものだ。と思い、僕は心の中でサンタのお爺さんに拍手を送った。
それは、製作者のサンタクロース自身も同じらしく、自作の雪だるまを前に、何度も満足そうに頷いていた。
……と、唐突に、「あれ?」と僕は既視感を覚えた。
どこかで見たことがあるような……。
雪だるまを前に、両手を腰にあて満足げに首を縦に振るサンタクロース……。
その光景を、僕は以前にも見たことがあるような気がした。
「…………」
けれど……。それが、いつ、どこでの事なのか、何も思い出される記憶はなかった。
もう少し考えてみたけれど、結果は同じ。思い当たる節は何もなかった。
やっぱり、ただのデジャ・ヴだったんだろうか……。
サンタクロースが身体の向きを変え、こちらを向いた。
目が合う。サンタクロースの瞳は、しっかりと僕を見ていた。
いきなり見つめられて、僕はびくりと肩を震わせた。正直、ちょっと怖さを感じたりもした。
そんな僕に、サンタクロースはにっこり微笑むと、雪だるまを指し言った。
「Present for you」
「…………」
サンタクロースからの突然の言葉に困惑し、僕の翻訳能力は麻痺する。いや、言葉の意味は訳せていたけれど……それをすんなりと受け入れることを、心が躊躇った。
プレゼント、フォーユー、って……。
僕は、視線をサンタクロースから雪だるまに移した。
(あれを……雪だるまを、僕に、くれるってことか?)
いったい、なんなんだ? どういうつもりなんだろう?
……何かの冗談だろうか。
視線をサンタクロースへと戻すと、僕は「フォー ミー?」と自分を指さし訊いた。
「Yes」
僕の問い……というか確認に、サンタクロースは然も当たり前のように首を縦に振った。
そして、もう一度、「Present for you」とやたらと綺麗な発音で言った。
「…………」
…………どうやら、冗談じゃなかったようだ。
何をどう考えればいいんだろう。
ここは、「サンキュー!」とでも言うべきなんだろうか。
それとも、サンタクロースを抱きしめ、頬にキスでもして喜びを表現すべきなのか。
はたまた、「メリークリスマス!」とでも言っておけばいいんだろうか……。
考えたところで、戸惑いは深まっていくばかり……。
結局、僕は何も言えず、何もできなかった。
けれど。気を悪くした風もなく、やがて、サンタクロースは「Bye―bye」と笑顔で去っていった。
もちろん、雪だるまは残したまま……。
とりあえず、ベンチを移動し、僕は雪だるまの隣に腰を下ろした。
僕へのプレゼントだという、雪だるま。隣に座ると、雪だるまの目線の方が、僕の目線よりも高い位置にあった。そのせいか、相手は雪だるまだというのに……少し威圧感を感じてしまった。
それにしても……これを、どうしろというんだろうか。
こんなものを貰ったって、どうしようもない。
こんな雪の人形、何の使い道もないし……。
はっきり言って……要らない。雪だるまなんて貰っても、迷惑なだけだ。
「だいだい、僕はサンタクロースからプレゼントを貰えるほど子供じゃないぞ」
法的に喫煙も飲酒もOKな年齢の人間に、雪だるまなんてものを贈るなんて……あのサンタクロースは何を考えているんだ?
まったく……妙なサンタクロースもいたもんだ……。
などと、心の中でブツブツ言いつつも、僕はそこを動けなかった。
要らないんだったら、放っておけばいいだけのことだ。だけど、なぜだか……できなかった。
仕方なく、僕はそのまま雪だるまの隣に座り続けていた。
3
雪だるまをプレゼントされてから、どれくらいの時間が過ぎただろう。
僕はようやく、雪だるまに対し一つの欲求を覚えた。
──雪だるまって、いったいどんな味がするんだろう?
ただちょっと空腹感を覚えただけのことが切っ掛けで、そんなことを思ってしまう。
我ながら、馬鹿なことを……。
何がどうなったら、そんな発想が飛び出てくるのか。自分で自分に呆れてしまう。
けれど。どんなに子供じみた馬鹿げた発想でも、一度表に出てきてしまうと、やりたくなってしまうものだ。
(上手い具合に、ちょうどスプーンもあるし……)
それに、ここから見渡す限り、自分以外に人は誰もいない。忍ぶべき人目もない。
「よし、食べてみるか」
僕は、雪だるまから左手のスプーンを抜いた。
さっそく、それで雪だるまの肩の辺りを削り取る。
まあ、味なんてものはないだろうけれど……。
「いただきます」
と、口にスプーンを運ぶ。
……え。
スプーンを口にくわえたまま、僕は固まってしまった。
……甘い。甘かった。そして……とびきり美味かった。
ただの雪、口の中で溶けてしまえば水のはずのものに、しっかりと甘味があった。
……なんで? どうして、こんなに甘くて美味しいんだ?
僕の心の中はまた、疑問符でいっぱいになる。
けれど。そんなことはどうでも良かった。
もっと食べたい、もっと欲しい!
疑問よりも、雪だるまに対する食欲の方が、僕の心の中ではるかに大きくなる。
その欲求に任せ、僕は再び雪だるまにスプーンを突っ込んだ。
二口めもやっぱり、雪は甘かった。とても甘く、けれどくどくない。すっきりしつつも、しっかりとした、まろやかな甘さだった。
……美味すぎる。ただの雪がこんなに美味しいだなんて。
僕はただただ夢中で雪だるまを食べた。
何度も何度も雪だるまの身体を削り、甘い雪を口に入れる。
身体の疲れが取れていく。雪を一口食べるたびに、疲れた身体が癒されていくのを感じた。
甘い雪は、どんどんと僕の体力を回復させ、気力を充実させていく。
だけど……僕は気づいた。
……雪だるまは溶けていた。
あり得ないスピードで雪だるが溶けていく。
僕の体力が回復していくのと反対に、雪だるまの方はどんどんとその形を頼りなくしていく。まるで、僕が雪だるまの精気を奪っているかのように。
もしかしたら、僕が食べるのを止めれば、雪だるまが溶けるのも止まるかもしれない。そんな気がした。
でも、僕は雪だるまを食べるのを止めなかった。……止められなかった。
そして……。
おそらく五分も保たなかっただろう。青いバケツを残し、雪だるまはなくなってしまった。
4
白い雪の上に伏せられた、青いバケツ。
それを見つめ、僕はため息を吐いた。
まだ食べ足りなかった。もっと、甘い雪を食べたかった。
でも、雪だるまは溶けてなくなってしまった。無い物を食べることはできない。
残念だけど、仕方がない。サンタクロースからのプレゼントは、なくなってしまったのだ。
だけど……もしかしたら、と思う。
……足許の伏せられたバケツ。その中にはまだ、サプライズな何かがあるんじゃないだろうか。
雪だるまをプレゼントしてくれた時の、サンタクロースの笑顔を思い出し、僕は期待した。
伏せられたバケツを、ひょいと取り上げる。
次の瞬間。
「うわっ!」
僕は白い煙に包まれていた。
白い蒸気のような煙、バケツのあった場所から噴き出した白色の煙幕が、僕の視界を奪う。
幸い、煙はすぐに霧散し、僕の視界には再び元の雪景色が広がった。
世界を取り戻し、ホッとする。
けれど……。元に戻っていたのは世界だけで、僕の身体には異変が生じていた。
……ちゃんとサプライズは用意されていた。
「……う、嘘だろ」
半ば茫然と、僕は呟く。
僕は老人になっていた。浦島太郎じゃあるまいし……煙を浴びて、老人になるなんて。……そんなバカな。
しかも、ただの老人じゃなく、僕は赤い外套を着たお爺さん──サンタクロースになっていた。ご丁寧に、口の周りには白い髭まで生えていた。
いったいぜんたい、どういうことなんだ?
──なんなんだよ、これは?
僕は帽子ごと頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。
何がなんだか……わけが分からない。
どうして、僕が老人に……サンタクロースにならなくちゃいけないんだよ!
「なぜだ、なぜなんだ! いったい、どうしてなんだよ?」
なぜ&どうしてを馬鹿みたいに繰り返す以外、僕には何もできなかった。
けれど。その答えは少し経つと、僕の視界の端に飛び込んできた。
…………僕がいた。
視界の端に、僕がいた。
向かいのベンチ、もともと僕がいた……僕が目覚めたベンチに「僕」がいた。さっきの僕と同じジーンズ&ジャンパー姿の、眠る若者の「僕」がいた。
「…………」
……答えは、すぐに側に転がっていた。
サンタクロースの僕が今ここに居て、若者の「僕」もここに居る。
つまり、さっきのサンタクロースも「僕」だったのだ。
姿は違えど、「僕」。……同一人物だった。この公園には「僕」しかいないのだ。
ここは「僕」たちの公園……。
なら、僕もちゃんとやらなきゃな。今度は僕の番だ。自分の役目を果たさないと。
スプーンにフォーク、小石に小枝。僕は必要な物を拾い、バケツに入れた。
バケツをベンチに置き、雪だるま作りを開始する。
老人にはなっていたけれど、身体は意外としっかり動いてくれた。さっき食べた雪のお蔭だろうか、体力の方も十分だった。
――ザック、ザック、ザック。
作り始めてみると、ただ雪玉を転がしているだけなのに、雪だるま作りもなかなか楽しかった。
身体の方は老人になってしまったけれど、心の方は童心に返った気分だった。
なんとも言えず心が浮き立ち、ワクワクする。
ザック、ザック、ザック。
どうやら、若者の「僕」が目覚めたらしい。僕は自分に向けられた視線を感じた。
ザック、ザック、ザック。
あと、もう少し……。
……ザック。
二つの雪玉ができあがった。
雪玉を重ね、小石や小枝をはめ込んでいく。
最後に、バケツを上の雪玉に載せ、
――よし、出来上がり!
雪だるまは完成した。
さっき、僕がプレゼントされたのと同じ。
無愛想なようで、愛敬があるような。微妙な表情で雪だるまは僕を見ていた。
さあ、後は──。
「Present for you」
僕はさっき言われたことを、「僕」にも同じように言った。
すると、「僕」は呆気にとられたような顔をした後、ひどく困惑した表情をした。
なるほど……さっきの僕はあんな顔をしていたのか。
少し前の自分自身のことを見ているだけなのに、なんだか面白かった。何か新しい発見をした時のように、新鮮な気分だった。
「フォー ミー?」
「Yes」
僕は頷き、しっかり即答する。
「Present for you」
二度目のその言葉に、「僕」がますます困った顔をする。
もちろん、僕には「僕」の困惑具合が分かる。
さぞかし「僕」は戸惑っていることだろう。
それを思うと、とても楽しかった。我ながら意地が悪いと思う。だけど、なんとも愉快な気分だった。
「Bye―bye」
微笑んで、僕は「僕」に背を向けた。
あとは、この場から退場するだけ。それで、終わり。
もちろん、「メリークリスマス」なんて言わない。だって、僕はサンタクロースであって、サンタクロースじゃないから。
ザック、ザック、ザック。
ザック、ザック、ザック。
「………………」
ザック、ザック、ザック。
僕の役目は終わった。
祭りの後のような寂寞感……。それが僕の心に生まれだしていた。
ザック、ザック、ザック。
役目が終わり、気が抜けてしまったからだろうか。疲労が身体中を駆け巡っている。
雪だるまを作っていた時は平気だったのに、いまごろ身体がひどく疲れてきた。
ザック、ザック、ザック。
ただ歩くだけでもしんどかった。
……もうダメだ。
僕は、半ば倒れこむように、近くのベンチに腰を下ろした。
そして……。
重くなった瞼が、ゆっくり下がり。
闇の中、僕は深い眠りに落ちていった……。
ザック、ザック、ザック、ザック……。
――ザック、ザック、ザック。
そんな耳障りな音に眠りを妨げられ目覚めると、僕は白く厚化粧された公園にいた……。
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