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 衣服を整えて部屋を出て、ロヴィスの部屋へと向かった。

 まだ壁に灯った灯りに照らされた少し薄暗い廊下を歩いていく。

 廊下は朝冷えしているのに、かなり薄着で出てきてしまった。
 何か羽織って出てくればよかったのに、気がはやってしまい、失敗した。
 戻るのも面倒だし、そのまま両腕を抱き抱えながら歩いていく。

 ロヴィスの部屋に近づくにつれて、話し声が聞こえた。
 
 こんな朝も早い時間に部屋に入れてまで話しているなんて、相手は誰だろう。
 
 ……まさか、もう僕以外の……他の相手がいるのか?

 心臓が嫌な速さで鼓動する。
 ゆっくりとロヴィスの部屋まで止まりそうになる足を進めると、扉が少し開いていて、中から明かりが漏れていた。

 近づくにつれて話し声は大きくはっきりとしてくる。

 なんだか聞いたことのある声のような気がした。

 もっとよく聞こえるようにドアに近づいていくと、二人の話し声が聞こえてきた。


 
 
「閣下、お久しぶりですね」
「久しいな、エミール」

 聞いたことがある声の主は、兄のエミールの声だった。
 なんだ、浮気なんかじゃなかった。ホッとすると、自分の肩にかなりの力が入っていたのに気がついた。
 
「アルブレヒトととのご婚約、おめでとうございます。閣下はいかがお過ごしでしたでしょ……」
 
「前置きはいいエミール。本題に入れ。俺は基本的に気が短い」

 エミールの挨拶を遮るようにロヴィスが声を被せた。
 
「……ええ、わかりました。私が話したかったのは、アルブレヒトとカスパー第二王子との婚約破棄のことです」

 ――僕の婚約、破棄のこと…………? それとロヴィスが何の関係があるんだろうか?
 
「……婚約破棄がなんだ?」
 
「単刀直入に言います。カスパー第二王子とアルブレヒトの婚約破棄は、

 あなたが仕掛けたのでしょう?」


 ひゅ、と小さく息が詰まる音がアルブレヒトの喉からした。
 息が止まったかのように、時間も一瞬動かなくなった。少しの間を空けてロヴィスが答える。
 
「……なんのことか、わからないな」
 
「閣下が手引きしたのでしょう? あのカスパー王子の相手、ヴァンデル・ベトルーガー……。あなたの国の高位貴族と伺いましたけれど?」
 
「俺の国に貴族は数多くいるよ。たしかに自国のほぼすべての貴族と名前を記憶はしてはいるが、流石の俺でも、全員と顔見知りというわけではないのでね」
 
「しらばっくれても無駄です。あなたの支援によって彼はこの国に遊学してきたと聞いていますよ」
 
「知っているだろう? 俺は実に様々な慈善活動を行っている。もちろん、この領地の新事業の支援もそれに含まれる……。自国の、しかも優秀な者への遊学支援は当然その内さ」
 
「あんなに第二王子の好みの顔と中身とさらに爵位を兼ね備えた相手が、そんな簡単に現れるとは思えませんが……」
 
「彼は俺が支援した数いる中の一人であって、俺個人が手引きした訳ではないと言っておこう」
 
「……そこまでおっしゃるなら仕方ありません」

 エミールは手に持っていた書類をロヴィスに一枚渡した。
 
「……ベトルーガー家の家系図か。よく手に入れることができたな」
 
「伝手を頼りました。新事業で支援してくださっているのはあなただけではありませんから」
 
「それで? これを見て俺にどうしろと?」

 するとエミールはまだ手に持っていた書類を差し出した。
 
「ここに、もう一枚同じベトルーガー家の家系図があります。二年前のものです。第二王子の相手であるヴァンデル・ベトルーガー伯爵令息ですが、存在していない。これがどういうことか、わかりますか?」
 
「さぁな……。ベトルーガー伯爵当主の庶子だったのではないか?」
 
「――私は、最初に閣下にヴァンデルを知っているかと尋ねましたよね? あなたが知っていると答えたら、庶子の可能性もあるかと思いました。だが、あなたは知らないと答えた」

 のらりくらりと答えるロヴィスにの言質を取ろうしているのか、エミールは細かく確認しながらロヴィスを問いただす。
 
「ああ、知らないな」
 
「もう一枚、こちらに申請書があります。これが何かは、もうおわかりですよね?」
 
「さあ、なにかな?」
 
「最後まで言わなければ認めてくださいませんか?……」

 最後の一枚を両手に持ってロヴィスと真正面から対峙するエミール。
 追い詰めているのはエミールのはずなのに、相手は飄々とした表情はそのままで、少しも焦ることがない。
 辺境伯が素直に認めることはないとは思っていたが、実際にこれほどの相手とやり取りするのは、中々に精神的にくるものがあったようだ。
 エミールは表情には出さないようにしていたが、冷や汗が出始めてじっとりと手に汗もかいてくる。
 
 エミールが口を開こうとしたその時、ドアが大きく開かれた。
 


「……兄上、どういうことですか?」
 


 突然入ってきた当事者に、エミールはギクリと体を揺らし、羽根のような薄金髪の長髪をたなびかせて振り向いた。
 
「あ、アルブレヒト……」

 ロヴィスはそれを見ても一人落ち着いて佇んでいる。
 
「一体……なんの話をしているのですか? その紙に一体何が書かれているというのですか?!」

 ゆっくりと部屋の中の二人に近づいてきたと思ったら、エミールが手に持っていた最後の書類を奪った。
 
「……っ、アルブレヒト! 待ちなさい!」

 兄エミールの制止の言葉も届かずに、アルブレヒトは書類を見た。

「な、なに……これ……」

 そこには驚きの事実が記されていた。

「……養子縁組? ヴァンデル、……平民…………ベトルーガー家……」

 そこには、養子縁組申請書と大きく記された文字があった。
 養子の欄にはヴァンデルと記されている。平民には苗字はなく、ただヴァンデルと。
 そして隣にはわざわざ平民と書かれていた。
 養親の欄にはベトルーガー家の現当主の名前であろ、長ったらしい名前が書かれていた。

 最後の一文を読みおこす。

「平民ヴァンデルとベトルーガー家当主との養子縁組を認め、ここに証明する……証人、ロヴィス・フォン・ルートヴィヒ………………」

 証人の欄にロヴィスの名前が……?

「うそ、……どうしてロヴィスが……証人に……?」
 
「俺は辺境伯当主だからな。色々な書類の決済を行っているし、大貴族との間でやりとりがあるのは別に不思議じゃない」
 
「ここまできて誤魔化さないでください、閣下。ベトルーガー家現当主と閣下は学生時代から犬猿の仲であることは調べがついています。書類上の証明であるとはいえ、そんな相手とのやり取りを忘れるはずがありません。それならば当然、ヴァンデルの名に聞き覚えがあるはずです」

 ようやくロヴィスが肩を下げて「ふう」と一息吐いた。
 少しのあいだ目を瞑り、そしてギラリと竜目が光った。
 余裕の微笑でエミールを見つめる。
 
「……ここまで調べ上げられてしまうとは思わなかったな。少しつめが甘かったか」
 
「認めるのですね?」

 エミールが言質を取るためにさらに確認する。だがそれには答えなかった。
 
「エミール、アルブレヒトと二人にしてくれないか」
 
「それが今得策かどうか、私に判断できかねます」

 エミールは「お前など信用ならんから弟と二人になどできるか」という言葉を丁寧に言い換えた。
 
「俺がアルブレヒトを傷つけると思うか?」
 
「アルブレヒトの心はもう十二分に傷ついていると思いますがね」
 
「兄上、僕は大丈夫です。どうか二人にしていただけませんか」
 
「アルブレヒト……だが……」
 
「大丈夫ですから。それに、僕も話したいことがあったのです」
 
「はぁ……わかった。……だが何かあればすぐに言いなさい」

 こくり、と頷くのをエミールは確認して部屋を出て行った。
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