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本編
16-ケア
しおりを挟む「違うんだヒカル。ため息を吐いたのは、お前が回復してくれて安心しただけで……」
「嘘つけ」
「本当だ、信じてくれ」
そんな確証も何もない言葉を信じられるほどお人好しじゃない。
それに、こんなところで蓮にさいている時間も惜しい。
「蓮、そろそろ俺の服を返してくれ。もう仕事に戻る」
「は? 一体何を言っているんだ?」
「なにって、仕事が溜まってるし、これ以上遅らせたらとんでもないことになる」
休んだ分だけ仕事は残る、新しい仕事も増え続ける。
最近は土日も出勤したりして仕事の後処理を進めたりしていた。
そうしないと終わらないから。
ベッドを降りると、頭をトンカチで殴られるようなほどの頭痛がしてふらりとよろけた。
慌てて蓮が俺の体を支える。
「『Freeze』って言ってるだろ」
「俺はお前のパートナーじゃない。お前に俺を縛ることなんてできない」
コマンドを弾き飛ばして蓮を睨みつける。
「ヒカル、お前は1週間はここで自宅療養だ」
「いやだね」
「そう医者にも言われて、俺はそれを了承した。だから退院手続きができたんだ」
「そんなの、お前が勝手にしたことだろ! 俺には関係ない!」
1週間も療養したら、どれだけ仕事がたまるかわかっているのか?
仕事で1週間を取り戻すのに、どれほどの労力がかかるか、蓮はわかっていない。
社長だなんて偉そうに。
どうせ社員に命令するだけの楽な仕事だろ。
底辺リーマンの俺と、ホテル経営者の社長とじゃ、立場が違う。
俺はギリギリと奥歯を噛み締めた。
やっぱり、こいつはDomだ。
自分だけで勝手に決めて、俺のことなんて考えてくれていない。自分が相手を支配することしか考えていないんだ。
俺がどんな思いをするかも、わかってくれない。わからろうとしていない。
俺たちはDomとSubである限り、一生分かり合えない。
「ヒカル、こんな状態で仕事にいけるわけがないって、わかるだろう?」
「うるさいっ」
別にどうってことない。
薬を飲めば欲求は抑えられる。頭痛も、吐き気も我慢すればなんとかなる。今までなんとかしてきた。
一人で生きてきたんだ。
「よく自分を見てみろ、ヒカル」
ずいっと、手鏡を渡される。
そこに映る、顔色の悪い痩せ細った男。
酷い顔だ。目も充血して赤く、隈もできてくぼんで黒ずんでいた。
俺は自分の頬に手を当てた。
俺、こんな疲れた顔してた?
びっくりしすぎて、自分の顔だと一瞬わからなかったくらいだ。
「お、俺……こんな……」
ふるふると震えながら蓮に渡された手鏡を掴む。鏡の中の男が泣きそうに顔を歪ませた。
「ヒカル、もし、これからも仕事を続けたいなら、俺と擬似パートナーになれ」
「……っ、やだ……」
Subになんかなりたくなかった。
こんな欲求欲しくなかった。
普通に生きていたかったのに。
どうして俺ばっかり、こんな目に遭うんだ。
「もう一度サブドロップしたら、死ぬぞ」
「……!」
「死にたいのか?」
「……し、しにたくない……」
消えて楽になりたい、なんて思ったのはSub不安症のせいだ。
意識を取り戻した今ならそう思える。
「だったら、俺とプレイするんだ。そうじゃなきゃ、お前を病院に送り返す。そしたら、しばらくは退院もできないし、Dom性の医者のコマンドで強制的に治療させられるぞ」
「……そんなのやだ」
「だったら、俺にしておけ」
「なんで、そんなに必死になるんだよ……俺が死んだってお前には関係ないだろ」
「さあ、なんでだろうな……?」
「っ……」
蓮の初めて見せる顔だった。
眉が垂れ下がり、キラキラと瞳が揺らめいていた。ちょっとでも触れたら、壊れてしまいそうな脆いガラスみたいだ。
ほんとに、なんで俺なんかを助けるんだ。
ほっとけばいいのに。
「俺はただ、ヒカルに平穏に過ごしてほしいだけだ」
「……うん……」
「強制もしないし、痛いこともしない。プレイはただの体調管理だ」
倒れるくらいに膨れ上がった欲。
プレイで解消せずに生活していくのは難しいことは、今回のことで身にしみてよくわかった。
こんな体じゃ仕事も満足にこなせない。
蓮はどうして俺なんかにかまうんだ。
俺に振られた復讐をしたいわけじゃないのか?
「わかったよ……蓮と擬似パートナーになる」
プレイするしか、俺が生活していく手段はない、そう突きつけられた気がした。
薬でも押さえつけられず、また仕事中に倒れでもしたらクビになったりすることも当然あり得る。
そうしたら、俺はまたあの暗闇に落ちて生きる意味がわからなくなってしまうかもしれない。
「よかった。よく決心した。頑張ったな」
「ん……」
コマンドのご褒美としてじゃなくても、褒められると嬉しくなる。
気持ちが落ち着いたら、どうして俺は蓮のホテルにいるのだろうと疑問に思った。
「……そもそも、何で俺はここにいるんだよ」
なんで蓮なんかに連絡がいったんだろう。パートナーでもなんでもなかったのに。俺のケータイにだって、蓮の連絡先なんか入ってない。
「ああ、それはお前の同僚がその腕の電話番号を見て俺にかけてきてくれたんだ」
腕の少し薄くなった番号。
何としてでも消しておけばよかった!
全てがこいつの思惑通りにことが運んでいる気がする。
納得いかない。
気が抜けたことで、ふと、蓮が持ってきたトレーが目に入った。
何かの料理がのっていたけど、この距離からその料理名はわからない。
くん、と鼻を利かせてみると、チーズの濃厚な香りが漂ってきた。
ぐうっ。
静寂に鳴り響く、俺の腹の音。
「くッ、……た、たべるか……っ?」
笑うのを我慢しながら、蓮がテーブルに置いていたトレーをベッドまで持ってきてくれた。
込み上げでくる笑いを押し殺そうとしているけど、全然できていない。
「いっ、いらねぇよッ!」
ぐう、ぎゅるる。
「ふぐ、っ……ヒカルの腹の音は素直だな」
蓮はトレーを俺の太ももあたりに乗せた。
くつくつと手を口元に持ってきて、さらに腹を抱えて笑うのを堪えている蓮。
俺はむすっとしたまま腕を組み、トレーの料理から目を背けた。
けど、チーズのたまらなくいい匂いがただよってきてどうしても無視できない。
ぐうううっ。
空気の読めない俺の腹はまたしても盛大になった。
「ほら、遠慮せずに食べてくれ」
「いらない!」
こんな屈辱あるか?
いらないって言ってるのに、腹は俺を無視してくる。
こうなったらもう意地でも食べない!
俺は絶対に食べない!
「少しでもいいから食べないと」
「だーかーらー、いらな……」
「はい、あーん」
大きく口を開いて拒否の言葉を口にした。
その時に、ひょい、と蓮がスプーンを口に放り込んだ。
「んぐっぅ!」
いきなりのことで、俺はびっくりしてごくんと、それを飲み込んだ。
え、うまっ。
チーズの塩味が効いていてしっかりとしているのに、ミルクの優しい味わいも感じた。
「病人食は作ったことがなかったんだが、フレンチリゾットなら食べやすいかと思って。胃にも優しいし消化にもいいだろうし」
「……うまい」
全然食欲が湧かなかったけど、これなら食べられそう。チーズが入ってるからくどい味かと思いきや、あっさりと食べられる。
絶対食べない、とか思ってたくせに、もう二口目が食べたくなってきた。
「ヒカル、『口開けて』」
あー、くそ。
蓮のコマンドに従いたくないけど、俺の体はこのリゾットを欲している。
俺はしぶしぶ口を開けた。
パクリ。
また蓮が俺の口までリゾットを運んでくれる。
しかも、そこらで食べるチェーン店のやつとはレベルが格段にが違う。
やっぱ高級ホテルのシェフが作ってるのかな。
死ぬほどうまい。
これなら全然食べられる。
食欲なかったのが嘘みたいにぺろっと食べてしまった。
そして、食べさせてくるたびにコマンドを使ってくる。食べたら褒めての繰り返し。
「全部食べれたな。『えらいぞ』」
うぅ、いやだ。
褒められると気持ちいい。
「こんなにうまそうに食べてくれるなんて、作ったかいがあったな」
「え? これ、お前が作ったのかよ?」
「そうだ」
「シェフとかじゃなくて?」
「俺が、ここの部屋のキッチンを使って1人で作ったんだよ」
「蓮って、料理できたんだ」
いつも会うのは放課後のあの時間だけだった。それ以外の場所で過ごしていた蓮を俺は何も知らない。
「フランスに留学してたことがあってな」
「ふ、ふらんす……」
「パリの五つ星ホテルで経営を学んだ時に、ついでにフランス料理も教えてもらって」
「へ、へぇ」
「経営を学ぶよりも、フレンチの修行の方が厳しかったくらいだよ」
あはは、と楽しそうに笑っている。
ちょっとついていけない。
金持ちの世界。
経営学びに行ったのに、ついででフランス料理も教えてもらえるんだ。
しかも、普通に五つ星ホテルでシェフとして働けるレベルだろこれ。
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