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6 マリーの最後 閉じた瞼の先に

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 モアーナ様が亡くなり、私はブランバンティオ伯爵家から追い出された。その後行きついたのは路地裏での身売りだった。

 常連客もできた頃、いつも通りになじみの男が私の方に歩いてくる。

 だけど、最初の声は男の後ろからかかった。激しい憎悪を滲ませた女の叫び声だった。
 

「この……売女がっ!」

 
 ずぷっ。

 突然、私の心臓に細い刃物が勢いよく突きたてられた。全く痛みは感じられなくて、一瞬なにが起こったのかもわからなかったくらいだ。
 

「あ、あんたがっ……あんたが私の男と寝るからいけないのよ……っ。あんたのせいよ……全部、全部あんたが悪いのよぉ……っ!」

「エミリー、なんてことをするんだ! マリー! 大丈夫か? しっかりしろ……!」
 

 私を刺しているのは、いつも私を買うこの男の女だろう。
 女は血走った目をしながらナイフに添えた手をさらに私の体に押し込んだ。

 男が、私からその女を引き剥がすと、私の身体には突き刺さったナイフが残った。

 私を買っているのはこの男の意思だというのに、女は取り乱し、理不尽にも私に怒りを突きつける。
 

「なんでこんな売春婦に入れあげて……!」
 

 さらに暴れ出すエミリーとか言う女を男は押さえつけにいく。
 

「もうやめろ!」


 まだまだ彼女の怒りは収まらなくて、暴れ回っている。それを必死の形相で止めに入る男。
 そんなもみくちゃになっている二人の様子を私は静かに見ていた。
 
 私は床に膝をついて胸に残ったナイフを引き抜いた。その時やっと痛みを感じることができた。
 真っ赤な血が傷口から吹き出して、胸元から下が赤くなっていく。口からも、ごぷっと血を吐き出して地面に赤色が飛び散った。
 
 一気に頭から血の気が失せてしまい、意識が朦朧としてくる。
 ふらりと汚い路地に倒れ込むと走馬灯のように今までの記憶が蘇ってきた。

 

 ◇

 ブランバンティオ伯爵家に来る四年前、当時十二歳だった私は平民の中でも貧しい暮らしをしていた。
 
 子どもをただの労働力としか見ていなかった両親。次々と子どもを産むが、子どもへの愛などない。
 最近生まれた子は知らないうちにいなくなっていた。きっと病気か何かで亡くなったのだろう。
 弟か妹かもわからないが、悲しみはなかった。一日中聞こえてくる赤ん坊の泣き声に悩まされることがなくなってむしろホッとした。
 上に兄と姉がいて、私の下にも弟がいる。お互いに兄妹の絆などというものは芽生えず、食い扶持を奪っていくライバル同士であった。
 蹴落とし合いながら、毎日の食事にありつこうとなりふり構わず生きてきた。
 
 ここはそんな世界だ。愛も情も存在しない貧しい世界。

 お金があれば、この殺伐とした世界から抜け出せる。お金があれば余裕が生まれる。心に余裕が、生活にゆとりが。そうしたら、自分も愛がわかるかもしれない。愛を知り、手に入れられるかもしれない。私も誰かに愛されてみたいと、漠然とそう思った。

 

 ある日の朝、母親から声をかけられた。


「マリー、この籠をやるから薪を集めてきな」

「え? ……どうして?」

「口ごたえするんじゃないよ! さっさと行きな! この籠いっぱいに薪を集めてくるんだよ」
 

 いつもなんだかんだと仕事をよこすが、要求されるばかりで何か物を与えられたことなどなかった。

 薪だって、いつも集めてこいと言われるだけで、こんな入れ物を渡されたことなどなかった。いつも手に持てるだけいっぱい持ってきたり、切れ端の紐を見つけてそれを使ったりしていた。
 
 仕事のための籠だったが、見たこともないほど立派な背負い籠だった。血の通った母親から与えられた、初めての物。他の兄妹たちには声をかけず、私にだけだった。
 他の兄妹たちも、なぜこいつだけという疑問の顔と、羨ましいという顔が隠しきれていなかった。

 私だけに与えられた特別な仕事だ。優越感を感じて、それだけで嬉しくなった。
 いつもよりも気合いが入って、薪を集めるのはすぐだった。
 
 家に帰ってくると、母と父がダイニングテーブルを囲って何か話しをしていた。
 
「あの好色じじい、子どもを買って何をしているんだろうね」

「お前やめろよ。そんなの想像したくない。だが、これだけの金をくれるっていうんだ。詳しいことを知る必要は俺たちにはないってことよ」

 父は、うす汚れた手で布袋に入った硬貨をじゃらじゃらと鳴らして音を立てた。

「まあそれもそうさね。マリーはちょっとあのじじいの要求より年が経ってしまっているけど、相手の懐に入るのが上手いからなんとかやるだろうね」

「違えねぇな。それで? マリーが帰ってきたらどうすんだ?」

「薪と一緒にあのじじいの所に連れていくよ。子売りだなんて周りに噂されたらまずいからね。頼まれた仕事だって言って薪を渡すのさ。後のことは知らないよ。私たちはただ、あの家に薪を売っただけだからね」

 なるほどな、と父は汚く笑った。

 二人の笑い声が頭の中で反響して、足元がぐらぐらと揺れ始めた。
 

 私はその場から逃げ出した。


 走って走って、必死に走った。あてもなく、行く先なんて決まってなかった。
 
 自分には誰もいない。
 彼らとは血は繋がっていたかもしれないが、親子ですらなかった。
 
 なんで、少しでも希望を持ってしまったのだろう。愛されているかもだなんて。そんなものはこの貧しい世界にはないのに。

 両親にとって子どもは、マリーという存在は、ただのそこらに落ちている薪と一緒で、消耗品なのだ。
 金になる売り物で、所有物。
 物でしかない。

 悲しむ必要なんてない。
 仕方がないんだ。
 この世界に愛なんてものは存在しない。求めても意味がない。

 だけど今は辛くてどうしようもなかった。少しの希望が見えてしまっては、それを期待しない方がおかしかった。
 親に愛されることを、私は諦めきれなかった。
 
 涙と鼻水が風の抵抗を受けて後ろへと流れていく。
 ただ脇目も降らず、ずっと前だけを走った。
 
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