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その名は茅

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 向こうの宿場町で大名が討たれたらしい。
 その日の夕刻、茅が隣の村で野菜を買い付けに行った頃には既に噂はここまで届いていた。
 彼らの噂を作った張本人が、すぐ近くで凶器を隠し持っていることも知らずに。
 さして興味がない様子で茅は自分の用事だけ済ませ、人里から少し離れた古民家を目指す。
 いや、本心から興味がないのだ。
 大名達の勢力争いにも、朝廷や室町幕府の大義名分にも。
 ただ、憎い侍達を手当たり次第に撃てればそれでいい。
 弾丸か自分の命の、どちらかが先に尽きるまで。
「っ!! すいません!」
 暗い考えに耽っていたせいだろうか。
 途端路地から躍り出た大きな影を、茅は躱すことができなかった。
「おっと!」
 男の驚く声がする。それに紛れる金属音。
 もしやと思いきや顔を上げると、彼の腰には立派な二本挿しがある。
 よりによって、嫌いな侍と肩をぶつけてしまった。
 このまま無礼討ちにされてもおかしくはない。
 いかに銃器の扱いに長けた茅とはいえ、こんな状況で即興鉄砲を使えるわけではない。
 どう考えても相手が刀を抜く方が早いに決まっている。
「も、申し訳ございませんでした!」
 だから茅は、地面に額を叩きつけて謝るしかない。
「いや、俺の方こそすまなかった」
 意外にも相手の態度は穏便だった。
 むしろ機嫌を損ねているのは彼の同行者と思しき他の侍達だ。
「気を付けろよ! 小娘!」
「ど、どうかお許しを」
 涙目を浮かべ、さも頭を押さえつけられているかのように控えめに仰ぎ見る。
 茅がぶつかった先頭の相手は、若く背の高い侍だった。
 その表情は人が良さそうにも見える。
「それくらいにしておけ。俺は別に大丈夫だ。そっちこそ、怪我はなかったかい?」
「は、はい・・・・・・」
「では家に早く帰るがよい。この辺りも大分、治安が悪くなっているからな。隣の宿場町では、大名までが襲われたそうだぞ」
 そう言ってさして気にも留めず、侍は何事もなかったように歩き去っていく。
 彼に続く他の侍達の侮蔑的な視線を集めながら、茅はいつまでも頭を下げていた。
「時に娘」
 もうすぐ姿が見えなくなるところで、その侍は振り返った。
 何か言いたげな表情が伝わってくるが、人前では話せないことなのか。
 じっとこちらを見つめたままだ。
「いや、いい」
 彼は結局何も言わずに去っていく。
 よもやあの娘を囲おうと目論んだのではないかと、同行の侍達が揶揄を浴びせていた。
 そんな侍の傲慢さに眉を顰める背後の茅の視線に、彼らは最後まで気づかなかった。
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