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2章:祖父の形見
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その日の夕方。白カーテンが西日で赤く染まる医務室でのこと。
惜敗に心を痛めるラスタを待つ地獄は、これで終わりではなかった。
「痛ええぇ!!」
薬棚とカーテンで仕切られた夕暮れの医務室中に轟く断末魔の叫び声。
普段は柔らかい肌触りの脱脂綿が今は烙印のようにラスタの肌をひりつかせる。
その脱脂綿というのがまた、対座する少女の手によって無遠慮に傷口に当てられる。
イリスと同じジャケットとプリーツのミニスカートの制服を着た少女。
それでも制服の色は、ラスタのブレザーの上下と同じ群青色。
ラスタと同じ、魔導書を持たない騎士志望の学生はこの色の制服を着ている。
イリスのように騎士の中で魔導書を持つ《所有者》はむしろ少数。
大半がラスタと同じく魔力を持ちながらも専属魔法に与れない二等騎士と呼ばれる分類だ。
今正面に座る学生、リュシア=コンガドールもその一人だ。
「ほら、静かにしろ」
栗毛色のショートヘアの前髪を軽く手で払いながら、リュシアは血で汚れた脱脂綿をピンセットで掴み変える。
その手際の乱雑さといえば、女子のものとは思えないほど。
治療というより、まるで焼き印を押されている様な気分だ。
「随分な荒療治だな。もっと優しく当てられないのかよ。ぐぎゃ!!」
傷口に脱脂綿がめり込む。
「黙れ」
「・・・・・・スミマセン」
リュシアの炯眼の前に、ラスタは委縮する。
「全く、私が何でこんなことを」
ピンセットで脱脂綿を掴み変えながら、リュシアは不満そうに独り言ちた。
ラスタが怪我で運び込まれた時、医務室に居たのはリュシアだけだった。
ラスタの治療は本来、医務室の職員に任されるはずであったが、今は別件で出払っている。
そこでその場に居合わせたリュシアにお鉢が回ってきたというわけだ。
リュシアにとっては迷惑千万だが、そんな彼女に治療されるラスタもまた、不運だった。
「仕方ないだろ。俺は急患なんだ。ところでリュシア、お前は何をしているんだよ。そう言えば、女子ってよく保健室に行くよな。あれって何で――ぎゃあぁ!!」
「本当に黙らせてあげようか。ゲスめ」
「ゴメンナサイ。二度と同じことは申し上げません」
「別に、今日は少し貧血だっただけだ」
「また徹夜で勉強していたのか?」
「どうしてそれを?」
「噂になっているよ。リュシアは二等騎士の中でかなり頑張っているって。将来は仕官志望か?」
「関係ないだろ」
リュシアはすげなく返した。
「アンタこそ、相変わらずやられっぱなしなんだ。イリスさんに」
「今日は違う。あと少しで勝てたんだ」
「あと少しでバラされるところだったんでしょ? ていうか、もう五十八戦五十八敗じゃない。それで一勝しただけで嬉しいものなの?」
リュシアは薬品棚を片付けながら訂正する。
「単なる自己満足じゃない。二等騎士の俺達が一等騎士を下せば、これは歴史に名を残す偉業になるからだ。専属魔法なんか無くても、己の実力さえあれば強者になれる」
「それで無謀な級別対抗試合を続けるわけ?」
専属魔法を持つ一等騎士とそうでない二等騎士の戦力差は大き過ぎる。
そのため級別対抗試合は一等騎士側の勝利が一目瞭然であり、今やラスタ以外に試合を行う学生は皆無だった。
「俺達みたいな二等騎士でも、一等騎士に勝てるってことを証明するんだ。これは俺の人生の課題だから」
いつになるのかわからない展望を熱く語るラスタ。
対照的にリュシアの橙色の双眸は冷めていた。
「どうした? リュシア」
「別に。級別対抗試合なんかより、成績で対抗すればいいんじゃないかと思って。アンタ、今期の期末成績学年トップだったんでしょ? それって、一等騎士よりも凄いってことじゃない?」
「まあな。生まれつき魔力は高いから、後は勉強さえすれば何とかなるし」
「くっ・・・・・・ウザイ奴」
リュシアは恨めしそうに視線を背ける。
「何か言ったか?」
「何でもない」
「でも一等騎士に直接勝たなきゃ意味がない。専属魔法を自在に操る連中を正面から叩いてこそ、俺達の強さは証明されるんだ」
「あ、そう。勝手にしていろ」
丁度その時、医務室を離れていた看護士が戻ってきた。
リュシアはそれを見計らったように立ち上がる。
騎士科の女子に相応しい、肉付きはあまりなくとも引き締まった体躯だった。
「どこ行くんだよ?」
「私、暇じゃないんで」
リュシアはそっけない返事と共に看護士とすれ違う。
ラスタの手当てのことで看護士は礼を言ったが、リュシアの耳にはまるで届いていないようだった。
彼女のそっけなさはラスタだけに限った話ではない。
かつて二等騎士の下級兵だった父親を失った過去を持つリュシア。
仕官への尋常ならぬ野心はそのせいだと言われている。
だが、軍の重要ポストは専属魔法を有する一等騎士によってほぼ抑えられている。
専属魔法を持たない二等騎士が彼らを出し抜くには、並大抵の努力では足りなかった。
然るに勉学と鍛錬に明け暮れるリュシアは朋輩とさえ、遊ぶ暇はない。
ましてやラスタの治療をしている暇もないのである。
「リュシア、ありがとうな!」
ラスタが出口で呼びかけても、リュシアは反応一つ示さずに外へ出た。
惜敗に心を痛めるラスタを待つ地獄は、これで終わりではなかった。
「痛ええぇ!!」
薬棚とカーテンで仕切られた夕暮れの医務室中に轟く断末魔の叫び声。
普段は柔らかい肌触りの脱脂綿が今は烙印のようにラスタの肌をひりつかせる。
その脱脂綿というのがまた、対座する少女の手によって無遠慮に傷口に当てられる。
イリスと同じジャケットとプリーツのミニスカートの制服を着た少女。
それでも制服の色は、ラスタのブレザーの上下と同じ群青色。
ラスタと同じ、魔導書を持たない騎士志望の学生はこの色の制服を着ている。
イリスのように騎士の中で魔導書を持つ《所有者》はむしろ少数。
大半がラスタと同じく魔力を持ちながらも専属魔法に与れない二等騎士と呼ばれる分類だ。
今正面に座る学生、リュシア=コンガドールもその一人だ。
「ほら、静かにしろ」
栗毛色のショートヘアの前髪を軽く手で払いながら、リュシアは血で汚れた脱脂綿をピンセットで掴み変える。
その手際の乱雑さといえば、女子のものとは思えないほど。
治療というより、まるで焼き印を押されている様な気分だ。
「随分な荒療治だな。もっと優しく当てられないのかよ。ぐぎゃ!!」
傷口に脱脂綿がめり込む。
「黙れ」
「・・・・・・スミマセン」
リュシアの炯眼の前に、ラスタは委縮する。
「全く、私が何でこんなことを」
ピンセットで脱脂綿を掴み変えながら、リュシアは不満そうに独り言ちた。
ラスタが怪我で運び込まれた時、医務室に居たのはリュシアだけだった。
ラスタの治療は本来、医務室の職員に任されるはずであったが、今は別件で出払っている。
そこでその場に居合わせたリュシアにお鉢が回ってきたというわけだ。
リュシアにとっては迷惑千万だが、そんな彼女に治療されるラスタもまた、不運だった。
「仕方ないだろ。俺は急患なんだ。ところでリュシア、お前は何をしているんだよ。そう言えば、女子ってよく保健室に行くよな。あれって何で――ぎゃあぁ!!」
「本当に黙らせてあげようか。ゲスめ」
「ゴメンナサイ。二度と同じことは申し上げません」
「別に、今日は少し貧血だっただけだ」
「また徹夜で勉強していたのか?」
「どうしてそれを?」
「噂になっているよ。リュシアは二等騎士の中でかなり頑張っているって。将来は仕官志望か?」
「関係ないだろ」
リュシアはすげなく返した。
「アンタこそ、相変わらずやられっぱなしなんだ。イリスさんに」
「今日は違う。あと少しで勝てたんだ」
「あと少しでバラされるところだったんでしょ? ていうか、もう五十八戦五十八敗じゃない。それで一勝しただけで嬉しいものなの?」
リュシアは薬品棚を片付けながら訂正する。
「単なる自己満足じゃない。二等騎士の俺達が一等騎士を下せば、これは歴史に名を残す偉業になるからだ。専属魔法なんか無くても、己の実力さえあれば強者になれる」
「それで無謀な級別対抗試合を続けるわけ?」
専属魔法を持つ一等騎士とそうでない二等騎士の戦力差は大き過ぎる。
そのため級別対抗試合は一等騎士側の勝利が一目瞭然であり、今やラスタ以外に試合を行う学生は皆無だった。
「俺達みたいな二等騎士でも、一等騎士に勝てるってことを証明するんだ。これは俺の人生の課題だから」
いつになるのかわからない展望を熱く語るラスタ。
対照的にリュシアの橙色の双眸は冷めていた。
「どうした? リュシア」
「別に。級別対抗試合なんかより、成績で対抗すればいいんじゃないかと思って。アンタ、今期の期末成績学年トップだったんでしょ? それって、一等騎士よりも凄いってことじゃない?」
「まあな。生まれつき魔力は高いから、後は勉強さえすれば何とかなるし」
「くっ・・・・・・ウザイ奴」
リュシアは恨めしそうに視線を背ける。
「何か言ったか?」
「何でもない」
「でも一等騎士に直接勝たなきゃ意味がない。専属魔法を自在に操る連中を正面から叩いてこそ、俺達の強さは証明されるんだ」
「あ、そう。勝手にしていろ」
丁度その時、医務室を離れていた看護士が戻ってきた。
リュシアはそれを見計らったように立ち上がる。
騎士科の女子に相応しい、肉付きはあまりなくとも引き締まった体躯だった。
「どこ行くんだよ?」
「私、暇じゃないんで」
リュシアはそっけない返事と共に看護士とすれ違う。
ラスタの手当てのことで看護士は礼を言ったが、リュシアの耳にはまるで届いていないようだった。
彼女のそっけなさはラスタだけに限った話ではない。
かつて二等騎士の下級兵だった父親を失った過去を持つリュシア。
仕官への尋常ならぬ野心はそのせいだと言われている。
だが、軍の重要ポストは専属魔法を有する一等騎士によってほぼ抑えられている。
専属魔法を持たない二等騎士が彼らを出し抜くには、並大抵の努力では足りなかった。
然るに勉学と鍛錬に明け暮れるリュシアは朋輩とさえ、遊ぶ暇はない。
ましてやラスタの治療をしている暇もないのである。
「リュシア、ありがとうな!」
ラスタが出口で呼びかけても、リュシアは反応一つ示さずに外へ出た。
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